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「今日の配達が終わった後、白檀びゃくだんを焚くぞ」


 それは薬の作成も粗方終わり、患者用の薬を一つ一つ、袋に詰めている時だった。

 エドは一瞬虚を突かれた。白檀――それは特定の時にしか使わない香木だったから。


「……リリー?」


 クレイは無言で頷いた。それを見てエドの胸中に、やっぱりそうだったかという諦めに似た気持ちが広がった。

 今や一般慣習となった香炊き――殺菌効果がある他に、実は緑化病を防ぐ事が出来ると言われているのだ。


 植物は火を嫌う。植物が燃える煙を家の中に取り込み、その身に纏う事で予防する、というわけである。その地方によって焚く植物は様々だが、特に白檀には一番の効果があるとされていた。


 白檀は、発芽して一年程経つと他の植物の根に寄生し、栄養分を吸い上げながら成長する。その香りは人にとって芳香と感じられる一方で、植物にとっては自らの成長を妨げるモノの匂いでしかない。緑化病患者には、忌み嫌う匂いと感じられるのだそうだ。


「この村に来て、いくつか思うところはあった。やたら数が多い香炊き、数年続く豊作。木箱だけはよく分からなかったが、リリーの話を聞いて何となく理由が分かった」


 エドも薄々感じていた。両親が重い病気なら、いの一番に薬師に頼ろうとするはずだし、他の村民もリリーの家を優先してくれるはずなのだ。

 それなのに、リリーのあの態度。秘密にせねばならない理由も病気も、緑化病なら頷ける。


 エドの故郷を奪った病気。今もなお治療薬は無く、罹った後に待ち受けるのは確実な死だ。

 かつて人類は、栄華の最盛期を迎えていた。技術は発達し、金属を使用した道具や、建築に適した人工石材の開発が進められた。木々は伐採され急速に森林破壊が行われた。効率的な農畜産技術、高度な医療の発達により人口は爆発的に増えたという。


 それらが一瞬にして藻屑となったのは、六百年前の地殻変動が原因だった。

 大地震とともにメルトラ山脈の更なる隆起が起こり、”あの世との境”と言われる程標高が高くなった。


 それに追い打ちをかけるように流行し始めたのが、人が植物に成る病――緑化病の出現である。


 それはあっという間に人を襲った。次々に人から植物が生え、養分と寿命を吸い取りながら驚異的な速さで草木が成長する。大陸の西側から村々が滅び、中央都市が陥落するまでにわずか百年。六百年経った今、グランディア大陸の全人口は最盛期と比べて二割にまで減ったという。


 これが通称”大地の怒り”と叫ばれる出来事のあらましだ。環境の淘汰より人類の発展を望んだ人間に対する、自然の報復だと考えられている。


 今でこそ緑化病の流行が下火となっているが、水面下では人類を確実に滅ぼし続けている難病。宿る植物は様々で感染経路も定かでは無く、感染者が発見された場合は村外の追放、酷い場合は処刑される事もある程だ。


「十中八九、リリーの両親は緑化病だろう。森の中に籠っているのも理由があるはずだ」


 エドは薬を詰める手を止め、くしゃくしゃになった手紙に再度目を通した。


”ママとパパをたすけて”


 手紙の下部に、簡単な地図や目印が書いてある。随分と目印の数が多いのは、村民が家まで辿り着けないようにカモフラージュしているのだろう。


「まあ、両親は来てほしくないだろうな。昨日言ったみたいに、必死になって隠れてんだから」


 筆先を糊草のりくさの煮汁に浸すと、紙袋に塗る。新たに出来上がった村民の薬を箱に並べて、クレイはエドに視線を移した。


「でも、その手紙を見たからには、無下には出来ない」


 エドは静かに頷いた。人目を避ける為、出発は夜の間に行う事になった。

 二人は残りの薬を全て紙袋に詰め終え、住宅地へと向かった。配り終えると日はすっかりと暮れ、夕飯の後に休憩を挟む間、部屋の中に白檀を焚いた。

 やがて村が静まり返る時刻を迎えると、そっと公民舎の明かりを消した。


「ちょうどいい。今夜は新月だ」


 クレイの言葉に、つられて空を見上げる。

 針金のような細い曲線が夜空に浮かんでいる。森は暗いだろうが、人目を憚るにはもってこいだ。

 服の中から立ち込める白檀の芳香。動けないほど病気が進行している彼らにとっては、この香りは少々きついかもしれない。


(クレイ、どうするんだろう)


 どんな名医でも、この病気は治せない。

 見上げた師匠の顔からは、何の考えも読み取れなかった。

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