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「……私はティム。こちらは、妻のニナです」


 沈痛の面持ちで最初に話し出したのは、家主であるティムだった。

 二人は一旦、居間から椅子を運んできた。リリーの言う通り、二人はベッドから出られない様子。クレイ達が近寄ると二人は顔を顰めた。やはり白檀の香りに反応しているらしい。


「おっと、失礼。二人には少々きついでしょうね……この辺でどうです?」


 可能な限り近くまで寄ると、夫婦は申し訳なさそうに頭を垂れた。


「大丈夫です。どうもありがとう」

「お二人とも、この村の出では無いと聞きました。あなた方の髪と目の色……もしかして、遥か西のトゥーニス地方のものでは?」


「仰る通り。元々私はトゥーニスの村で木工職人として、妻は笛吹きとして生計を立てていました」

「そうでしたか。すると、故郷はもう」


 クレイの問いかけに、ニナが頷く。薄っすらと目元が光っている。


「滅んだ、と聞きます。大層立派な森と化しているでしょうね」


 緑化病によって滅んだ村は数知れず。西に行くほど病気が流行しているとされていて、トゥーニスも例外ではなかった。


「村に最初の感染者が出た時、私とニナは幾度となく喧嘩しました。トゥーニスを出るか、留まるか――実際、私の知人もすぐに他の村に引っ越ししていきました。ですが我が家は、古い家系なのです。先祖の墓も、親類も全てトゥーニスにいます。そこで生まれたからには、骨を埋めるつもりでいました」


「私は、最初から村を捨てるべきだと主張したのです」


 すかさずニナが口を挟む。悔しそうな顔で、固く結ばれた唇を開く。


「私も元々トゥーニス出身です。故郷を見捨てる事への罪悪感はありましたが、何よりも大事なのは娘のリリー。まだ小さな娘が緑化病になってしまったら、悔やんでも悔やみきれませんから。何日もかけて、夫を説得しました」


 どこどこの誰さんが感染した。それほど広くない村内を、その噂が毎日駆け巡った。


 まだ感染していない村人同士で話をするも、次第に隣人を信じられなくなってくるのだという。平気そうな顔をしているこの人も、服の下では芽が出ているかもしれない。あらぬ疑いをかけられて、コミュニティの爪弾きにされるかもしれない。一度抱いた疑念は、緑化病の感染よりも早く、トゥーニスの人々に植え付けられた。


「結局私らが引っ越しを決断したのは、親戚に感染者が出た事がきっかけでした」


 重い口調で語る。クレイは目を見ながら、じっと耳を傾けていた。


「一族は近隣に、固まって住んでいました。最初の感染は、私の兄です。いつものように戸を叩いても、誰も出ない。人がいる気配はするのに、開けようとすると開けるなと怒鳴られる。きっと、家族以外の誰かに姿を見られるのを、恐れたのでしょう」


 こっそりと窓から中を覗き見て、確信を得たという。兄の手先が茶色く、指が木の根と化していた。


「実際に目の当たりにして、私も妻の意見に一気に心が傾きました。その日のうちに、家を空っぽにしました」


 あては無かった。とにかく東へ東へ、緑化病に侵されていないと言われる地方に逃げる事。いくつか回った村では、門前払いを食らうところもあったという。


「”トゥーニス出身なんてお断りだよ。病原菌はさっさと消えな”――他の村で、馬小屋でもいいから貸してくれと頭を下げて、言われた言葉です。無言で、木桶の水を思いっきり引っかけられた事もあります。


 既にトゥーニスが崩壊しそうだ、という噂は、遠い地方まで伝わっていました。私達はいたって健康だというのに、トゥーニスから来たというだけで偏見の目で見られるのです。――この、独特の金髪と、碧い目」


 ティムは長く伸びた自分の金髪を、宝石のような瞳で恨めしそうに睨んだ。


「どうしても目立つのです。トゥーニス出身者の見た目は、昔から美しいと評判でした。一族の誇りですらあったこの見た目が、まさかこうも裏目に出るとは」


「サティアに辿り着いたのは、トゥーニスを出て半年以上たった頃でした」


 ニナが言葉を引き継ぐ。空色の瞳が、悲しそうに揺れ動く。


「村長さんに会うと、サティア村にもトゥーニスの噂は伝わっていました。やはり緑化病の事を聞かれ、次に私達の体調を尋ねられました」


 村長の渋い顔はずっと変わらなかったという。色々と仔細を尋ねられ、一家が諦めかけていた頃に、ゆっくりと頷いたのだとか。


「少しでも緑化病の兆候が見られれば、村を出て行くという条件はついていましたが、それでも初めて受け入れてもらいました。

 人間に対して疑心暗鬼になっていた私達ですが、サティア村の人は違いました。出身の事も、この髪と目の事も、少しずつ理解してくれたんです」


 ニナの顔が少しだけ和らぐ。その頃の記憶を思い出しているのだろうか、微笑んですらいた。


「そうしてこの村で過ごし始めて、二年が経過した頃です。私の指先が、根と化してきたのは」


 緑化病に罹った時、まず変化するのは手か足の指先からと言われる。どこかの指が白く濁り、爪も皮膚も剥がれてその下から根が見えてくるのである。

 ティムは首を振った。


「現実は受け止めなければなりません。泣きじゃくる妻を宥めて、緑化が分かった次の日には私一人で村長の元に赴きました。村を出ます、と一言告げるだけで、全てを理解してくれました」


 ティムはちらりと娘を見る。空気に同化したように、部屋の隅でじっと話を聞いている。

 かつては娘に秘密にしていた事だが、こうなっては娘に隠す事でもない。意を決して、口を開く。


「悲しい決断でしたが、リリーだけは村に置いてほしいと頼み込みました。この村は私達に対して暖かく接してくれた。どうか後生だから、と」

「それで、娘さんを置いて家を空けたのですね」


 ティムは頷き、そのまま項垂れた。


「じゃあどうして、ここに住んでいるんですか? この森の中は村から少し離れていますけど、来ようと思えば子供でも辿り着けるぐらいの距離です。正直、村を出たとは言えないんじゃないでしょうか」


 エドが疑問を投げかけた。確かにこの場所は、村からは近くないが、遠くもない。中途半端な場所だ。村民に知られてはいけないのなら、もっと遠くに逃げるような気がするのだが。


「村長が、取引を持ち掛けてきたのです」

「取引?」

「リリーを預かり、私達の食事を届けさせる代わりに、森の外れの空き小屋から極力出ずに生活してくれないかと」

「……この村の、農業の為ですね」


 静かに答えを導くクレイに、二人は小さく返事をした。


「緑化病患者の周囲の植物は、まるで豊富な栄養でも与えられたかのように育ちます。村長は、二人を追い出して村民の安全を図る事よりも、病気の特性を利用して農作物がよりよい生育に繋がる道を選んだ。そういう事ですか」


「物は言い様です」


 微かな怒りを孕んだクレイの言葉に、ティムが諦めに似た笑顔を向けた。


「見方を変えれば、私達が生きている事がバレないよう過ごしさえすれば、愛娘を預かってもらえて、これまでお世話になった村の方々への恩返しが出来るのですから。村長の取引には、すぐに応じる決断をしました」


 それが、今からおよそ三年前の事です。そうして締めくくると、ティムはふぅと息を吐いた。ここまで喋ることも最近では無かっただろう。少し、疲れたのかもしれない。


「じゃあ、森の入口あたりにあった木箱や石像は」

「はい。村長が設置してくれました。あれは、村長の奥様が毎日あそこに届けてくれる、私達の食糧という事になります。最初は木箱だけだったのですが、リリーにバレてからは村人を偽るために石像を置いたようです」


 疲れた様子の夫に代わり、ニナが口を開く。エドの問いに答えた後、そっと目を伏せた。


「リリーに私達の事がバレたのは、昨年の冬の事でした。その頃はまだ、私も夫も動けましたので、人目が付かない時間帯を狙って食べ物を取りに行っていたのです。まさか、夜も明けきらない早朝に、娘が一人で出歩いているなんて、思わなくて」

「……ママの後をついていったの」


 それまで息を潜めていたリリーが、口を開いた。無表情で、目を床に向けている。


「眠れなかったから、こっそり施設を抜け出してお散歩してたの。そしたら、ママがいたからびっくりしちゃった。でも何となく、そこでママって呼んじゃいけない気がしたから、ゆっくり、追いかけた」


 そこで、この家を発見したのだという。


「私だってもう子供じゃないもん。ママとパパの事を他の人に言っちゃいけないとか、どんな病気かって、分かってるよ。でも、でも……」


 見る見るうちに、リリーの目に涙が溢れる。語尾が揺れるが、泣くまいと堪えているようだった。真一文字に結ばれた口が開けば、目に溜まった涙が決壊しそうだった。


「……リリー、ちょっといいかな」


 その様子をじっと見ていたクレイは、立ち上がってリリーの傍に寄った。クレイの矛先がリリーに向かったからか、彼女はびくりと体を震わせる。


「く、薬師様」


怯んだようになりながら、リリーはされるがままになっていた。クレイは彼女の右腕をそっと手に取ると、掌を観察したり手首に手を当てて脈を図ったりしている。エドは垣間見えたリリーの手首の細さに目を瞠った。いくらなんでも、細すぎやしないだろうか。


 同じ事をクレイも思ったのかもしれない。軽い診察を終えると柔らかな髪を撫でながら、しゃがんだ。目線をリリーに合わせる。


「よく頑張ってるよ、リリー。ママとパパの事を色々考えて、我慢してる。君は我慢強くて、優しい子だ。でもね、ごはんはちゃんと食べないとダメだよ。痩せすぎだ」


 やっぱり、そうですか。悲しそうな声がベッドから聞こえた。ニナに至ってはせっかく引っ込んでいた涙がまた溢れそうになっている。


「この家に、何か食材はありますか」

「ええ……備蓄でよければ干し肉や干し魚、発酵食品もあります。外に出れば、庭の畑に野菜も出来ていると思います」


「よし。エド、お前ちょっと晩飯作ってやれ」

「俺!?」

「お前以外に誰がいる。食べ終わったらリリーの遊び相手と、寝かしつけまでやってくれ」


 ちょっと台所お借りしますね、というにこやかな笑顔と、両親の快諾の返事。ついでに言うならリリーが少し嬉しそうに微笑んだ事で、エドはもう何も言えなくなった。


「ほら行ってこい」

「……分かったよ。行こう、リリー」


 寝室を出ると、リリーが嬉しそうに家の中を案内した。台所には何の調理器具があるのか、備蓄はどれぐらいあるのか、庭に生えている野菜は何の種類なのか。

 一つ一つ聞きながら、頭の中に献立を思い浮かべる。大抵のものは揃っているようで、これならリリーを満足させる料理が作れそうだ。


(後で何の話をしたのか、聞き出してやる)


 これから大人の話をするのだという事は、エドには理解していた。娘に聞かせられない、両親の思いと願い。


「じゃあリリー。庭から人参を二本、サティア芋を二つ、引っこ抜いてきて」

「うん!」


 備蓄の中から干し肉を選んで、水に浸す。大人の話が気になるエドだが、ひとまず料理に専念する事にした。


(会って初めて見たな、あんな笑顔)


 リリーの笑顔を思い出す。とても可愛らしい子だ。笑うほうが、絶対に彼女に似合う。

 彼女が笑顔になれるものを作ろう――そう意気込んで、エドは包丁を手に持った。

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とある薬師の物語 餅実ふわ子 @mochi-fuwa

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