第3話 そのさん

 平成三十年一月二十九日

 本業の仕事の途中でバイト先のフジキノさんから携帯電話にメールが入る。

 本業のほうでも、バイト先でも、会社支給の携帯、なんてものはないので、自分の端末です。

 ちなみにガラケー。

 平成三十年の現在もガラケー。

 たぶん、平成の時代が終わってもガラケーなのよきっと。

 iPhone?

 この不器用人間に使えるとは思えない。

 ガラケーのネット機能だって使ったことないのに!

 いやまあ、使いこなせたら便利なんだろうけど、基本料金高くなるな~としみったれる私。

 もしiPhoneに換えたとしたら、基本料金が値上がるわけで、その値上がり分で海外版吸血鬼映画の一枚や二枚、余裕で買える。(海外版はだいたい安い)

 一ヶ月に一枚分、携帯基本料が上がってみなさいよ。

 一年で十二枚も買い逃してしまう……

 いやそんなこと言いながら毎月馬鹿にならない出費してるからこんなところでバイトしないといけなくなっているのでは?

 家にある本とDVDとCDがお金で残ってたら、マンションの大規模修繕費くらい余裕ですよ……とはいえ、あれは私の人生の糧だし……と、思考が明後日の方向に行ってしまったところで一旦思考停止。


 私の携帯事情はさておき。

 月末にむけて本業のノルマに追われだしたわけですが、まあ、バイトとはいえ、こっちも仕事なんで致し方なし。

『百貨店で惣菜とワインを調達してきてください』

 フジキノさんからのオーダーです。

 ……これな……

 たまにあるんですが、心中複雑です。

 なにがって……ねえ。

 私の労力的には、本業の職場のすぐ近くにも、自宅のすぐ近くにも百貨店があるので手間なく対応できるんですけど。

 うん、たしかにそろそろ次の満月も近いから……

 フジキノさんの御子息たちに『処理』してもらおうと思えば、満月の時期を狙うのが一番なんですよね。

 このお惣菜とワインのセット、フジキノさんと八人の息子さん娘さんの胃に収まったりしません。

 もちろん私も食べません。

 雇用主のご家族がお召し上がりになったりもしません。

 雇用主とお坊ちゃんとお嬢ちゃんのお食事は市販されていない飲み物一択です。

 去年の冬、お子さんたちが動物を捕まえてきてちゅーちゅーしてらしたので、人間じゃなくてもいいみたいですが。

(このあたりの事情については、「そのに」をご参照のこと)

 マンションの大規模修繕の修繕一時金調達に苦しんでいる身としては、ぶっちゃけ、エンゲル係数が限りなくゼロに近いのは羨ましい限りです。

 まあ、市販されてないってことは、この現代日本で手に入れるのは手間暇がかかるって事なので、それはそれで大変だな~とも思うんですが。

 合法的に食糧を調達するには、山で猪狩りでもして獲物の血を飲むしかないわけで。

(ただし我が県では狩猟の許可を得ていても、鹿狩りは場所によっては違法です)

 あとは養鶏かなにかで、食肉用に出荷するまえの鳥の血を飲むとか。

 雇用主各位、みなさまがどんな味覚をしてらっしゃるのか知りませんが、猪も鹿も熊もめっちゃくちゃ獣臭いですからね……獣臭がOKかどうかで、味に差が付いたりするかも。鶏は鶏で独特の体臭だし。

 人間の私にだって自分が「美味しそうと感じる匂い」ってのはあるわけで。

 たとえばほら、香水臭い女は嫌いだ、みたいなこと仰る吸血鬼諸氏、物語で結構いらっしゃいますよね。

 比較的近作じゃ、劇団サウンドシアターの朗読劇「MARS RED」(2021年TVアニメーション制作中とのこと)に登場する吸血鬼たちは、嗅覚が良すぎて強い匂いが苦手ってことになってましたし。

(そしてその弱点を逆手にとって、西洋吸血鬼と戦うために、日本の吸血鬼は「くさや」を武器にするのです)

 でもこんな設定だと、近世以降のヨーロッパ各国の上流階級の方々(男女とも)狙うとなると大変だったろうと思いますね……体臭ごまかすために香水使ってたから。

 しかしまあ、獣臭さが雇用主ご一家にとって食欲をそそる匂いになってるんならいいんですけど、雇用主の食卓に「本日のメインディッシュは猪の心臓の血」なんてのは供されたことがないんで、たぶん美味しくないんだろうな……「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」のレスタトも、鼠の血は非常食になるけど美味しくない、みたいなこと言ってたし。

 雇用主のお子さんたちは、いまのところ人間の血は原則禁止なんで、猪だろうが兎だろうが鼠だろうが、美味しいって、飲んでらっしゃいますけどね。

 もしも吸血鬼諸氏にとって、人間の血の味っていうのが特別のものだとしたら、お子さん方がそれを覚えるのはなるべく遅い方がいいな……ご近所の平和のためにも。いやですよ、ご近所のいたいけな子供たち(人間)がつぎつぎに失踪するなんて。キングの「呪われた町」じゃあるまいし。

 このあたり、治安は比較的いいという話なんですから。

 とはいえ、私には雇用主ご家族の養育&教育方針に口出しする権利はないので、まあ、このあたりはあくまで希望ですね。

 で、話は百貨店のお惣菜に戻りますが……

 すくなくとも人間の血を合法的な手段で手に入れて食卓に供する方法はない。

 非合法ですが穏便な手段としては、緒形拳主演の「咬みつきたい」で、偽献血車で血液収集して飲む……みたいな方法が印象的ですが、あの怠惰な雇用主があんなマメなことをやるとは思えない。

 いやですよ、私。

 偽献血車で血液採集する係とか。

 いまのところそんな役、割り振られてないんでいいんですけどね……。

 で、そんな私はデパ地下のお惣菜とお高いワインを買う係。

 経費は領収書と引き換えで清算してもらいます。

 それをどうするかというと、盛り付けてお客様にお出しするわけです……

 お客様ってだれだって?

 そんなの、私が知るわけがないじゃないですか。

 毎回、違う人(だと想定される)だろうし。


 このあとの流れとしては、以下の通り。

 なにが起こっているのかは、みなさまのご想像にお任せします。

①夕方、フジキノさんのご指定でお惣菜とワインを買ってきて、バイト先でお皿に盛り付ける。

②バイト先の客間の清掃を行う。

(この間、雇用主さんとフジキノさんはお出かけ。フジキノさんの御子息たちは、満月に近いせいで変身してるんでお屋敷内にいません)

③こういう日は、早上がりで、だいたい夜九時くらいまでには作業を済ませ、帰宅。

④翌日、客室に買ってきたお惣菜とワインが半分くらい手を付けられて残ってるのを片づけて、客間の清掃をする。

 ……以上。


 お惣菜を盛り付けた確実に高いバカラの硝子食器やワイングラスに赤黒い『塗料』が付着していたり、せっかく私が洗濯して綺麗にしたカーテンやソファの掛け布に黒っぽい染みがついて汚れてたりするんですが、まあ、気にしたら負けですよ。

 少なくとも血溜まり……もとい、赤黒い塗料をこぼしたような水たまりは出来ていないんで。

 雇用主が気を遣うはずもないので、毎回、フジキノさんの御子息たちがちゃんと後始末しておいてくれているに違いない。

 まあ、どうせやってくれるなら食器も片付けておいて欲しいけど、変身してるだろうし、細かな作業は厳しいな、きっと。一枚、一脚、十万円以上するバカラのグラス、割ったら大変だしね……

 私の敢えて見ていないところで、バカラのグラス以上に大切なものが喪われているような気がするって言うのは、この際、言いっこなしってことで……

 代替手段の提案もなしに「これは駄目、あれは駄目」と駄目出しばっかりするのは良くないし。

 だって人の迷惑考えて美味しいもの食べるなって言ってもね……私も牛や鶏の事情を考慮せずに食べてるわけですし。

(ただ、この考え方は私自身が捕食の当事者になったときは別の考えになるんじゃないかと思います。ええ、人間身勝手なもんです)

 法律に違反してるからなんとかしてくださいっていうのは、ありとしてもね。

 

 そんなこんなで本日はお惣菜に甘エビを購入、ワインはスパークリングワインです。一本一万五千円くらいのやつ。

 甘エビをバイト先の台所で、ミネラルウォーター製の氷に盛り付け冷蔵庫に保管、ワインをワインセラーで冷やしておくところまでが、私の作業。

 私、このお宅ではじめて個人用ワインセラーなんて見ましたよ。

 最大三十六本まで収納できる電源付きボックスタイプ。

 温度と湿度を自動で管理してくれるやつです。

 冷蔵庫に付属している製氷庫は氷が粉砕されて出てくる優れもので、バカラの足つきの平皿に氷を山形に盛って、そこに甘エビを並べるわけです。

 配色的にはミントでも一緒に飾りたいところですが、雇用主が「匂いが好かない」というので、薄切りレモンを飾ってます。

 ソースはレモン汁とマスタードを混ぜたの。

 海老のカクテルというやつです。

 原作の書籍含む、ハマーホラー他、「吸血鬼ドラキュラ」では、トカイの赤ワインとローストビーフ(注・ドラキュラ氏のお手製ですよ)が、お城の客人であるジョナサン・ハーカーに振る舞われるんですが、ここの場合、重い食事は必要ない気がするので、毎回、こんな感じです。

 今回用意した海老のカクテルは尻尾を指でつまんで、ソースにちょっと付けて、ちゅっと食べるのですが、可愛くキュートな(死語かな?)仕草で食べられるし、お化粧崩れないし(雇用主の食事の好みは女性であると仮定していますが、未確認です。最近は男性も化粧してることもありますしね)、なかなか優れものだと思うわけです。

 ぶきっちょな私でもこのくらいならそれなりに見栄えするように盛り付けられるしね。

 しかも、美味しいので、一石二鳥どころか三鳥。

 まあほら……最後の晩餐くらい美味しいもの食べてもらいたいじゃないですか……

 ……ああ、やだやだ。

 っていうのは、世の吸血鬼諸氏の召使い各位が思ってるんだろうな……「またご主人さま、女(または男)連れ込んでるよ……後始末どうすんだよ……」とか。

 私、召使いというか、通いの家政婦なんですけど。

 でもって、後始末の心配はしなくて良いので、良しとしよう……って言うのは、ちょっとレベルの低い妥協のような気がするんですけどね。


 一通りの作業が終わって、さて帰ろうか……というとき、玄関手前のところでお子さんたちふたりが立っているのが目に留まりました。

 いつもの壁やら天井やらを駆け回る元気はどこへやら、なんだかしょんぼりしています。

 例えるなら……おねしょしてしまってどうしたら良いか分からない……みたいなしょんぼり。

 いや、彼ら、おねしょはしないと思うんですけど。

 一応、子守も仕事のうちなんで「どうしたの?」と声を掛けます。

 黙りこくって、ついてきて、とばかりに私の袖を引っ張る姿に……ごめんなさい、悪い予感しかしない。

 私の身の危険じゃなくて。

 ああ、袖を引っ張る白くて可愛らしい手に、血がついてるよ。

 高価なお洋服は茶色の毛だらけだし。

 連れて行かれた子供部屋をそろりと覗くと……

「やっぱり……」

 部屋の真ん中に、猫が一匹、くったり横たわっています。

 しかも首輪つき。

 拙いな……だれかに見られてたら、あとで飼い主さんが怒鳴り込んでくるかも……

 首輪つきといえど、捨て猫の可能性も高いのでなんとも言えないのですが。

 ふたりとも、他人の家には「招かれないと入れない」ため、勝手に侵入できないので、他人の家や庭に忍び込んで攫ってきたわけではないのは間違いないんですけど。

 二人のやったことはたしかによろしくないし、動物の愛護及び管理に関する法律第27条第1項にも抵触するし、刑法第261条(器物損壊等)にも引っかかる。

 とはいえ、分かるんですよ。

 おなかが空くのでやったって言うのは。

 冬だと野山の生き物も少なくなってるから、ついつい、身近なところで調達してしまったんでしょう。

 野山の生き物でも、猪みたいにあんまりおおきいとまだお子さんたちの手に負えないから、猫あたりがほんとに手頃。

 おなか空いたらフジキノさんの息子さんたちに真っ先に相談して欲しいんだけど……

 ああ、そうか。今夜はみんなもう変身してるから。

 こういうの、今回が初めてってはずはないから、いつもはマサオミ君とかタツコさんに相談してるんだけど、今日は相談できないんで私に話を持ってきたに違いない。

 変身後しばらくして落ち着いてきたら狼の姿でも話は聴いてもらえそうだけど、今夜は雇用主さんが帰ってきたら『ごはん』だから、人狼のみんなは余計興奮してるだろうし。

 人狼になったときは、おなかがいっぱいでないと気が立ってて危ないんだとか。

 年始に変身するとこ見たいって言ったら、タツコさんに「喰い殺しちゃうかもしれないけどいいの?」って、素で言われましたからね……

 まあ、そうやって警告してくれるところが、彼らの良いところです。

「怒る?」

 と、お坊ちゃんがこういうときだけ使う上目遣いで聴いてきます。

 お嬢ちゃんは私の割烹着に顔を埋めて、「ごめんなさい」のポーズ。

 くっ可愛い。

 認めたくないけれども天使のように可愛い。

 絶対、こいつら……もといこのお子さま方、自分たちの可愛さが武器になることが分かっててやってるよ……と思いつつ、思いつつ……思いつつ……ええ、ここは気を強く持って「怒り」ますよ!

 でも、怒るまえにまずはお片付けです。


 なにはともあれ可哀想な猫ちゃん、胸のところに指を当てて、ほんとうに死んでしまってるのを確認して、坊ちゃん嬢ちゃんに抱いて持たせて、焼却炉まで運びます。

 ふたりにやってもらうのは、今後、もし同じ事をしてしまったときには(もちろんしない方が良いんですが)自分たちで処理できるようになってもらうためですね。

 焼却炉の点火は、大人の人にやってもらうように言っておきます。

 今回はなにもお願いしておかなくても、明日の昼、フジキノさんが焼却炉を使うはずなので大丈夫でしょう。

(どうして明日使うのか、みなさん、あまり深く考えてはいけませんよ。私は雇用主の飲食の証拠隠滅なんて一言も言ってませんよ?)

 夜のあいだに使用しないのは、多少なりとも音と煙が出るので、昼間ならまだしも、夜に焼却炉を動かすとご近所から苦情が来る可能性が高いからです。

 このあたりのことも、一応、説明しておきます。

 たぶん、ふたりとも言動は幼いとは言え、見た目通りの年齢でもなさそうなので理解できると思うんですけど。

 ってか、理解して欲しいな。

 私、残念ながら育児経験ないし、子供は苦手なんですよ。

 あとは、まだ雇用主とフジキノさんが帰ってきてないことを確認して、首輪つきの猫ちゃんや犬ちゃんを襲うのは良くない、という話をします。

 ここが、「怒る」ところ。

 とはいえ、怒るって言うよりは、説得ですけどね。

 ペットを襲うと、飼い主が探す。

 もしふたりが攫ったことがばれたら、自分たちも大変だし、お父さんにも迷惑がかかる。

 飼い主さんも、自分たちも悲しい思いをするから、やっちゃいけないよね。

 まあ、こんなところです。

 彼らにとっては、動物の血を吸うことは、必要なことなので、「猫ちゃんが可哀想でしょう」という方向の話はしません。

 あとは、君たちのごはんの問題は、明日、ちょっとお父さんと相談してみるから、ということで。

 どんな「相談」をすればいいのか、ノープランですが……まあ、一晩、じっくり考えます。

 ふたりが、とりあえず、殊勝に「うん」と頷いたのを確認して、今夜のところは帰宅。

 しかしなあ……「扶養している自分の子供には、必要な食事を与えましょう」って、人間の理屈ですよね。

 人間なら間違いなくいまの状況はネグレクトだし、現状を訴えて保護してもらう先もあるんですが。

 人間の理屈で説得したところで、あの父親には響かないと思うな……予想として。

 吸血鬼の種族としての養育方針は、基本、放任なんだと言われたら「左様ですか」としか言えないし。

 さて、どうしたもんかな。


 平成三十年一月三十日

 と、いうことで一日経ったわけです。

 いろいろ考えたんですが……あんまりいい手でもないよな~と思いつつ、なにはともあれ今日の仕事です。

 あらかた予想通りの客間の清掃。

 せっかく漂白掛けて洗濯して綺麗にしたレースのカーテンに、また染みができてるよ……と、カーテンを取っ払って洗濯に回します。

 「シェアハウス・ウィズ・ヴァンパイア」のヴィアゴなんか、ソファにビニール敷いて汚さないように注意してても、あんまりにも咬むのがヘタすぎて頸動脈咬み裂いて部屋中流血の大惨事にしてたんで、それと比べると綺麗に食べてると言えるわけなんですが。

 洗濯機を回してるあいだに、玄関と廊下の清掃。

 そうこうしてるうちに、フジキノさんに会ったので、フジキノさんに本日の作戦の事前相談。

「今夜は機嫌も悪くないようですが……」

 と、言葉を濁しています。

 あと「済みません」とも。

「いや、フジキノさんの立場ではこの手は使えないんで、別に謝っていただくような事は無いです」

 と、申し上げて、本日のメインイベント、いつもはあんまり寄り付かないことにしている雇用主の部屋に行きます。

 ああ、やだやだ。

 私は基本、真面目キャラじゃないんですよ……


「ご相談したいことがございまして」

 退職願をテーブルに置いて、「ご相談」もなにもないもんだと思うわけですが、まあ、「ご相談」です。

 雇用主は形の良い眉をひそめ、あからさまに面倒くさいという顔をなさっています。

「待遇に問題でも? まずはフジキノと相談して欲しいところだが」

 多少、小説的に表現するなら、『その声音は柔らかく、穏やかではあったが吐く息には氷が含まれているようであった。家政婦は部屋の空気が凍りつくような気がした』なんて書いてしまうところですが、まあ私も四十を越えたオバサンですからね。こんなことでは動じません。

 動じませんが、ほんっっっっとにこの人(人じゃないけど)顔は良いんですよね……面倒くさそうにしてるいまでさえ、小説表現的には『愁いに満ちた白皙の美貌』ですよ。

 まったく、私なんて真面目に仕事してても「あ、いま口がタコになってた」とか同僚にからかわれているというのに!

「待遇の相談ですけれど、私の待遇じゃありません。お子さま方の待遇の件です」

 退職願を盾にしているのは、自分が多少なりともここに有用な人材で、しかも簡単には替えがいないと思っているからなわけですが、実際はどうなんでしょうね。

 この雇用主のことだから、あたらしい募集かけるのと、ここで話を聞くのと、どちらが面倒だろうか、くらいを量りにかけてそうですが。

 私の話の論旨はこうです。

・お子さま方が人間を襲うことも、動物の血を飲むことも止められているらしいという話を聞いた。

・吸血鬼のお子さま方の食生活について詳しい知識は無いんですが、育ち盛りなんだからなにか食べないといけないんじゃないでしょうか。

・私が襲われることはないにせよ(そこはみなさんに太鼓判押されてますし)おなかが減りすぎて人間を襲ったり、ご近所のペットを襲ったりして問題になったら大変ですよね。

・変なうわさが立って、私までのうわさに巻き込まれてはかなわないので、お子さま方の待遇が改善されなければ、ここを辞めたいと思っています。

 昨日、お風呂の中で一生懸命考えたんですよ。

 人道的見地とか道徳とかで動かなさそうだと当たりを付けて、「のちのち私が困りそうだから、困らないうちに退職します。辞めて欲しくなかったら改善して欲しい」という論旨です。

 あくまでも自分の都合。

 で、これならお子さまたちが野生動物やら近所のペットを実際に襲っていることを告げ口してもいないし、各方面、さほど迷惑はかからないと判断したのですが。

 最悪、退職願が受理されて副職の収入が途絶えるだけです。


 沈黙が痛い。

 何考えてるのかいまいちよく分からない色素薄い目でまじまじとこっち見るのも止めて欲しいな。

 あと、あからさまに面倒くさそうな溜息も吐かないで欲しいです。私は真剣にお話ししているのですよ!

 しかし、眉目秀麗で金持ちなのを脇においたら、この人(人じゃないけど)めっちゃくちゃ優柔不断なんじゃなかろうか……という疑惑が。

 だって、ねえ?

 普通、悪役なら「それは貴様の考えることではない」とか一刀両断にするでしょうし、実はいいひとキャラなら「そうか……気づかなかったな。善処しよう」みたいな反応するでしょうし。

 なのになぜ? この長い沈黙……

「あの、別にご自身がお子さま方の食事を用意される必要は無くて、フジキノさんのお子さま方に依頼するとか、いろいろ手はあると思うんですけど」

 もしかして雇用主さん、あまりにも面倒くさすぎて実は何も考えてないんじゃないかという疑惑がよぎったので、ちょっと解決策めいたものを提案してみます。

 するとね……


「……なら、そうしよう」


 以上、雇用主の返答でございました。


「なら」ってなんですか? 「なら」って!

 まるで自分にはなんの責任もないけど仕方なく同意しました、みたいなその返答は!

 心の中で、私は盛大にツッコミを入れまくったことを、ここに記しておきます。

 ぜっっったいあんた、いまがいままで子供のやることに駄目出しするだけで、解決策はなんにも考えてなかったよね?!

 顔の良さと資金力と不老不死を盾にしていい加減なことするのもたいがいにせな、オバサンは怒りますよ!

 ほんとにね!

 心の中で雇用主を罵倒しながらも、やっぱり新しいバイト先探さなくてよくなったのは、嬉しいんですけどね。

 ええ、私の正義感なんて、所詮、この程度です。


平成三十年一月三十一日

 なんというか、本業のほうの提出物関係でばたばたしてたんですが(給与所得の源泉徴収票等の法定調書合計表および給与支払報告書)、今日も家政婦バイトです。

 余談ですが、毎年給与所得者のみなさんに課税される市民税や、国民健康保険料の金額はこの事業所が市役所に提出する「給与支払報告書」によって決定されます。(年金受給者の方は年金事務所の発行する「公的年金の源泉徴収票」も参照し、所得に加算されます)

 確定申告書を税務署に提出すると、税務署から市役所に確定申告書の内容が伝えられます。

 昔の話ですが市民税等を納付したくないばかりに事業主を脅してこの給与支払報告書の提出を握りつぶさせていたパートのおばさんがいたんですよね。

 ところが彼女のお宅にある年の五月頃、市民税の納付書が舞い込んできたんです。

「おまえ、私の給与を市役所にチクっただろう!」とヤクザみたいに親戚の男の人連れて会社の社長さん宅に怒鳴り込んできたんですが、結局、いろいろ調べてみたら、医療費控除受けて所得税を還付して欲しいばかりに自分で確定申告してバレただけ、って件がありました。

 中途半端に税金のことに詳しいって言うのも問題ですね。ほんと。まあ、日本の税制は複雑すぎるという議論があって、あながち間違いではないんですが。

 怒鳴り込まれて、いつも通りしてたはずなのになにがどうなってるのかと、連絡してきた社長さん……いまでもお元気だろうか、と、この時期になるとしみじみ思い出します。


 それはさておき。

 今夜はなりゆきで屋外。

 この寒い中、しかも真夜中に若〇山ハイキング。

 通常ルートは私とフジキノさんで登ります。

 フジキノさんのお子さま方と、雇用主のお子さま方は別ルートから登っています。

 登山道じゃなくて、林に分け入る道なき道。

 雇用主さん?

 もちろん自宅で新聞読んでます。

 開山期間は三月からだし、仮に開山期間中でも午後五時以降は入山禁止なので、さりげなく密入山。

 登山料金大人百五十円も払ってない……ごめんなさい、奈〇市。ちなみに三歳以上中学生未満のお子さまは八十円です。

 普通に歩いて山頂まで四十分くらいなんですが、寒いし暗いし……なんの苦行?

 リュックに懐中電灯ぶら下げて、さらに手にも持って、足許の照明を確保。

 今年は雪が少なくて、雪が積もってないのが唯一、いいところですね。

 フジキノさんと山頂付近で鼻水啜りながらレジャーシート敷いて魔法瓶のお茶を飲んでいると……

 あ、きたきた。

 八頭の狼さんとその背中に乗せてもらって異様に楽しそうな少年少女。

「フジキノさん! 家政婦さん! これ美味しいね!」

 すでにお子さま方によって血抜きされてくったりしている前菜の土鳩片手に嬉しそうです。

 うん、父親と違って、なんでも美味しいって食べられる君たちは良い子です。

 本日のメインディッシュは生後一年未満の猪一頭と、その親らしき大きな猪一頭。

 でっかい猪は、あれ百㎏超えてるんじゃなかろうか。

 お子さま方のうちひとりが半獣人の姿で抱え上げて持ってきてますけど、凄いな。

 ってか、半獣人にもなれるんだ。

(あとで伺ったところいまのところ半獣人になれるのはご長男のマモル君だけだそうです。身体の成熟が影響してるんじゃないかと、フジキノさん仰ってました)

 その大きな猪はフジキノさんのお子さま方によって息絶えてますけど、小さめの猪さんはまだ生きてます。

 こちらは狼姿のお子さまたちが、うなじの部分を咥えて引きずっています。

 しかし、さすが大型野生動物。

 獣臭が強烈。

 フジキノさんのお子さま方は、日頃からお風呂に入ってるんで、強い臭いではないんですが、猪は……私など慣れてないせいで息が詰まります。

 半獣人の狼姿のご長男のマモル君(右耳が白い)が、大きな猪を地面に置いて、フジキノさんに「親父、今夜は大収穫だぜ」とばかりに誇らしげに鼻をクンクンしています。

 そしてフジキノさんはリュックからおもむろに山刀を取り出しましてね……

 なんですかそのいやに使用感溢れるごついナイフは。

「久しぶりで腕が鳴りますね。妻の生きていた頃には、妻の仕留めてきた羊を解体したものです」

 なんてニコニコしながら、器用に捌いていくんですが。

 凄いな……

 手慣れたようすで血管を切断。血抜きして、皮剥。

 マモル君がお父さんがナイフを入れて腱や筋を切った皮を爪に引っかけて、びっと引くと面白いように剥ける。

 腹腔にナイフを入れて、内臓を傷つけないように取り出して、ひとまず終了。

 狼さんたちは、二日ほどまえにおなかがいっぱいになる案件があったので(詳しくは言うまい)お肉はさらに念入りに血抜きして今後の食糧にするとのこと。

(雇用主のお庭のあの見事な日本庭園の池に浸け置きしておくんですね、分かります。あそこ、ちゃんと水循環してるから)

 すぐに傷む内臓のみ、みなさん、嬉々としてお食事中。

 いやあ……なんていうか……

 獣臭と血の臭いと内臓の独特の臭みで、息が詰まる。

 無駄な抵抗かと思いつつ、風向きを考えて、臭いが少ない場所に移動してみたり。

 雇用主のお子さま方はお子さま方で、まだ息のある猪さんにかぶりついてちゅうちゅう血を吸ってます。

「当主公認でこんなふうにみんなで食事が楽しめるのは家政婦さんのおかげですよ」

 なんて、フジキノさんは爽やかに仰って、八頭のお子さま方がガウガウ吠えてらっしゃいます。


 ちなみに私のやることは何もありません。


 この整然とした解体・食事ショーを観てるだけ……いやもう、寒いし暗いし眠いし獣の臭いと血の臭いでくらくらするから早くおうちに帰りたいです。


 っていうのは、このイベントの言い出しっぺ(?)として、逃げでしょうか……?



 【その後の余談】

 雇用主のお子さま方のお食事は、一週間から十日に一回程度なんですが、そうなると、フジキノさんの御子息たちが狼に変身できない期間にお子さま方が空腹になったらどうするか、という問題が生じます。

 フジキノさんと検討の結果、地元の養鶏場で大和肉鶏(平飼い)を生きたまま仕入れてきて、ごはんにすることが決まりました。

 地域振興のためにも地産地消が良いだろう、ということで。

 そのときには、フジキノさんの計らいで、私にも高級大和肉鶏のモモ肉が頂けたりして、ちょっと嬉しい私でした。

 しかし、ほんとフジキノさんの家畜解体の腕前、プロですよ……?


 最初の一回以降、若〇山同伴はありません。

 あのあと、寒かったせいか酷い風邪を引いてしまいまして。みなさん遠慮して、私は連れて行かないことにしよう、ということになったようです。

 いい配慮だと思いますよ。

 ほんとに、私のやることないですからね!

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