第4話


財布や鍵をどこかに置き忘れたと気づく、あの末恐ろしさをあなたも知っている。


朝、白髪の少年が施設を開けたときに感じたのはそれと同じ感覚だった。

棚のガラスボトルには総じて赤いキャップがされていて、内部の液体が揮発しないように注意している。だから彼が施設に入った瞬間にあの独特なにおいが漂ってきたとき、刷毛で背中をなぞられたような気分がした。


昨夜、盲人の傭兵が連れてきたアオダイショウには棚のガラスボトルにはふれないよう勧告していた。にもかかわらず、この不気味な予感の正体はまさしく彼女にあった。

住処として用意したケージの中には一匹のアオダイショウがまごうことなくいた。ただし、彼女の体色は昨日の青銅色から金色に変化しており、その瞬間白髪の少年はだいたいのことを察知してしまった。

少年は白髪を乱暴にかき乱しながら、アオダイショウをケージごとガタゴトと揺らした。

「おい! おい! 起きろ、蛇!」

「なあに、もう。せっかく気持ちよく寝ていたのよ」

彼女はのんきに欠伸をする。

「お前、カエルを食べたろう!」

「あ」とアオダイショウは我に返った。昨晩の失態が、早くもバレてしまうなど思ってもおらず。つい狼狽してしまった。

「食べたんだな! どいつを食べた! 言え!」

血相を変えた少年の歯が糸を引き、まるで噛みつく寸前の犬のようだった。それにたまらず怖くなったアオダイショウは、ふるえつつ、棚の最上段右端のガラスボトルであると伝えた。

「くそ!」

乱暴にケージを蹴った少年はものすごい勢いで梯子を上り、昨晩アオダイショウが食べたカエルの入ったガラスボトルを確認した。ケージに入ったままだったアオダイショウは少年が甚だしく激昂していることがわかり、どうしていいかわからず身がすくんでしまった。

その後梯子を下りてきた少年は施設の中心の台の周りをあっちこっち早足で歩き回った。アオダイショウはつい怒られると身構えていたが、彼自身はそれどころではないらしい。

「どうする、どうすればいい、ああ、もうっ」

何もすることができないアオダイショウは忙しなく動き続ける少年を見ることしかできなかった。


『そんなに大事なコレクションだなんて私知らなかったの』

とは、言わなかった。たぶん言ったら全部崩壊する気がしたし、何も信じてもらえなくなるのがわかったから。デリカシーのない女だと思われたくなかった。

「決めた。お前のことを王様に言うよ」

と少年は言った。

「え」

「お前がやったことは甚だしく重罪ゆえに、僕はそれを見逃すわけにはいかない」

少年の目は栗色で、大きくて、蛇から目を離すことはなかった。まばたきさえ。

「お前は王様に殺される、あの絞首台で首を切り落とされるんだ」

「いや、いやよ。やめて」

アオダイショウの悲痛もむなしく、少年はケージに硬く錠をかけると外出する準備をし始めた。

「王様に伝えてここまで来てもらうんだ。じきじきにお前がやった罪の重さを伝えるために」

冷酷な言葉を残し、少年は施設の外から扉を施錠した。


三十分後、少年は王様を連れて施設にやってきた。

王様は城の反対側の殺風景な景色になにやら不満な表情をしていた。普段彼は表側にしか出ていない人間だ。彼は裏側の汚らしい場所にわざわざ連れてこられたので機嫌も悪かった。

カエル蒐集施設の管理長である彼が緊急事態だと騒ぐものだから、こうして来てみたが施設には何かしら変化は見て取れないではないか。

「実は」

と少年はようやく王様に事情を説明した。

「ふむ。で、この中にそのアオ、なんとか蛇がいるということなのだな」

「御意にございます」

「では早速開けてみよ」

少年は深々と辞儀し、施設を開錠した。少年はふだん慣れているにおいだが、はじめて中に入った王様はその強烈な薬品のにおいについ鼻をつまんだ。ひどい部屋、というのが彼の第一印象だった。

「となりの棚にあるのがこれまで蒐集したカエルでございまして」

白髪の少年は達者な弁で王様に自分のやっていることを伝えようとした。王様はとにかく異臭としか表現できないこの空間にいることがたまらないため、少年の言葉は特別耳に入らなかった。

「それでですね王様、今回重罪を犯したというアオダイショウがこのなかに、」

少年が自信たっぷりにケージを指し示した。

が、そこはまさしくもぬけの殻だった。

「どこかね。私には何もいるようには見えないが」

「あ、いや、あの、あれ?」

少年はにわかに混乱しだす。なぜだ、先ほどまでしっかり鍵をかけたじゃないか。あの蛇が一人で出られるはずがない。

「わざわざ朝から屋敷にいる私をこんなところに呼び出してこのざまか。愚弄するのもたいがいにすることだ、少年」

「違います! ほんとうです! ほんとうにアオダイショウがこの棚の一番上のカエルを食べたんです!」

「その食べたところは見たのか」

「み、みて、見てない、です」

少年は目線がだんだんと下を向いていく。

「見ていないのに居もしない蛇に貴重なカエルを紛失した罪をなすりつけようとしたわけか、たわけ」

王様はきびすを返し、施設を出ようとした。

少年は王様の背中にしがみつき、水気をはらう犬のように顔を左右に振った。そのわずらわしさ、事実を受け入れきれない少年のみにくさが癪に障り、王様はいよいよ施設を出た。

あのような空気、二度と吸うものか、と王様は地面につばを吐き捨てる。そうして施設の扉の前で膝から崩れ落ちた少年に王様はこう伝えた。

「そうおうの処罰を覚悟するがいい。しかし、ひとまずはいなくなってしまったカエルを捕まえることが最優先である。くよくよしている暇があるならとりあえず動いて見せよ」

その言葉を最後に少年は王様に会うことはかなわなかった。


彼の処罰執行が決定したのはもろもろあってからのことだけど、少年はあまりに報われない自分を呪った。だから処罰が執行されるまで、彼は王様に復讐することを考えた。

日々の状況をくまなくチェックしながら、最終的にはどうにもならない結末になることを想定して行動をおこなった。

そんなふうに諦めのついた少年の日の思い出は、とても見苦しく、寓話になることすらできなかった。

だから物語は描かれることなく不憫な愚図のままあっさりと幕を閉じる。



あらゆる終わりがそこかしこでぽうぽうと瞬いている。



盲人の傭兵は荊の道を駆けていた。片手に持った鉈で立ちふさがる荊を掻き分けつつ、なるだけ遠くを目指した。

目が見えない分、音やにおいについては他の人より優れているから、そうそう見つからない自信があった。森の繁みで息をひそめ、確実に人の盲点になりそうな位置を手探りで進んでいく。

そんな盲人の彼には金色になったアオダイショウがマフラーのように巻き付いていた。もちろん、この物語を長らくかき乱してきたお騒がせなアオダイショウである。

彼女は揺れる身体から振り落とされないようにしっかりとしがみついている。

「ねえ、ほんとうに逃げられるの」

とアオダイショウは彼の耳元に小さく囁く。

「わからない。ダメな時は俺を怨んでくれ」

「そんなことしない」

彼女は彼の皮膚をあまがみする。頬のかさぶたを剥がしてやろうとすると彼はやめてくれ、と制す。

「でもほんとうにびっくり。あんなタイミングであなたが来てくれるなんて思わなかった」

「あんたこそ、施設に連れてきた初夜にコレクションのカエルを食べるんだからな、恐れ入ったぜ」

「だって食べたかったんだもん」

荊の道を進む男と女の会話を遮るものは何もなかった。

カエル蒐集プロジェクトが始まってから森林の荊もずいぶん刈払ったことで、様相も大きく変化していた。また男の評判や収入はこのプロジェクトのおかげでかなり上昇したし、いずれ王様の側近として雇われる日も近いという噂だ。

ところが聞くところによれば、もうハイビスカス王国の第三皇女のマルヴァはカエルに全然興味がないらしく、本プロジェクトはじきに凍結することが決まったらしい。

というより後から発覚した事実として、プロジェクトは元より王様の誤解からスタートしていたのである。その誤解がボタンの掛け違いのようになって、あれよあれよと崩壊・失望・破壊を王国全土にもたらした。

これはつまり、人が招いた人災にほかならない。


けれど、ウレーナがいつも言っていたように、あのくそじじいは底抜けの馬鹿だから最期まで自分の愚かさに気づくことはないだろう。

そのためにきみたちがたいへんな思いをしているだなんて。

浅ましく、ひどい国だ。

とは言え、今回の件においては盲人の傭兵自身も片棒を担いでしまったのは事実だし、そこらへんで見つけた畜生に温情をかけてしまったからこういう事態になってしまったことは重々後悔している。

あのとき、情を排斥して肉体関係だけ結んでいればとさえ思った。のっぴきならない状況になりそうなことくらい少し考えれば想像はついただろうに、人間生きていればよくないことについ身を任せたくなるときもあるわけでございます。


「でも、あなたって目が見えないじゃない。あの施設にいたのは彼と私だけなのに、どうしてああいう状況で私を連れだすことができたの?」

とアオダイショウはたずねる。盲人の傭兵は特段隠す様子もなく、こう話した。

「俺の友人がネットサーファーでなあ、彼は王国の機密情報にたずさわる特別監視員なんだ。だから普段誰も入ることができないような、正体不透明な施設でも状況は丸わかりってわけ」

男は鉈で荊を刈り進めながら、城の外側に向かう。

「まあ、一応あんたに安全な生活を約束した手前、やっぱり動物であることは事実だからさ、悪いと思ったんだけど監視させてもらったんだ」と男は素直に謝った。

「目が見えないもので、そいつに動画配信サイトを通じて実況してもらいながらだけど」

「そうだったのね」とアオダイショウは得心。「でも鍵まで持っているなんて、用意周到もいいところだわ」

「そりゃあ、なんたって俺は白髪の少年のダチなんだぜ。かつてはルームシェアをしていた相手だし、あいつの行動はつねに理解しておきたいし、施設の合い鍵だって内緒で作っているのは当然じゃないか」

「なに。あの子のこと、好きなの?」

「まあまあかな!」

そう、とアオダイショウは自分の皿から砂がさらさらとこぼれていくような気がした。

しかしまあ、彼女に生きる実感を与えてくれたかけがえのない存在であり、一蓮托生を誓った相手であるから文句は言うまい、と健やかな感情にふたをした。

そのときだった。上から落ちてきた、その黒い影にアオダイショウはおろか、盲人の傭兵すら気づかなかった。


ぐじゅりという衝撃で彼の首から引き離されたアオダイショウは、黒い影を見た。

「あ」と小さく声が出たのは、その正体に見覚えがあったから。

「ほっほー、待ち伏せしていた甲斐があったあった」

喉に芋虫を刷り込んだようなだみ声の持ち主はそう、たしか昨日出会って、盲人の傭兵に対して天狗になっているうちにどうのこうの言っていた男だった。

「かー、ほんとうに金ぴかしてらあ。こんな蛇、なかなか見れねえや」

ヒキガエル顔でつぶれた饅頭を重ねた体型の彼はずっと樹上にいたらしく、ようやく地上に降りてきた実感を噛みしめていた。ぐうっと腕を伸ばすとその手に持った鉈から赤い血がしたたり落ちているのがわかった。

アオダイショウは血の匂いには敏感だから、それが誰のものかもわかった。

ノーウェアマンと呼ばれた盲人の傭兵は男の一撃で即死し、赤い血の流れる真ん中に首が落ちていた。

気が付くとあたりの繁みにずっと隠れていたらしい城の傭兵ものそのそと姿をあらわした。

「さっき特別監視員がどうの、っつってたけどよォ」とヒキガエル顔の男は金色のアオダイショウの尾を吊り上げた。いやらしい手つきだった。

「そのサーファーがこいつに小型のGPSだの盗聴器を仕掛けたっていうところまでは考えなかったんだろうなあ」

「じゃあ」

「井の中の蛙、大海を知らずってやつだよなぁ」

ヒキガエル顔の男はアオダイショウを尻尾から投げ、その先にいる傭兵たちのポリ袋の中に入れられてしまった。彼女はノーウェアマンと今生の別れをすることもできず、無情にも城に持ち帰られてしまった。


絞首台では王様がじっと周りを見回していた。

目線の高い位置から、必死に白髪の少年が逃がしたであろうカエルの行方を捜している警備兵たちのようすを観察していた。

しかしなかなか見つからないため苛々していると、森の中まで探し込んでいた部隊が何やら和気藹々としたようすで戻ってきた。その先頭にはヒキガエル顔の男がおり、気色の悪い笑顔で王様に近づいてきた。

「王様、ただいま戻りました」

「御苦労」

「たいへん申し上げにくいのですが、残念ながら金色のカエルは見つかりませんでした」

「なに」と王様はいぶかしむ。

では、その気色の悪い笑顔はなんだ、と言いかけてたがそこは黙ることにした。

「カエルはいませんでしたが、少年の言うように、こちらの蛇が森におりました」

ヒキガエル顔の男は背中に隠していたポリ袋を王様の前に献上した。

袋の中には金色に輝く体長2メートルほどの蛇がぐったりと横たわっていた。

「ほう、これは見事、金の蛇か」

王様は思ってもみない収穫に、目が光った。

「おそらく世界中を探しても、この一匹だけかと」

「よろしい、でかした」

王様は手放しにヒキガエル顔の男およびその一団を称えた。彼らには金の蛇を生きたまま捕獲したことによる褒章が与えられたし、よき待遇を保証することを約束した。

王様は金の蛇をじっくりと見ながら、この国にもこのような美しい生き物がいることにたいへん感銘を受けた。

「この蛇は私みずからじきじきに寵愛することをこの場の者たちに誓おう」

こうして王様は満足した表情で、城に引き返していった。

絞首台の周りを探し回りへとへとになっていた傭兵は歓喜に湧いて、森まで探しに行ったものは信頼の証を勝ち得た。

こんなふうに一見、よさげに見える雰囲気はついつい大事なものを見落としてしまいがちである。


たとえば。


カエル蒐集施設にほど近い位置から王の背中を見つめる白髪の少年に翳る黒ずんだインクとか。


お城の三階の右から三番目の部屋から一部始終をずっと見つめていた侍女の苦しい心情とか。


深く理解するために盗聴を仕掛けた最愛の友人が無残に殺され、特別監視室で一人空っぽになってしまった海の似合う彼とか。


そのような思い思いにならなかった多くの人たちを通じた先に、私は何を用意できるのだろう。

空は暗くなり、2018年もお気に召すまま年の瀬を迎えようとしていた。

新しい世界の到来がもう目の前にあるさなかで、街の灯りや道路を交錯するふぞろいな人間模様をぼんやりと眺めながら私は最後の仕上げに取り掛かる。




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