第4話 チェス

 紅茶をこぼしたスーツを洗った方がいいと言われ、客間で着替えを受け取り、軽くシャワーを浴びてから新しいYシャツにそでを通す。寝具に腰を下ろしてしばらく休んだ後、レオと話をしようと思い部屋を出た。

 近衛兵このえへいに居場所を聞いて書斎へ向かうと、レオは革張かわばり椅子に座っていた。本を読むレオに話し掛ける前に、本棚のすみはさまっているボードを取りだし、『チェスをしないか』と持ちかける。


「君は弱いくせに勝負を仕掛けてくるな」


「そうですね。でしたら、少しハンデをつけて貰えませんか?」


「いいぞ。それならいい勝負になるかもな」


 駒村は駒を並べてレオとの間に戦力差をつける。


「では、大公たいこうの持ち駒は『キング』と『ポーン』8つのみになります」


 レオの表情がくもる。

 『キング』と『歩兵ポーン』だけで『ルーク』も『騎手ナイト』もいない。眉間にしわを寄せるレオの顔色をうかがわず、駒村はポーンを一手進めはじめた。



「チェックメイト」



 黒のナイトが白のキングをとらえた。持ち駒の少ないレオは護りにてっしていたのだが、一個ずつ切り崩されすぐに勝敗はついた。ずっと眉間にしわを寄せていたレオは、不貞腐ふてくされた表情のまま駒村に抗議こうぎする。


「こんなの、勝てるはずがないだろう」


「では、どうして最初にそう言わなかったのですか?」


「お前が何か言いたそうだったからな」


 レオは自分のキングを手に取った。最後まで"王"は動かさず、敵の侵攻を逃げずに待ち受けた。



「これは……『人間きみたち』と『吸血鬼わたしたち』なのだろう?」



 白のキングを指で転がしながら、ぽつりと呟く。駒村は黙っていた。


隔絶かくぜつされ孤立した吸血鬼われわれは、今日本政府と衝突しょうとつすれば、この国に居場所を失ってしまう。盤上ばんじょう敗残はいざんのように存続の危機を迎えるだろう」


 レオは深い溜め息をいて項垂うなだれる。手で顔を覆ったレオに話し掛けるのを躊躇ちゅうちょしていると、レオは心の内を吐露とろし始めた。


「ホフマンの娘が、3か月前に妊娠したことがわかったんだ」


 ホフマンとは国務大臣のことである。


「認可は下りていなかった。完全な不注意だったそうだ。彼女はその事を父親に伝え、泣きながら謝り続けた」


 公国では承認された夫婦以外は子供をつくることは許されない。『かず』が変動してしまうからだ。


「子供ができたのに、なぜ謝らなければならない?どうして心から喜べない。私たちが、吸血鬼だからか?」


 レオの声は震えていた。隠した目元から涙がほほつたっていったが、駒村には気づかれないように努めていた。


「結局、ろしてしまったそうだ。私が知らなかっただけで、こういう事例はいくつもあったらしい」


 上限制度による圧迫あっぱくは管理社会を作り出し、堕胎だたい安楽死あんらくし黙過もっかの下で行われている。レオはその事実を包み隠さず報告させ、今回の経緯けいいに至った。人数の確約かくやくをしなければ、公国に未来はないと思ったからだ。


「子供をあきらめるしかなかった者、我が子のために己を犠牲ぎせいにする者。公国の民達が常に『 数 』におびえて暮らしているのかと思うと、夜も眠れない」


「だから、御自身ごじしん御子みこをつくらないのですか?」


 項垂うなだれるレオは指の隙間すきまから駒村を見た。憔悴しょうすいした目は悲しげだった。


「そうだ。民に酷薄こくはくいている私が、己だけ子をつくるわけにはいかない」


「ですが、それは大公一人のせいでは…」


「許せないんだ!」


 椅子をこぶしで叩き怒りをあらわにする。震える声は場を張り詰めた。


「吸血鬼がここまで追い込まれた歴史も経緯も知っている!だが、今を生きる者達に負の時代の犠牲者になれなど、どうして言えようか!」


 長い爪がこぶしの中で食い込み血がにじみ出す。レオの怒りを目の当たりにした駒村は、何も言わずにレオを凝視ぎょうしする。


「そして、最も忸怩じくじたるは、何もできない無力な私だ…!」

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