失わせる神さま
このはりと
失わせる神さま
「ねえ、知ってる? その神さまにふれられると、一番大切なものを取られちゃうんだって」
失わせる神さま。わたしたち女子の間では、そんな噂がまことしやかに
*
「なあ、さくら。やっぱり嫌だったか。プレゼントが形見だなんて」
「ううん、そんなことない。好きな人からもらったものなんだから、うれしいに決まってるよ」
「なら、よかった」
わたしの好きな人──
*
わたし、
(結婚したら、
金色に輝く春に咲く、桜の花。こじつけぎみだけれど、文字だけ見れば
「桜、きれいだな」
いつもの帰り道。見上げた彼が、そう口にする。どきりとした。わたしは照れ隠しに、ふたつに分け、肩から胸に流した髪の片方を撫でる。宗治くんは川辺にあるソメイヨシノを見て言ったのだ。紛らわしい。そう抗議しようと彼の方を見ると、すぐとなりにぼんやりとした、人が落としたものでない影が揺らいでいた。先ほどとは違う、背筋の凍るどきり。
(あれって、まさか……)
わたしは彼に気づかれないよう足早に先を歩く。別れ際、「また明日」と声をかけられ「うん」と返事はしたが、振り返らなかった。なぜって? 後ろにはきっと、噂の神さまがいたはずなのだから。宗治くんには申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
*
翌日の朝、妙に心臓がどきんどきんとして目を覚ますと、実体のない歪んだ像がわたしを覗き込んでいた。悲鳴をあげそうになるのを、口を両手でふさいでこらえる。しかし、足に力が入らずへたり込んでしまう。体の底からくる震えと、流れる涙。逃げられない。思考は乱れているはずが、ひとつだけ鮮明なものがあった。噂になっている「失わせる神さま」である。ふれられたら、わたしは大切な何かをなくしてしまうのだ。そう覚悟したとき、影がそっと髪を撫でた。全身に鳥肌が立つ。
腰が抜けて思うように動けずあたふたしていると、騒ぎに気づいてやってきた母がドアを開け、わたしはころんと廊下に転がり出た。恐怖から母の脚にすがりつく。おののくわたしに気づきもせず、母は感嘆の声をあげた。
「あら。どうしたの、それ。
髪をさわると、そこには宗治くんからもらった髪飾りがあった。つけた覚えなどない、きれいな青い色の
わたしは髪飾りを乱暴に掴むと、夢中で駆け出した。恋人からの贈り物──しかも、大切にしていたおばあさんの形見──のはずなのに、怖さがまさり、捨ててしまいたくてたまらなかったのだ。持っていたところで、どうせつけもせず箱にしまいっぱなし。「ある」と嘘をつきとおせばよいのだから、なくたって大丈夫。いつの間にかたどり着いた川辺で、わたしはひといきに髪飾りを投げ捨てた。
「こら。感心しないわね。いい子の桜ちゃんが、川に物を捨てるなんて」
息を切らすわたしを、覚えのある声がたしなめた。目にうつる、深く鮮やかな青色のカーディガン。友人を通じて知り合った、
*
「ねえ、桜ちゃん。
「わたしが昔に考えたなぞなぞですね。答えられたのは緑さんだけでした」
「まったく、小学一年生が、よくあんなに難しいものを考えられたわね。わたし、一度は降参したのよ」
「母がお花が好きで、風流な言葉をたくさん教えてくれたんです」
緑さんは三十歳を超え、画家になる夢を叶えた女性だ。今度、小さな美術道具屋さんで個展を開く運びである。展示される絵は、全部見せてもらっていた。青い
「あの絵のモチーフは桜ちゃんなのよ。川はもちろんここ。そんなすてきな思い出のある場所なの。何があったの? 話、聞かせて──?」
*
ひととおり話し終えると、緑さんはわたしを連れ立って川へ向かって歩き出した。
「一緒にさがしてあげる。いい。いっときの感情で物を捨ててはいけないわ。きっと後悔するから。たとえばそれが、大切な人からもらった物なら、なおさらね」
彼女はいたずらっぽくわたしに笑いかける。「でも」と言いかけたとき、緑さんの姿はすでに川の中にあった。
「桜ちゃんはさっきの噂話、ひょっとして怖いものと決めつけていない? 確かに、神さまというより幽霊のようだから、怖がるのも無理はないわ。けれど、彼のそばにいた、髪飾りをつけてくれた、どちらもあなたから何かを奪おうとしたようには思えないのよね」
緑さんは至って冷静である。実際に見ていないからそんなことが言えるのよ、と少し腹立たしくもなったが、悪さをされていないのは事実だ。でも、噂とは何の根拠もなしに広がるものだろうか?
「失わせる、か……。桜ちゃんが髪飾りをつけたら、何かなくすものはあるかしら?」
不思議なことを言う人だな、と思った。噂を怖がるみんなとは、まったく違う目線。噂の真実──それを謎とするなら、彼女は誰よりも“こたえ”の近くにいるような、そんな気がした。それっきり話すのをやめ、緑さんとわたしは、わたしが故意になくそうとした物を探し続けた。
この川に入るのは、小学生の頃、母に叱られて以来だ。そっと手を差し入れると、緩やかな流れが心地よい。コツンと手に何かが当たる感触があった。川面に揺れる青色の正体は、見るまでもない。引かれ合ったとでも言うのだろうか。髪飾りはあっさりわたしの手に戻ってきた。
緑さんは別れ際に、「ひとつ、失われなかったわね」と言いながら微笑んだ。
*
見つけたそれを手に家へ帰ると、すぐに登校の支度をする時刻になった。
(身だしなみ身だしなみ、と)
髪ははねていないかしら。ボタンのかけ違いは、大丈夫。スカートのすそを手ではらって、と。
(それから──)
ポケットに忍ばせた、青い紫陽花のあしらわれた髪飾りを取り出した。わたしの誕生日に彼がプレゼントしてくれたもので、今朝わたしが捨て、すぐに手元へ戻ってきた。なぜかそうしなければならないと感じて、今日、初めてつけてみる。影を思い出すと、正直に言って怖い。似合っていなかったらどうしよう、の不安もある。けれど──。
(宗治くんなら、きっと気に入ってくれる、よね)
彼の喜ぶ顔を想像して、迷いを振り切った。
*
家を出て少し歩くと、彼との待ち合わせ場所にたどり着く。宗治くんの姿を見つけて、恥ずかしさのあまり俯きかけたが、「それじゃあ、今までのわたしと変わらないじゃない」と気持ちを奮い立たせ、思い切って顔をあげる。
「桜、それ……」
宗治くんはすぐに気づいてくれた。そして、照れくさそうにしながら、今まで見たことのない笑顔をわたしに向ける。うれしい。そう思いわたしも気持ちを返そうとしたとき、それを見てしまう。
彼のすぐそばに、ぼんやりと揺らぎ、気のせいか人をかたどった像。深く息をはき、わたしはそれには目をやらず、恋人の瞳を真正面から見つめた。今、見るべきは噂の主なんかじゃない。
「宗治くん。せっかくのプレゼント、遅くなってごめんね」
「よく似合ってる。つけてくれて、うれしいよ」
こうしてわたしは、好きな人を、本心から喜ばせることができた。わたしがしたいと思い、それが彼の望みを叶えたのだ。
その後、わたしの前に黒い影は現れなくなり、いつしか神さまの噂はひっそりと消えていった。わたしから失われたものがあるとしたら、それは──。
おしまい
失わせる神さま このはりと @konoharito
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます