第2話 そのに

平成29年12月15日

 草木も眠る丑三つ時……じゃなくて、いま午後九時くらいなんで「よい子は眠る戌四つ時」……って言うんでしょうかね。

 今日も今日とて私は洗濯……にわか家政婦業にいそしんでおります。

 ここのお子さまがたは、控えめに申し上げてあんまりよい子じゃない気がするので、いまも元気にお屋敷のどこかを走り回ってますが。

 床とか壁とか天井とか。

 あのふたり、普通に重力無視できるんで、夢中になって騒いでるうちに天井、逆さになって走ってるんですよね……最初見たときはさすがに心臓に悪かった。

 まあ、五回も見たら慣れましたが。

 あと、基本的に黒っぽい服をお召しになってるんで、それでカサカサっと壁とか天井を移動してるのを視界の隅に捕らえると、一瞬、ある種の昆虫と見間違えますね。

 サイズが違うんで、一瞬ですが。

 仮にも雇用主のご家族でいらっしゃるので、口に出しては言いませんが。

 ふたりでかくれんぼしてるのか、家具の影、天井の隅にじっとされていると……ええ、一瞬、見間違えます。

 あの黒くて艶光りする昆虫。

 まあ、それはさておき、よく考えると夜明けから日没まで、『吸血鬼ならおとなしく寝ているべき時間帯』はしっかり寝ていらっしゃるので、実はよい子か。

 夜中に起きてるのは、むしろ当たり前で、元気な証拠。

 人間の物差しだけで善悪を判断するのは良くないですな。

 ちなみに日の当たるところに出ると、火ぶくれするそうです。

 日の差さないところなら、一応、昼間でも起きていられるみたいですが。

 私の雇用主でいらっしゃるところのお屋敷のご当主は、仕事の関係でごく稀に起きてらっしゃるらしいんですが、お子さま方はね。

 ほら、起きてて、うっかり外遊びしたくなったら大変ですから。窓をちょっと開けたくなるとかね。

 フジキノさんのお子さま方はみなさん、大学から中学まで、学校だし(八人分の教育費! フジキノさん、大変だ!)フジキノさんだって、ずっと見張ってるわけにもいかないんで、万が一のことを考えると、寝ててもらうに越したことはないわけです。

 お父様から、ちゃんと昼間は寝ておくようにきつくきつく言われているらしく、守ってらっしゃる。

 割合によい子。

 ……親御さんの言いつけはよく守る。

 しかし……はたと思うわけです。

 なんでここ、映画設定なんでしょうね?

 ……東欧の伝承では日に当たると火ぶくれしたり灰になるような話は、実はすくない。

 太古の昔から蓄積されてきたその土地の人びとの「体験」やら「伝聞」やらが混交した「民間伝承」に、完全な一貫性なんかあるわけないんですが、そこを敢えてざっくりした話をすれば、

①病気が流行る、未婚女性や未亡人が妊娠する等、村などの共同体になにかが起こる。

(ちなみに民間伝承には意外と、『血を吸われた』という事件はすくない。吸血鬼のアイデンティティって……)

②吸血鬼の仕業が疑われる。

③疑われる人物の墓を暴く。(たいていは昼間行う)

④死体が腐っていない、柩が血で満たされているなどの事実があると、吸血鬼だとして、死体の胸に杭を打ったり首を切ったり口に大蒜を詰めたり防御処置をとる。

(土壌がアルカリ質で、地中の温度が低い場所が多い東欧では死体は腐りにくく、場合によっては屍蝋化して長く土中に残っていることはままある。埋めた場所によっては、死体から流れ出した体液や土壌から染み出した水が柩に溜まっていることもある)

⑤事態が収束すればそれまで。疫病が蔓延したままだったり吸血鬼に孕まされたとされる女性が他に出てくるなど、事態が収束しなければべつの吸血鬼の存在を疑う。

 みたいな流れなんで、昼間、掘った墓に死体がちゃんとあることから、「昼間は墓で眠っている」は共同体の共通経験として蓄積され、伝承化していきますが、日光に当たって死体が灰になったりしないので、そういう民間伝承はすくないんですな。

 以上の話について、詳しくはポール・バーバーの吸血鬼に関する民間伝承を集めた書籍『ヴァンパイアと屍体』をご参照のこと。

 平賀英一郎『吸血鬼伝承「生ける死体」の民俗学』でもいいよ。

 で、このあたりの民間伝承系設定に比較的忠実なのはレ・ファニュの『女吸血鬼カーミラ』(小説)で、昼間は自分の墓所、血に満たされた柩の中で眠っている設定です。

 日光に当たっても灰にはなりません。

 ただ、民間伝承で「日光に当たると灰になる」設定が、皆無とは言わない。

 民間伝承も、すべてが経験則で成り立ってるわけじゃないし。

 でも、人びとの実感、共同体の共通経験からおおくの民間伝承は生まれるわけで、やはり原因となる経験がないと、伝播力としてはそれだけ弱い。

 つまり、「日光で灰」は、民間伝承としてはあまり一般的ではないパターン、ということです。

 しかし、吸血鬼諸氏、弱点てんこ盛りのうえに、いろいろ無実の罪を背負わされて可哀想に。

 だいたい病気が流行るのは、たとえば遠方からやってきた旅人や戦地に向かう兵士が保菌者で、彼らが村にやって来ることでその病気に免疫のない村人に感染者が出たり、病原菌を持った動物や昆虫が、例年にない暑さや寒さ等で蔓延するのが原因だったり。

 女性が妊娠するのは、そりゃ生きてる人間の相手にこころあたりがあっても、言えない事情があって吸血鬼のせいにしたんだろうし。

 蛇足ですが民間伝承にある人間と吸血鬼の血をひくとされる『吸血鬼のこども(東欧の一部地域ではダンピールと称される)』は、男の吸血鬼に襲われて人間の女性が妊娠した設定の話ばかりです。女吸血鬼が妊娠するパターンはなし。

 理由は……説明するのは野暮ってものですね。

 それはさておき、日光の話に戻すと、創作でも、ブラム・ストーカーの『ドラキュラ』(小説)じゃ、ドラキュラは普通に昼間も行動してます。

 特殊能力に制限がかかる程度で、昼間、ヘルシング一行とばりばり大立回りするシーンだってある。

 平野耕太の『HELLSING』(漫画)で吸血鬼アーカードも言ってました。

「私にとって日の光は大敵ではない 大嫌いなだけだ」

 って。

 じゃあ、なんで太陽の光で燃えたりするのが「よくある設定」になったかというと、映画用の視覚的効果の必要性というやつ。

 ほら、見た目が楽しいでしょ?

 太陽の光がさっと室内に満ちる。

 目の前で猛威をふるっていた異形の怪物が、ぼっと燃え上がる。

 めでたしめでたし(人間側としては)。

 映画の伝播力はすさまじく、あっというまに「日光で灰」は吸血鬼の有力な弱点になってしまいました。

 ほんと、もともと弱点で満身創痍なのに、なんでまたさらに弱点増やすかな……いや、吸血鬼ものって弱点だらけのところ、いかに怖く&格好よく描写するかが創作者の腕の見せどころなんですけどね……

 もちろん、この記録は、私のいつもの創作じゃないので怖い描写も格好いい描写も頑張りません。

 あれ、結構大変なんですよ。

 ご都合主義ではない、絶妙のタイミングで四面楚歌にならない逃げ道のあるシナリオ作らないと、吸血鬼ものって怖くも、格好よくもならないから。

 かといって、弱点をどんどんなくしていくと、なんというか、吸血鬼ものっぽくない気がするし(この辺は好みの問題)。

 愛がなきゃ書けませんよ。ええ。

 あ……そうこうしてるうちに洗濯機止まりましたね。

 洗濯機は時間が来ると止まりますが、このあたりの設定のことを考え出すと私は止まらない。

 まあ、雇用主一族と日光との関係は、映画設定準拠だ、ということで。


 いま、私のいるのは、丑三つを知らせるお寺の鐘の音ならぬ洗濯機の音がゴーンウィーンと、さっきまで響き渡っていたユーティリティです。

 雇用主一族のみなさまのお立ち寄りはありません。

 お子さんたちもここにはなぜか立ち入らないんですが、それはたぶん父親に「入ったら駄目」って言われてるからだな。

「ここの区画は使用人の部屋だから……云々」

 まあ、洗濯なんて下々のする仕事ですから。

 どうせいろいろ言いつけておくなら、ついでに「掃除中の家政婦の邪魔しちゃ駄目」なんてことも言っといて欲しいなあ……遊んで欲しいんだかなんなんだか、掃除機かけたり雑巾がけしたりしてると、やたらまわりをうろちょろして、正直、業務に支障を来します。

 私、あんまりいい遊び相手じゃないと思うんですけど。

 もちろん子守も家政婦料金のうちなんですが、そればっかりで掃除しないのはどうだろう?

 このユーティリティにいる限りはこころやすらかにいられるんですが、ほかの部屋ではそうはいかない。

 私なんか、体力はあんまりないし、夜目は利かないし、愛想も良くないのに、目の前をうろちょろして「かけっこしよう」「かくれんぼしよう」「木登りしよう」etc。

 いや、無理ですって。

 四十歳台なかばのオバサンには過酷な要求ですって。

 加えて、なんなのその「遊び希望リスト」は!

 妙に健康的なんですけど。

 吸血鬼なら……あの、もうちょっと退廃系の……いや、まあ、そんな遊び、付き合えませんけどね。

 それはそうとして、お子さまたちが邪魔っけで掃除が滞る問題。

 ……さすがに掃除中の部屋の入り口に十字架下げとくわけにもいかないだろうな。

 ほら、駅のトイレみたいに「ただいま清掃中です」の札と一緒に下げておけば、なんとなくソレっぽい。

 でも、うっかり触ってお子さまたちがやけどでもしたら大変です。

 目が潰れるとか。

 私はお子さま方を退治したいわけではなくて、掃除の時に、そばをうろちょろして欲しくないだけなんですよね。

 聖水もおなじく危ないし(だいたい、どうやって入手すれば良いんでしょうね? 私、仏教徒ですよ)大蒜……いちばん問題はすくなそうだけどな……

 あれは臭いが嫌なだけで、触れても、燃えたり溶けたりしないから。

 う~ん……

 まあ、このあたりは今後の課題ということで。


 このお子さまたちが立ち寄らない洗濯部屋……ユーティリティの広さはなんと十畳。

 洗濯部屋が我が家のリビングとおなじなんて……泣くよ、私。

 とはいえ、見た目はそんなに広く感じません。

 洗濯機、おおきいのが二台入ってますし、ダブルの布団を突っ込める大型の乾燥機も一台。

 漬け置き洗いのできる流し台やらアイロン台、洗濯ネットや洗剤やほかの掃除用具が入ってる棚もあって、動き回れる空間的には四畳ちょいなんですが……洗濯部屋の空き空間が四畳ちょいって、ねえ?

 さすが、お金持ち。

 ちなみにスライド扉のユーティリティの出入り口、部屋に入った脇にもうひとつ扉があって、そこをひらくと「リネン室」なんですよ!

 英国お屋敷小説で不良召使いさんがサボるために使ってるので有名な!

 黄昏の貴族階級が住んでるお屋敷につきもののあの「リネン室」!

 ここのご当主、絵に書いたような『退廃貴族』のヴィジュアルだし!

 私、リネン室できわどい本を読んだり、煙草喫ったり、昼下がりの(というより真夜中の)情事にいそしんだりするほど多趣味じゃないので、キリキリ仕事、やってますけどね。

 そりゃまあ、つけ置き洗いを濯いだりして手を動かしつつ、洗濯機の音を聞きながら吸血鬼設定についてつらつら考えるくらいの息抜きはしてますけれども。

 ここ数日、重点的にやっている掃除は、ところどころ血の染みのあるカーテンやマットレスの染み抜きをしながら洗濯する作業。

 染み抜きしなければいけないのは、絨毯もあるんですが、これはいま、後まわしです。

 家具を移動させないと動かせない絨毯も多くて、人手がいる。

 後日、フジキノさんとフジキノさんのお子さまたちのうち何人かを動員して、一気に片付ける予定です。

 しかし、絨毯抜きでもこれが結構手間がかかる……水を使っていいものか注意書きをたしかめてから(外国製品だと英語やフランス語やイタリア語、トルコ語の表記をネット検索しまくってから)、水使用OKなのは酸素系洗剤に漬け置いて、手もみ洗いのうえ、場合によってはおおきな洗濯ネットに突っ込んで洗濯。

 ダメなのはドライクリーニング対応洗剤で洗濯。

 で、どうしても染みの落ちないやつは、買い換え対象。

 お金持ちなんだし、こんな手間かかるならもう最初から全部買い換えてしまえば良いような気もしますが、このレースのカーテンの下の刺繍、絶対、手工芸品ですよ……なんて思っちゃうと、駄目ですね。

 お金も大事ですが、作った人の労力を思うと、

「まだだ! こんなところで棄てられていい(職人さんの)魂じゃない! 待ってろ! かならず助けてやる!」

 って思っちゃうんですよね……

 人肌の柔らかさの手編みの絹のレース、咲き乱れる花々、空を舞う鳥や蝶、野に遊ぶ兎や鹿……手工芸の粋を尽くした刺繍の数々。

 上品に金糸の縫い取りがしてあったり、端々にスワロフスキーや水晶の飾りが吊してあったり。

 こういう装飾ね、月明かりや部屋の燭台の灯りなんかが反射して、こう、ひっそりと煌めいてるんですよね。

 朝日の場合は、もっとこう……今日の日の希望が煌めいてる感じ。

 ああ、私が夢見た貴族趣味世界がここに!

(これは夢見た人も多いはず。ただし、自分が洗濯担当要員になることはたぶん夢見ていないにしても)

 いまならなんと! うら若き乙女(推定)の血飛沫つき!

(これは多くの人が夢見なかったはず。でも、吸血鬼映画ファンなら、これもまあ、一種の浪漫ですよ)

 私、松嶋菜々子さん(2011年『家政婦のミタ』)とか市原悦子さん(1997年『家政婦は見た!』)みたいなスーパー家政婦さんじゃなくて、にわか家政婦なんで、救えない(職人さんの)魂も多いんですけど。

 まあ、そんなこんなでここ数日、延々と洗濯してます。

 で、洗濯の合間にちょっと掃除機かけたり拭き掃除したり。

 子守をしたり。

 なんちゃって家政婦のわりには頑張ってます……と、自画自賛するわけですが問題がありましてね。

 ええ、子守問題。


「家政婦さん! 遊ぼう!」

「あーそーぼー!」

 洗濯して、乾燥機にかけられるものは乾燥機にかけ、かけられないのはそのまま吊り下げて乾かそうと、カーテンをもとの部屋に持って行くべくユーティリティを出た途端、目に飛び込んでくる廊下(の天井)を走ってくる黒い影がふたつ。

 瞳をきらきらと輝かせて……っていうより、ぎらぎら血走らせてっていうのが正解か。

 自分が食糧品対象外判定されてるのが分かってても、怖い。

 だいたい、私、基本的に不活発なイキモノなんで、そんなに遊んでて楽しい相手じゃないでしょう?

 なにが良いんかね?

 遊び相手なら、フジキノさんのお子さんたちの方が絶対、優秀だと思う。

「は~い、よい子は天井を逆さに走らない。了解?」

「「りょ――か――い!」」

 はいはい、君たち、対面二メートルほどしか離れてない場所で、そんな超音波で叫ばなくても聞こえるからね。

 あと、見慣れたとはいえ、ほんと、重力無視して走り回るのはよそう。

 万が一、宅配のおにいさんに目撃でもされたら宅配の人、心停止するから。

 心停止するくらいならまあいいんですが(たぶん原因不明の病死扱い。持病等なければ労働基準法施行規則別表1の2に照らして、労災扱いになる可能性も)驚いて逃げていって、変な噂広められたら大変です……

 噂が広がって雇用主一家が夜逃げでもしてみなさいよ。

 私、家政婦の労働報酬、取りっぱぐれますよ!

 あの、雑事は全部他人任せ、やる気が決定的に不足している気がする雇用主がわざわざ未払いの賃金を振り込んでくれるはずがないと私は確信してますし!

 昼の本業のあと、真面目に労働してるというのにお金がもらえないなんて悲劇ですよ!

 私はここの労働報酬でマンションの修繕一時金を払わないと、結構な額、借金しなきゃいけないんですから!

 会社が倒産するなどして事業主に支払い能力がない場合、労働基準監督署に申し立てれば未払いの賃金の立替払いを受けられますが、家事使用人は労働基準法の適用除外なんで無理。

 なので、雇用主の夜逃げ案件はできる限り阻止したい。

(『未払い賃金の立替払制度』について、詳しくは『独立行政法人 労働者健康安全機構』のサイト内『未払賃金の立替払制度の概要』を参照。いざというときには是非! 泣き寝入りは良くない!)

 あとはまあ……私は彼らの埃まみれの靴下を眺めながら思うわけです。

 天井を走り回ると、部屋やら廊下やらに埃が落ちてきて家政婦さん、あとで掃除が大変だから。

 加えて君らのその天井の埃まみれの靴下やら服を洗濯するのも家政婦さんなんよ。

 君らが汚せば汚すほど、遊ぶ時間がなくなるわけ。

 君らは不死で無限の時間を持ってるかもしれんけど、私の一日の就労時間は有限なのです。

 掃除タスクを増やされたうえに子守で帰りが遅くなったら、寝不足で明日に差し支えるんよ。

 OK?

 っていうか、ここ私的に重要なポイントなんで分かって?

 という、私の心の叫びは、確実に伝わっていない。

 ええ、間違いなく。

「外に出て良い?」

「おさんぽしていい?」

 と、私の周りをちょろちょろと走り回る彼ら。

 うん、分かってる。

 ここで家政婦業始めてからこの数日、縄跳びとか、かけっことか、いろいろやったけれども、私、全然、相手にならなかったね。

 かけっこなんて、お屋敷の前の道、二十mも走ったら息が切れて立ち止まるし。

 縄跳びはすぐに足を引っかけるし。

 木登りはもともとできないし。

 お散歩……運動音痴の私に最大限譲歩してくれてる提案なんですよね、きっと。

 こんなお子さま方に気を遣わせちゃって申し訳ないと思うんだけども。

「おそと寒いし、お部屋で神経衰弱とか、七並べとか、オセロとかしよう?」

「だめ! おさんぽがいい! でなきゃかくれんぼ!」

「かくれんぼ!」

 いや~かくれんぼはね、君ら、フジキノさんのお子さんたちに匂いを追ってもらわないと分からないようなところに隠れるから駄目。

 一昨日、ぼっちゃんは屋根の上、嬢ちゃんは大型焼却炉のなかに隠れたでしょう?

 見つけられなくって半泣きになりましたよ、私。

 お散歩は今回初めてで、まあ、常識的には表の道をちょびっと往復したらいいだけじゃないかと思うけど……彼らに通用する「常識」ってこの世に存在しましたっけ?

「う~んとね、これ片付けたら、お散歩行くから、フジキノさん呼んでくれる?」

 たぶん、常識外のことが起こりうるので、焦らず騒がず、先達の知恵を借りておきます。


「家政婦さん、ビニール袋持って行っといた方がいいよ。あと濡れタオル」

 とっくのむかしに日は暮れてるし、このあたり、街灯もすくなめなんで、懐中電灯を装備した私に忠告してくれたのは、フジキノさんの三男、マサオミ君です。

 高校一年生。

 ちょっとヤンキーっぽい髪型とかちゃらめの服装でごまかそうとしているんですがごまかしきれない感じの、人の良さが滲む十六歳。

 要するに好青年。

 外見もいいので、きっとモテてるに違いない。

 フジキノさんのお住まいは、このお屋敷の離れ、使用人のための一軒家なんですが、そのリビングの炬燵で年末のテレビ見ながら雪見だいふく食べてるところ、「おまえはまだ受験じゃないんだから行ってこい」とフジキノさんに言われた模様……。

 済まない、私がひとりでこのお子さまふたりのお散歩に対処できないばっかりに。

 しかし、なんでビニール袋?

 でもって濡れタオル?

 その必要性について疑問を感じつつも、忠告には素直に従います。

 なんといっても私はなんちゃって家政婦なうえに、新米ですからね!

 忠告してもらって気分を害するような変なプライドなんか、当然持ち合わせてませんよ。

 で、肩にかけられる移動用鞄にスーパーの買い物袋と濡れタオル、鍵とお財布を入れて、懐中電灯装備。

 背中にホッカイロ貼って準備完了です。

 これでリード紐持ったら、私、犬の散歩に行くみたいですね。

 実際、縦横無尽にちょろちょろするはずのお子さまたちにリード紐付けたい気持ちが、1㎖くらいあるんですが、付けたって駄目だろうな……きっと引っ張り負けて私、引きずられる。

 どのくらい怪力か、試したことはないんですが、たぶんお子さまお二人とも、相当な馬鹿力です。

 このまえ、ワイングラスを飾っている(ここの方はだれも飲まないので、来客用)結構重い食器棚をお子さまたちだけで移動させて、なにか捜し物してらっしゃいましたし。

 そのときは、ワイングラスの安否確認が優先で、食器棚を持ち上げた事実はスルーしてましたけど。

 吸血鬼は常人を遙かに上回る腕力があるって、ほんとだったんですよ。

「できればビニールは透けない方が……まあ、いいか」

 マサオミ君がなにか言いかけますが、とりあえず、出発です。


 ちょっとまて。

 お屋敷を出てわずか百m。

 右手に迫る竹林。

 反対側は軽く斜面になっていて、民家は斜面の下にあるので、窓の明かりもなく物寂しい……田舎の道。

 鉄砲玉のように竹林に跳び込むお子さまたちを、私は止められませんでした。

 っていうか、あれ、どうやって止めるの?

 仮にリード紐付けててたとしても、私の腕がちぎれて終わり、の勢いでしたよ?

 慣れたようすで跡を追ってマサオミ君が竹林に跳び込んでいくのを見送って、現在、私はなすすべもなく人通りもない道路の竹林寄りの歩道に突っ立っています。

 すでに二十分経過。

 私だって竹林に分け入って探すべきだろうとは思うんですが、夜目は利かないし鼻は人並みだし足許は覚束ないし方向音痴だし、探す以前の問題で、絶対、滑って転んで迷って遭難ですよ。

 マサオミ君、頑張れ~と、こころのなかで声援を送ることしかできないのは、我ながら残念です。

 まだお屋敷出て百mだし、これ、一旦戻って居間に掃除機でもかけながら待ってた方が生産性が高くないだろうか。

 いやいや、私、マサオミ君の携帯番号知らないから連絡つかないし、勝手に場所移動したら迷惑するかも。

 あ、マサオミ君は人狼だから、においをたどれば私がお屋敷に戻ったことは分かるかな……?

 マサオミ君に連絡付けるなら、離れのフジキノさんに言えば良いのか?

 そもそも、これって私がお散歩についていく意味、ないような気も……

 お屋敷戻りたい……寒い……

 などなど、脳内愚痴を垂れ流していると、ガサガサと竹林が揺れて、出てきたのはマサオミ君でした。

 両脇にお子さまふたりを確保。

 偉い!

 凄い!

 さすが半分人外!

 脳天気に拍手なんかしつつお出迎えした私ですが……な、なに?

 あの、その坊ちゃんが咥えてるの?

 嬢ちゃんも。

 あと、その白くてほっそりした手に巻き付いてるのは……?

「家政婦さん! これ美味しいよ――――!」

「おいし――――!」

 猫の目みたいな三日月がかかる空のした、月の光のように蒼白い肌、プラチナブロンドの髪をお持ちの見目麗しいお子さまふたりは、さきほどまで咥えていた野ねずみと野うさぎを右手につかみ、冬眠中なのを掘りおこされてぐったりした蛇を左腕に巻き付け、唇を小動物の血で紅に染めて、光り輝くような笑顔で私に笑みかけてくださったのでした……


 あの、ちょっと泣いていい?


「『シャドウ・オブ・ヴァンパイア』『夜明けのヴァンパイア』『ドラキュラ、都へ行く』『トワイライト』……」

「家政婦さん、さっきからなにをぶつぶつ言ってんの?」

「作品中に登場人物が小動物を食べるシーンのある吸血鬼映画と小説を思い出して心を落ち着けてるところなんです」

「……それで気持ちが落ち着くんならいいけど。家政婦さん、結構、変わってるって言われねえ?」

「まあ、わりと」

 手に持った小動物の死骸を、ビニール袋に、ぽいしてもらい(自分で触るのは嫌だったことをここに告白します)、眠そうな蛇を竹林の入り口で

「手を振って見送ろうね。せ~の~で、ばいば~い」

「ばいば~い! へびさんまたね~~!」(お嬢さんのみ。坊ちゃんは手を振るだけ)

 と、『風の谷のナウシカ』じゃないですが「『森にお帰り』ごっこ」をやったあと、お子さまたちの獣臭い手や血塗れの口を濡れタオルで拭いているわけですから、多少の奇行は見逃して欲しいところ。

(蛇はのろのろと地面を這って竹林の奥に消えていきました。災難だったね、蛇。生きて来春を迎えるんだよ)

 拭いてもらうためにちょこんと手を揃えて私に差し出したり、顔をこちらに向けたり、なんというかお子さまふたりとも、天使もびっくりの愛らしさなんですけど……血塗れでさえなければ。

 坊ちゃんは「さあ、拭いてくれるがよいぞ」とばかりの余裕の対応ですが、この嬢ちゃんの「わ~い、おくちふきふきだ! はい、ちゅ~」とばかりに口をタコチュー型にしてこっち向いてくれるの、可愛すぎ……

 しつこいようですが、血塗れ&獣毛だらけでなければね、さらに良かったんですけども。

「美味かったか?」

 マサオミ君がふたりの髪についた竹の葉を摘まみ取りながら聴いています。

「美味しかったよ! でも、いつもみんなが獲ってきてくれる猪とか鹿のほうがたくさん食べられていいな!」

「おう! また満月が近くなったらな。春になったら熊狩してみようって兄貴が言ってたから、今度の狩りはすこし山奥まで行って、でかい獲物狩る練習してくるぜ。楽しみにしてろよ」

「「うん!」」

 光り輝く笑顔で頷くお子さまふたり。

 なるほど、満月が近いと変身してみんなで狩りしてるのね。

 楽しそうだけど、この辺の鹿は天然記念物に指定されてるから、獲ってきてるのがバレたら不味いよね。たしか文化財保護法違反。一応、駆除ルールもあるんだけど、彼らがそのガイドラインに添ってるわけないし。

 この辺の鹿はやめておいたほうが、ってあとで言っておこう。

「しかしふたりとも、獣の血を吸うのは駄目だって親父さんに言われてるだろう? バレたら怒られるぞ?」

「だっておなかすくんだもん」

「家政婦さんにふきふきしてもらうからへいき! 見つからない!」

 いやあ……いくら拭いたって獣臭さが取れないんで、臭いでバレそうなんですが……。

 しかし、バレて怒られたら可哀想なので、念入りに拭きます。

 ええ。

 ふきふき。

 野生の獣ってほんと、独特な臭いがするんですよ。

 獣臭さをごまかすためのなにかを持ってきてた方がよかったかな……

 こんどお散歩についていくときはハンドクリームでも持って行こう。

 薔薇の香りは……吸血鬼的に大丈夫だったっけ?

 茨は駄目なんですよね。匂いは関係ないけど、絡みついて逃げられない。

 花の部分とか香りって苦手設定なかったっけ?

 彼ら、苦手な匂い、実は大蒜だけじゃないから……地元ハーブ系ほぼ全滅の勢いだったはず。

 あとで調べておこう。

 で、迷ったら、東欧にはほとんどなかった柑橘類の匂いを選択しておけば、きっと大丈夫。

「まあなあ……しょうがねえよな。人間襲うのは獣襲うより不味いし。獣の血を吸うのも禁止されたらおまえら、食い物ねえもんな。親父さんがメシ、調達してくれるわけでもなし」

 ……え……それって、ネグレクトとか児童虐待って言うんじゃ。

 児童相談所の電話番号って、タウンページに載ってたっけ?

 いやいや、たとえ保護してもらったとして、「彼らの食事は血液で、あと、昼間は日光に当たらないところで保護してあげてください」なんて……困るよね……

 なんだろう、この、親に放置されてるけど人間社会にも紛れ込めない切なさは。

「えっと、あの、この子たちのおかあ……」

『お母さんはどこにいるの? 連絡取れる?』と訊ねかけると、「シッ」と、マサオミ君が凄い形相で睨んできました。

「それは……! あと、こいつらの食事は、俺たちが面倒見てるから、大丈夫なんだって!」

 もしかしてそれってお母さんはお父さんに殺害されてて、この子たちはそれを知らないとか言う展開ですか!?

 やっぱり!

 なんてったってここのご当主、吸血鬼ですもんね!

 ほら、あのクリストファー・リー主演の『吸血鬼ドラキュラ』の冒頭で、ハーカーを襲おうとした自分の愛人女吸血鬼に暴行を加えるドラキュラみたいな!

 ドメスティックバイオレンスの果ての犯行!

「ママ、パパがなんにもしてくれないって、怒って出て行っちゃったんだよね! 僕、知ってるよ!」

「しってるよー!」

「おいおい、なんで知ってるんだよ!? 俺、親父におまえらには絶対言うなって口止めされてたんだぜ」

 おおっと。

 想定外と言いましょうか、なんだかとても人間っぽい展開。

 しかし、言われてみたらそれも納得ですよね。

 いくら財産があったって、満たされないものってありますよね。

「だって、お部屋にいてもママのおっきな声が聞こえてたよ。『もう、やってられない! アナタのウワキグセにも、だらしなさにもアイソがつきたわ! さよなら!』って言ってた! マサオミ君、ウワキグセってなに? 寝ぐせのひどいやつ? パパ、よく寝ぐせのまま新聞読んでるよね?」

 ウワキグセとはなにか? なかなか答えづらい質問です。

 おお、マサオミ君、困ってる困ってる。

「家政婦さん、しってる?」

 おっと、こっちにまで飛び火してきた。

 人が困ってるのを楽しんじゃいけないな。

 罰が当たったか。

「浮気癖ってね、食べ物がたくさんある場所で、毎回、どれかひとつを選ぶんじゃなくて、たくさんの食べ物をいっぺんに食べようとすることかな。美味しそうなメニューを『これに決めた』って選べなくってあっちのテーブルのお皿からちょこ、こっちからちょこってつまみ食いするのは、ほら、ちょっとお行儀が悪いでしょう?」

 まあ、ちょっとじゃなくてだいぶ、だけどね。

 彼らのパパさんのごはんは人間だから、『浮気癖』をごはんに例えるのはまったく間違っていないはず。

 あと、配偶者殺人事件が起きてなくて良かったとしみじみ思うよ、私は。

 お子さまたち「パパ、おぎょうぎわるいんだ!」と、なんだかよく分かりませんが上機嫌です。

「あ、おまえら、親父さんに向かって『行儀が悪い』なんて言うなよ? 絶対、怒られるぞ」

「え――! どうして? パパ、わたしがおようふくにごはんをこぼしてたら、おぎょうぎがわるいって、怒ったよ? おぎょうぎがわるいことしたら、『めっ』てしていいんだよね?」

「大人はな、ほんとのこと言われたら、ついカッとなっちまうんだよ。だから言うな」

「え――! ずるい!」

「ずるい――!」

 ええ、大人ってずるいと、私も思いますよ。


 まあ、そんなこんなでようやくお散歩も終わり、帰宅の途。

「マサオミくん、今日はごはんタイムなし?」

「がおーって変身して!」

「もぐもぐ!」

 と、お子さまふたり、期待のまなざしでマサオミ君を見ていらっしゃいますが、当のマサオミ君は

「今夜は三日月だろうが! 変身は満月が近くないとできねーの! あと、変身しないときはおまえらの残り物はいらねえから。何度言ったら分かるんだよ」

 と、今夜は月齢的に期待には応えられない模様。

 なるほど、満月に近いときは、狼に変身してお子さんたちの残飯処理で、この買い物袋の中身をもぐもぐするんですね。

 ……あれ?

 それはそうとしてさっきからなぜか買い物袋を持つ手が痒いんですが……?

「え~~~! がおー見たい!」

「みたい!」

 私も観たい。

 人狼の生変身ですよ!?

 このまえ、狼に変身済みのみなさんにはお目にかかって肉球にぎにぎして握手しましたけど!

 変身過程!

 そりゃもう、怪奇映画ファン必見ですよ!

『狼男アメリカン』(1981年)『ハウリング』(1981年)『ウルフ』(1994年)……いまでこそ、CGでどんなシーンもリアリティたっぷりに作れますけど、それ以前から人狼変身シーンは特殊メイクの担当者と撮影の方が心血を注いできたシーンですから!

 それの本物が観られるなんて!

 私、もしかしなくても幸せ者!

 次の満月は、たしか新年早々。

 うん、平成三十年の『自分へのお年玉』はこれにしよう。

 新年になったらだれかに生変身見せてもらう、と心のメモ帳に書き込んでいると

「家政婦さん……なんか邪悪なこと考えてねえ?」

 マサオミ君からすかさずツッコミが入りました。

 どうやら、嬉しさが爆発して顔に溢れていた模様。

「いえいえ、なんにも」

 私は厚顔無恥な中年のオバサンですから、邪悪なもくろみを胸に隠し、一点の曇りもない笑顔で、首を横に振るのですよ。

 ほら、一点の曇りもなさ過ぎて逆にドン引きされる感じの笑顔で。

「あ、言い忘れてたけど家政婦さん、ビニール袋の口は縛っといたほうがいいよ。その辺の野良が死んだら、野良に取りついてた蚤とかダニとか、次の宿主探して体温のあるほうに動くから。まあ、蚤は季節的に……でもここしばらく妙に温かかったし……どうかな」

 え?

 そんな?

 とするとこの手が痒いのはもしかして!?

 買い物袋を持つ手に懐中電灯を当てると、袋の持ち手にうごめくちいさな虫……ダニがちらほらと。

 あ、いま、なにかぴょ~んと飛んだ!

 そして私の指やら手の甲に、赤い虫刺されあとが!

「ふぎゃ!」

 私、虫は結構平気ですけど!

 蚤はあかん!

 だってめっちゃ痒いよ!?

「人間に取りついたやつは、風呂入ったら駆除できるし。屋敷の玄関で、腕を服ごと水に浸けたらひとまずは大丈夫だって。いま冬だから、そいつらも不活発だし。今日は寒いからすぐに死ぬと思うけど」

 買い物袋をぶん投げて、無駄に手をぶんぶんやってる私に、マサオミ君は言ってくれますが、

 私は!

 いま!

 取りついてる!

 この蚤とダニをなんとかしたい!

「しつこかったら蚤取りシャンプー、あとで貸すよ……犬用のだけど」

「それはありがたいけど、痒い!」

 と、気の狂ったように手を振っている私の周りを、

「かゆい!」

「家政婦さん、かゆい!」

 と、お子さま方は楽しそうに踊っていらっしゃるのでした。

 そうか!

 君ら、死人で体温は気温とほぼ変わりないから、蚤とかダニとか寄ってこないのよね!


 ……泣いていい?

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