第1話
出会いは冬。
春じゃないのかと思う人もいるだろうが、まだ桜の蕾もない、年が明けたばかりの頃。
記録的な積雪を都心が迎えた年に、彼と出会った。
名前は
その時、私は確かに思い出した気がする。
あの一文を。
”春が落ちてくる”って、こう言う事か。
確かに彼は落ちていた。
美術大学に続く大きな階段を踏み外し、文字通り下へ。
「だぁぎ!!」
不可解な音と共に、私の目の前まで転がってきた。
雪で警戒しながら歩いている人達が、憐れんだ目で彼を眺めている中、私は無視して立ち去る勇気は持ち合わせていなかった。
「…大丈夫で、」
「うっぷ、ぺっぺっ」
「………。」
口に雪が入ったのか、ぺっぺっと口をモゴモゴしだしたせいで、私の言葉が遮られた。
ただただ、気まずい。
「っぺ。…ん?何か用?」
ようやく私の存在に気付いた彼が、振り向きざまに言葉を発した。
振り向いた瞬間。
雷に打たれた事はないが、多分こんな感じと言えるような、衝撃。
心臓がぎゅんと危ない動きをして、頭が真っ白。
その後に、ぼんやりと浮かぶ、美しいという文字。
雪に負けない透明感を持った、中世的な美しさ。
髪は長すぎず、短すぎず。そのせいで、中世的な印象に拍車をかけていた。
この美しい物体は何だ。
それしか考えられなかった。
「用があるの?ないの?」
「…あっ。ないです…。」
男性らしいとまではいかない、男の声に我に返った。
美術品を見ていたような自分に、恥ずかしくなってそっと
「僕は用事あるよ。ほら、手伝って。」
「え?」
「起き上がれる気がしないから、引っ張って。」
「あ、はい。」
言われるがまま、差し出された手を握り返す。
思ったよりも男らしい骨ばった手に、胸がドキリと不思議な動きをする。
自分も不安定な足場の中、どうにか立たせた。
「ふう。ありがとう。案外力持ちだね。」
初対面の男性にそんな事を言われ、無性に恥ずかしくなった。
これでも、女なのだ。
「あ。違うよ。馬鹿にしたわけじゃなくて、便利そうだなって。」
「…はぁ。」
人の気持ちには敏感なのか、言い訳をしてくれたが、フォローになってない気がする。
「ちょうど、力持ちな子探してたんだ。来てくれる?」
「え?…ちょっと!」
掴んだままの手をそのまま引かれ、倒れそうになりながら階段を上っていく。
「あ、あの!危ないんで、ゆっくり!」
「急いでるの、大丈夫。」
さっき落ちた人が何言うか。
その言葉を発せないくらい恐怖を感じながら、大学の建物に向かってほぼ走り出していた。
危ないから走らないで。
付いていくから手を放して。
言いたいことは山ほどあったが、「わっ」とか「ぎゃっ」とかの音を発するだけで、言葉にならなかった。
「到着!」
「はぁ…。」
建物内を右へ左へで、やっと辿り着いたのは、アトリエのような場所だった。
そこに、大きなキャンパスが一つ。
キャンパスに描かれた、色の複雑な絡み合い。
すごく力強い作品だとは思ったが、それ以上は何も言えない。
評価される絵とされない絵の違いが判らない、所詮、美術とは縁のないの人間だ。
この作品が凄いのか凄くないのか。
感想を求められたら、面倒だなとは思った。
でも、惹かれたのも事実だった。
「これ運ぶの手伝って。提出しなきゃなんだよね。」
「はぁ…。」
多分、この大きなキャンパスの事を言っているんだろう。
一人で運ぶのは大変そうなそれは、一辺が私の身長と変わらないくらいありそうだ。
確かに、誰かに手伝ってもらわないといけないと思う。けど。
「あの…。」
「ん?何?」
「私、この学校の人間じゃないんですが。」
キャンパスの表面を確かめながら、彼がこっちを向いた。
「え?これ運ぶのに関係ある?」
春が落ちてきた。 彩-sai- @chukon_sai
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