祝福の魔女

武蔵-弁慶

第1話

 ひどい雨が降っていた。夜の帳がすっかり降りた街は、重苦しい気配に覆われていた。そんな街の小さな路地裏にそれはいた。

 燻んだ金髪に小さな体を更に丸めて、わずかな覆いの下で雨をしのごうとしていた。しかし、それがどれほど体を縮めても、豪雨は容赦なくその体を打ち付け、濡れそぼっていた。

「……おい」

 返事はなかった。よく見るとその小さな体は細かく震えている。いくら夏に近づいているとはいえ、まだ夜は底冷えがひどい。寒さに体を震わせていることが容易に想像できる。

「……選べ」

 ピクリ、とそれが反応した。そして、恐る恐るといった程で顔を上げた。水を吸った長い前髪により表情を伺うことができないが、きっと恐怖でこわばっていることだろう。

「委ねるか、それとも切り拓くか」

「…………」

 パクパクとそれが口を動かすものの、その音は雨音に混じって空気に溶ける。

「チッ……。もう一度、だ」

「しに、た……く、な……」

「違う。委ねるか、切り拓くか。どちらだ」

「…………り、ひら、く」

 息も絶え絶えに吐き出されたその言葉に、頬の肉が自然と緩んだ。

 それは、選んだ。自らの意思で。

 それは、選んだことで力を使い切ったのか、再び顔を伏せた。

「切り拓くならば、今からお前は私のモノだ」

 世界を変えよう、このクソッタレで惨めな世界を。

「新たな世界の門出に、これはないな」

 私は指を弾いた。

 空間がよじれ、時間がねじれる。そして、反転。

 暖かな日差しに、心地よい風。真っ青な空には、ぷわりぷわりと白い雲が呑気に浮かぶ。余計な遮蔽物のないそこには、一面に、色とりどりの花。

「古き世界に鎮魂を、新しき世界に祝福を」

 私は死んだように動かないそれを両手で抱えて、足を踏み出す。新たな世界と出会うために。




「私は魔女、ガリアだ」

 口の周りをシチューで汚しながら、そいつは私を睨みつけた。小汚かった姿は一変して、小生意気な餓鬼になっている。帰宅後、すぐに頭のてっぺんから足の先までを洗ってやったからだ。燻んだ金髪は鮮やかな太陽色になり、邪魔な前髪は眉毛より上でパッツンに切りそろえてやった。

「魔女が、どうして俺を」

 鈴を転がすように、とは行かないまでも綺麗な天使の声で餓鬼は質問した。だが、そいつはいけない。

「おい、餓鬼」

「……」

 テーブルに向かい合って座ったそいつの額に、右手を伸ばす。そこには、ゴツくて黒くて、小さいながらも確実に、命を奪えるモノが現れた。安全装置なんてものはない。引き金を引けば即座にドカン、だ。

「名乗られれば、自らも名乗る。……それとも、ママに教えられなかったのか?」

 軽く、バカにしたように言えば、そいつの両目はギラギラと怒りに満ちた光を作り出す。そこには額に突きつけられたものに対する恐怖の色など一切ない。

「……グリーク」

「上等だ、グリーク」

 餓鬼、グリークの額に向けていた手を振る。手中のモノは夢まぼろしと空中に消えた。

「お前を拾った理由だよな」

「……」

「当然、可哀想だからなんてモンじゃねぇ。お前を弟子にしたいわけでもねぇ。あぁ、実験台って線も消しとけ。ついでに食料も。お前みたいなの喰っても、腹の足しになりゃしねぇ」

「なら、一体……」

 困惑したようにグリーク言った。大方、薬の材料にされるか、喰われるかと思っていたのだろう。顔に出てる。

 まぁ、そんな顔してりゃあ、ただの乳クセェ餓鬼だというのに。

「切り拓くっつったろ、グリーク」

「あれは、そう、聞かれたから」

 シチューの皿は空っぽになった。それを見て、私は指を鳴らす。それと同時に、テーブルの上にあったシチューの皿は消え、私とグリークの前に湯気の立つカップが置かれた。柔らかく格式高い香りの紅茶だ。

「それでも、テメェはテメェの意志で切り拓くと言った。そう決めた。だから、私はお前を拾った」

「そう答えなきゃ拾ってないってか。……目的は」

 多少は頭が回るか。そうでなきゃ困るというものだが。

「御察しの通り、俺には何もない。なのに、お前は俺を助けた。魔女だとバレれば、すぐさまギロチンが落ちてくるというのに。そこまで危険を犯す理由は? ……そこまでのことしてまで、お前が望んだ俺からの見返りはなんだ」

 こいつのいう通り。現代において魔女は迫害の対象であり、人間に仇為す害獣だ。そして、それは他の種族にも当てはまる。

「グリーク」

 立ち上がって私は手を伸ばし、グリークの頭をガシッと両手で掴んで上を向かせた。親指で彼の瞼を無理矢理に持ち上げ、視線を合わせる。自然と口角が上がるのがわかった。

「テメェを」


 キングにしてやろう。


 ぽかんと惚けた表情。グリークの色違いの瞳が瞬く。右は金色、左は銀色。陽の目と月の目だ。

「なっ、にを、言って!」

「お前だって思っただろう? 『なんで自分が』『どうして自分が』『何も悪いことをしていないのに、何故』。迫害されだろう? 蔑まれただろう? 悪意を向けられただろう? この世界を、周囲の人々を、そして己自身を憎んだだろう?」

「……」

 グリークは答えなかった。しかし、じんわりと潤んだ瞳は、何よりも雄弁な回答をする。

 左右の瞳の異なった色彩。それは、悪魔の子だと信じられている。周囲の者を不幸にする、罪の色だと。

「変えさせてやる。そんな世界を」

「変える……? 俺、が?」

「テメェみたいに憎まれない。私たちみたいに迫害されない。異物を否定しない。そんな世界をくれてやる」

 ツゥとグリークの頬を伝うものがある。それを無視して私は続ける。

「世界を恨め。世界を憎め。そして、何より個人を愛せ」

 これは世界への叛逆だ。

 世界への革命だ。

「テメェを王にしてやろう。テメェに世界をくれてやろう」

 その旗印に、忌み嫌われた悪魔の子が必要だった。




「獣人の森?」

 グリークを拾って八年。グリークは十六歳になった。私の背は、とうの昔に超えられた。声も大分低くなった。

「手始めにそいつらと手を組みたい」

「でも、獣人って……」

 グリークは躊躇ためらったように言った。机に向かって座るグリークの周りには、大量の本が山積みになっていた。

 魔女の叡智を集めた大魔法図書室。魔女のみが持つ鍵で開くことができる図書室で、私はグリークに教育を施していた。たった八年でグリークが国や民族、宗教、伝統、文化、政治、経済、医療などに通じるようになれたのは、グリークが寝る間も惜しんで勉強に打ち込んだためだ。

「人間だな、グリーク」

 グリークは苦虫を噛み潰したような表情をした。

 私が言う『人間』は、グリークを迫害した世界のことだからだ。

「異種族を寛容できないのは、人間の証拠だ。グリーク。異物を忌み嫌うのでは、人間のままだ」

「獣人は、生活に必要です。彼らの身体能力は極めて高く、頑丈です。そのため、彼らの労働力が」

「グリーク。そこに入れてやった知識はお飾りか?」

 グリークは立ち上がり、私を睨みつける。だが、お生憎様。そんなことされても、痛くもかゆくもない。

「今の言葉は正しく人間のものだ。グリーク。それは、獣人を奴隷として扱うことが根底に染み付いた発言だ。……お前もやはり」

 ドサっと重たいものが倒れる音がした。それは、私のすぐそばで倒れたモノがたてた音だった。

「すみません」

 力一杯殴ったのだろう。グリークの頬は色を持っていた。

 床に座り込んだグリークは、私を見上げる。

「獣人も、感情がある。決して、人間がすり潰していい駒ではない。……そうでしたね」

 自嘲したような笑みを浮かべるグリークに、「わかったんならいい」と言って私は指を鳴らす。図書室内のどこかから一枚の紙が飛んできた。クルクルと丸まったそれを開くと、いくつもの大陸が描かれている。

「グリーク。ここへ向かえ」

 私は地図で場所をグリークに示す。

「獣人の森。ユグ」

「忘れるな。世界を恨め、世界を憎め。そして、何より個人を愛せ」

「はい」

 テーブルに地図を置き、私はグリークに手を伸ばした。グリークはその手をしっかりと握って立ち上がった。




 いくつもの血が流れた。いくつもの骸が積み重なった。踏みにじった願いは数知れず、足蹴にした想いも数知れない。

 それでも、前に進むしかないのだ。

「さて、最後の仕上げだ。グリーク」

「っ、どうして!」

 燃え盛る町を眼下に、私は人間の国の玉座にいた。悲鳴や苦痛もここまでは届かない。

 私の前で双剣を構えるグリークは血と汗でビショビショに汚れていた。まるで、雨にでも降られたように。

「革命を成し遂げたならば、その証拠ってモンが必要だろうがヨォ、グリーク」

「俺、は。俺は、俺みたいに恨まれない、アンタみたいに迫害されない。異種族でも、互いに助け合って生きていける、そんな、そんな世界が作りたいんだよ!」

「ンだから、必要だろうがよ。今の、忌子を恨んで、異種族を迫害して、異物を否定する。そんな世界をブッ壊した証拠が」

「だから! なんでそれがアンタなんだよ!!」

 グリークは叫んだ。悲痛な声で。

「あー……。テメェ知ってるだろ。この国の歴史ストーリー

「……建国神話か」

「そうそれ。初代国王が女神の加護を受けて、異種族が暮らすこの大地を人間のモノにしたってやつ」

「それが、どうしたんだよ」

「その女神、私」

「テメェ、こんな時まで何言ってやがる!」

 ふざけんな!!

 最大級の怒鳴り声。うっせーな。王様がいちいちそんなに叫んでたら嫌われンぞ。

「ふざけてねーよ。この国は、この世界は私が作ったみてーなもんだ。間違った方向に行っていたのに、それを正そうともしなかった」

 気がついた時にはもうとっくに手遅れだった。

「つー訳で、私がこの世界代表だ。世代交代式だ」

「い」

「嫌だ、とか言うなよ」

 悪魔の子が、色違いの目に涙を湛えて発言しようとした言葉に、私の言葉を被せた。

「切り拓くって言ったろ。切り拓くと選んだろ。なら、それを貫け。私のモノなら、それを覆すな。あぁ、それとも」


 お前は人間なのか?


 挑発的に言ってやった。

 次いで咆哮。玉座の私の腹には、二本の双剣が生えた。上体が揺らいで、地面に落ちる。ゴポリとゲロするみたいに血が奥底から這い上がってくる。

 ガチャガチャと鎧が擦れる音。グリークが玉座に近づいてきた。私の体を抱えて、スッと私の頬に手を伸ばす。綺麗な金と銀が揺れている。

「……俺は、人間、です」

「……だよなぁ」

「新世界の、人間です」

「に、んげん、だったな。そ、ぃや」

 新たな命を繋ぐには、古い命は死ななきゃいけない。

 霞む視界でも、分かる。グリークは泣いてる。

「『世界を恨め、世界を憎め。そして、何より個人を愛せ』……俺は世界アンタを恨んで憎めばいいんですか? 個人ガリアを愛せばいいんですか?」

「しら、ねーよ……」

 腹は熱いけど、手足は寒い。だんだん感覚がなくなってきた。

「グリーク様!」

「グリーク!」

 グリークの名前を呼んで、多くの人外が玉座の間に飛び込んできた。差別しないと、グリークか決めた奴らだ。

 初めて、玉座に彼らの声が届いた。やっぱ城は高くちゃいけねぇな。大切な民の声が。虐げられたモンの嘆きが聞こえねぇわ。

「ぐり……く」

「……なんだ、魔女」

「し、ろは……ひく、いほ、が……いいな!」

「いや……今、それ言うかよ……」

 泣き濡れるグリークの頬に力を振り絞って手を伸ばす。グリークの涙を初めて拭ってやった。

「ぃ……おに、なた……な」

「うん。なるよ。俺は、いい王になる。アンタが、世界をくれたから」

 泣き濡れながらも、グリークはたしかに笑った。

 いい顔だ。だが、そんなんじゃいけねぇな。

 私は重くなった瞼を閉じる。そして、意識を集中する。新たな世界の門出に、こんな地獄みたいな光景じゃダメだ。

 ダラリと下がった指を動かす。親指で中指を擦る。さぁ、祝福だ。




 空間がよじれ、時間がねじれる。そして、反転。

 突風が吹き荒れ、窓を壊す。恐ろしい土砂降りが炎を消す。一瞬で起きたそれは、すぐさま消え去り、暖かな日差しに、心地よい風が吹き抜けた。曇天から変わった真っ青な空には、呑気に浮かぶ白い雲。遮蔽物がなくなった窓からは、一面に、色とりどりの花が咲いているのが見えた。

 俺はあっけに取られて手の中の彼女を見た。唇の端から血を流す彼女は、微笑んでいた。


「古き世界に鎮魂を、新しき世界に祝福を」


 俺は死んでもう二度と目覚めない彼女を両手に抱えて、足を踏み出す。新たな世界で生きるために。





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