吸血鬼氏の家政婦さん
宮田秩早
第1話 そのいち
平成29年12月1日
『家政婦急募』
募集職種 :家政婦
勤務曜日・時間 : 毎日・19時から24時まで・通い(帰宅時のみ送迎あり・全日を希望するが定休が必要な場合応談)
仕事内容 : 掃除・洗濯・買い物・お子様の世話・(調理技能不要)
備考 : 子供の年齢は外見年齢5歳および8歳に相当。
ただし二人とも外見以上に大人びて、行儀もよいため、手はかからない。
概算賃金(月額)全日出勤可能の場合 三十万円
その他条件:容姿について人並み以下である自信のある者が望ましい。
雇用主が吸血鬼であることに理解のある者を希望。
このインターネット求人広告を見たとき、私はひとまず、広告主の正気を疑ってみました。
あ、正気を疑ってるのは「全日出勤」が労働基準法に違反してるのでは? という点じゃないですよ。家事使用人は労働基準法上の労働者に該当しないので(労働基準法116条2項)、労働基準法35条の法定休日の適用対象外。
まあ、それも変な話なんですけどね。
どうして「お掃除・お買い物・ベビーシッター等、家庭内雑務請負います」の便利屋業が労働基準法上の労働者で、家事使用人が違うのか。
法律で家事使用人に法定休日等々認めちゃうと、世の主婦のみなさまが騒ぎ出すから法律上、労働者と見なさないことにしてるのでは? と、私など怪しんでいるのですが。
それはさておき、正気を疑ってるのはもちろん、最終行でダメ押しされてる吸血鬼ものっぽいところ。
広告の字面だけ見ても、正気のほどは判定できないわけで、仮に正気だとしても冗談に違いない、と思うのが常識的な大人の考え方というものでしょう。
しかし吸血鬼オタクを自負する私としてみれば、なかなか、見逃せない冗談です。
勤務時間が夜に限られているところといい、吸血鬼なら普通の食べ物は食べませんから、わざわざ(調理技能不要)と書いてあるところといい、子供の年齢について外見年齢、なんて書いてあるところといい、オタク心をくすぐります。
容姿が人並み以下、と条件がついているのも、人並み以上だと、おなかが空いたときにちょっとおやつに食べてしまいたくなりますから、それを避けるため、食欲の湧かない外見を希望しているのに違いありません。
賃金設定については、本来は割増賃金の対象外とはいえ、応募がなければ困りますから、夜十時以降の深夜割り増し分を加味して高め設定にしてあるのだと思いますが、平均時給換算で二千円なら、賃金も悪くない。
じつはもうしばらくすると住んでいるマンションで大規模修繕があり、一時負担金が発生する予定で、少々、まとまったお金が必要な私は、この広告に惹かれていたのでした。
勤務時間は昼間の仕事が終わったあと、ちょうど勤められる時間帯。
面接を受けてみて、十中八九どころか、十中十、冗談でしょうけれど、それならそれで広告主と「吸血鬼もののオタク談義」に花を咲かせてみたい。
雇用されたとしても家事はそれなりにはできるので、なんとかなるでしょう。
なにより、私は太りすぎだし、容貌はいまいち以下。
そして自他共に認める吸血鬼オタクです。
雇用主が求める条件にぴったりです。
これはきっと私に宛てて出された広告に違いない……私は、ほんの出来心で、求職申込フォームから申し込みをしてしまいました。
平成29年12月4日
さて、本日は(というより今夜は)面接日でした。
結論から申しましょう。採用確定です。
さらに付け加えるなら、どうも雇用主は本当に吸血鬼氏だったようです。
開いた口が塞がらないとはこのことでしょう。
ネットで堂々と正体をばらしているとは……世を忍ぶ奥ゆかしさはどこにいったんでしょうか?
世も末とは、このことですよ、まったく。
まあ、向こうもあの広告でまさか応募があるとは思っていなかったようなので、開いた口が塞がらないのはお互い様でしょうか。
しかし、雇用主が「ここまで野暮ったい容姿なのも珍しい。採用」と、別に口に出さなくてもいいことを呟いたうえに、その娘さんと息子さんが、口をそろえて「うん、パパ。このおばちゃんならどんなにおなかが空いてても食べたくならないよ! おなか壊しそうだもん!」と言い出したのは……さすがに口が悪いにもほどがあると思うのですが。
いくら正直は美徳だと言いましてもね、世の中、言わぬが花、という言葉もあるわけです。
どこが「行儀がいい」のか……募集条件に偽りがあるのもほどがあるわ! と思わなくもありません。
なにはともあれ、結論としては目出度くも……かどうかは怪しいところですが、採用を頂いたのですが、もうすこし話を戻してみます。
雇用主のお屋敷があるのは、私の自宅の最寄り駅のふたつ手前の駅で降り、駅前のバスに乗って20分、高級住宅街のはずれの山の中でした。
明治期から大正期にかけて建築された洋館風のお屋敷、というのが日本各地にありますが、私の訪れたのもそのうちのひとつで「吸血鬼が棲んでる設定のお屋敷」としてあまりに雰囲気がぴったりです。
「今度書く小説に使いたい」と思ったものです。
現代日本ものを書くつもりはないのですが、ほら、大正時代とか、昭和初期とか。
迫り来る戦争の足音を聞きながら、退廃的に暮らす吸血鬼ものって、浪漫じゃないですか?
あるいは、明治期に日本政府に軍事とかヨーロッパの政治状況を教授するための顧問が吸血鬼でした、とか。
使用人のお針子さんが手元灯りだけで縫い物してて、廊下を人が通れば障子越しに影が映るはずなのに、映らなくて、でも突然、ご主人さまが障子を開けて用事を言いつけてきて「だれも通ってないはずなのに」なんて不審に思ったりするのもいいシチュエーションだと思うんですよね。
夜しか会えない政治顧問の家で、絨毯敷きに土足で上がるのに慣れない日本人青年官僚が、絨毯の汚れが気になって、自分の足跡を確認してて、本当なら絨毯の毛足の向きが変わって足跡が付くはずなのに、前を歩いてる政治顧問の歩くあとには足跡が付いてなくて、ぞっとするとか!
お呼ばれした洋館の主にワインを注いでもらうんですが、主自身はなにも飲まないので、それを指摘したら、「私はワインは嗜まないのです」と、にっこり笑って返されるのも、お約束感あふれてていいですよね……
やっぱり吸血鬼ものっていいわあ……大筋のシナリオは出尽くした感ありますけどこの、細部がね。
無限の可能性。
いや、細部だって出尽くしてますけど、お約束最高。
閑話休題
この文章はいつもの一次創作でやってる吸血鬼小説じゃないので、妄想を語るのはほどほどにせねば。
お屋敷の玄関で、呼び鈴を押して、最初に応対してくれたのは五十歳前くらいの日本人のおじさんでした。私も似たような歳なのでちょっと親近感。
運転手さんだそうです。
「こちらの方は車でよくお出かけになるんですか?」
と、訊いてみたところ、
「あちこち出られますよ」
とのこと。
「お仕事でしょうか?」と重ねて訊ねますと、
「ご当主は地主でいらっしゃいますので、仕事での外出はあまりありませんが、ご交友関係は広くていらっしゃいますので」
との回答。
あ~地主さんね!
入退去の手続きや家賃回収業務は不動産会社に委託すれば良いし、何もしなくても地代が毎月入ってくる憧れの職種『不動産賃貸業』。
鉄壁の有産階級。
たいして経費もかからないから税金も半端ないけど、貸してるのが先祖伝来の土地とかで借金がなかったら、ほんと、寝ててもお金が入ってくるやつ……いいなあ……吸血鬼さんだったら死なないから相続税もかからないし……いやいや、百年に一回くらいは死んだことにしとかないといけないのかな。
なんて思いながら、面接場所の応接室に入れてもらったんですが。
床がマホガニー張りの応接室で、白いレースのカーテンに黒染みがあったり、ソファの掛け布に、洗濯しても取れてない染みがあったり……調度はかなりお金がかかっていそうなものを揃えてるのに、なんでしょうね、この手入れの悪さ。
埃かぶってるわけじゃないのに。
っていうか、この汚れてるレースのカーテンもソファの掛け布も、めちゃくちゃ高そうなんですけど。
『お子さんが小さいので食べ汚し? でもねえ……そうだとしても、ちゃんとしみ抜きするか、買い換えようよ……お金持ちなんだし。いやいや、吸血鬼設定的にはここで襲ったんですね、分かりますよ~。こう、ソファに座ってる娘さんを襲ったら、丁度血が飛び散りそうな高さですよね! でもそれでもしみ抜きはきちんとしようよ……』
なんて、「設定」を考えながら暢気に構えてたんですが。
それもこれも本当にそういう事情だったとは……あの、吸血鬼的お食事中に汚れたそうです。
採用いただいたあと、訊いてみたら、包み隠さずお答えいただきました。
いやそこ、もうちょっと包み隠そうよ。
私は今日、仕事に応募してきて面会したばっかりの人間ですよ?
ちなみに、なんで染みがそのまま残ってるかというと、前の家政婦さんが、気味悪がって洗濯してくれなかったそうです。
たしかに、いまは乾いてて茶色い染みですけど、襲った日の翌日なんかだとまだばっちり赤黒かったりするかもしれないし、茶色に退色してても、なんだか湿ってたりすると、ちょっとホラーですもんね。
そして、よくよく目を凝らすと、板張りの板の目地の部分、ところどころ、ちょっと黒い……撥水加工はしっかりしてそうな床材なので、モップ拭きくらいで簡単に汚れは取れそうなんだけどな……
これは板に血溜まりが出来てて、翌日まで放置してたもんで、目地にまでしっかり染みこんじゃって、あとで床掃除しても目地部分が取れなかったとかいう状況ですね!
いや、明日以降、それを発見して掃除するのは私なんですね!
さっき私、雇用主から「採用」のお言葉頂きましたもんね!
なんだかすでにちょっと応募したことを後悔しつつあるんですが……たぶん気のせいですね?
自分で汚したところは、綺麗にしなくても良いから、ざっと拭き掃除くらいしてて欲しいなあ……と、思ったんですが、実際、雇用主を見て思いました。
あんまり労働したことのなさそうな雰囲気でした。
ほら、「あとはよろしくたのむ」なんて言い置いて立ち去るタイプの。
さすが、地主さん。
国籍は不明ですが、お肌も髪も、瞳の色も色素薄い系。
外見年齢三十歳まえの男性。
実際のご年齢は聞きませんでした。
容姿端麗で立ち居振る舞いも板に付いた優雅さでね。
退廃美といいますか、妖艶美といいますか。
頬杖ついてるほっそりした指がまた、いちいち美しくて格好よくてね。
この辺りの美形描写は、自分の創作小説書いてるときは、かなり気合いを入れて描写すると思うな。
しかしまあ、ここで気合いを入れる筋合いはないので、この辺にしておきますけれども。
美形表現の形容詞考えるの地味に面倒なんですよ。毎回、似たような形容詞だとマンネリだし。
お子さまふたりも、そりゃもう、天使のような愛らしさでしたよ……まあ、口を開かなければね!
そんなこんなで、本日は「採用」もらったところで、雇用主との面会は終わりでした。
勤務日は、基本は全日だけれども、ようすを見て不定期で週一日程度休みを入れても良い、ということで決着。
休みたい日は、前日までに連絡しておけば良いそうです。
その他、詳しいことは「フジキノに訊いて欲しい」とのことです。
フジキノさんは、さっきの運転手の方。
ほらやっぱり「あとはよろしくたのむ」タイプのひと……
フジキノさんに教えてもらったところ、お屋敷には布団でも絨毯でも丸洗いできるドライクリーニング対応の大型洗濯機が二台あって、自由に使って良いそうです。
乾燥機もあり。
掃除用具の場所も教えてもらったし、お屋敷内で着る割烹着も支給してもらいました。
ゴミ焼却のための焼却炉もあるとのこと。
家庭ゴミ、落ち葉はもとより、プラスチックなんかも投入できる、環境に配慮した排煙浄化機能付きのやつ。
たしか、そういうのって設置に五百万くらいかかるのでは。
勤務時間が夜中なので、庭掃除は私の担当外。
排煙はほとんど無色、無臭なんだけれども、ゴミ焼却も担当外。
掃除中にまとめたゴミは、ダストボックスに入れておけばいいとのこと。
さすがにこのあたり、夜中はほんとうに静かなので、近所から「うるさい」とか「夜中に迷惑だ」とか、万が一にも苦情が出てはいけないので、庭掃除共々、焼却はフジキノさんが昼間にやってるそうです。
ほかに掃除用具で必要なものがあれば、メモに書いて掃除用具入れの扉の所に貼っておけば、買っておいてくれるそうです。
ネット通販で自分で買った場合も、領収書と引き換えに清算してくれるとのこと。
なんというかこう……いろいろと傷害罪レベルで問題がありそうなホラー要素を除けば、働きやすそうではあります。
なにはともあれ、明日は各部屋点検のうえ、がんばってあの応接室のカーテンとソファの掛け布みたいな汚れ方をしてるものをしみ抜きして洗濯するつもりなんですが、もし落ちなかったら買い換えを提案していいでしょうか? とフジキノさんに訊いてみました。
ほかのお部屋がどんな状況か分かりませんが、もしあちこちあんな状況だったら結構、買い換え費用かかるだろうな……レースのカーテンだってあれ、一張り二、三十万するよ、きっと……なんて思うと、おいそれとは買い換え許可でないだろうな、と思ってたのですが、さにあらず。
「わたしも気になっておりましたので、早速、当主に諮っておきますね。たぶん、許可は下りると思いますよ」
とのこと。
なら、なんでさっさと買い換えないのかと思うんですが……まあ、前の家政婦さんが気味悪がって手を付けなくても怒らなかったみたいなので、そういうとこ、無頓着……いやいや、鷹揚なのかな、と思いました。
いちおう、雇用主なので言葉は選びたい。
というか、私も大概雑な人間なので、掃除の不備についてちくちく厭味を言われないと思えば、良い職場なのでは?
まあ、そういうことにしておきます。
さて、面接も無事終わり、お屋敷を立ち去る段になりまして、廊下を歩いておりました。
こういう古めかしい大正浪漫洋風建築には内庭がつきものです。
池やら築山やら枯山水がしつらえてあって、猫脅しやらつくばいなんかも付いてる本格的なやつ。
洋風の庭園なら、イングリッシュガーデンみたいな感じの、ウッドデッキや四阿なんかが置かれてるやつ。
案の定、庭に面した廊下から望むお庭は本格日本庭園でした。
これ見よがしに空にかかる齢十五の月の光を浴びた松葉が、艶やかでね。
敷き詰めてある白砂が、だいぶ乱れてたのが気になったくらいで。
こう……動物の足跡がいっぱいあるような感じで……。
「息子と娘を紹介しておきますね」
と、フジキノさんが仰るので、へえ、親子二代でお屋敷で働いてるのか……と思って「よろしくお願いします」なんて適当な返事をしたのですが……。
フジキノさんが庭に向かってポンポンと、手を叩くとですね、庭木の影やら縁側の下やらから狼が姿を現したんですが……八頭ほど。
みなさま、体長は1mから1.5m。
北欧あたりの狼はもっとおおきいと思いますが、なかなかどうして、迫力のある大きさです。
しかしニホンオオカミって、たしか絶滅してたはずでは。
昔、教科書で剥製の写真を見ましたよ?
フジキノさんをちらっと見て、
「あの、フジキノさんは人狼、みたいな設定で?」
なんてお伺いを立ててる自分は、やはり間抜けだと思うな……
フジキノさんはにっこり笑って、
「私はただの人間ですが、妻が東欧の出で、狼の血を引いていたのです」
と答えてくださいましたよ。
いやいや、自分で訊いておいてなんですが、やっぱりもうちょっと包み隠そうよ!
私とあなた、初対面ですからね?
「月がもうすこし細いときは、みな人間の姿をしているのですが、今夜は満月ですから……」
そう言いながら、フジキノさんはひとりひとり、マモル(右耳が白い)、タツコ(左前足が黒い)、トオル(胸の毛がいちばんふさふさしている)……と八頭、名前を教えてくださるんですが、ごめんなさい、私、いっぺんに名前と顔を覚えられる自信がない……
「ええと、奥様はどちらさまで?」
この、一番身体の大きな狼さんかな? と思いつつ訊ねたところ、
「いえ、妻とは以前の仕事で東欧のある国に駐在中に知り合ったのですが、妻はそこで狼狩りに遭いまして……危ないから家畜を襲うのはよせと言っていたのですが……やはり子供八人、食費が大変だからと」
そうですか……それから男手ひとつで八人のお子さんを。
ここはしんみりすべきなのは分かっているのですが、ちょっと心がすさみかけているので、素直に哀しみきれません。ごめんなさい。
「みんな、この人は新しい家政婦さんだからね、食べようとしてはいけないよ」
なんて、フジキノさん、仰ってます。
ええ、そういう情報は、ちゃんと伝達しておいてくださいね!
そこしっかり!
なんというか、私の命がかかっていそうな気配ですし!
行儀良く一頭一頭、「お手」と言わんばかりに右足を上げるフジキノさんのお子さんたちと握手しながら……すなわち、狼の肉球を、縁側にしゃがみ込んで、にぎにぎしながら、私はふと、気がつきました。
応接室の床材に血溜まりが出来るほど出血することもあるわけです。
雇用主のお食事の相手が、ちょっとした手違いでお亡くなりになることだってありそうな気がするわけで……
「やっぱり、ご子息の方々が間違って食べることもあったり……? 前の家政婦さんとか……」
雇用主のお食事の件を直截に訊くのは拙い気がするので変化球を投げてみます。
「いえいえ、家政婦さんたちは、円満退職ですよ。このように言い聞かせているのは、念のためですから、安心してください。いつもは当主のお下がりでみんな、満足しておりますから」
ああ、フジキノさん! いま、にこやかにスプラッター設定に踏み込みましたね!
っていうか、刑法的に問題があるレベルが上がりましたね!
『刑法第二百四条の傷害罪』じゃなくて、『刑法第二百五条の傷害致死罪』ですね!
「給料はじゅうぶんに頂いておりますが、なにしろ八人もいると食費がかかりまして。こちらに勤めるようになってから、肉類を買わなくて良くなったので、助かっています」
はあ……さようでございますか……
「そのあたりは、ちゃんと私と子供たちで片付けておきます。焼却炉もありますから、大丈夫です。家政婦さんがおかしなものを見ることはありませんよ」
「よろしくお願いいたします……あの、もしよろしければ血溜まりなんかが出来てたら、軽く拭き掃除しておいていただけると助かります。ほら、応接間も目地に染みこんじゃって変色してたので……」
「ああ、お気づきになりましたか。さすが、よく見ていらっしゃる。次からは雑巾がけしておくように子供たちに言っておきましょう」
フジキノさん、爽やかに微笑んでいらっしゃいましたが、その爽やかさが怖いわあ……私。
私は吸血鬼ものマニアであって、出血の多い映画もよく観ますが、スプラッターはちょっと苦手なのですよ。
古典的吸血鬼ものマニアは、エロもグロも嫌いではありませんが、奥ゆかしいのがいいんです。
ほんとですよ?
今夜はまだ八時で、電車も運行しているのでお断りしたのですが駅に向かうバスの時間が中途半端だということで、フジキノさんが家まで送ってくれることになりました。
車庫のとなりに厩があって、
「うわ~、馬飼ってるんだ! 本気でお金持ちだ!」
なんて無邪気に驚いていたのですが。
「家政婦さん、お帰りは二頭立てでよろしいですか?」
と、フジキノさんは仰る。
「え……と、二頭立てって、あの、馬が?」
「もちろんです。四頭立てにも出来ますが、準備が大変なので」
「いや、馬車で公道走ったりすると道路交通法違反になったりしません?」
「なにを仰る。道路運送車両法施行令第一条で、馬車は軽車両として認められています。交通法規は守らねばなりませんが、運転免許もいらない、自転車と同じ扱いですよ」
心外な顔で、フジキノさんはスマートフォンを操作して、該当条文をみせてくださいましたが、いやいや、問題はそれだけではなくてですね……
我が家のご近所の人が驚くので、と、ひらにお断りして、「馬車で送ってもらう」のは防ぎました。
フジキノさん、
「たまには馬車も動かしておきたかったのですが……残念です」
なんて仰いますが、私、動態保存に貢献するために公道を馬車移動したくないです。
轍の金属部分とか、サスペンションのバネが、定期的に動かしてないと錆びちゃって悪くなるのは知ってますけどね。
車軸がバチーンと折れて馬車が横倒しになる、マカロニウェスタンでおなじみのシーンも、原因は錆か金属疲労ですし。
しかし、そうはいってもここは譲れません。
ほかの人、当たってください。
あと、真夜中の十二時ならともかく、夜八時はまだこの辺の田舎の道路でも駅前の車通りはそこそこ混雑してますからね。
きっと普通車両の皆さんにひんしゅく買いますよ?
まあ、夜中に走らせたら、轍のガタガタ言うのと馬の蹄がカッポカッポ言うので、ご近所さんにうるさいって怒られると思いますけどね?
車庫には馬車だけではなくて(本当に馬をつないでいない馬車がありました。これ、ヨーロッパから持ち込んだんでしょうか?)ブルーグレイのトヨタのプリウスがちゃんとありまして、それで送っていただきました。
雇用主さんを乗せる車じゃなくて、フジキノさんが買い物とか普段使いに使ってる雇用主所有、使用人用の車です。
ほかにはポルシェとベンツのなんだか高そうなのが一台ずつ。どうやら雇用主はドイツ車がお好きな模様。
こうして、私の採用に至る面接の、長い一日が終わったのでした。
ほんと、明日からのお仕事、大丈夫なんでしょうかね?
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