3.6

「わらわの名が伝えられた? ということは、眷神の正体に気づいたのか」

 神儀の間を出たグランセに、ビブリエ神は首を横にふりながら答えた。

「いいえ、欺かれたのです。『欺瞞の暴君』の力によって。あなたにとって嘘や欺瞞はお手のもの。眷神の名を胎内世界で使用するさい、あなたは生前の所業による悪影響を危惧し、名を変えたのです」

 胎内世界ではもはや、リュテイスの亡き先代女王の名は、グランセではないという。眷神の力による歴史の改変なので、それは過去にまで適用される。変更されたのはたった今だが、ディオネたちはずっと昔から新しく書き換えられた名しか知らないという、なんだかややこしい事態になったらしい。

 グランセ自身に歴史を書き換えた自覚はなかったが、無意識に、だろうか。

 ギルテが後ろに続きながら、残念そうに言う。

「ではディオネさまたちは、眷神グランセの名を聞いても、亡き姉上だということがわからないのですね。……それはさみしいことです」

 横でネフェルメダが鼻白んだように「いいじゃないか、別に」と笑った。

「罪悪感を抱くことすら許されぬ、痛みのない罰だ。連中には似合いだよ」

 ギルテがネフェルメダの嫌気した態度にあきれ返っている。しかしグランセは、先ほどから別のことが気になっていた。

 神儀の間は、王宮二階の最奥に位置する部屋だ。ここより先に部屋はないはずなのだが、グランセの目の前には見覚えのない回廊が伸び、突きあたりに扉をかまえているのだ。上枠が半円になった黄金の扉で、中央に円盤があり、時計のような針もある。

「あの扉はどこに通じておる?」

 ビブリエ神は、黄金の扉を振り返りながら言った。

「ほかの眷神の箱庭世界に通じております」

「んっ? ほかの眷神に会いに行けるのか」

「ええ。ただグランセ神はまだ若く、位も低い神ですから、ご自分から会いに行けるのは数人だけってところですけれど……近っ! ちょっと近いんですよ、顔、はれんち女王め!」

 どぎまぎするビブリエ神は、グランセから距離をとったところに避難しながら汗を拭く。

「わらわの位が低いとな? 癪に障る物言いよの」

「本当に礼儀を知らぬ新入りですね……終末炉に放り込んでやりたいな」

 その単語に、グランセはどきっとした。

「……アグニマ神のところへは、どうすれば行ける」

「行けませんよ。言ったでしょ、アグニマ神は律に関わる重要な神、おいそれと会える柱ではない」

 ビブリエ神は、胎内世界のものより詳細な世界球の成り立ちを話してくれた。いわく、この世界球は三貴神により支えられている。初期の世界球では、盤神スルフィムが実存を支え、悠神アプサラシアが再生を助け、約神ナラカが破壊を担っていた。

 あるとき、眷神プラセンタが懐胎した。これにより、世界球にはじめて三貴神のあずかり知らぬモノが混ざり込むことになる。

「これが、誕生という概念のはじまりです。これにより、世界球は不安定化する」

 約神ナラカはバランスをとるため、終焉という概念を生み出した。この終焉を担う神こそ、『終末炉の管理者』アグニマである。

 眷神アグニマの誕生により、世界球は余分なものや手に余るもの、制御不可能なものや謎めいた異物など、不安定化の素になるものを消滅させることができるようになった。

「アグニマ神は、約神ナラカ――三貴神が直々に築いた一柱。我々のように、胎内世界に関与するだけの存在とはわけが違います」

 少々圧倒されながらも、グランセはなお食い下がる。

「アグニマに会う方法がないというのか」

「向こうから扉を開いてもらう必要があります。ですが彼は、眷神でありながら眷神をひどく嫌う神でもある。まず応えてもらえませんよ」

「わらわの名を出せ。アグニマは必ずや応える」

 疑わしげなビブリエ神に、グランセは噛みつきそうな勢いで頼みこむ。ネフェルメダがふしぎそうに尋ねた。

「まるで知り合いみたいに言いますね」

「そなたもよく知っておるわ」

 グランセは、にやっと笑った。

 ビブリエ神はしぶしぶ黄金の扉に向き直ると、円盤上の針に手を伸ばす。まるで時計を合わせるように、長針と短針をそれぞれ文字盤の上で動かした。長針は、約承へ。約神ナラカのことだ。短針は二式へ――約神族の二番目に名を連ねる眷神、アグニマを指し示した。

 針を合わせるだけ合わせたビブリエ神は、あきれた様子でグランセを振り返る。

「ほら。一応やりましたよ。でも再三言いますが、彼はとにかく気難しい神でしてね、わたくしのような高位の者でもめったにお目に――そんな、ばかな」

 ガキン、という重い音に、ビブリエ神は強い驚愕を示した。遅れて、ギギギ、と扉が少しだけ開く。

「アグニマ神が応えた……? まさかこんなことがあるなんて」

「当然ぞ。あの子羊がわらわを無視するわけがなかろう」

 グランセは腕組みをしてみせた。

 ギルテがくすっと笑うそばで、ネフェルメダが驚きと疑念をないまぜにした目つきで思案している。

「子羊? って、あの子羊……いや、ありえぬ。陛下、どの子羊です?」

「今そなたが否定したその子羊だ」

「その子羊……が、アグニマ神となにか関係があるのですか」

 どうあっても同一人物という結論に至れずにいるネフェルメダに、グランセは笑った。その目で見ればわかる、とネフェルメダの手を引き、勢いよく扉を開け放つ。

 そこには暗い荒野が広がっていた。

 扉の向こうにビブリエ神を残して、三人は焦げ跡だらけの地帯を歩いていく。頭上の夜空は神々の回廊と違い、星が流れず静止している。しばらく歩くうちに、巨大な穴に行きあたった。ふちから覗きこむと、はるか底に――ああ、これが終末炉か。

 グランセが目視できたのは、渦巻く炉と、足場であった。この穴自体かなり大きく、直径にしておよそ五十メートルは下らない。その大きさで渦巻く炉の表面は、圧巻である。白銀のきらめきと、暗黒のよどみが絶えず混ざりながら、ゆったりと中心に向かって渦を巻く。あの向こうには、完全なる無の世界があるという。音すら消えてゆく炉の上を、終焉の鳥が優雅に飛んでいくのが遠目に見えた。

 底の壁際には、鉄筋で作られた足場があるようだった。炉の片隅に少しだけ蓋をするような位置になるが、炉全体の大きさから考えて、あれでもわりと広いだろう。

 足場の上は雑多な様子で、本や紙が散乱しているのが見える。よくわからない機械や装置のようなものが乱立するあいだを、ちょうど今、通り抜ける人影があった。そのとき、くしゃくしゃの黒髪頭がふと、何かを察し――手にした本から顔をあげようとした。

 グランセは、大きく息を吸い込むと。

「――来たぞ! ヨモ!」

 三対の翼を勢いよく広げ、ためらうことなく飛び立ったのだった。


(完)

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偉大なる第二王女殿下 神無月香奈 @kannaduk1

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