解答を、半分だけ?


 慌てて机から身を起こすと、明庭あけにわ先生は視線を斜め上に向けて、蛍光灯の明かりを眺めていた。

 後ろで無造作に髪をまとめているバレッタが、艶やかに光を弾いている。


 さっきまで、間違っているものを挙げて可能性を消していこうなんて言っていたのに、先生には答えが分かってるのかな。

 そんな私の驚愕を察したかのように、先生は私に視線を戻した。


「先ほど西寺さいでらさんから頂いた情報を加えることで、状況が半分だけ説明可能になりました。もう半分がまだわかっていない以上、それが真実だと断定するには早計ですが。なので、解答例です」


 なにか私が重要な情報を出したということだろうか。そんなもの、言った覚えないけどなぁ。


 だけど、先生の聡明さなら嫌というほど知っている。

 こう表現したら本当に失礼になっちゃうし、そんなことが言いたいわけじゃないし、もちろん悪い意味で言っているわけじゃないけど、それ以外に表現する言葉をもたないからそう思っているだけで……と、自分の中でひとしきり言い訳をしてから思う。


 鈍そうな見た目なのに、この人の虚ろな目には、本当に多くのものが映し出されている。

 ちょうど、なにもかもを吸い込んでいるがために、私たちがブラックホールを視認できないように。


 先生は、指を一度振った。


「ポイントは、これと、それです」


 先生の指は、天井からぶら下がった蛍光灯と、窓の外を順番に示していた。


「はじめに後ろをつけられたのではないかと聞いた際に、西寺さんは『今日みたいな雨の日には、内側が明るくて外側が暗くなって、窓ガラスが鏡みたいになる現象が起こる』と言いましたよね。しかし、先ほど『発信機説』を検討した際に『一階で電気の点いていた部屋は少なかった』と言いましたよね」


 そんな細かいところまで覚えてるんだ……と感心しながら、こくこくと頷くと、先生は確認が取れたと感じたのか、話を続けた。


「つまり、一階では一見しただけで電気の点いていた部屋が少ないと感じたということだと思うのですが、それはなぜ認識できたのでしょうか」


「ええと……外が暗かったから、ですかね?」


「半分正解でいいでしょう。恐らく、廊下に電気が点いていなかったのではないでしょうか。特別棟では人通りが少ないと聞きました。それならば、普段は電気が消されているのではないかという考えです」


「あ、もしかして」


 普段は意識の下の方に沈んでしまっているものが、見えていなかったものが、明庭先生の言葉で水面にまで引き上げられてくる。


 さっきのスマホの位置情報なんて言った時よりも、ずっと確信に満ちた言葉が漏れた。その言葉に誘発されるように、少し遅れて身体の底から震えがやってきた。


 一瞬だけ、先生の見えている世界に近いものが目の前に広がった気がした。


「感知式ライト……?」


 そう呟くと、先生はやっぱり無感動に「正解です」と答えた。


 脳が、痺れた。


「もうお分かりだと思うので、解説に入らせていただこうかと思います」


 先生は物でも見るかのような目で私のことを見ている。だけど、その瞳が私に向けられているというのが、この上なく嬉しかった。


「なんらかの方法で……ここが分かっていない以上、これから説明する"解法"にはほとんど意味はないのですが、あくまでなんらかの方法で、西寺さんが特別棟にいることを花澄かすみさんは知り、取り違えられたクッキーを交換するために追いかけ始めました。


 家庭科室のある教室棟と特別棟を繋ぐ、直角に折れる部分に至った時、花澄さんはあることに気付きます。

 一階には電気が点いていないのに、階段に電気が点いていると。外が雨の影響で暗かったから気付けたんでしょうね。

 人通りのほぼない特別棟であることも相まって、この"人に反応して光る電気"が西寺さんの痕跡であると確信を強めたことでしょう。


 先ほど、『匂い説』の検討の際に西寺さんは言っていましたよね。『入り口が一つしかない』と。つまり、西寺さんが特別棟に行ったはずなのに一階に電気が点いていないということは、向かった先は一つに絞られます。そう、二階ですね。


 二階で生徒が行きそうなところは数学準備室くらい、先ほど、そうも言っていましたよね。これで、特別棟内でいかにして花澄さんが西寺さんを見つけたのか、説明をつけられます。


 補足するとすれば、感知式のライトの多くは2~3分で消えるそうなので、西寺さんが数学準備室に滞在していたという2分ほどという時間にも合致します。以上が、半分だけの解答例です」


 数学の証明問題でも解き終えたかのような顔で、先生は説明を終えた。


 細かい根拠や補足なんかは、到底私に気付けるとは思わなかったけれど、その"解法"の大筋は、先ほど私が思い描いたものと同じだった。


 頬が上気するのが分かる。パズルとか、頭を使うゲームとか、そういうのはあんまり好きじゃなかったけど、こういう種類の興奮があるのだと感覚で理解された。


「なるほど、花澄が私を二階から連れて帰ったのもそれが理由だったかもしれないんですね」


 興奮ついでに、気付いたことを口走る。

 先生は「半分だけ」なんて言うけど、この方法に気付けただけでも大きな収穫のように思われた。明日、花澄に話したら目を白黒させるんじゃないかと思うくらいの。


 先生は、空になってしまったティーポットを眺めながら、私の言葉に耳を傾けている。


「そういえば、ちょっとおかしいと思ったんですよ。

 数学準備室で私を捕まえた後、花澄は来た道をそのまま戻らずに、わざわざ家庭科室に戻るにはちょっと遠回りになる昇降口前の階段まで私と一緒に歩いて、お見送りされたんです。

 これも、一階の電気が消えてるのに気付かれたら、私に謎を解かれちゃうかもしれないと思ったからなんですね!」


 興奮して話す私とは対照的に、明庭先生は、ぼんやりとまだ開けていないクッキーの袋を触っている。


「その情報は初めて知りました」


 ぼそっと呟いた先生の瞳が、私に向けられる。

 さっきと変わらない、なにも感情のない瞳のはずなのに、それを見た瞬間、背筋に冷たいものが走るのを感じた。


「確認なのですが、位置関係はこれで合っていますでしょうか」


 先生は鞄の中から紙を取り出して、大きく二つ『L』を描いた。左が一階で、右が二階。


 一階教室棟の真ん中に昇降口、それと階段。さらにそこから少し直角寄りの部分に家庭科室。

 直角の部分にはもう一つ階段。私が昇り、花澄が追いかけてきた階段だ。

 そして、二階の突き当りのところに、数学準備室。


 鼻先に突き付けられた見取り図のようなもの。その意図が分からずに、気圧されるように「合って、います」と答えた。

 なんだか、逮捕状を突き付けられた犯人みたい。


 私がそう答えると、先生は目を閉じた。

 考え事をするときに人差し指の背で眉間を叩くのは、癖なのだろうか。

 

「この状況に関係しないのならば、気づかなかったことにしようかとも思ったのですが」


 再び開かれた先生の目が、私の姿を捉える。その瞳は、初めから――出会った頃から、ずっと変わらない黒だったけれど。

 それを見る私の目が変われば、どうやら見え方も変わってくるらしい。


 だから、その口が今からなにを言うのか。理屈よりも先に理解できてしまった。


 やっぱり、この人に誤魔化しなんて利かないんだなぁ。


「西寺さん、嘘をついていますよね」


 明庭先生は、私の目の前にアイシングクッキーの入った袋を掲げた。

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