第2話
「ママ……どうしても行っちゃうの?」
「……リリーム、これを、あなたにあげるわ」
「あっ、勇者のティアラ! ……いいの?」
「ええ」
「わぁーい! ママ、ありがとう!」
「よく似合うわ……これで、リリームは勇者になったの」
「勇者? ホント? ホントにホント?」
「ええ、どんな困難にも立ち向かえる、とっても強い勇者」
「やったぁ!」
「それとね、ひとつ呪文を教えてあげる」
「え? じゅもん? じゅもんって勇者が唱えるあのじゅもん?」
「そうよ、この呪文はね、勇者のティアラを持つ者だけが使える、とっておきの呪文なの」
「すっごーい! 教えて教えて!」
「いいわ……でも、ママが帰ってくるまでいい子にして待ってる、って約束できる?」
「うん、約束する!」
「……だって私、ママと同じ勇者だもん!」
水底から生まれた気泡が水中を漂い、そして水面に浮かびあがるように、私の意識はゆっくりと戻ってきた。
最初に感じたのは、こめかみを伝う温かい涙の感触。次に感じたのは、背中のひんやりとした大理石の感触。もう熱くはなかった。
やがて、あおむけで大の字に寝ていること、そんな私の手を誰かが握っていること、誰かが私の腰に抱きついていること、さらには私の上には誰かが乗っかっているのがわかった。
誰か、とは言うものの、それが誰なのか私にはわかっていた。
瞼を開けると、高い天井が目に入った。そこには剣をかかげながら天を駆ける女神の漆喰画が描かれていた。
ここがいつもの聖堂だとすぐに理解できたし、まわりにいる人のこともわかっていたのでちょっと大きめの声でつぶやいてみる。
「また全滅か……」
冒険中にパーティメンバー全員が死亡した場合、この聖堂に複数あるいずれかの一室で復活する。復活不可の死に方をしない限り、刺されても焼かれても元通りに復活できるのだ。それも天井の漆喰画に描かれている女神さま…ミルヴァなんとか様のご加護のおかげらしい。
ミルヴァなんとか様の正式な名前は覚えていない。僧侶のシロちゃんなら知っているかもしれないが、私はミルヴァ様と呼んでいた。
大理石に寝そべったまま、改めてミルヴァ様を見る。子供のころ大好きだったこの絵。ひとりでよくここに来てはママが迎えに来てくれるまで飽きもせずずっと眺めていたものだ。
しかし……この絵を見るのは今月に入ってから三度目。いくら大好きでもいい加減見あきるというものだ。
遠くから鐘の音が聞こえる。あの鐘は私たち五人が通っている『ツヴィートーク女学院』、略して『ツヴィ女』の鐘だ。鐘の数を頭の中でカウントして、私は今がお昼すぎであることを知った。
あおむけのまま頭だけ起こして胸の上を見ると、ミントちゃんがいた。私の身体をベッドにしてスヤスヤ眠っている。
キャットミント・ネペタことミントちゃんはトレジャーハンター一族の出身らしく、すごく身が軽い。いつ見ても元気で、ポニーテールを尻尾みたいに振りながらあちこち走り回っている。ツヴィ女では盗賊科を専攻している、私たちのマスコットだ。
ミントちゃんは私より年下のはずだけど、こうして見るとだいぶ幼く見えるなぁ、なんて思いながら頭を動かして左を見ると、肩のあたりにクロちゃんの顔があった。クロちゃんは私の肩を枕にして寝ている。私の腰も抱きしめているので意外と顔が近い。
クロコスミア・エンバーグロウことクロちゃんはいつも無表情な女の子。自分のことはほとんど話さないので素性はよく知らないが、腰に抱きつくのが好きみたい。いつも切り揃えられたおかっぱ頭を黒いローブのフードで隠しているのだが、たまにフードをしていない日があり、今がそのときだった。ツヴィ女では魔法使い科を専攻しており、パーティ内の魔法ダメージを一手に引き受けてくれている。
クロちゃんは寝ているときも無表情なんだなぁと思いつつ、その先をみると私の左手を包み込こむようにして、胎児のように丸まっているシロちゃんの姿が。
シロミミ・ナグサことシロちゃんはこの聖堂で育ったみなし子。だけど礼儀正しくてとっても優しく、この子ほど人の痛みがわかる人間もいなんじゃないかと思うことがある。腰まで伸びたキレイな黒髪と、眼鏡の似合う落ち着いた顔だち。でも極度のあがり性だったりするのでさっきのゴブリン戦のように戦闘中はよく失敗している。ツヴィ女では僧侶科を専攻する、私たちの回復役だ。
シロちゃんは私の手を胸に押し当てているため、規則正しく上下する呼吸の感触が掌ごしに伝わってくる。彼女はパーティメンバーの中でも一番スタイルがいい。身体の線がわからない白いローブを着ているので普段は目立たないが、私の掌はその豊かさをまざまざと感じさせられていた。
頭を右に向けると私の手を握るイヴちゃんの姿があった。私と同じようにあおむけで寝ているけど、大の字ではなくキチッと足が揃ってて、片方の手は胸の上に置かれていた。そのまま棺桶に入れてもサマになりそうだ。
イヴォンヌ・ラヴィエことイヴちゃんはいいとこのお嬢様。ブロンドをリボンでツインテールにしており見た目もお嬢様っぽいけど、ツヴィ女では戦士科を専攻しており私たちのメインアタッカーだ。
家は代々、戦いでは大剣を持って先陣を切り、誰よりも多くの武勲をあげている名家らしい。たぶんそのせいだと思うけど、彼女はいつも真っ先に飛びだしていくクセがある。
「リリー……」
イヴちゃんが不意に私の名前を呼ぶ。起きたのかと思ったが、ムニャムニャ口を動かしていたのでそれが寝言だとわかった。
私はリリーム・ルベルム。みんなからはリリーと呼ばれている。リリーまで言うんだったらムも付けてよ、と最初は思ったものだがもう気にならなくなってしまった。ちなみにツヴィ女では勇者科を専攻している。
「リリー……」
イヴちゃんがまだムニャムニャ言ってるので耳を凝らしてみる。
「ゴブリンは……このアタシが……やった……わ……」
どうやらゴブリンを討伐した夢を見ているようだ。
「仇は……討った……わよ……リリー」
閉じた瞼の端から、涙の粒があふれ出ていた。
……どうせ夢なら、私も生きていることにしてほしかった。
しばらくミルヴァ様を眺めたあと、そろそろ起きようかと、きつく握られたイヴちゃんの手をはずし、クロちゃんの頭をゆっくりとどかして、シロちゃんの温もりから手を離し、最後にミントちゃんを抱えて横に寝かせた。
パズルを解くみたいにしてようやく身体が自由になった私は、身体をまさぐって装備を確かめた。
真っ先に確かめたのはママからもらった勇者のティアラ、ちゃんと私の頭に乗っかってる。
首斬り予防のチョーカーも無事だ。
剣は、腰の鞘におさまってる。盾にも、おかしなところはない。
胸あての真ん中の革とその下の布地は切り裂かれ、穴があいていた。マントは燃え尽き、焦げた切れ端だけになっていた。
補修のことが頭をよぎり、ちょっとへこむ。身体が元通りになるんだったら装備も元通りになってよ……と心の中で不満を漏らしてしまう。
腰ベルトにつけたポーチからがまぐちを取り出し、中を覗き込む。中には千ゴールド入っていた。死ぬ前は二千ゴールドあったから、半分減っている……私は思わずうなだれてしまった。
死亡状況にあわせて、復活時にはペナルティが課せられる。一番ポピュラーなのはたったいま私が経験した所持金が半分になるというやつ。ひどい場合だと装備も何もかも無くなり、素っ裸で復活する場合もあるらしい。そんなときのために、この部屋には簡素な衣服が置いてあったりする。
はぁ、とため息をついていると、
「リリー、アンタ、泣いてんの?」
不意に声をかけてきたのはイヴちゃんだった。いつのまにか目覚めていたらしい。
「あ、いや、別に、それを言うならイヴちゃんだって」
「えっ」
私たちは同時に服の袖で涙の跡をぬぐった。あの夢を見たあとはなぜか涙がこぼれてしまう。
「あぁ~! チェインメイル、ボロボロじゃない! もう!」
イヴちゃんは自分の身体を見まわしながら悔しそうに言う。ちょっと前までキラキラしてた鎖かたびらは見る影もなく汚れ、破損していた。
「あのゴブリン、今度あったらタダじゃおかないんだから!」
ツリ目をよりいっそうツリ上げて、イヴちゃんは叫ぶ。その大声で他のメンバーたちも目を覚ました。
「すみません! 回復呪文を唱えることができなくて!」
シロちゃんは起きるなり土下座する。眼鏡が外れてよく見えないのか、誰もいない方向に向かって必死に謝りはじめた。
「ねぇねぇ、のどかわいちゃった~」
ミントちゃんは昼寝を終えた子供みたいにアクビしながら、私の服の袖をくいくい引っ張っている。
さっきまで静かだった聖堂の一室が急に賑やかになった。全滅したからって、落ち込んでいるヒマはないらしい。
「…………」
ただひとり無言のクロちゃんは、私をじっと見つめている。たぶん、私の決断を待ってるんだと思う。
私は過去幾度となく言い、そしてこれからも言うであろうセリフを口にした。
「とりあえず……『姫亭』行こっか?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます