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透明なビニールにワイルドストロベリーの描かれたクッキーの袋を摘まみながら、人によってはおざなりだと思うような態度で、
きっと、この人にとっては袋の口を縛っているリボンが綺麗に巻けていることも、綺麗に見えるように下で一度細いゴムでくくっているのだということも、全て等しくどうでもいいことなのだろう。
これから不思議で不可解な話をしようというのに、つくづく話し甲斐のない聴衆だ。だけど、もう一年以上もの付き合いになる私には、そんな様子でも普段と同じようにちゃんと話を聞いているのだと分かっていた。
どっちになるかな。
これを聞いて、それでもいつもと変わらない表情なのか。それともちょっとは怪訝そうな顔をしてくれるのか。
どっちだったとしても、面白いんだけど。
キッチンタイマーに並ぶデジタルの文字を眺める。
このアッサムの蒸らす時間は2分。詳細に伝えようとするとさすがにそれだけの時間で話しきれる気はしなかったけど、気にせず始めてしまうことにした。
「不思議なこと、というのはそのクッキーにまつわるお話なんです」
「この?」
「そうです。先生の手元にあるそれです」
先生は、袋をほんの少し持ち上げて、その中身に目線を落とした。涼やかな眉は、普段通りやる気がなさそうに垂れ下がり、人によっては憂いを帯びた、と表現したくなるであろうその瞳も、その色を変えていない。
「ところで先生、ひとつ伺いたいのですが――」
先生の視線が、儀礼的に私に向けられる。
「どうぞ」ぐらい言ってくれた方がこっちも話しやすいんだけどなぁ。
そんなことを思いながら、私はあらかじめ考えていた殺し文句を、この不思議な話を象徴する一言を、なるべく雰囲気が出るようにがんばって囁いた。
「運命の赤い糸って、自力で辿れるものだと思いますか?」
予想通りというかなんというか、やっぱり反応は薄くて。
決めゼリフがスベった恥ずかしさを心の中で先生に責任転嫁しつつ、私は数時間前の映像を頭の中に再現させる。
* * *
私が家庭科室を訪れたのは、終礼が終わってから30分ほど経ってからのことでした。私、数学係なのでクラスのみんなの提出物をまとめて数学準備室まで持っていかなきゃいけなかったんです。
数学準備室があるのは、私たちが普段過ごしている教室棟じゃなくって、倉庫とかボイラー室とかそういうのが集まってる特別棟の方なんです。あ、ここ後で大事になってくるので覚えておいてくださいね。
本当に人気の少ない場所で、行ってみたら先生さえいなかったんですが、ドアのガラスの所に紙が貼ってあったんです。
『
部活を見にいくので下校時刻まで戻りません
課題は入って正面のデスクに置いてください』って。
それで全員分のワークを置いた私は、数学準備室を後にしました。数学準備室は特別棟2階の一番奥にあるのですが、私の次の目的地の家庭科室は、特別棟ではなく教室棟の方にありました。
ああ、そうだ。校舎の構造の説明がまだでした。
私の学校、ご存じだとは思いますが、歴史だけはやけに長くって、校舎も何度か建て替えになっているんです。それで、前の建て替えの時に、今の特別棟を残して教室棟を新しく作り直したんです。
教室棟と特別棟は、L字に並んでいます。長辺に当たるほうが教室棟で、短い方が特別棟ですね。2つの校舎の行き来は1階と2階のちょうど直角になっている部分で可能です。
というのも、新しく建てた教室棟が3階まであるのに対して、特別棟の方は2階までしかないんです。
校舎の説明はこんな感じですかね。あ、タイマー鳴りましたね。ちょっと一旦ティーバッグ出しちゃいますね。あ、そうだ。ミルクとか砂糖とか……あ、いらない。了解しました。
それで、話の続きですね。あ、クッキーも食べちゃってくださいね。ちゃんと美味しく焼けてるので。
デコレーションも綺麗にできてますよね? パイピングっていって、クッキングシートを円錐状にしたものの先を切り落して、そこからアイシングを細く押し出して線を書くんです。ほら、真ん中に『pear』って書いてありますよね。それです。
で、そうだ。ちょうど話はクッキーを取りに行くところになるのですが、さっきも言ったように、私が家庭科室に行ったのは授業が終わって少ししてからだったんです。
だから、家庭科室に行ってみると、先にもう
あ、知ってますよね?
あ、そうですそうです。この前話したちょっと変な子です。ちゃきちゃきしてて、悪戯好きで。一緒にいると楽しいんだけど、はたから見たら「賑やかな人ですね」って皮肉言われる系の。
で、その花澄なんですけど、実は昨日も家庭科室にいたんですよ。ほら、あの子、家庭科部なんですよね。あ、このクッキー、焼いたのは昨日なんです。ほら、アイシングって、固まるまでに時間がかかるから。
それで、私が家庭科室に入ったらちょうど花澄が自分の分のクッキーを袋に詰めてるところだったんです。中には他には誰もいなくって、スマホから音楽流して楽しそうに作業してました。うちの学校、校内でのスマホ禁止なのに。
家庭科室に入って一番奥の左端の窓際の席が、花澄の指定席というかお気に入りみたいなんですが、アイシングを固めるためにクッキーはそこにひと晩置いていました。
この時期は調理実習もないし、わりと自由に家庭科を使えるんです。
話が長くなっちゃってますね。もうすぐ終わりなので、あとほんの少し辛抱してください。
私も花澄の隣で袋詰めして、家庭科室を後にしました。もう少しだらだらしてもいいかなと思ったんですけど、明庭先生の授業があるのを思い出して、ちょっと早いけど帰ることにしたんです。
花澄はにこにこ手を振って送り出してくれたんですけど、家庭科室を出てから、まずいことに気付いたんです。そういえば、さっき数学準備室でクラスで回収したのをまとめて置いてきたけど、その中に肝心の自分のワークを入れるのを忘れていたんです。
慌てて私は数学準備室に戻ることにしました。家庭科室は教室棟の1階にありますが、どちらかというと特別棟寄りの場所なんです。なので、教室棟と特別棟のつなぎ目のところの階段で2階に上がって、それから突き当たりの数学準備室に行きました。
先生の残していった貼り紙はまだそのままで、私がさっき置いたワークの山も手つかずでした。なので、提出遅れにならずに済んだと、ホッとしました。
その気の緩みが引き起こしたんでしょうね。積み上げた30人分のワークの山を崩してしまったんです。
提出は出席番号順と決まっていたので、頑張って並び替える羽目になりました。面倒だと思いながらも、数学係の私が適当な仕事をしたと思われてもよくないし、仕方なく床に跪いて作業をしていました。いくらカーペットとはいえ、乙女が床に膝をつくだなんて、屈辱ですよね。
それで、ここからです! ここからが不思議な話なんです!
なんと、作業をしている私の後ろの扉ががらがらと音を立てて突然開いたんです! 先生が帰ってきたのかと思って、びっくりして振り返ると、そこにはなんと花澄が立っていたんです!
花澄は「それ、私のクッキーだよ? 間違えて持っていかないでよ」と言って、ニヤニヤしながら私のクッキーを差し出してきました!
それで私は!
……いや、なんか騒がしくしてすみませんでした。一人で盛り上がっちゃって。
もう少し冷静に話しますね。
でも、どう考えてもおかしいんですよ。
私が数学準備室に行くことは花澄にも言ってなかったですし、行き当たりばったりで探すにも、普通は教室とか昇降口とかそっちに行くじゃないですか。
さっきも言いましたけど、家庭科室って特別棟に近いところにあるので、数学準備室と教室って反対方向なんですよね。
私が歩いてるのを見て追いかけてきたとも考えられないんですよね。それにしては私が数学準備室に入って時間が経ってからの登場だったので。そうですね、時間にして2分ほど違ったでしょうか。
不思議に思って花澄に聞いたんです。なんで私がここにいるのが分かったのかって。
そしたら花澄、言ったんです。
「私と西寺は、運命の赤い糸で繋がってるからね」
って。
不思議じゃないですか? なんで花澄は私のこと見つけ出せたんだと思います? やっぱり、仲が良いとそういうカンって働くようになるんですかね?
あ、アッサムおかわりできますよ。よければ飲んじゃってくださいね。ついでだし、私も貰おうかな。
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