第11話 終わりに
終わりに
今、こうして遠い町でささやかな生活が始まった。人生なんて万事塞翁が馬だ。いつも、どこかで、しがらみの無い世界に憧れていたかも知れない。なにも無くなって一年ほどしてなんか遠い過去の出来事みたいに思えてきた。商売がうまくいかなくなると御利益のありそうな神社仏閣を探してパワスポ巡りしてみたり。お経を唱えたり神棚に向かい祝詞をあげたりと、未知のものにすがってなんとか上向くように懇願したりした。でも、無駄なこととはわかっていた。気休めだよ。原因と結果はおのれがしてきた所業だ。他人から見ればいいときは散々贅沢をしてやりたい放題、楽しかったじゃないかと言われるが、俺の胸を切り開いて見てみろよ。ちっとも楽しくなんか無かったよ。まあいいや人生なんて心の旅だ。生きてる限り、喜びや哀しみ、怒り、妬み、様々な心の激しい動きに悩み続けなければならない。思いもよらない裏切りや騙されてもなんとか生きていけるだろうし、天災や人災で完全に希望を失ったとしても頑張ってる人々がいる。
俺は東南アジアでゴミの中で生活している人々や車に群がる物乞いの子供たちや、歩けない青年が金のありそうな俺を見て汚い市場で這いながら俺に物乞いする姿を見たが、周りの人は誰一人手を差し伸べようとはしない。みんな生きるのに精一杯だからだ。世の不条理を嘆いている暇なんか無いんだ。今日の飯だよ。若いとき見た痩せ細った貧しい北朝鮮の若い兵士たち、生まれた国や社会や時代に翻弄されそれでも生きていかなければならない。
俺はふと思う。もがいて生きていくのに意味があるのか。もともと全ての事象に意味など無いのだ。一三〇億光年彼方の宇宙の果てから今、届いた光は、地球や、ましてや人間の運命など時間としてはカウントできないほど一瞬の出来事だろう。だけど、この世界であり得ない確率で生まれたからには終わるまで終わらせないと、生きる意味など必要ない。宇宙の塵となるまでこの世界に滞在しようと思う。
破産しても倒産しても殺されることは無い。今、もがき苦しんでいる人たち、病気や思わぬ自然災害や事故で闘う人々には俺などなにも言ってあげることなどできないが、倒産しそうな経営者や失業で先行きが不安で死ぬことばかり考えている人たち。大丈夫だよ。根拠なんか無いけど。
俺はこんな責任のない適当なこと書いているけど、どんな人にも平等に朝が来るし、眠ってしまえばどんな場所で寝ているかなんて見えないだろう。俺みたいな低脳なやつが、人生について生き方について、あれこれ言える立場じゃ無いことぐらいわかってるさ。でもね、俺はあいつらと飲んで騒いでいた、あの時がわすれられないんだ。もう、親分じゃないけれど、今でも電話ぐらいあるさ。行き先の見えない暗い道を手探りで進むにはちと、年を取り過ぎたが諦めないぜ。なにせ、まだ俺の冒険は新しく始まったばかりだから。風は止まないさ、嫌いだけど。
俺の日々(絶対くたばらねー) 藤助 @revivejiji
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