中編
『これが、彼女・・・・室岡まゆみです』
島村京介はファイルの上に載っていた写真を示しながら言った。
白いブラウスに茶色のベスト、明るいブルーのスカートという、如何にも清純そうな女性が、まっすぐこちらを見て軽く微笑んでいる。
肩ぐらいまで伸びた髪は艶やかに黒く光っていた。
今時あまり見かけない日本的美人である。
(芦川いづみに似てるかな)俺はデスクの反対側、窓際に貼ってある日活映画のポスターの中で微笑んでいる彼女と見比べてみた。
『何とかお願い出来ませんか?こっちとしても彼女にどうしてもうんと言ってほしいんですよ。でないと撮影にもかかれないんです』
自信家の鬼才としちゃ、嫌に低姿勢だな。
『分かりました。お引き受けしましょう。ギャラについては花田弁護士から伺っているかと思いますから、通常通りで構いません。その代わりこういう時期ですからね。成功報酬もつけて頂きます。よろしいですか?』
渋い顔をされるかと思ったが、彼は意外にもその条件を呑んだ。まあこの際だ、四の五の言ってられなかったんだろう。
『では、これを読んでサインをお願いします。形式的ではありますが、一応決まりなんでね』
俺が差し出した契約書に、彼は簡単に目を通しただけで、簡単にサインをした。
『結構、それでは仕事にかかります。ついてはもう少し室岡まゆみという女性について・・・・』
『それはこれに書いてあります。では、後はよろしく』
島村監督はそれだけいうと、もう一度手指消毒器を勝手に使うと、そそくさと席を立って
”ウィルスが怖いのは分かるが”
俺はいささかムッとしたが、まあ仕方がない。
彼が帰った後、俺はシナモンスティックを咥えながら、資料に目を通した。
室岡まゆみはまだ高校二年生の頃、いわば彗星のようにデビューをした。
あるセミプロ劇団の舞台に立っていたところを、某芸能プロダクションの関係者にスカウトされたのだそうだ。
その後高名な映画監督の作品に、端役ではあったが重要な役どころで出演し、世間の脚光を浴び、その後は映画は元より、テレビドラマや舞台まで、ありとあらゆる芝居に挑戦し、そのすべてで称賛を受けた。
演技力の確かさ、持ち前の度胸、セリフ覚えの良さなど、世間からは『百年に一度の天才女優』などと言われた。
勿論ルックスの点でも申し分がなく、また礼儀正しく、謙虚なところも、評価の対象になったらしい。
そんな彼女が何故今回の役を断わったのか?
依頼者の島村監督が分からないものを、俺が分かる筈はない。
俺は彼が置いて行った映画の決定稿を何度も読み返してみた。
『万引き天使』といい、複雑な家庭に育った少女が、いじめや精神的不安定から万引きを重ねるが、保護施設で出会った女性カウンセラーによって救われ、次第に真っ当な自分を取り戻してゆくという、シリアスな作品の多かった島村監督の映画としては、ハッピーエンドで終わるという、刺激的なタイトルにしては割合ハートフルなストーリーの映画だった。
彼女の役は無論主役の万引きを重ねる少女である。
ワキを固める役者陣も、地味だが芸達者なバイプレーヤーで、決して悪いものではない。
彼女が一体何故この映画の出演を拒んだのか、普段は依頼内容に滅多にのめり込むことのない俺にも『知りたい』という欲求が湧いてきた。
早速俺は彼女の事務所に連絡を入れてみた。
すると、今現在彼女は仕事を休んで、茨城県にある実家に帰っているという。
何でも、
”母親の看病のため”というのが主な理由だそうだ。
仕方ない。俺は出来る限り装備を固めて、彼女の実家である、茨城のⅠ町に出かけてみることにした。
その町はそれほど大きくはなかった。
駅を降りた途端。
”さびれているな”という感じが見て取れた。
人通りは目に見えて少ない。
当節の状況を割り引いても、本当に人通りが少なかった。
たまに自転車に乗って、マスクと手袋で重武装した買い物帰りの主婦や、学校が休校でやることのない子供たちを見かける程度だ。
彼女の実家はこの町で一番大きな商店街の外れで、書店を経営しているという。
駅前を南に突っ切り、その商店街に行ってみたが、店は櫛の歯が欠けたみたいにシャッターが降りている。
その書店は直ぐに見つかった。
『室岡書店』という看板を掲げた、如何にも古びた(いや、年季が入ったというべきだろう)店構えをしている。
幸い、今は営業中なんだろう。
しかし、店の中には客らしい姿は殆ど見かけない。
本の品ぞろえは決して悪くないのだが、良くもない。
”幾ら何でもこれじゃあ客も来ないだろうな”
俺にだってそのくらいは理解が出来た。
店の奥のレジには、若い女性が一人、ぽつねんと座っていた。
黒縁の眼鏡をかけ、地味な紺色のセーターにピンク色のエプロンをかけている。
髪をポニーテイルに結び、化粧もしていない。
だが、俺は一目見て、
(室岡まゆみだな)と分かった。
流石に幾人かの監督の眼鏡にかなっただけのことはある。
俺が声を掛けようとした時である。
店の入り口を開けて、三人の少年が入って来た。
三人とも私服だったが、中学の高学年か、或いは高校に進学したばかり、そんなところだろう。
一人がやけに大きなスポーツバッグをぶら下げていた。
バッグの口が開いている。
(やるな)
俺は思った。
果せるかな、三人は固まるようにして店の奥の、ちょうどレジから死角に当たる棚、コミックスが置いてあるコーナーへと移動してゆく。
俺はしばし彼女から目を離し、距離をとって、少年たちの後を追った。
彼等は目でレジの方を確認し、店番が彼女しかいないことを確認すると、二人が壁になり、一人がバッグを床に置き、それから大胆にも、人気のコミックを数巻(いや、そんな穏やかなもんじゃない。)掴むと、バッグの中にまとめて突っこんだ。
ただでさえ死角になっているのだ。その上”壁”を作られちゃ、確認しようにも出来ないだろう。
これは万引きなんて穏やかなものじゃない。
立派な窃盗、いや、もう確信犯的な泥棒だ。
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