第5話「夕焼けの差し込む部屋で」
「どこから説明すべきなのだろうね……」
廊下に立ち尽くしていた俺を招き入れた真山涼葉の言われるままに、俺は結愛の部屋の入口側に座った。別にそう指示されたわけではないが、自然と俺は正座になっていた。
このタイミングになって、俺は自分がしでかしたことの重大さに気が付き始めていた。
(いや、これはさすがにヤバすぎる……!)
客観的に見れば、俺は「義妹の部屋をこっそりのぞこうとしていた男」ということになる。それがどうまずいかなど、説明する必要などないだろう。
別に覗こうとしていたわけではないと、言い訳することはできる。だが、それでも事実として覗いてしまったことには変わりはない。
となれば、言い訳などより、まず俺がしなくてはならないことは――
「すいませんでした!」
俺は両手を前に突き、深々と頭を下げた。
フローリングの上に敷かれたかわいらしいピンクのラグを見つめながら俺は言う。
「覗くつもりはなかったんです! 声をかけようと思って部屋の前に来たら、扉が開いてて……でも、結果として覗いてしまったことは事実です! 申し訳ありませんでした!」
どうすれば許してもらえるかとか、どんな態度をとるべきかとか、考えて行動したわけではなかった。ただ、身体が勝手に動いていたというべきだろうか。
俺はフローリングに額をこすりつけて謝る。
「すいませんでした……」
「いや、顔を上げてくれ」
俺の頭上に慌てた調子の声がかかる。
俺はそっと顔を上げた。いつも余裕たっぷりな顔をしている真山涼葉は、珍しく焦った表情をしていた。
彼女は言う。
「確かに、覗きは良くないかもしれないが、非は扉を開けっ放しにしていたこちらにもある。そんな手をついて謝ってもらうようなことではないよ」
「……許してくれるのか」
「許すも許さないもないが……私が許すと言えば、顔を上げてもらえるなら、許すと言おう」
床に這いつくばる俺の前に膝をつく彼女はまるで倒れた姫の手を取ろうとする王子のように見えた。
俺はおずおずと頭を上げる。
そして、俺は、真山涼葉の後ろに隠れるように立っていた結愛の方に目をやる。
俺と目が合った結愛はびくりと肩を震わせ、なぜか抱いていたクマのぬいぐるみをぎゅっと抱き寄せて、口元を隠した。
「結愛はどうだい?」
そんな結愛を振り返って、真山涼葉は言った。
結愛はぬいぐるみの上から目だけをのぞかせたまま、ぼそりと呟いた。
「お姉さまが良いなら良い……」
「お姉さま」だと……?
俺は彼女の言葉に密かに頭を殴られたような気分になっていたが、「お姉さま」と呼ばれた当の本人は気にした様子もなく、言った。
「だということだ。だから、湊くんもぜひ、私たちと対等の目線で話をしてほしい」
そこまで言われたら、もう仕方がなかった。俺は普通にラグの上に座りなおした。ただ、一応、正座は続行中だ。
「というわけで、改めて先程の行為について、説明をさせてほしい」
そうだ、彼女は俺に「説明」がしたいと言っていたのだ。
俺は再び身構えて彼女の言葉を待った。
「しかし、どこから説明したものだろうか……」
真山涼葉は顔をしかめて、そう言った。
そんな彼女に俺は助け舟を出すつもりで言う。
「言いにくいことなら無理に言わなくてもいいぞ」
「いや……これも一つの機会だ。やはり、話しておくべきだろう」
そう前置きしてから、真山涼葉は改めて俺に向き直った。
「単刀直入に言えば、私と結愛は付き合っている」
「付き合って……」
「いわゆる『恋人』関係という奴だ」
真剣な表情でそう語る真山涼葉。
確かに先程の二人を見てしまった後とあっては、これが冗談の類でないことはすぐに呑み込めた。伊達や酔狂であんな空気は醸し出せないだろう。
次の瞬間、真山涼葉はふっと表情を緩めた。
「ふふ」
そして、口の端を曲げてかすかに笑う。
俺が訝し気に彼女を見ていると、
「いや、なに。第三者に我々の関係を説明するのが、これほど面映ゆいものだとは思っていなかったのでね。これでも、わりと照れているんだ」
「そうは見えんが……」
いつもクラスで学級委員長として皆の前に立つときの毅然とした姿と何も変わらないように思えた。
彼女は続けて説明する。
「我々がそういった関係に至った経緯は少々複雑でね。同時に、今は話の本質ではないので、一旦割愛させてもらうよ。とりあえずは、現在の私と結愛の関係だけ認識しておいてほしい」
確かに、恋人同士になった経緯は気になるが、今、話すべきことではないだろう。
真山涼葉の後ろに隠れるように腰を下ろした結愛も同じように考えているようだ。
「故に今、君にお願いしたいことは一つだけだ」
そう言いながら、真山涼葉は両手を床についた。
「私と結愛の関係を他の人間には黙っておいてもらえないだろうか」
そう言いながら、彼女が深々と頭を下げたのだ。
彼女の後ろにいた結愛も慌てて彼女に倣って頭を下げた。
「ゆあからもお願い……兄さん」
彼女はいつも以上に消え入りそうな――どこか泣き出しそうな弱弱しい声でそう言った。
「ゆあは、お姉さまと一緒に居たいの……」
二人して俺に向かって頭を下げている現状を見て、俺は――
「おい、やめてくれ!」
慌てて二人を制した。
「とりあえず、頭を上げてくれ」
俺の言葉で二人はゆっくりと顔を上げた。
真剣な表情を崩さない真山涼葉と涙目になっている結愛。俺は二人の顔を交互に見ながら言った。
「なんで頭を下げるような話になるんだ」
俺にはそれが純粋に理解できなかった。
俺の言葉に応じたのは真山涼葉の方だった。
彼女は顔をしかめながら言った。
「なんでって……。正直、我々の関係は後ろ暗いものだ。公にできる類のものではない。ならば、その秘密を黙っていてもらうように、こちらとしては頭を下げるしかないわけで……」
「いや、待て。後ろ暗い関係だと?」
俺は頭を働かせて言葉を選ぶ。
「俺の認識が間違っていたらすまない。おまえたちが言う後ろ暗さとは、その……同性愛者であるという意味で言っているのか?」
俺がそう尋ねると、
「その通りだ」
真山涼葉はこくりと頷いて言った。
「世間的には我々はマイノリティだ。社会的弱者とも言える。ゆえに、その関係を寛恕してもらえるように頭を下げている」
「寛恕って……」
俺は思わず絶句する。
こいつらが言っていることが理解できない。
いや、正確には彼女たちが言いたいことも解るのだ。確かに、同性愛というものに厳しい考えを持っている者も世の中には多い。女同士で付き合っていると聞いていい顔をしない者も多いだろう。
だが、少なくとも俺はそうは考えない。
「二人とも、聞いてくれ」
俺はそう言ってから、自分の考えを脳内でまとめる。
真剣な顔でこちらを見つめる二人に俺は言った。
「少なくとも俺はおまえたちの関係を言いふらす気はない」
そう言った瞬間に、二人の表情は幾分か柔らかいものになる。
「そして、おまえたちの邪魔をする気はさらさらない」
これは大事な点だった。
「別に俺が認めるとか認めないとか言える立場では決してないけど、俺はおまえたちの関係を受け入れるし、なんなら、俺にできる範囲で支援したっていいとすら思う」
俺の言葉を聞いた真山涼葉は首を傾げた。
「……驚いた。もっと渋い顔をされるものかと」
「なんで、そうなるんだよ」
「だって、私は君の妹をこういう道に引きずり込んでしまったんだぞ」
真山涼葉は少しばかり語気を荒げる。
「そうだ。そこを説明していなかった。もともと、こういう性癖を持っていたのは私の方でね。結愛は私に巻き込まれた、というべき関係なんだ。だから、君にとって私は大事な妹の道を踏み外させた存在なんだ」
そんなことを心底辛そうな顔で言うのだ。
そのとき、後ろに居た結愛は真山涼葉の大きな背中に覆いかぶさるように抱き着いた。
「違う……! ゆあはお姉さまが好きなの……! お姉さまは悪くないの……! 悪いとしたら、ゆあの方なの!」
「何を言うんだ。あのとき、私が声をかけなければこんなことには――」
「ううん! 嬉しかったから! ゆあはお姉さまに声をかけてもらえてうれしかったから!」
そんな風に愁嘆場を演じる二人を見るのも限界だった。
俺は肺の中に大きく息を吸い込んで叫んだ。
「俺は一向にかまわん!」
「?!」
「?!」
二人は驚いた顔でこちらを見ていた。
俺は息を整えて言う。
「二人は互いに愛し合ってるんだろ? だったら、俺から言うことは何もないよ」
「いいのかい……?」
「ああ、むしろ、偶然とはいえ俺が知っちまったせいで、こんなことを言わせて悪かったな」
こんなことで二人の関係がぎくしゃくでもしたら、それこそ俺の本意ではない。だから、俺ははっきりと言ってやる。
「俺はおまえたちの仲を引き裂くようなことはしない。二人で仲良くやってくれ」
そう言って、俺はゆっくりとラグの上から立ち上がる。
「じゃあ、ゆっくりしていってくれ。ああ、扉はきちんと閉めといてくれ。覗く気はないが、さすがに気になるし、万が一母さんたちにばれるのも嫌だろ」
二人は仕事でまだ帰ってこないとは思うが念のためだ。
俺はそう言って、扉を出ようとしたときだった。
「湊くん」
真山涼葉は俺を呼び止めた。
俺はゆっくりと後ろを振り返る。
すると、彼女は俺が見たこともない優しい微笑みでこちらを見ていた。そんな微笑みは普段、彼女が浮かべる流麗なそれとはやや趣を意にしていた。いつもクールな彼女がそんな笑みを見せるというギャップに俺は少し、たじろいだ。
「ありがとう。君は私が想像していた以上の人だったようだ」
「……誉め言葉と取っていいんだな?」
「もちろんだとも。君に最大限の感謝を」
そう言って、彼女はにこりと笑った。
そんな彼女の後ろに立っていた結愛も、ひょこりと顔を出し、そして、ゆっくり一歩ずつこちらに向かって歩いてきた。そして、俺の目の前に立ち、俺の顔をまっすぐに見つめる。
兄妹としておおよそ一月強、一つ屋根の下で暮らしてきたけれど、こうして真正面から向き合うのは、もしかしたら初めてのことかもしれない。
改めて思う。まるで人形みたいなかわいらしさだ。そんな彼女が普段の固い表情とは違い、薄く微笑んでいる。そんな姿に俺は少しだけ動揺する。
「ありがとう、兄さん……」
結愛はこんな子供らしい無邪気な笑みも浮かべることができたのだ。そんな彼女を知れたことを俺は素直に嬉しく思った。
「じゃあな、仲良くやれよ」
そう言って、俺は今度こそ部屋を出た。
これが俺が二人の秘密を知った運命の日の概要だ。
結局、この後、あの出来事に至るまでに、紆余曲折があったわけだが、このときが一つのターニングポイントであったことは否定できないだろう。
このとき、俺はどんな対応をしていればよかったのだろうか。
しかし、後で振り返ってみても、俺はきっと同じことを言ったのではないかと思う。
たとえ、このとき別の選択肢があったのだとしても、少なくとも俺はあんなに美しく愛し合う二人の間を引き裂くことなんて、できそうもないと思うのだった。
百合の間に挟まれる男の気持ちを知ってくれ 雪瀬ひうろ @hiuro
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