第3話


侍女のウレーナの部屋から見下ろした乾いた土地には殺風景によく似合う簡素な絞首台があった。


ハイビスカス王国のお城は正面には広大な庭があるけれど、その反対側は表側を隠すかのようにサハラの地面のような土地が広がっている。城の三階にあるウレーナの部屋からはさっぱり乾いた世界が数ヘクタールほど続いて、その先に原生林、またその向こうに茫洋とした海洋がぼんやりと見える。


ウレーナの近頃の楽しみは部屋から絞首台の土地を見ることである。絞首台で執行される刑罰を見たいという猟奇的な趣味があるわけではなくて、絞首台からちょっと離れたところにぽつねんとある施設に出入りする白い髪の男の子を見ることが目的だった。

白い髪の男の子は朝一回と夕方に一回、その施設に出入りする。絞首台の近くに置かれているのだからその施設がまともな場所ではないことは明らかだった。ウレーナ自身はそこを訪れたことはないけれど、この数日の王様の動向を見ていれば、安易に予想がついた。


白い髪の男の子は明け方、朝日が昇る前に施設を開錠し中に入っていく。ウレーナはそのあたりをまことしやか丁寧に日記をつけており、それを見ればなんとなくどういう状況か理解できるはずである。


『△日・朝・晴れ。白たんは眠そうな顔で施設に入っていきました。髪がぼさぼさだったから昨日は夜更かししたのかなぁ。若いんだから早く寝なさい(-ω-)/。それで白たんはくそじじいの作ったあのカエル部屋で、毎日コレクションの点検などしているみたいなの』

『△日・夕・晴れ。むさい男たちが城に帰ってきて、絞首台の近くで白たんにポリ袋をぞんざいに投げつける。白たんがかわいそう(>_<)。白たんはカエルの入った袋を施設に持って帰り、遅いときは夜の十時くらいまでいろいろやっているみたい。大丈夫かな、身体壊さないでほしいな。おやすみ』

『□日・朝・雨。今日は最高にいいことがあった! 雨の中傘を指しながら白たんは施設に向かっていくんだけど、途中で立ち止まって空を見上げたの。そのときの顔! はい、最高! 万歳! 白たん好き!』

『□日・夕・雨。はあー、あのくそじじいほんとくそ。ガチャも課金したけど爆死。何もかもくそ。でも天丼はうまかった』

『〇日・朝・晴れ。今日も白たんはお仕事だったんだけど朝からソワソワしているようすだった。30分ほどすると、王様がやってきて何やらお話しているようす。その後総勢30名のカエル捕獲部隊が集まって、絞首台の近くをうろうろしたり、森の中まで入っていく人たちもいた。あとから従者仲間に事情を聴いたところ、施設で大事に保管されているカエルコレクションのうち、一匹しかいない黄金色のカエルがいなくなっていたそうだ。一応、白たんはその施設の管理長だから、もし見つからなかった場合は……』


『〇日・夕・曇り。施設にいた白たんが誰かに強引に連行されていくようすが見えた。大丈夫、何もないよね。大丈夫、大丈夫だよ白たん、大丈夫、大丈夫、大丈夫、大丈夫大丈夫大丈夫。大丈夫だから』

『空白のページです』

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『なんで?』

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『白たん殺された』

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『あ』

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『私は見ることしかできなかった』

『空白のページです』

『空白のページです』

『空白のページです』


ウレーナはそれからある日を境に他人と話すことができなくなった。医者からは過度なストレスを一度に大きく受けたことで精神的に受け止めきれず、一時的に脳が麻痺していることによるだろうと結論づけた。

彼女はふるえる手で書いた辞表を手に、いつぶりに話すかもよく覚えていない王様の間に赴いた。

「ウレーナ、話は聞いているよ、今は無理をしないでじっくり休むことに集中しなさい。しかしとても驚いたよ。あんなに聡明で賢く、人当たりもよかった君がまさか辞めてしまうなんて」

王様は親身になって、彼女のことをおもんぱかった。しかしウレーナにはもはやどうでもよかった。

王様は馬鹿だから、自分がその原因に一役買っているなんてゆめにも思っていない。そもそも自分の評価で相手が使えるかどうか決めている上司に、彼女の気持ちがわかるわけがないだろう。

「そういえば君は地元に帰るんだったっけ。フタバガキ王国だったよね。何が有名なんだっけ、あはは、あんまり知らなくてごめん」

じゃあ、聞くな。知らないくせに盛り上げようとするな。

「まあとにかく。ちゃんとごはんを食べてもりもり元気になったら、また連絡の一つでも寄越しなさい。そのとき君が職がなくて困っているというのであれば、我々はいつでも歓迎しよう」

ウレーナは小さく会釈をして、王様の間を後にした。

感想は何も浮かんでこなかった。


なんだよ、辞めさせないとかそんなブラックな感じで引き留めたりするんじゃないのかよ。みんなブラックがどうのこうの言っていたからてっきり小一時間くらい拘束されるかと思ったのに、あんなにあっさり辞められるのかよ、と肩透かしを食らった気分だった。

というより、私の代わりは探せばいくらでもいる、ってことかな。だから使い物にならなくなったら後腐れなく捨てたほうがマシってことなのだろう。それよりはもっと安い賃金で働いてくれる国の人間を労働力としてまかなったほうが先進するためには都合がいいのだろう。

キャメル色のロングコートを羽織ったウレーナは荷物をまとめたキャリーケースを片手に今日で最後となる屋敷をぐるりと徘徊してみた。

通りかかる人たち、知っている人、知らない人が珍しそうに彼女を見ている気がした。その視線が落ち着かなくて、最終的には自分の部屋から見えていたあの絞首台に足が向いた。


パンプスで歩くと部屋から見ていた以上に地面は硬く、かつかつと音がした。彼女が強く想いを寄せていたあの人は、この木製の絞首台の上で。

ウレーナは階段を上り、台に上がった。そこから正面に城の無感情な城壁があって、見上げるとようやく城に仕える人々の部屋の窓が見えた。

あの三階の右から三番目の部屋に彼女はいたのだ。ああ、ここから見ると全然目立たない場所に自分が住んでいたことがわかった。ときどき、彼が自分の存在に気づいてくれないかとワクワクした時期もあったけれど、いやあ、この場所からじゃ気づかないよ。立場が変わってみて、いろいろわかった。

絞首台のそばは人のにおいが一切しなかった。

ゆっくりと窒息死して、そうしたらゆっくりと台に降ろされて、誰も会話をしないでそこから遺体が運び出されていくのだ。

階段に上るとき、悲しかっただろうな。

執行者は一人で、何も会話を交わすことなく、誰にも見守られず。

でも、人間、死ぬときはだいたいそんな感じなのかな。

見守られながら死ぬことは往生際の贅沢なのかもしれない。

乾いた大地に風が吹きすさぶ中、彼女はもう二度と戻らないと誓ったその国に別れを告げた。

「おやすみなさい、白たん」



──時は少し遡って。

「で、君がその彼に気に入られた蛇なわけだ」

「そう」ちゃんと気に入られているのかはわからないのだけど。

アオダイショウは用意された大きめのケージに自分でのそのそと入っていく。

彼女は盲人の傭兵によってカエル蒐集施設に連れられてきたが、傭兵は自分の持ち場に戻らないといけないということで、すぐにいなくなってしまった。

施設内に染みついたホルマリンやアセトンなどの薬品のにおいは、彼女のなめらかな皮膚にじわじわと浸透していくようで、やにわに気が散ってしまった。

目の前では白い髪の、たぶん15歳そこらの男の子が医者さながらにカルテを手に棚に置かれたガラスボトルを逐一検査していた。


ガラスボトルに閉じ込められたカエルはいずれもアオダイショウがかつて目にしたことのないような独特の色彩や突起を有しており、なるほどコレクションというのは間違いないことが理解できる。

「この施設にはあなた一人だけ?」

「うん」と白髪の少年は頭髪から細い金の鍵を取り出した。「これを持っているのは僕だけ」

「その、改めて確認することなのかどうかわからないんだけど、ほんとうにここに住んでいいの」

「それは君自身が決めたことじゃないっけ」

白髪の少年はさしてアオダイショウを気に留めるでもなく、カエルの入ったガラスボトルを手にとってはボトルの底を天井の蛍光灯に透かすように片目でのぞき込む。そうして手元のカルテにボールペンで詳細を書き込む。

「僕、盲人の傭兵とはよく話すんだ。彼が一番森の中でカエルに詳しいし、蒐集にもっとも貢献してくれるエリートだよ。そういえば彼が言っていたけれど、この島のカエルはほとんどいなくなったって、彼らがしこたま取りつくしちゃったんだ」

少年はボールペンをカチカチ出し入れしながら、部屋を歩き回る。彼の行動には法則性がなく、また複数のことを同時に作業していた。何かを矯めつ眇めつ観察したかと思うと、ステンレス製のバットに置かれた解剖途中のカエルをぶにぶにつついたりしていた。

誰にも邪魔されないのに忙しい子、とアオダイショウは巻いていたとぐろを少々緩めた。

「ともあれ、彼はあんなふうなナリで城内だとかなり有名な色情魔なんだよ。君に恩を着せて、都合のいいときに肉体で返してもらうことを望んでいるかもしれない」

「シキ・ジョーマ?」

「ヤリチンってこと」少年は事も無げに言いのけた。

はあ。なるほど。

「とりあえず、この施設の中ではコレクション以外のカエルは食べてもいいけど、ガラスボトルに入っているやつだけは勘弁してね。城の無頼漢たちがわりと死に物狂いで手に入れてきた貴重なコレクションだから。生存している自然内の個体数もわずかってことは、僕が言うことがどういう意味かわかるよね」

「承知しているわ」

アオダイショウは少年に用意してもらった広めのケージの中で沈着として、動くことをやめた。温度調節器が備え付けられており彼女にとって過ごしやすい空間が整えられている。おまけにここでは好きなときに好きなだけ食欲を満たすことができるのだから、やはり私を連れてきてくれた盲人の傭兵には心から感謝しなくては。

「それじゃあ、もう今日は日が暮れてしまうから明日の朝に」

「ええ、いろいろ手をかけて呉れて助かったわ」

「じゃあ、ごゆっくり、おつかれさま」

白髪の少年はそうねぎらい、施設の扉を施錠した。

扉の不透明な窓硝子にオレンジ色の西日が差し込む、午後五時。壁の時計だけは時間を刻み、それ以外はのっぺりとしたしじまが漂っていた。施設の外ではカラスが鳴いているのが聞こえた。

一人になってしまうと、別段することもなくなって適当に施設を擦り歩いた。

棚に井然と並べられたガラスボトルには一匹ずつカエルが閉じ込められている。小さな瞳と真横に伸びた口、か細い前脚とむちむちと肉が突っ張った後脚、尾にはわずかに突起の痕があり、個体によっては背中にもイボが観察できた。ガラスボトルにはそれぞれ標本としてラベルが張られており、採集した日付、採集者、標本番号、学名が明記されていた。

アオダイショウは棚に静置されたおよそ200点近い大小のガラスボトルをあやまって床に落とさないように拝謁し、ラベルの採集者を細かく閲した。その結果、現在のコレクションにおいて約100点近くが同一の採集者──ノーウェアマンによって採集されていることがわかった。きっとそれが盲人の傭兵の名前なのだ。

「カエルを食べて、今日は早めに寝よう」

アオダイショウは施設の隅っこに雑然と置かれたブルーのバケットをのぞき込んだ。中には無数のカエルが団子状態になっていて、正直気色が悪かった。

たぶん、中にいるカエルたちにとっては当たり前の状態なのかもしれないが、こうして離れた場所から見ていると同じ生き物がうじゃうじゃといる満員電車のような光景は実に異質で不快だった。それを見ると、琥珀色の食欲が一気にそがれてしまってもうそれ以上バケットを見る気がなくなった。

その代わり、棚に置かれたガラスボトルはアオダイショウを魅惑的に誘惑した。色とりどりのカエルたちは宝石のような輝きを放っていた。柘榴石、瑪瑙、天藍石、翡翠輝石、蛍石、紫水晶、こうしてみるとコレクションしたいという感覚はわからないでもない。美しいものを自分の欲望のために蒐集することは最上の幸福なのかもしれない。

アオダイショウはガラスボトルに閉じ込められ、無窮の彼方を夢見るカエルたちを飲み込んでしまいたい欲に駆られた。いけないのはわかっている、白髪の少年との約束だから。しかし美を目の前にしてアオダイショウはむずむずと身体がうずくのを止められない。弾力のある宝石は彼女を魅了し、ただ鑑賞されるためにそこにあるんだけど、もし食べたら、食べることができたら絶対に美味しいに違いない。

一つくらいなら、と不埒な我欲がアオダイショウにちらついた。もし少年に怒られたらそのときは誠意を持って謝ろう。そんなに悪い子じゃなさそうだし、200点くらいあるんだから一つくらい大丈夫じゃないだろうか。

アオダイショウは大きく息を吐いて、棚の最上段の右端のガラスボトルに近づいた。あまり大きくはないボトルで、中には美しい黄色のカエルが閉じ込められていた。

そのカエルは蜂蜜を混ぜ込んだシトリンのような淡い光輝を放っていた。アオダイショウは歯を上手に使い、ガラスボトルのふたを取り外した。すると瓶口からはウィスキーを嗅いだときの得も言えない薫香が彼女の頭から尾へとふわりと抜けて、もうだめだった。

ボトルに浸されたなみなみ溢れる液体に頭をつっこみ、ぐよぐよとした肉質に細かな歯を立てた。そこから顎の関節を自在に操りながら、大口でカエルの体躯をまるごと飲み込んだ。液体から頭を出して、その場でじっくりと嚥下していく。ぷりぷりとした感触が口内から喉奥のひだを敏感に刺激した。歪なかたちをしたカエルの小さな手足や皮膚の突起が、内表面をくすぐって、えずいてしまう。十分に味わう間もなく、カエルはアオダイショウの胃におさまって、じっとしていると刺激によって内部で分泌される消化液がカエルを浸していくようだった。快楽はものの一瞬で、あとは余韻だけがじゅるじゅると残った。

アオダイショウは非常に満足した。棚をのそのそと下りてケージに潜り込み、とぐろを巻いて目を閉じた。

たまらない、という愉悦と同時に湧き上がってきたのは罪悪感だった。しかしそれによって彼女は苛むわけでもなく、むしろない交ぜになって、正しい思考をふさいだりした。快楽は勝ったのだ。

アオダイショウは思う。

安穏の享受。それでいいのだ。

あとは、そう。彼が側にいればいいなと思った。

「……」

だけど彼のことよく理解しているわけじゃない。奇妙な味わい深さはあるけれど。

言葉にするのはむずかしい。

「ヤリ……」

別に知らない。あの人がそういう節操のない人間だとか自分を満たすだけに私を乱暴に扱ったとか、そんなことは私が納得すればいいだけの話なのであって。

彼のこと、愛おしいわけじゃない。私を求めてくれるのは誰でもいいし、それがたまたま彼だったというだけで。

そして彼がいないこの状況が途轍もなくわびしくて、大切な蜜壺が化石のように乾いているだけ。

「……あの人にべたべたに愛されたい」

なんて、蛇の言うことじゃあないかもしれないけれど。

そろそろ心は限界だった。あらゆる意味において。

意識の底に向かって自分がゆうらりと落ちていくのがわかる。むざんに身体の半分を食べられたくらげが深海にとろとろ沈んでいくみたいに、アオダイショウは重くなっていくまぶたを受け入れ、すとんと目を閉じた。



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