リリーファンタジー
佐藤謙羊
リリーとゆかいな仲間たち
第1話
私たちは森の奥の、さらに深い茂みの中で冬のノラネコみたいに身体を寄せ合っていた。
その日は春の訪れを感じさせる陽気だったけど、折り重なる葉のせいで陽光がほとんど射さないこの場所は薄寒い。
昼なのに薄暗いこの場所で、私たちは二匹のゴブリンをしきりに見比べていた。
一匹は私が手にしている依頼書に描かれたゴブリン。
もう一匹はわずかな隙間から見える、茂みから少し離れた切株の上に座っているゴブリン。
どちらのゴブリンも両手に持ったリンゴを貪るようにかじっている。
依頼書のイラストと同じようなシチュエーションに出会えるなんて今日はツイてる。
リンゴ畑を荒らしているというターゲットはきっとアイツに間違いない。
ゴブリンは緑色の肌をした人型のモンスターで、長くとがった耳と鼻、獣みたいな二本の牙が特徴。
依頼書には額に特徴的な傷ありと書かれており、今見張っているゴブリンのオデコには大きなバッテンの傷がある。
敵の装備は……汚れた服と腰から下げた短剣。袋みたいなのもぶら下げてるけど中身はわからない。
身長は低く私たちと同じくらいだが、細マッチョで力は私より強そうだ。
しかし相手は1匹、こっちは5人。これはイケると確信した。
他のみんなも同意見のハズ……と思った次の瞬間、私の正面で額をくっつけんばかりに依頼書を覗きこんでいた戦士のイヴちゃんが突如身体を翻す。
「ははぁーっ! いぃーやぁーっ!」
ブロンドのツインテールに似合わぬエキセントリックな雄たけびをあげたかと思うと、木々を蹴散らすようにして茂みの中から飛び出していった。
彼女愛用の身の丈ほどもある大剣を引きずり、真新しい鎖かたびらを陽の光にきらきら反射させながらゴブリンめがけて突撃をはじめる。
突然の出来事に呆気にとられるゴブリンと私たち。
私の手からは依頼書がひらひらと、ゴブリンの手からはリンゴがぽろりとこぼれ落ちた。
ゴブリンはアゴが外れたみたいな顔をしている。きっと私も同じような顔をしていたと思う。
無理もない。静かな森でリンゴを食べていたら大剣を持った女の子が奇声をあげながら襲いかかってきたのだ。
今しがたまで一緒にいた私たちですら引き気味なのだから、モンスターとはいえ相手の心情は推し量れるというものだ。
そんな中でひとり冷静だったのは、私の肩越しに依頼書を覗きこんでいた魔法使いのクロちゃんだった。
彼女は背後から私の腰に手を回していたんだけど、ギュッと抱きついてきて更に身体を寄せてきた。
そして耳元で囁きかけるように何やらボソボソとつぶやきはじめる。
黙って聞いているとワキの間に彼女の腕が割り込んできて、私の胸のあたりで木杖が掲げられた。
「……チャント・エルモ」
耳も腰もワキもくすぐったかったけど、二人羽織のような密着ぶりだったのでクロちゃんが何をつぶやいているのかがわかった。呪文だ。
彼女がかざした木杖の先から小さな赤い光が飛び出し、ゴブリンめがけて絶賛突進中のイヴちゃんの大剣に吸い込まれる。
直後、その切っ先にロウソクのような火がともる。
クロちゃんは
ゴブリンはまだ事態を把握できていないのか、彫像のように同じポーズで固まっていた。
そのスキに大剣のリーチ圏内まで近づいたイヴちゃんは、カカトを軸にしてハンマー投げのように大剣を振りまわしその場で旋回する。
ついた勢いを利用して大剣を頭上に構えたかと思うと、
「てえぇーいぃ! せいぃーやぁぁあ!」
またしてもオリジナリティ溢れる蛮声をあげ、大上段からの一撃を振りおろした!
決まったか? と、茂みの中に残された私たちがいっせいに身を乗り出してみると、大木を打ちすえたような乾いた音があたりに響いた。
振り下ろされた大剣はゴブリンがさっきまで座っていた切株に深々とめり込んでいた。
当のゴブリンはイヴちゃんの会心の一撃をギリギリのところでかわし、へたりこんでいる。
今しがたエンチャントされたはずの火はもう消えていた。
「あ~あ、よけられちゃったぁ」
一緒に身を乗り出していた盗賊のミントちゃんが残念そうに言う。
興奮した猫の尻尾みたいに逆立っていた彼女のポニーテールはしおしおとしおれていき、本人以上に無念さを表してた。
でも本当に惜しかった。イヴちゃんの大振り攻撃は当たれば大きなダメージを与えらえたはず。
奇襲は成功したようだったので、今日こそは決まったかと思ったのに……。
「あとちょっとだったのに、ざんねんだったねぇ」
ミントちゃんは無邪気な顔をこちらに向けて、くじ引きが外れた友達を慰めるように言った。
思わず同意しそうになったが、その他人事みたいな一言で私はようやく自分の立場を思い出した。
「そ、そうだ! 惜しがってないで、私たちもいかなきゃ!」
そばにいる3人の仲間たちに奮起を促す。
こっちは5人もいるんだから楽勝だなんて思ってたけど、ここで見ていちゃ何の意味もない。
まだしがみついているクロちゃんを「ちょっとゴメン」と言ってから離し、腰の鞘から武器である片手剣を抜く。
私が愛用するのは標準的なロングソードで片手で振り回すことができる軽いやつ。イヴちゃんのでっかいのよりは威力は小さいけど、私は盾を持っているのでこれでいいのだ。
切っ先をクロちゃんに向けると、彼女はすぐに意図を察してくれたようだった。
黒いローブに身を包みフードを深く被った彼女の口元がかすかに動き、ボソボソと呪文を詠唱しはじめる。
少しして、愛剣の切っ先に小さな火がともった。
高レベルの炎エンチャントなら刀身全体が派手に燃え盛るんだけど、私たちのレベルだとこれが精一杯。ロウソク程度だけど無いよりはずっとマシだ。
「ありがとクロちゃん! あとはファイヤーボールお願い!」
フードがゆっくりと前に傾く。
私は礼もそこそこに茂みから躍り出す。そして颯爽と走りだした!
……つもりだったが、マントが枝に引っ掛かってグエッとなってしまった。
むせながらマントを引っ張って枝から外し、改めてイヴちゃんの元へ走り出す。
なにか絶叫しようかとふと思ったが、普通に走って行った。
すでに立ち直ったゴブリンは手にした短剣でイヴちゃんを何度も切りつけていて、切株に挟まった大剣を抜こうとする彼女は防戦一方のようだった。ゴブリンが短剣をひと振りするたびに足元の草に真っ赤な血が飛び散っていた。こりゃマズいと思った私は走る速度は緩めずに、
「シロちゃん! 回復お願い!」
さっきまで自分がいた茂みの中に向かって叫んだ。
「はっ、はひっ!」
ひきつった返事がかえってきたかと思うと、茂みの中から純白のローブが転がり出てきた。中身はもちろん僧侶のシロちゃんで、緊張しすぎな彼女はそのまますっ転んでしまった。
普段なら助け起こしに駆け寄るところだが、今はそれ以上に助けが必要なイヴちゃんがいる。盾をもっていない彼女はゴブリンの攻撃をほとんど防げていない。でも愛用の武器を切株に刺したまま逃げるのはプライドが許さないらしい。片手で顔だけかばいながらゴブリンの降らす斬撃の雨を受け、残った片手で大剣の柄を懸命に引っ張っている。
接近した私は姿勢を低くしつつ盾を構えて、ゴブリンに突進する。ごつごつした感触のあと、
「グギャッ!」
絞り出すような悲鳴が盾ごしに聞こえ、ゴブリンはあとずさった。シールドチャージは成功したけど悲鳴のわりにそれほどダメージを受けた様子はなく、逆に怒らせたみたいで、彼ら独特のギャアギャアという威嚇音を私に向けて発している。
とりあえずイヴちゃんへの攻撃を中断させることはできた。私は盾を構えなおし、威嚇に負けじとゴブリンを睨みつける。すると、ゴブリンの背後からこっそり近寄るミントちゃんの姿が見えた。軽装な彼女は物音ひとつ立てず、ソロリソロリとゴブリンの背後に忍び寄っている。
いつのまに……と思っていると、
「いただきニャーっ!」
ミントちゃんは獲物に飛びかかる獣のように跳ねた。篭手の甲からさながら猫の爪のごとく鋼鉄の爪をシャキンと伸ばしたかと思うと、その爪でゴブリンの腰にぶらさげられた小袋の紐を鋭く引っ掻いた。
結束が切り裂かれ、落下をはじめようとした小袋を空中でキャッチ。くるり空中前転して足から着地したのち、もう一度跳ねてゴブリンからすぐさま距離を取る。
「ナイス! ミントちゃん!」
川から釣りあげたばかりの魚を空中で横取りする猫、みたいな早業につい私は親指を立てて賞賛を送ってしまった。
モンスターと相対しているときにやってはいけない行為にあたるのでコレが授業中なら減点なのだが、幸いなことにゴブリンのほうもミントちゃんに気を取られていた。
チャンス! この瞬間を逃す手はない。私はまだ火がともっている片手剣を大きく振りかぶり、
「いただきニャーっ!」
ミントちゃんのマネをしつつ、ゴブリンめがけて飛びかかった!
ジャンプから頭めがけて振り下ろす、私の得意技『フライング兜割り』だ。実戦でも授業でも一度も決まったためしはないが、今日こそは!
「グギャアアアアッ!」
額を割られたゴブリンの断末魔が森の静寂を破った! のを想像したが、実際にあたりにこだましたのは、
「きゃあぁぁぁぁっ!」
私の悲鳴だった。
背中が爆ぜるような衝撃を感じたあと、カッと熱くなった。裸のまま焼けた砂浜にあおむけで寝転んだような、そんな感じ……その倍、十倍くらい。
背後から襲いくる灼熱から少しでも逃れようと無意識に背筋が反ってしまう。エビ反りになりながら首をねじって背中を確認すると、お気に入りだったマントが激しく燃えており、私の背中で大規模火災が発生中であることがわかった。
思いもよらぬ事態に混乱したが、遠くで火球を浮かべているクロちゃんの姿が見えて私はようやく理解した。クロちゃんのファイヤーボールを背中に喰らったのだ。距離が遠いのと、フードを深く被っているせいで彼女の表情はわからない。
ほどなくして、私の胸がひやりと冷たくなった。何事かと首を元に戻そうとするが、首筋が硬直し固まったまま元に戻らない。それでも引きはがすようにして首を動かし視線を戻すと、胸に短剣が突き刺さっていた。そして眼前にはその短剣を突きたてる、ゴブリンの顔が。ゴブリンは目を血走らせ鼻息を荒くしながら、ぐいぐいと胸に刀身を押し込んでいた。私は革の胸あてをしているが、もはやそれは用をなしていなかった。
ゴブリンが短剣をねじると胸あての隙間から血が噴き出し、ゴブリンの顔を濡らした。それでもねじるのをやめる様子はなく、むしろより力が込もったように感じた。流れ出す血がさらに増え、それと引き換えにするかのように、あまり豊かではない胸に凍てつくような痛みが広がる。裸のまま氷の上にうつぶせで寝転んだような、そんな感じ……その倍、十倍くらい。
反撃しようにも剣はいつのまにか落としちゃってたし、盾を構えるだけの力も残っていなかった。私はいつのまにかひざをついていて、血が抜けるたび、空気が抜けるように身体がしぼんでいくみたいな感覚に陥っていた。
燃やされるがまま、刺されるがまま。流れだすまま。
熱いんだか冷たいんだかよくわからないし、まわりはなんだか騒がしいし、夜でもないのにあたりは暗くなってくるし、ずっと緑色だったゴブリンはいつのまにか赤色になってるし、ワケのわからないことだらけだった。
でも、私がゴフッと咳払いをひとつすると、熱くも、寒くもなくなった。まわりは静かになって、あたりは完全に夜になった。ゴブリンの色のこともどうでもよくなったし、もう何も感じなくなった。
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