「どこで気付いたんですか?」


 なんだか本当に私が犯人みたい……というか、ある意味犯人なのだが、生きているうちにこんなセリフを言うことになるとは思わなかった。


 でも、私が隠していたことと今回の不思議な出来事に関係があるだなんて。そんなこと、微塵も思っていなかった。

 それに気付いていれば、こんな話、先生には持ちかけなかったのに。


「不思議に思ったのは、クッキーを手渡された時でした」


 そんなに早いタイミングで、と驚いたが、すぐにこの先生ならばあり得なくもないな、と納得してしまった。


「和梨をイメージした、と言いましたよね。ちょうど花の季節だから。とも。

 ですが、不思議に思ったんです。四月は、似た形をしている林檎だって同じように花を咲かせている季節です。そんな中、見た目も華やかな林檎ではなくて、なぜ梨を選んだのか。

 まずはそれが気になりましたが、それに関する説明は西寺さいでらさんの口からは一切されることがありませんでした。その時点では、まだ違和感止まりでしたが」


 雨が降り続いているのが救いだった。どこか現実味の薄いこの場所、この人でなければ、なんだか本当に糾弾されているような気分になっていただろう。


 だけど、今の私は。

 無感情なこの人の手の上で転がされているのだということを、むしろ楽しく感じていた。


「次に違和感を覚えたのは、パイピングの『pear』の文字です」


 流暢なその発音が、すごく日本人らしい薄めの顔から響いているのは、なんだかちぐはぐな印象だった。


「先ほど、西寺さんがティーカップを持っているのを見ていましたが、やっぱり右利きで間違いないですね。ですがこの文字は、コルネ――アイシングを押し出すビニールの筒のことですね。そこから離れたあと、左に線が伸びているのが分かります。


 左利きの人が普通に左から順に書くと、書いた文字に手が重なってしまいます。普段文字を書くときは慣れているかもしれませんが、今回は製菓ですから、文字の大きさが不ぞろいにならないように慎重になったんでしょう。右から順番に書いたんです。


 さて、ここで思い出していただきたいのは、花澄かすみさんの指定席の話です。場所について『家庭科室に入って一番奥の左端の窓際の席』と言及された際に、花澄さんは左利きなんじゃないかと思いました。左利きの人がそれで困る場面として、作業や食事の際に人と肘がぶつかるというのを聞いたことがあります。


 ただ、これに関してはアイシングを使う際の癖という可能性もあるので、ただの状況証拠ですが」


 そんなところまでは気が回っていなかった。お願いするときに、なるべくブロック体で、文字に個性の出ないようにレタリングするように指定したのに。


 ここまで、なにか間違っているところはありますか、という声に、首を横に振ることで応じた。憐れむような目を向けられたような気もするけど、それもきっと私がそう見ているだけ。


「確信を得たのも、同じ言葉からでした。花澄さんの指定席は窓際の席とのことですが、それに続けて西寺さんは『アイシングを固めるためにクッキーはそこにひと晩置いていました』と言いましたよね。


 ですが、そんなことはしないんです。


 アイシングは乾燥に弱いので、日差しの当たらないところで保存するんです。間違っても、窓際に置くことはありません。そんなことをしていれば、アイシングの部分は乾ききってひび割れてしまうでしょう」


 明庭あけにわ先生は、摘まみ上げていたクッキーの袋を、私の前にそっと置いた。

 なるほど、さっきから全然手を付けようとしなかったのは、これが重要な証拠だったからなんだ。


「以上の話をまとめると、こういうことになります」


 明庭先生は、ぼんやりと私を見ていた。

 その虚ろな瞳に為される無感情な断罪を、私は受ける。


「このクッキーを焼いたのは、西寺さんではなく、花澄さんなんですね」


 疑問ではなく、確認。

 数値を公式に代入して、得られた結果を口に出しただけのようなその口ぶりに、私は両手を挙げる。


 お手上げだ。


「正解です」


 いつも、先生がそうするように言ってみたけど、どうだろう。

 私と同じように、胸の内でひっそりと喜んだりしているのかな。


 あーあ。ただの出来心だったんだけどなぁ。

 先生のためにお菓子なんかも作れちゃうくらい、この時間を気に入っているんだと伝わったらいいな、くらいの。


   * * *


「弁明と、質問があります」


「どうぞ」ぐらい言ってくれた方がこっちも話しやすんだけどなぁ、と、先ほど思ったのと同じことを、今度は八つ当たりも込めて心の中で呟く。


「まずは、そのクッキー、"私が"作ったとは一言も言っていません。誤解するように仕向けはしましたが、嘘はついていません」


 そう言うと、先生は「確かに、そうですね」と認めてくれた。あるいは、嘘がバレてしまった私に対する優しさだったのかもしれないけど。

 主語の省略されがちな日本語に感謝だ。


「それで、質問の方なんですけど、結局、花澄はどうやって私のことを追いかけてきたんですか?」


 先生は、少し宙に目を彷徨わせてから、口を開いた。


「先ほどの話に戻ります。どうして林檎でなくて梨だったのか。

 想像できるのは、昨日、西寺さんがいない間にこういった事故が起こったのではないかということです。


 アイシングは、元から色の着いているものと、着いていないものがあります。そして、後者の場合は自分で着色する必要があります。元々は林檎にする予定だった花澄さんですが、そこでミスをしてしまいます。


 そう、食紅をぶちまけてしまうんです。色が着けられなくなって、困った花澄さんは梨を作ったことにしようと考えたんですね。

 そうすれば、自分の恥ずかしい失敗を、西寺さんに知られずに済むのですから」


 林檎が梨になった理由としては十分納得できる説明ではあった。だけど、それが花澄が私を追いかけられた理由には――


 ……食紅?

 それって、もしかして――


「この食紅が、後々もう一つの役割を果たすことになります。


 翌日、西寺さんは花澄さんからクッキーを受け取る際に、床に落ちていた食紅を踏んでしまいます。掃除はしたでしょうが、行き届いていなかったのでしょう。

 ちょうどこの日は雨。授業が終わって30分ほどが経っていたんですよね。校舎の内と外で生徒が出入りする際に床が濡れてしまっていたんでしょう。西寺さんの踏んだ食紅は、赤い足跡となって床に残されることになります。

 食紅は、爪楊枝の先程度のごく少量でも色が着きますからね。


 花澄さんは、それを辿って西寺さんが特別棟へ向かったことを知ったんです。これが、二人を繋ぐ"赤い糸"だったわけですね。

 人通りの少ない特別棟では床が乾いていて足跡はつかないかもしれませんが、あとは先ほどの感知式ライトで説明が付きます。


 最後に昇降口の方の階段から回り込むようにして西寺さんを帰せば、足跡に気付かれることもありません。解説は以上です」


 先生の告げた説明を、私の持っている"情報"の全てを加えて脳内に再現していく。私が数学準備室を訪れてから、昇降口を出るまで。


 その一連の映像には、少したりとも齟齬はなかった。


 そんな解答を出してみせたというのに、先生の顔色には一切の変化はない。

 雨は降りやまないし、クッキーの袋は閉じたままだ。


 だけど、私はきっと、先生のこういう所に興味を持ったんだと思う。


 虚ろな目の、その奥の奥の方で、多くのものを捉えて離さなくって。

 真実を見ようと、可能性を浮かべては、消してを繰り返している。


 きっと私のことだってずっと変わらないその目で見てくれている。

 その安心感こそが、私の心を鷲掴みにしているのだ。


 なんか、ムカつく。こんなに仏頂面で、テンションが低くて、私に振り回されてくれないのに。

 それなのに、私の心をこんなに乱してくるのだから。


 だから、せめてもの抵抗に、こんなことを言ってみた。


「先生って、お菓子作りにも詳しいんですね」


「はい」


 精一杯、からかうように言ってみたのに、やっぱり恥ずかしがったり動じたりする様子はない。


 だけど。


 そのそっけない返事こそが、私の心の甘く柔らかい部分を、くすぐるように刺激するのだった。

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パイピング・アイシングクッキー 青島もうじき @Aojima__

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