後編

 連中は彼女に気付かれなかったのをいいことに、棚にあったコミックを次から次へと、バッグの容量一杯になるまで詰め込んだ。


 そうして、一人が今度は文庫本の置いてあるコーナーに移動し、定価350円の薄っぺらなフランツ・カフカの『変身』を取ってそれを買い、何食わぬ顔で店を出ようとする。


 最後の一人の身体が店から外に出た時、俺は背後から、


『おい』と声を掛けた。


 三人はびくっとして振り向く。


 まさかこんなところで呼び止められるとは思ってもいなかったんだろう。


 足がすくんでしまったようだ。


 俺はレジに向かって声を掛け、店番のまゆみを呼ぶ。


 小走りに狭い店内を、彼女はこちらにやってきた。


『な、何ですか?』

 バッグを持った少年が、声を上ずらせながらも、とぼけたようなふりをして答えた。


『黙ってそのスポーツバッグを置きな。そうしてチャックを開けるんだ』


 俺はわざと声を低くし、鋭い目線で三人を睨みつけた。


 流石に彼等もただならぬものを感じたのだろう。


 バッグを地面に置いてチャックを開く。


 俺はまゆみにバッグの中身を確認させて、懐から認可証ライセンスとバッジを提示した。


『俺は別の用事でここに来たんだが、犯罪の現場を見つけちまったんだからな。黙って見逃がすことは出来ない。警察を呼ぶか、親に連絡をするか、どっちにするね?』


『犯罪?たかが万引きじゃないですか?』


 一番右端にいた、背の高い眼鏡をかけた少年が、訳知り顔で言う。


『たかが?』俺はそう言った少年の顔を正面からわざと目を吊り上げて見せ、低音を効かせた。


『いいか、よく聞け。刑法には”万引き”なんて甘っちょろい言葉はない。どんなものであっても、金を払わずに盗めば、これは”窃盗”だ。

刑法第三十六章 窃盗及び強盗の罪、第二百三十五条にはこうある。

”他人の財物を窃取した者は、窃盗の罪とし、十年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する”とな。俺はお前さんたちのやったことを一部始終確認した。あれはどう見たって”たかが”で済まされる代物じゃない』


『でも、僕らはまだみんな十五才です。未成年じゃないですか?少年法では・・・・』


 俺のすぐ後ろで室岡まゆみがその言葉に唇を震わせ、俺以上にきっとした目でそう言った少年に向かって手を挙げようとしたが、辛うじて俺はそれを抑えた。


『もういい。残りの言い訳は警察サツでしろ。俺は今から110番する。文句は言わさんぜ。ああ、もしこの場から逃げたら、何処までも追いかけて行くから覚悟しとけ。職業柄、記憶力はいいんだ。人相風体はしっかり頭に叩き込んだからな』


 俺の言葉に、三人はぶるったまま、全身を震わせ、顔色を真っ青にした。


 携帯を取りだし、110番に連絡をする。

 

 程なくしてパトカーが二台到着し、制服姿の警官おまわり四人が降りてきた。


 俺が事情を話し、別の用事でここに来た探偵だと名乗ると、


『ご苦労さん』と、普段探偵に対するのとは違い、丁寧に礼を言って、

『後はこっちでやるが、ひょっとして事情を聞くかもしれんから、連絡先だけ教えてくれ』といい、三人を一台の後部座席に押し込め、今度はまゆみに

『被害届を出すかどうか』を訊ねている。


『勿論出します』彼女はきっぱりした口調で答え、間もなく二台はそのまま赤色灯を回して走り去って行った。


『あの・・・・貴方は?』


 パトカーがいなくなると、彼女は俺の方に頭を下げてからそう言った。


 俺はもう一度認可証ライセンスとバッジを見せ、自分の名前を名乗った。


『私立探偵・・・・乾宗十郎いぬい・そうじゅうろうさん?』


『そうです。今日は別口の用事で貴方に会いに来たんです』


 彼女はまたきょとんとしたような眼で俺を見つめた。



『どうぞ・・・・』


 店のシャッターを下ろし、俺をその奥、つまり店と繋がっている座敷に上げてくれ、座卓の上にお茶を乗せると、彼女は向かい合わせに座った。


 俺は島村監督に、彼女が監督の新作映画の出演を何故断ったのか、そして出来れば考え直して、出演して欲しいと交渉してくれるように依頼されたことを話した。


 彼女はしばらく俯いていたが、顔を上げ、


『やっぱり、私には出来ません』、


 さっきと同じ、しっかりとした口調で答えた。


『俺はあの映画シャシン脚本ホンを読ませて貰った。別に悪い内容ではないと思うがね』


『今の光景、御覧になったでしょう?私はやっぱり”万引き"っていうタイトルが嫌なんです。』


 まゆみによれば、この店は父親と母親が二人で作り上げた、小さいながらも大事な城だという。


 ところが、父は現在入院をしている。母はそこまでには行っていないが、それでも要介護2となり、週に二回、デイサービスに通わねばならない身の上だ。


『何故両親がそうなったか分かりますか?全部万引きのせいなんです』


 唇を噛んだ。


 俺は黙って茶をすする。


 今から15年ほど前、家の近くに公立の中学校が出来た。


 それからである。店で万引きの被害が頻発し始めたのは。

 犯人は殆ど、いや、全てがその学校の生徒だった。


 一人娘である彼女は仕事で忙しい。


 しかも両親はもう老齢の身の上だ。 


 何人かは捕まえたし、学校へも抗議をした。

 しかし向こうから返ってくる答えはさっき少年達ガキどもが言ったのと同じ台詞、

”たかが万引きくらいで、生徒の将来を潰すわけにはゆきません”

挙句は示談にしようと、こうだ。


 警察は警察で、相手が子供となると及び腰になって、

”被害届はどうします?”というだけで、出したとしても、それ以上何もしてくれない。



 店主である父は元来気の弱い性格であるから、唯々諾々と向こうの言葉に従い、結局それだけで済ませてきた。


 それでも被害は止まらなかった。


”隠しカメラや防犯装置を設置したらどうか?”とアドバイスしてくれる人はいたが、町の片隅の小さな個人経営の本屋だ。

そんなハイテク設備を取り付けるだけの予算など出せよう筈もない。


父は悩み、心臓を悪くして、現在二カ月の予定で入院をしている。


『もう今では、二人ともこれ以上店をやっていくだけの気力もありません。だから私も仕事を控えめにして手伝っていたんですけど・・・・そんな状態であのお話しでしょう?内容はどうであれ”万引き”を主題にした映画なんか、引き受ける気になると思いますか?』


 静かな口調だったが、しかし明らかに震えているのが分かった。

 恨み、

 怒り、


 いや、そのどれでもない。本当に心の底からの叫び。俺にはそう感じられた。

『分かった』


 俺は茶を飲み干すと、ゆっくり腰を上げた。


『君の意思は、監督には正確に伝える。ではこれで、』


 室岡まゆみはまた頭を下げた。


 涙が二粒、座卓の上に水の玉を作った。



 俺は東京に帰り、島村監督に電話を掛け、事の次第を報告した。

 

 向こうはそれでも諦めきれない様子だったので、

”彼女の意思は固いようですよ。私にはこれ以上のことは出来ません。お役に立てず済みませんが”


そう言って、受話器を置いた。


一週間後、俺はネグラのベッドに寝転がりながら、最新の映画雑誌を見ていた。

 そこには、あの映画の記事が特集されていた。


 島村監督は、さすがに”鬼才”と言われた男だけのことはある。

 彼女の元に日参をし、何度も口説いた。

 

 当然断ると思うだろう?

 ところがそうじゃなかった。

 何と改めてオファーを受けたというんだな。

 雑誌の伝えるところによれば、彼女は監督に条件として、シナリオの大幅改訂を要求したという。


 つまり、新たに万引きによって個人商店がどれだけ被害を受けているか、それによって経営者たちがどれほど苦境に陥っているかを書き足させたという。

 映画監督に喰ってかかる若手女優なんて滅多にいないから、監督も度肝を抜かれたが、彼女は、


”この条件を呑んで下さらなければお引き受け出来ません”

 そう言って詰め寄ったという。


『あの迫力には圧倒された』と監督は彼女の度胸の良さを称賛していたという。


 クランク・インは予定通りとはいかなかったが、彼女も入って脚本ホン直しが行われ、撮影開始。


 そして完成された映画は室岡まゆみの確かな演技力と相まって、試写会ではうるさ型の評論家連中の絶賛を浴び、外国の映画祭にも出品されることが決まったそうだ。


 だが、彼女はそんな浮世の騒ぎっぷりはどこへやら、相変わらず店を立て直すため、持ち前の負けん気を発揮して、両親の看病、そして書店の主人、それから女優と八面六臂の大活躍だという。


 女が本気になると凄いもんだな。

 俺は舌を巻いた。


 だが、まあ、そんなことはどうだっていい。


 彼女は後から俺に、既定の探偵料と必要経費の外に成功報酬まで出してくれようとしたが、それは断った。


 この程度の仕事いらいで懐を膨らませてもいい気分で酒なんか呑めっこないからな。


                              終り

*)この作品はフィクションです。登場人物その他については全て作者の想像の産物であります。 





 

 


 

 



 




 


 


 

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『たかが』という犯罪 冷門 風之助  @yamato2673nippon

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