スクランブルエッグの憂鬱
今朝、早すぎる起床をした。そういう日は大抵、変に目が冴えて、眠気による動作不良が早朝の暗闇に溶けていくような奇妙な心地がする。だからといって爽やかな気分かと言われればそうではない。前夜の倦怠感はそのままなのだ。むしろ増しているような気さえする。やっぱり朝は日が射しているに限る。
緩慢な動作でベッドから身を起こし、立ち上がる。毛玉の浮いたネイビーブルーのパジャマ。それが朝の倦怠さをより一層掻き立てている。一つため息をついた。首をもたげて、だらしなく窓の方へ向かう。カーテンを開けても日は射さない。部屋の中の彩度が本当にわずかに上がるだけだ。少し窓を開けてみると、朝食を作ろうかと思う程度には気が晴れた。朝の寒さは悪くない。
夜は世界を掃除するためにあるのだと思う。昨日、寝る前にふとそう思った。昼間は笑い声が溢れている。世界のどこかで鮮やかな色の風船が飛ばされ、世界のどこかで人々が踊り狂う騒がしい祭りが開催されてる。子供が跳ね回り、あちこちで窓ガラスがしつこいくらいに光を反射する。まるで、見えない空間に原色の絵具を塗りたくるように。昼間は正直だ。でも、そんなことばかりしていると、混ざりすぎた絵具は不気味で気色の悪い色になってしまう。だから、夜が必要なのだ。黒い垂れ幕が降りてきて、今日の公演は終了ですよと言う。すると、世界の演者たちはみんなベッドの中で静かに眠りにつく。その間、外の世界では真っ白な月明かりが世界を照らす。美しいシャワーが、昼間の原色を綺麗に洗い流していく。だから、朝一番の冷たい空気は私を不快な気分にさせない。洗い立てだから不潔じゃない。大きく息を吸うと、私は自分の肺が浄化されたような心地になった。手足に力が入って、なんだって出来るような気がした。
私は台所へ向かい、灯りをつけた。早朝の闇がオレンジ色の光に満たされる。小さな、明るいグリーンの冷蔵庫から卵と牛乳とバターを取り出す。この冷蔵庫はここに越してくる時にリサイクルショップで気に入って購入したものだけど、今思うとなぜこんなチープな色味の物を気に入ったのかは思い出せない。ただ、なんとなくこれを買った理由は想像できる。例えばそれは夜のスーパーで起きる現象だ。暗闇の中を歩いていき、暖かい色に輝くスーパーを目にする。常夜灯に群がる蛾のように、私はその光に吸い寄せられていく。自動ドアを潜り、なにを買う当てもなく歩いていくと、それが目に入るのだ。それはグロテスクなまでに赤いトマトだとか、不快なまでに緑色のライムだとか、奇抜すぎる黄色のバナナとか、とにかく趣味じゃ無いタイプのものが突然魅力的に見えたりする。それで、いつの間にかそれを手に取ってレジに向かっている。そういう事はあまりに多いんじゃ無いかと思うが、原因はことごとく不明なことの方が多い。
とにかく、そういう風にして買った冷蔵庫を眺めていると、いつもの朝なら不快な気分になるけれど、今日は違う。なんと言ったって早すぎる朝なんだから。冷蔵庫はオレンジの灯りの影に隠れるから、くすんだグリーンなのだ。私は機嫌良く冷蔵庫の扉を閉じて、棚からボウルを取り出した。卵を割って、泡立て器で溶いていく。ボウルに泡立て器が打ち付けられる音は幸福な感じがする。朝の包丁の音、レストランの食器の音、夏のプールに飛び込む音、それと同じ類のものだと思う。
鼻歌まじりに、ボウルに塩と牛乳を足した。ボウルの中はケーキの生地のような色になる。
フライパンにバターを乗せて、慎重に溶かした。バターの溶けた黄金色は良い。押し付けがましく無い色だ。少し透けているから、きちんと、フライパンの黒を広い心で受け入れて混ざり合っている。私はフライパンを軽く傾けて、バターを伸ばした。
フライパンの中にボウルの中身を落としていくと、心地の良い音と共に、黄色い丸が出来ていく。その美しい円形を崩してやろうというこの残酷ともいえる気持ちは、少しの罪悪感を伴うが、普遍的な支配欲が満たされることに幸福感が溢れ出てくる。ヘラを動かすたびに残虐な事をしたいという気分は満たされる。けれど、不意に外が明るくなっていくことに気がつくと、気持ちが萎えていく。早すぎる朝が、終わりを告げようとしている。
スクランブルエッグが出来上がって、白い皿に盛る。食卓へ置くと、朝日がスクランブルエッグを惜しみなく照らした。
黄色すぎる黄色。
私の趣味じゃ無い色。作っていた時の多幸感は姿を消した。悔し紛れに、乱雑に黄色をケチャップで消していくと、今度は赤すぎる赤になるのだった。
仕方なく食卓について、フォークを手に取る。
私はため息をついた。朝は日が射していないに限る。
架空随筆 加藤 @katou1024
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。架空随筆の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます