第5話



ハイビスカス王国の象徴が金の蛇になるのに、そう時間はかかりませんでした。

王様は表側の庭中に金の蛇の像を設置し、たくさんのお金を費やし、世界中にシンボルをアピールしました。王様の働きは功を奏し、世界中からハイビスカス王国には生きた金の蛇がいるということで注目されるようになりました。

しかし、王国は僻地の海洋島なので交通の手段がほとんどありません。すると諸外国や企業から空港を設置したいという要望が多く寄せられ、手つかずの原生林の伐採地に大きな空港を作ろうという計画が立てられました。近々、業者の方が環境調査のために島に訪れるということを伺っております。

「ええ、ええ、ああ、はい、そうですか。ああ、ありがとうございます。はい、どうかよろしくお願いいたします」

かちん、と電話を切ったのは、より拡張した広間の椅子に座る王様でした。彼のすぐそばにいるのはじっと目をつむり微動だにしない一匹の金色の蛇。王様はいつも愛想のない物静かな金色の蛇の皮膚を優しくなでます。

「今度、フタバガキ王国のプレジデントと直接貿易交渉することになったよ。我が王国のますますの発展のためには、諸外国と対等に渡り合えるグローバリゼーションが必要不可欠。とにかく国としてみすぼらしいさまは見せるわけにはいかないからな」

王様は意気揚々と今後の構想について妄想がふくらんでいきます。


その日も多くの電話対応をする王様なので、近頃はめっきり国民の前に出て話す機会が少なくなりました。

以前は国民の意見に耳を傾け、なるだけ彼らの親身になって彼らの立場で状況を是正する方策を考えていましたが、世界に目を向けたとたん、もっと国に必要なことがわかってきて、それどころではなくなってしまいました。

とどのつまりは直接的に国民を扶助するわけではなく、間接的に支援するという名目で外交政策に取り組む王様なのでした。

後日、交渉するフタバガキ王国のプレジデントはハイビスカス王国の王様に対してたいへん友好的だと聞いています。

なんでも聞くところによれば、先方のプレジデントの秘書が聡明で賢く、人当たりもいいらしく、王様のことを手放しに褒めているとか。そういうことだそうなので王様は鵜呑みにして一安心です。

ええ、そういうことですから王様、気合を入れて頑張ってくださいね。


ある日、王様の間に一人の兵士が駆け込んできました。なにやら緊急事態だというので、屋敷の裏側へ赴きました。かつて絞首台があり、カエル蒐集施設があった荒廃地です。

絞首台については外部から趣味が悪いと言われてしまったので取り壊しましたが、カエル蒐集施設はなんとなく残していました。

もう以前の管理長はどこにもいないので、新たに管理職員を非常勤で雇い、膨大な予算をついやし管理しています。

ところがいま、王様の目の前ではそのカエル蒐集施設がごうごうと火柱をたてて燃え盛っているではありませんか。すぐさま消火部隊を呼び寄せ、火は30分後に消し止められましたが施設は跡形もなく消え去ってしまいました。どうやら薬品の引火が原因だったようです。さいわい、怪我人がいなかったことは王様にとって朗報です。

こういう際、誰かが負傷したりすると責任説明がどうのこうのとうるさいご時世ですから。

しかし、

「カエルコレクションは?」

「だめです。ご覧のとおりです」

施設の跡には、溶けて水飴のようになったガラスボトルの残骸と腐敗したようなにおいが漂っていました。

「一個も残ってないの?」

王様の子どものような質問に答えられる兵士は一人もいませんでした。みなうつむき、王様が何か言ってくれるのを待ちました。

「はあ、なるほどねー、まじかー、つらみだわー」

王様はそこらへんにいる大学生みたいな口調です。

「や、でもまあ、カエル蒐集プロジェクトはもうないわけだし、ぶっちゃけなくても困らないんやけどさ。てかお金もうかけんでいいし、だいたい娘ももう興味持ってないし」

兵士たちはよしんば首を切られるという恐怖がありましたが、どうやら最悪の事態はまぬかれそうです。

「おけおけ、じゃあそういうことで」

そうしてカエル蒐集施設の崩壊に関して深く考えるものは誰もいませんでした。

むしろハイビスカス王国を蛇の国として定着させるであれば、むしろこれからは蛇蒐集施設のほうが必要になるのではないか、と密かに企む王様でした。


数週間後。

ハイビスカス王国では、城のものたちや国民の間で蛇をペットとして飼うという風潮が一般的になりつつありました。中には多頭飼いするものもおり、彼らのために生活を切り詰めるほど蛇にお熱になるものも少なくありませんでした。

そういう生活が当たり前になってくると、珍しい蛇や希少種を求めるマニアも増え始めました。本来希少種などであれば捕獲の許可申請など必要ですが、断りなしに蛇を乱獲し、別のところに高額で転売するという問題が生じてしまうようになりました。国は取締条例によって厳しく対応にあたりますが、どうやら根は深いご様子であります。


さらにはペットとして飼ったはいいですが、金銭的な問題からそれ以上飼育するのが難しい状況に陥るものも増えました。そういうものは誰かに里親として出したりするのですが、国民の多くが蛇を飼ってしまうと手を挙げてくれなくなりました。そうして結局、殺処分をしなくてはならない蛇も増えてきました。

ちゃんと管理できないくせに、流行に愚かしい身を任せるからです。

ざまあない。


金色の蛇を飼育する王様は国民たちのようすに腹がよじれんばかりです。

「ほんとうに国民は馬鹿な連中であるなあ」

王様はじっとして動かない蛇をぐにぐにと撫でつけます。

蛇はそうされることに何も抵抗しません。飼われている身ですから、もはや何もしようとは思いません。時間になれば適当に餌が食べられるし、鳥に襲われることもないのです。

これから先の人生、この屋敷から逃げることもないはずです。

もとより野生を失った動物です。

もう、いろいろ無理でしょう。

だから家族として飼う以外に道はないのです。

そんなことを思うと、人間に知られている生き物は可哀そうだなと蛇は思いました。


生き物を形作るのは長い歴史と彼らが生まれた環境です。そこから生まれた造形はまさしく奇跡であり、二つとして同じ個体も存在しません。だから生き物は尊いと蛇は考えています。すべての生き物がそうであると思っています。

ほんとうに、すべて。

しかし、人間は彼らの認識によって好適である生き物は受け入れ、不適あるいは不快にさせる生き物を排斥しようとします。

別に彼ら、あなたがた人間に好かれるためにそんな恰好をしているんじゃありません。気色が悪いだけでいじめるなんて、ただの乱暴でしょう。

だから蛇は、人間に知られていなければ自然の中で戦うことができるのにと思います。

人間のいる世界で戦って勝てること、そうそうあるわけないじゃないですか。

わかっています。

だから知られないのが一番良いことです。蛇はそう思います。

「む、どうした蛇。なにやらようすがおかしいぞ」

蛇の心はいつのまにやらクタクタに疲れていました。

誰にも心を開かないように、誰にも迷惑をかけないようにじっとしていたことがかえって彼女に息苦しさをもたらしたのかもしれません。

目に見えないストレスも時間や体験によって解消されないと、いずれ心身ともに影響が出てしまうのです。

「おい、おまえ、どんどん身体が赤くなっておるぞ。熱か!」

王様はにわかに慌て始めました。

ついさっきまで金色に浅く輝いていた蛇の体色はみるみるうちに硬質な深赤色になったのです。また鱗の一枚一枚はとことん赤いピックのようで、外側に向かって反りあがっていました。ふれてみるとざらざらしており、かつての青鐘のなめらかな裏側を撫でていたころのひんやりとした感触とくらべると言うべくもありません。

そのまま蛇は動きませんでした。じっとしていますが、どうやら生きていることはわかりました。

しかし今の赤い蛇は時間が止められたように無反応です。

王様はとにかく城内の動物に詳しい有識者をかき集めました。しかし、赤い蛇をくまなく検察しても原因がわかるものはいませんでした。

「何もしないほうがいいでしょう、もしかしたら一時的な現象なのかも」

一人の研究者の文言に彼らは一様に賛同し、似たようなことをくどくどしく王様に伝えました。

王様はいらだって有識者を引き下げましたが、結局妙案は浮かばなったのでその日は寝ることにしました。

布団の世界で王様は考えます。

もしこのまま蛇が金色に戻らなければ、ハイビスカス王国のシンボルはどうなってしまうのだ。

もう空港の設置もプレジデントとの会談も、その他いろいろ金の蛇に寄りかかる計画がそこまで来ているのに、それはいかん! 何がなんでも金の蛇を取り戻さなければ!

王様はとにかく明日、だいじなだいじな蛇が再び彼の思い通りになることを強く願いました。



翌朝、目を覚ました王様は自分の手がやけにぬめるのを感じました。寝ぼけまなこでぬめりの正体をさわってみるとぶよぶよとした感触。

グミくらいの大きさで、全身がぬめっているそれは、ナメクジでした。

王様はナメクジが手にくっついていることに気づいて思わず飛び上がりました。

腕をぶんぶん振り回し、ナメクジを壁に投げ飛ばします。そうして広間全体、あちこちにナメクジがうじゃうじゃいることがわかって、王様は絶句です。

地面だけではありません。壁にも天井にも机にも寝具にも、ありとあらゆるところにナメクジがいて、とても現実とは思えません。

とにかく足の踏み場もないほどなので革靴を履いて無数のナメクジが水滴のように引っ付いたカーテンを開きました。そこからは表側の庭が見下ろすことができます。が、庭はどうやらいつもと同じようすです。

もしかするとナメクジはこの部屋だけにいるのでしょうか。

というか、待ってください。金の、いや、赤の蛇はどうなったのですか。

「そうだった! 忘れていた!」

王様は今日、結果を知ることが怖かったので昨晩あの赤い蛇の上にスカーフをかけていました。

手品みたいにそのスカーフをひるがえせば、ほら、そこにいるのは金の蛇、という展開を心底期待していました。

不安で心臓が高鳴るのがわかります。こんな心の挙動は王様という立場になってから久しくありませんでした。それほどに王様は実は蛇を寵愛していたのです。

たとえ蛇と会話ができなくても、あまり反応がなくても王様は蛇のことが大好きだったのです。だから昨日、あんなに赤くなってしまったとき死ぬのではないかと悲しくなりました。王国のシンボルにしたかったのも、あの蛇が大好きだったからです。その点に偽りはありません。

王様はかぴかぴになった指でスカーフをつまみ、勢いよくスカーフを宙に投げ捨てました。


そこでは数千匹のナメクジが長い体躯を覆うようにむらがっていました。

またナメクジの粘液によって蛇の身体は全身溶かされてしまったのでしょう。

血糊のように赤いどろっとした液体がナメクジの隙間からどくどくと溢れ出ているのがわかりました。


「……」

もう助けようもないほどに、それは蛇としての原型を失っていました。

王様は雑然として、溶かされてしまったであろう蛇を求めて、数千匹のナメクジのぐじゃぐじゃとしたかたまりに手を突っ込みました。指を開いてみても硬い感触はどこにもありません。手を握ってみても内側でナメクジが這っているのがわかるだけでした。

「……やめよう、こんな王様はあまりにむごい」


王様はナメクジの群衆から手を抜いて、屋敷の廊下に出ました。

王様はもはやその目の前に広がる阿鼻叫喚たる光景を見ても、ただただ首を横に振るだけでした。

屋敷中は混乱と悲鳴に溢れていました。あるものはスリッパなどで踏みつぶし、あるものは掃除機で吸っていました。


やがて王様のもとに数人のものが駆け寄ってきました。

「これはどういうことですか!」

「わしにもわからん」

事態が把握できていない若者の剣幕に王様はそう小さく答えました。

「しかし、彼らは人間に危害を加えているわけではないようだし、わしは放っておくのが一番いいんじゃないかと考えている」

「正気ですか、王様!」

彼らは不快感を与えるナメクジをとにかく排除したいようで、王様の策を真っ向から批判しました。

もちろん王様にも彼らの主張は痛いほど理解できました、が、一度広まってしまったものを思いつきの対処だけで鎮めるのはたぶん困難であると判断しました。まだこれからもずっと湧いてくるかもしれないし、一番深い部分を抜本しないことにはこの事態は落ち着かないだろうという予感もありました。

王様は懇切に御頭を垂れて、もうあと数日くらいはナメクジのいる生活が続くかもしれないが必ず安心と平穏をもたらします、ということを彼らに約束しました。


ふたたび自分の部屋に戻った王様は城内の有識者を今一度集めました。

目下のナメクジ駆除対策として、王様は有効な提案を募りました。

その結果、ナメクジを駆除するためには彼らの天敵を用意するのがよいでしょう、という提案に多くの賛成が集中しました。

付け加えて、天敵の中でも城の内部を自由に活動できる生き物が好ましいかと、という意見が出ました。

「では、そのナメクジの天敵とはなにか」

王様が尋ねます。

すると有識者は口を揃えてこう答えました。

「カエルでございます」


それを聞いた王様は納得した表情でこう言いました。

「よろしい。では、ありったけのカエルをここに用意せよ」



っていう、冗談。

以上、ウレーナでした。


Thank you so much for reading.

Please go back to the top.

Andmore.

Andmore.

Andmore.

So, newly "get down" story is next.


Bye.



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荊の国の寓話/一夜明けてここにかえる物語 瀞石桃子 @t_momoko

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