第4話「それはまるで絵画のような」

「ただい……」


 真新しい玄関の鍵を開け、自宅に帰ってきた俺は帰宅の挨拶を途中で止めた。

 玄関に見覚えのない靴が一足置かれていたからだ。

 それは茶色のローファーだった。たぶん、これはうちの高校の指定のものだ。サイズはかなり大きく小柄な結愛のものとは思えないし、そもそも、中学生の結愛はこれとは別の指定の靴を履いていたはずだ。

 玄関の上がり框の前に几帳面にそろえて置かれたそれは、うちの高校の女子生徒が家の中に居ることを示していた。

 

(結愛の友達か……?)


 可能性としてはそれくらいしか思いつかない。

 今日、俺は駅前の本屋に寄っていて、普段よりも遅く帰宅していたから、俺よりも先に誰かがうちに居ることは、そう不自然ではなかった。

 俺は結愛の交友関係を知らない。一応は「義兄」となった俺に対しても、遠慮がちな彼女は、自分についてあまり語らなかったからだ。

 引っ込み思案でおとなしい彼女は、失礼ながら友達が多いタイプには見えない。同学年ならまだしも、自分よりも上の世代の友達となるとかなり数が絞られるだろう。


(もしかして、真山涼葉か……?)


 数日前、彼女と会話したことを思い出す。

 あのとき、彼女は結愛とは「知り合い」だと語っていた。どの程度の関係なのかまでは聞かなかったから、てっきり顔見知り程度かと思っていたのだが。


(家に呼ぶほどの関係だったとは)


 それは少々意外だった。

 真山涼葉は、成績優秀な学級委員長で、陸上部のエース。そんな文武両道で、周囲の生徒たちからの信頼の厚い人気者。そんな彼女と、おとなしく引っ込み思案な結愛との接点が見えてこなかったからだ。

 しかし、別の一面から見れば、二人の関係性も想像できなくもない。

 真山涼葉は美人で性格も良く、皆から「イケメン」ともてはやされている。対して、結愛は容姿といい、本人の好みといい、かなり「女の子」らしい。真山涼葉が「王子様」なら結愛は「お姫様」と言ったところか。

 そういう意味で考えてみるとある意味では「理想」の関係という感じもするのだった。

 と、そんなことを玄関で立ち尽くし、考えていた俺。誰かの靴を見つめながら玄関で立ち尽くす男子高校生というわりとヤバい構図が出来上がっていたことに気が付き、俺は慌てて靴を脱いで、家の中に上がった。


(どうすべきか……?)


 真山涼葉かどうかはともかく、おそらく結愛のところに来客があることは間違いない。一言挨拶しておいた方がよいだろうか。

 俺は迷った。

 二人で何をしているのかは知らないが、声をかければ、水を差すことになるかもしれない。しかし、かと言って、無視するというのも、不義理な気もする。相手は自分のクラスメイトの可能性もあるのだ。

 俺はとりあえず、結愛の部屋の前まで行くことにした。

 どういう態度をとるにせよ、まずは状況を確認しなければならないと思ったからだ。

 俺は階段を上り、俺の自室とは反対側の扉の前に向かった。

 今にして思えば、ここで引き返しておけばよかったのかもしれない。

 なぜなら、結愛の部屋の扉はわずかに開いていたからだ。このまま、扉の前に立てば、部屋の中の様子が解ってしまうだろう。プライバシーを考えるなら、ここで一旦引き返すか、あるいは少し離れた位置から声をかけるべきだったのだろう。

 俺に覗きの趣味はないつもりだが、ほんのわずかな好奇心があったことは否定できない。二人は部屋で一体何をしているのだろう。ゲームでもして遊んでいるのか、勉強会でも開いているのか、はたまた、まったく別の――

 そんなことを考えていたせいか、俺はふらふらと結愛の部屋の扉の前に立ってしまう。

 ああ、なぜこのとき俺は出歯亀のような真似をしてしまったのだろうか。

 俺は何気なく、結愛の部屋の中を覗き込んだ。

 中の光景を見た瞬間、俺は思わず、声を漏らした。


「は?」


 俺が見た光景はあまりにも決定的なものだった。

 真山涼葉と結愛はまっすぐに見つめ合っていた。二人の間の距離はゼロ。

 二人の唇は確かに重なり合っていた。

 「真山涼葉」と「秋月結愛」は、キスをしていたのだ。


(どういうことなんだ……?)


 仲の良い女の子同士ならふざけてじゃれ合いくらいはするものかもしれない。もしかすれば、ただの悪ふざけでキスめいたことくらいする者も居ないとは限らない。

 だけど、二人の交わしていた口づけはそんな遊びめいたものではなかった。

 西日の差し込む結愛の部屋。赤く燃える夕焼けの光はさながら、舞台の上の二人を照らし出すスポットライト。まるで至高の芸術家によって描かれた絵画のような神々しさすら感じさせる。こんな画は、ただの悪ふざけなんかでは絶対に描けない。

 俺はあまりの衝撃に打ちのめされ、前後不覚に陥っていた。ゆえに、俺はただ扉の前で茫然と立ち尽くしていることしかできなかった。

 そんな俺に向かって、声がかかる。


「どうやら、見てしまったようだね……」


 いつの間にか、俺の前に二人が立っていた。

 真山涼葉はまるで悪漢に立ち向かう騎士のように威風堂々と秋月結愛は助けを求めるか弱き子羊のように小心翼々と。

 そんな姿すら絵になるなどと、俺はどこか的外れな感想を抱いていたのだった。


 そして、この日から俺の受難の日々は始まったのだった。

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