「では、二つ目の誤答を」


 なんだかキザっぽいセリフだけど、それを素で言っているのだから面白い。

 先生は人差し指と中指の二本を立てて、その腹を私に見せている。脳内で「ぴーす」と言わせてみたらすごくシュールで、笑いそうになってしまった。


 煌々と灯る、寒々しいまでに白い蛍光灯の光は、元からあまりよくない明庭先生の顔色をさらに悪く見せている。


 眩しい室内と、どんよりと暗い屋外の対比が、なんだかこの部屋をさらに孤独にさせている。秘密基地みたいな孤独なのか、廃墟みたいな孤独なのか。それは、無感情なこの人と一緒にいると、なんだかどちらとも言えなかった。


 明庭あけにわ先生は、だらりと立てた二本の指のうち、中指の方を下ろした。そして挑発するように、残った人差し指を私と先生の間で振ってみせる。

 どういうジェスチャーかと口を開きかけたところに、一寸早く先生の声が飛んできた。


「共犯者がいたと考える方法です」


 きょうはんしゃ、という言葉の響きに思わず胸が跳ねた。外界から隔絶されたこの家は本当は組織の拠点で、私たち二人はこれから……みたいな想像が、一瞬にして脳内を駆け巡って、そして去っていった。

 いやいや、高校生にもなってその手の妄想はイタいって。


「共犯者? あ、二手に分かれて探したとか、そういうことですか?」


 相槌を打つと、先生はぐらりと首を傾げた。


「少し違います。それよりももっと確実で、能動的な方法です。ときに、西寺さいでらさんは『野守のもりの鏡』という言葉をご存知でしょうか」


「いえ……慣用句かなにかですか?」


「惜しいですが少し違います。古語の連語です。源俊頼みなもとのとしよりによって記された歌論書に『俊頼髄脳としよりずいのう』というものがあります。その中の一節に、こんなことが記されています」


 息継ぎをするように、一旦話を切った明庭先生は、私の右手を凝視している。

 なにかと思ったら、カップを持つ右手の小指が立ってしまっていた。うわ、お嬢様気取りみたいで恥ずかしっ。


 慌てて小指を畳むと、先生は話を再開した。


天智てんぢ天皇が野で鷹狩をしていたところ、その鷹が風に流されいなくなってしまいました。野守――野の番人のことですね。その人を呼びつけて、いなくなった鷹を探すよう言いつけると、即座に「松の枝先に止まっている」と答えました」


 すると、先生は突然机に手を突いて私に向かって頭を下げた。

 おくれ毛が机の面に垂れ、滑らかな線を描いている。


 急なことにどぎまぎしていると、先生は「こんな風に」と続けた。


「こんな風に、野守は頭を下げていたんです。みかどの前ですからね。それだというのに高いところにいる鷹の存在に気付いたので、帝は驚きました。理由を尋ねると、野守は答えました」


 明庭先生は頭を上げ、それから、湯気のとっくに上がらなくなったティーカップを指差した。


「民は、地面に溜まった水を鏡として様々なものを知るのだ、と」


 その話がどこに繋がるのかわからないまま、私は淡々と紡がれる言葉に耳を傾けた。


「その故事をもとに使われるようになったのが『野守の鏡』です。要は、水溜まりを指す連語ですね。人の目に見えないものや、人が心に隠した秘密も映すと言われています」


「ええと……。その話、今日の件とどう関係してくるんですか?」


 尋ねると、心得たように言葉がすぐに返ってきた。


「数学準備室にも、野守の鏡があったのではないかと考えたのです。見えないはずのものを、見るためのものが」


「見えないはずのものを……?」


「はい。まずは気になったことが一つ。数学準備室には、西寺さんを名指ししたメッセージが貼ってあったんですよね。つまり、先ほどの話の中には、西寺さんがそこに来ることをあらかじめ知っていた人物が、一人だけ存在することがわかります」


「もしかして……数学の先生が?」


「はい。例えば、数学準備室に監視カメラがあったとしましょう。西寺さんが入ってきたのを見て、少し驚かせてやろうと数学の先生が花澄かすみさんに連絡して向かわせた、という可能性が考えられます。

 連絡の手段に関しては、先ほどヒントがありました。先ほど聞いた話ですと、花澄さんは学校でもスマホを触っているんですよね。それならば校内の離れた場所でも連絡が可能です」


「えっと……うちの数学の先生、そういうことするタイプじゃないんですけど……?」


 私たちを担当している先生の、細いメタルフレームの奥に覗く鋭い眼光を思い出しながら言うと、明庭先生は「その情報は初めて知りました」と応じた。


 しかし、気に障った様子もなく「それに」と言葉が続けられる。


「その説もすぐに否定できます。

 単純な話です。西寺さんがそこに数分間滞在することになったのは、ワークの山を崩すという偶発的な出来事があったからです。そして、その時間がなければ花澄さんが西寺さんに追いつくことも不可能です。

 なので、西寺さんが部屋に入ったのを見てから花澄さんに連絡を取るのは、不合理といえます。その時点ではどれだけ部屋に滞在するか分からないわけですから。

 野守の鏡とは違って、心の中まで見通せるわけではないんです」


 まぁ、確かに。

 今回は数学の先生と、その説明された手口のギャップが激しかったからか、あんまり手のひらを返された感じはしなかったけど、それは明庭先生はの言うところの「情報」があったからなのだろう。


「最後はもっとシンプルです。直接、場所を教えてくれるものがあればいいんです。共犯者がいなくても、その役目さえ果たしてくれたらいいわけですからね」


 明庭先生はさっさと次の話題に移ってしまう。


「そもそもの話をしましょう。仮に特別棟の方に西寺さんがいるのがわかったとして、そのどの部屋にいるかを判断する方法は考えられますか」


 少し早い展開に戸惑いながらも、なんとか思考を巡らせる。


「うーん……。ある程度絞ることはできたと思います。一階で電気の点いていた部屋は少なかったですし、二階はどの部屋に電気が点いていたか覚えていないですが、数学準備室ぐらいしか生徒の行きそうなところはありませんし」


「なるほど。つまり、特別棟の二階に行きさえすれば分かるのではないか、と」


「そうです」


 なんだかようやく私も推理っぽいことができたのではないかと、少し嬉しくなる。きっと、明庭先生の中ではこれも授業や雑談と同じで、私と会話をしてお金をもらうだけの時間に過ぎないんだろうけど。


 私がそんなことを考えているともつゆ知らず、先生は話を展開する。


「では、直接その場所を教えてくれるアイテムがあったらどうでしょうか。そんなものに心当たりはありませんか?」


「えっと……居場所を教えてくれるもの……あっ」


 さっき、話題に上っていたからか、確信に近い閃きを感じた。なんだ、今日の私、冴えてるじゃん。


 普段の授業よりも頭を使っているのではないかと思ったけど、それはそれで明庭先生の新しい一面……というか、こんな話題でも性格が変わらないんだろうなぁという発見が得られたので、良しとする。


「もしかして、スマホの位置情報ですか?」


「惜しいです。先ほどまではそれも別解として正解にしていましたが、先ほどの西寺さんの情報で不正解になりました」


 どういうことかと思っていると、私が理解できないのをあらかじめ知っていたかのように、先生は解説を始める。


「通常、スマホの位置情報で分かるのは平面方向だけで、高さについては分かりません。しかし、一階に電気が一つも灯っていなかったのなら二階だけに絞り込むことができます。もっとも、電気が点いていたと知った今では通用しない方法になりますが」


「じゃあ、正解は……?」


「発信機です。高さ方向も分かるものがクッキーの袋についていれば、それで解決です」


 ぎょっとして明庭先生の持っているクッキーの袋を引っ掴むように覗き込む。

 えっ、ここに発信機がついてるの?


「落ち着いてください。あくまでこれは誤答例なんですから」


 うんざりとした口調にも聞こえたが、それはきっと私が先生にそう思われてしまったのではないかと不安になったからだろう。

 実際はきっと、普段と変わらない平坦なもので。


「これもすぐに否定できます。西寺さんが持っていたクッキーの袋は、花澄さんのものと取り違えていたんですよね。なら、発信機なんてものが付いていることはないでしょう。もっとも、自分のクッキーの袋に発信機をつける人がいれば別ですが。

 補足ですが、他の所持品に付けたのなら、今も確認できるはずです。調べたければどうぞ」


 なんだか推理を聞かされているのに脱力させられてばかりだ。調べる気にもなれなくて、机に肘をついた。


 そんな私とは対照的に、明庭先生は相変わらずの涼しい顔で紅茶を飲んでいる。もう三杯目だ。


「さて、ここまでが私の考えた誤答例3つでしたが、解答は見つかりましたか」


 言われるまで、自分も考えなければならないのを忘れてしまっていた。先生の挙げるそれっぽい可能性と、否定のサイクルに見とれていたせいだ。


「ダメです。やっぱり、迷宮入りですかね……」


「そうですか。では――」


 そう言って、先生は未だに開けないままになっているクッキーの袋を摘まみ上げた。さっきもそうだったけど、今日の先生はやけに間の取り方が上手い。


 たまたまなんだろうけど、そんな風に喋られるとこちらも続きが聞きたくなってしまう。それはそうと、クッキーについては失礼だし、早く食べてくれないかなぁ。


「半分だけ、解答例を示しましょう」


 突っ伏したままの私のつむじに、そんな言葉が降ってきた。

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