第2話


クリスマスの翌朝、誰もが耳をふさいでしまうほどのマルヴァの声涙が屋敷にとどろいていました。

彼女のわめく声で飛び起きた従者や国民は何事かと大慌て。同様に目を覚まさせられた侍女のウレーナも急いで身支度し、一目散にマルヴァの寝室に駆けこみました。


そこには部屋の真ん中で突っ立ってひたすら泣きじゃくるマルヴァと、彼女を前におろおろとうろたえる王様の姿がありました。王様は威厳の欠片もなく、平日子どもに構ってあげられないからどうしても甘やかしてしまうタイプの夫そのもので。

「王様、いったい何をしでかしたのですか」

ウレーナの碧眼は落胆と冷静さをともなって王様に向けられました。

しかしあたふたするばかりで会話になりそうになかったので、うるさくてたまらない寝室を一通り確認することにしました。そこで気づいたことは、部屋中に散らばったあるもの。数えたら、とてもきりがありません。

「これは、えっと、芋ですか? というか、これ干し芋ですね」

ウレーナはカーペットに微塵もそぐわないミスマッチな干し芋を手に取り、しげしげと見つめます。

「ほじいも、じゃない」

マルヴァが涙声で何かを否定します。

「え?」


「ほじいもじゃない!」

声がどかんと大きくなりました。熱湯をそそがれてシンクからベコンと音がするみたいに。

「失礼ですが王様、どうしてマルヴァの枕元に干し芋を置いたのですか?」

しかも大量に?

なんで?


「だって、」と王様がマルヴァに気づかれないようにウレーナに向かっておそるおそるすぼめた口で答えました。

「クリスマスの翌朝は、枕元に干し芋が置かれている、ってマルヴァが……」

この国王は何をトンチンカンなことを言っているのだろう、ウレーナは呆れました。

マルヴァが言った『欲しいもの』を『干し芋』と聞き違えたってこと?

この王様は枕元に干し芋が置かれて大事な娘が喜ぶとでも思ってたの?

で、その結果がこの現状の惨憺たる光景なわけですか。


ウレーナは王様のあまりの愚かさのために言葉になりません。表情は涼しくも内心は穏やかではございません。

つい先日屋敷で出会ったときに準備はいかがかと訊ねたときには、勝ち誇った顔で親指を立てていたから、は? きも。と一瞬いらだってしまったけれど、取り急ぎ安心していたというのにです。

ところがどっこい、こいつがすったもんだのくそじじいだったわけです。


マルヴァはあんなにプレゼントを楽しみにしていたのに、ふたを開けたら部屋一面の干し芋。

きっと彼女も目覚めたとき理解があべこべ、どう感情にしていいかわからなかったはずです。それがつい涙になってしまって、声になってしまって、決壊した堤防は誰にも見向きされません。

それで王様もビックリしたのでしょう。だって王様はずっとマルヴァは干し芋が枕元に置いてあるのがクリスマスだと信じ込んでいましたし、これが叶うのですからマルヴァは嬉しみ溢れて王様に飛びついてくれるとさえ期待していたのです。

なのに部屋に入ってみると、マルヴァが手の付けられない大怪獣に変身していたので、とにかくもうがっかり。

クリスマスというものは本来、プレゼントをもらって喜ぶ子どもの姿を見て親が小さくガッツポーズするようなものなのです。

決して、子も親も悲しんでいい日ではありません。


そうして親はお仕事などで誰かと話すとき、「今年のクリスマスはいかがでした? うちはニンテンドースイッチでめちゃくちゃ喜んでましたよ」というのに対して「ああ、うちは、あの、干し芋が」とは口が裂けても言えません。

子どもも子どもで小学校のお友達と話すとき、「俺んとこ、サンタがスイッチ持ってきてくれたんだぜ」「私は宝石箱とコスメのセットだったの!」というのに対して「大量の干し芋がきたわ、しかも全部カピカピ」とはいくら子どもでも言わない思慮があるはずです。


つまるところ、ハイビスカス王国の長である王様がしでかしたことはそういうことなのです。


それからの顛末について。


大量の干し芋に気が動転したマルヴァは泣くだけに留まらず、ついに屋敷を飛び出してしまいました。

彼女の寝室に取り残された王様とウレーナは、とりあえず部屋中に散らばった干し芋をくまなく回収し、それから王様はこってりとウレーナに怒られました。

王様も自身の失態にようやく自覚がわき、冷汗三斗の思いで取り急ぎマルヴァを探しに行きました。

二人の関係を修復するのには時間がかかるかもしれません。年ごろの女の子が受けたショックです。十年あるいはそれ以上覚えられているかもしれませんし、苦い記憶はビンテージとなってマルヴァが結婚するときあるいは王様が死んだときに互いをほろほろと振り返るための淡く切ない思い出に昇華されるときがくることでしょう。

しかし今だけはあまりにデリケートすぎて、今後の一挙手一投足がお互いを揺さぶるには十分すぎるほど絶妙な空間が展開されていくのです。

修羅場、ある意味、そうなのでしょう。


広大な緑の庭にたどり着いたマルヴァは走り疲れて顔が真っ赤に蒸気し、十二月らしくない午前の暑さに服を脱いでしまいたい気分です。彼女自身、どうしてあんなに涙が出てきたのかわからないのです。精いっぱい泣いて喉が渇いて、声を出そうとするのですが空気が足りなくてむせてしまいました。

それから少ししてから、屋敷の玄関口から王様の姿が小さく見えました。パパはマルヴァを探すために必死です。なるだけ早く誤解を解きたいという気持ちと、干し芋を提供した犯人が実は自分であることを悟られてはいけないという二律背反に挟まれながら、しかし娘をなんとかしたいという気持ちが彼を突き動かすのです。

マルヴァに会って何を話すか、王様はちゃんと決めていません。頭に浮かんでいるものも彼女を前にしたらきっとしどろもどろになって、不細工な言い分しか出てこないだろうというのはパパもしこたまわかっているのです! それでも、そこはどうにか頑張らないと!


マルヴァはパパが近づいてきているのがわかります。けれど、もう走る元気がないのでとりあえず見つからないように庭を歩きます。

昨晩、あんなにみんなはしゃいでゴミもたくさん出たのにもう今は塵一つ落ちていません。朝から従者たちが庭掃除をしているのです。マルヴァはそんなふうに、自分以外の人たちが見えないところで頑張っているということをちょっとだけ知りました。

あと庭にはいくつかの姿見があって、ときどきすっぽりと鏡に写る自分が見えました。そこには汗だくだけど楽しそうではないふくれっ面の女の子。教育係のウレーナはよく言っていました。女の子が怒っているとみんな心配をします、だから心では怒っていても表情はいつも通りでいなさい。そんなのむずかしいと思っていましたが、口を結んで真面目な顔をしてみるとなんだか大人っぽく見えました。

そっちのほうがいい、とすら思いました。

だからマルヴァはすこしだけ大丈夫。きっと、素直にはなれないけれど。


王様はようやく後ろのほうからマルヴァに追いつきました。歩幅が違うのだから、どうせこうなることはわかっていました。見下ろすとマルヴァの可愛らしいつむじ。でも、彼女は王様は見てくれません。反対側に回っても、それに合わせてマルヴァもくるくる回るだけです。なんだか、外国のおもちゃみたいにマルヴァは王様の動きに合わせてへんてこなワルツを踊ります。

なかなか埒が明かないので、王様は結局何も思いつかないまま、勢いに任せてまずは謝ります。

「いやな思いをさせたみたいで悪かったね。クリスマス、ほんとうは欲しいものがあったんだろう」

「……」

「お父さん、何でも準備してあげるから。ね、マルヴァ、どうか機嫌を直しておくれ」

「……」

「えっと、さっきウレーナと話していたんだけどさ……」

「わたしかえる」

と突っ慳貪な言い方をしてマルヴァは王様のもとを立ち去りました。なるべく感情をこめないで、ぜんまいの壊れた人形みたいに話をしたのは初めてでした。自分が自分ではないみたいな声、これをもっと練習すればペットのインコたちと同じようなお喋りができるかもしれない。

そんなことを考えながら、マルヴァはもう後ろを追ってこない王様の存在を認知し、すんと鼻を鳴らしました。

マルヴァはそれから屋敷に戻り、お勉強に集中することにしました。


一方、庭に取り残されてしまった王様はなにやら神妙な面差しで、かと思うと途端に水でも浴びせられたような間抜けな表情で頭を悩ませ始めました。

「あの子は本当はカエルが欲しかったのか……?」

おやおや、どうやらまたしても雲行きは怪しそうです。

「欲しいものがわかったので早速準備に取り掛かろう。すべてはマルヴァのために」

ウレーナがこの場にいたらなんと言うでしょうか。

しかしウレーナはマルヴァがいずれ屋敷に戻ってくることを理解していたので、部屋から動かず掃除をしておりました。

もうこれ以上悪いことが続かなければいいのですけれど、とカーペットに掃除機をかける彼女の思いは果たして届くでしょうか。



人の気配が唐突にして、アオダイショウの目はぎょろりと開いた。黒のオパールのような瞳はじんわりと空洞から外のようすを確かめる。

次の瞬間、首のあたりをぎゅっと捕まれ、まばゆい光に晒されながらアオダイショウは地上に投げ飛ばされた。アオダイショウは瞬時にとぐろを巻いて、自分を投げ飛ばした相手に正対する。

「ああ、んー、どこだ。どこにいる。ああ、そこらへんか」

野太い声。どうやら男性のようで、男はアオダイショウの位置をしかと把握できていないらしい。

「あなた何者? 私を襲う人?」

アオダイショウは警戒しながら、相手をうかがう。

「いやあ、カエルかと思ったんだけどな。首掴んだ感じが全然違ったし、蛇とかか?」

「あなた私が見えていないの?」

「盲人なのでな」

盲人という男は、アオダイショウが前回見かけた鉈や刈払い機をたずさえた男たちと同様の服装をしていた。そして彼自身も鉈を持っており、背中にはポリ袋を担いでおり、底では黒い生き物が数多く跳んでいるのがわかった。

ほどなくして盲人の男は手にしていた鉈を腰の鞘に納めた。彼はつかんだ獲物がカエルでないとわかったことで敵愾心を見せなくなった。アオダイショウからして人の気配はあるものの、危害を加えるようすは見えなかった。

当然、安心しているわけではないけれど少なくとも話は通じそうである。

「あなたたちはカエルだけを狙っているの?」

「ああ、そうだよ。俺は本来、ハイビスカス城の傭兵なんだが王様の命令でこんなケッタイなことをさせられてんのさ」

盲人の傭兵はよっこいせ、とその場に腰を下ろし、羽織っていたベストの内側から飲料と食料を取り出した。時間帯的にここで昼食をとるらしい。

「王様? やっぱり王様か」

アオダイショウは今回のカエル減少の珍事に王様が一枚噛んでいることをそれとなく予期していた。ただその目的がいっこうにわからなかったというだけで。

「できれば教えてほしいことがあって」と彼女は下からのぞき込むように盲人の傭兵にしゅるしゅると近づいた。男らしいにおいがつんとした。

「ああ、いいぜ。何が知りたい?」

「どうしてカエルを捕まえているの? 食べるため? 私には他の用途が思いつかない」

「どうしてってそりゃあ、王様がカエルの蒐集を国家プロジェクトととして立ち上げたんだよ」

「なんのために」

「ハイビスカス王国の第三皇女であらせられるマルヴァ皇女の趣味らしいぜ。王様がとにかく国中のカエルを捕獲せよ、とか言い出してさ。まあ、凡人の俺には『国を治める人間が考えることはよくわからない』けどな」

と盲人の傭兵は小さく笑った。

「だからあなたたちは荊の道を切り開きながら、カエルを見つけ次第捕獲しているってことなの」

「そのとおり。んでもって城内の施設管理長がカエルをガラスボトルに入れて、あとはそのままさ。もうかなり捕獲したから、最近はぜんぜん見かけなくなってしまったけどな」

「それをすることに何の意味があるの? 私にはとてもじゃないけれど、誰のためにもならない気がする。国の発展のために建設的じゃないことをしていたら、まとまらない誰かが気づかれないまま死んでしまうのよ」

「それを俺に言われたってなあ」と傭兵は荊で切ったらしい、ひっかき傷に唾をつけ塗り込む。「国に雇われているんだから文句を言ったら、それこそ俺が死んでしまうじゃないか」

「……」

アオダイショウはそれ以上言ってしまうと水掛け論になって不毛になると思った。


結局、自分の伝えたいことを下っ端に言ったところで何かしら変化を期待できるわけじゃない。それは水面下で波紋が波紋をつくるだけであって、実質的には何の意味もなさない。

感情に任せて発する言葉ほど無責任なものはないのだ。

「せめてカエルでなければ、私は生きていけるのに」

「ううん、そうかあ。お前さんは生きるためにカエルが必要なわけだ。だからそれを乱獲する俺たち、というか王様を目の敵にしたいってことだな」

「そうよ。有り体にいうとね」

「だったら俺にいい考えがある」

アオダイショウには彼の表情はただしくつかみ取れないが、彼が発する雰囲気というものは彼女を優しく包み込んでくれる気がした。その考えにどれだけ賛同できるかわからないけれど、何の変哲もない蛇にたいして濃やかに話してくれるこの男を、しばらく信頼してみようと思った。

「さっきも言ったように、城には蒐集したカエルをガラスボトルに入れる決まりがあるんだ。でも蒐集したカエルの中には脚がちぎれてコレクションにならない個体もいる。そいつらはある程度まとめて処分することになっているから、あんたがそこに住み込んで好きな時に食べてしまえばいいのさ。こんな荊の道で傷ついたり、俺たちみたいな目をらんらんと輝かせながら殺気立っている連中に出くわすよりよほど安全だろう」

「ほ、ほんとうにそんな場所があるの」

にわかにアオダイショウの黒のオパールが潤いを湛えた。

彼の提案は願ってもみない極楽を思わせた。

労せずして満たされるなんて、これ以上の幸せはないだろう。彼女はことさらに爬虫類独特の興奮がわきあがってくるのがわかった。それは生き物の本能に直結する性的興奮にほかならず、この盲人の傭兵のペニスを咥えたい衝動にかられた。雄との交尾には慣れている。メビウスの輪のように互い違いに身を寄せあい、つるのように絡み合い、大事な場所に相手をあてがい、受け止め生を実感するのだ。


アオダイショウは傭兵の腕にするすると巻き付いた。先端の割れた舌でちろちろと彼の頬をしらべ、薄く剥がれた唇をしっとりと濡らす。

傭兵は最初こそ抵抗したが、皮膚にふれるなめらかで冷えた青銅みたいなアオダイショウの鱗が気に入った。彼は衣類はそのままに、アオダイショウの尻尾の部分を数十センチほどにぎって股間に突っ込んだ。そうするとアオダイショウも彼の屹立したペニスを尾をまきつかせ、じっくりと事に及んだ。

盲人の傭兵が一度果て、二度果て、三度目の波を受け入れようとするとき、荊の道の奥からごそごそと音がした。

彼は我に返り、すっくと立ちあがり直立不動で向こうから影が近づいてくるのを待った。アオダイショウのほうもそれを理解して、穴に逃げた。

「お前か。一人か」

傭兵の前に現れたのは、同じく鉈を持ちポリ袋を担いだ男だった。ヒキガエルのような顔をしている、つぶれた饅頭を重ねたような体型をしていた。おそらく彼も同類だろう。

「一人でした。ほかに人がいると、気配が散らばって集中できませんので」

「ふん。目が見えないくせにもっとも多くのカエルを捕まえているんだもんな、天狗でいられるうちに人生は謳歌することだぜ」

どうやら彼の先輩らしい男はそう吐き捨ててまた別の方向に向かって荊の道を刈り進めた。

男がいなくなってアオダイショウはそろそろと穴から出てきた。盲人の傭兵は小さくため息をついた。

「力があるのね、あなた。嫉妬されるのは悪いことではないわ」

「もうすぐ日が暮れるからあんたを連れて城に行こう。うまく手回ししてあんたがカエル蒐集施設に入れるようにしてやるから、俺たちはそこまでだ」

傭兵はアオダイショウの言葉に耳を傾けなかった。アオダイショウにとっては自分が無碍にされたようで寂しさを覚えたが、好きな相手だから我慢をした。今は無事に城まで到着することを祈ろう。



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