第3話

 泣きべそをかくシロちゃんをなだめるのと、こんな格好じゃ外に出れないというイヴちゃんのチェインメイルを脱がせて麻袋に仕舞うのと、部屋を出たところで聖堂主さまに見つかり「おお! 死んでしまうとは情けない!」とお小言を頂いたせいで少し時間はかかってしまったが、私たちは聖堂を出て、姫亭へと向かうために市場を歩いていた。太陽は西に傾きはじめており、ゴブリンに敗れてからだいぶ時間が経っているように思えた。


 私たち一行の先頭を行くミントちゃんは往来の真ん中を軽やかにスキップし、足どりにあわせてポニーテールが波打つように動いていた。かなりご機嫌のようだ。

 市場の人たちとも顔見知りのようで、ミントちゃんを見つけると誰もが声をかけてきた。彼女も諸手を挙げつつポニーテールをピンと立てて元気に応じていた。


 ミントちゃんのポニーテールは感情にあわせて生き物のように動く。最初見たときは驚いたものだが、クロちゃんから髪留めに込められた魔力が起因している。と教えられて、私は納得した。見慣れてくるとなんだかカワイイ。


 市場の端、住宅街との境目のあたりに姫亭こと『麗しき姫たちの宴亭』はある。私たちが通うツヴィ女のすぐ近くでもあるので、ウチの生徒のたまり場にもなっているカフェだ。


 ツヴィ女の時計台を横目に見つつ姫亭の扉をくぐると、店内はいつものように女の子たちでごったがえしていた。等間隔に並べられた白いテーブルはどれも見慣れた面々で埋め尽くされており、楽しそうな黄色い声が聞えてくる。


 先客のクラスメイトたちに挨拶しながら店内を横断すると、端の奥まったところにある五人掛けの丸テーブルが見えてくる。そこが私たちがいつも座る場所なのだ。椅子に掛けると一息つくヒマもなく、ここでアルバイトをしているクラスメイトがすぐに注文を取りにきた。


 私はなぜか急にゴブリンの食べていたリンゴを思い出し、アップルジュースを注文する。

 イヴちゃんはカフェオレ、ミントちゃんはオレンジジュース、シロちゃんはホットミルク、クロちゃんはコーラを注文。あとオヤツとして『姫亭』名物の野菜チップスを注文した。


 注文が届いて、みんなが一口飲んだのを確認してから私は口を開いた。


「どうやって全滅したのか、教えてくれない?」

 私は真っ先にやられてしまったので他のみんながどうなったのか知らない。だけどあの部屋にいたということは、皆あのゴブリンにやられてしまったということだ。


 ……実のところ、私たち五人はいちども実戦でモンスターを倒したことがない。おとぎ話に出てくる勇者は鼻息だけでゴブリンを倒していたが、その弱いモンスターの代名詞みたいなのにも全滅させられる始末だ。みんなの敗因を分析できれば、次こそはきっと勝てる……と思う。


 提案したあと、私の次にやられたであろうイヴちゃんを見る。私の視線に気づいた彼女はそっぽを向いた。プライドの高い性格ゆえに負けた話はしたがらないと思うが、祈るような眼差しを向けてみた。


 瞬きをガマンして、真顔で見つめ続ける。これが私にとっての祈るような眼差し。


「…………………………」

 イヴちゃんは野菜チップスの入ったバスケットに手を伸ばし、しばらく熱視線を無視していたがやがてくすぐったそうに身体をよじったかと思うと、


「しょうがないわね、一度しか言わないからよく聞くのよ!」

 私の眼が渇ききるより早く、話しはじめてくれた。


「アンタがやられたあと、素手でゴブリンに向かっていったら逆にやられちゃったのよ」

 素手で……ということは、けっきょく大剣は抜けなかったのだろう。もうちょっと詳しく聞きたかったが、当人はもう話すことはないといわんばかりにカボチャチップをばりばり齧っている。


 次にクロちゃんを見ると、意図を察して淡々と話してくれた。


「ゴブリンは左手でイヴの首を掴み、絞める。そののちゴブリンはイヴの身体に隠れるように移動。私が詠唱するファイヤーボールの呪文を遮蔽するため、イヴの身体を盾にしたものと思われる。ゴブリンはイヴの首を絞めながら、右手にもった刃渡り三十センチ程度の短剣でイヴの身体を五回斬る。その後ゴブリンはイヴの身体を押しながら移動、盾の状態を維持しつつ私のほうへ接近。ゴブリンと私の距離が一メートルになったとき、イヴは死亡。死因は窒息死と思われる。ゴブリンはイヴの死体を左に投げ捨てたのち、右手に持った短剣で私の脇腹部を左、右の順番で刺突。私は倒れたのち意識不明となり、その際の失血により死亡したものと思われる」

 彼女はそう言いながらイスから立ち上がり、ローブの腹部に空いたふたつの風穴を見せてくれた。


 クロちゃんの話は克明でわかりやすかったが、私はなんだか殺人鬼についての聞き込みでもしてるような気分になってきた。

 シロちゃんは話にたまりかねたのか、ホットミルクを手にしたままうなだれている。ミントちゃんはよくわからないといった表情で目をぱちくりさせている。イヴちゃんはクロちゃんに恨めしそうな視線を向けていた。


 私は気を取り直して、うつむいたままのシロちゃんに声をかけた。ハッと顔を上げた彼女の眼鏡は、ホットミルクの湯気で真っ白に曇っていた。取りだした白いハンカチで眼鏡を拭き終わるのを待ってから、彼女に話を聞くことにした。


「あの……わたくし……その……」

 シロちゃんは口に手を当てておろおろしている。


「大丈夫、誰もシロちゃんを責めたりしないから、教えて、ねっ」

 手をのばして、シロちゃんの手を握る。白くて細い彼女の手はかすかに震えていた。


「は……はいっ……えっと……リ、リリーさんが私をお呼びになりましたので……茂みの外に出たのですが、こっ、転んでしまいまして……あの……眼鏡を……その……」

 大体察しがついた。


「落とした眼鏡を探してる途中でやられちゃったんだね」

 私が言い終わる前に、シロちゃんはテーブルに突っ伏した。かけている眼鏡が天板に当たったのか、ゴツンとぶつかる音が聞こえた。


「す、すみません! 私、本当に、本当にドジで!」

 極度の近眼なのは知っていたが、眼鏡をなくすことは文字通り命取りとなるようだ。


 ドジなような気もするが、切株に武器を奪われたのと、味方の呪文を背中で受けたのと比べてもドジかと聞かれると、自信がない。


「ミントはね~」

 不意にミントちゃんが立ち上がる。


「ゴブリンからフクロをとったあと、リスのおやこをみつけたの!」

 シロちゃんを慰めるつもりなのか、自分からやられた理由を話しだす。

「にらめっこしてたらいつのまにやられちゃったぁ」


 屈託なくそう締めると、伏せたシロちゃんの隣におもむろに忍びよった。膨らませた両頬を持ち上げて、変な顔をする。


 彼女のいたずら心を察した私はシロちゃんにそっと顔を近づけて、鼻の頭を指で持ち上げて豚鼻顔をつくる。


 私の反対側で音もなく、人さし指と親指でまぶたを限界まで拡げて眼球をむき出しにするクロちゃん。


 イヴちゃんに視線を送ると最初は首を振って拒否していたが、やがてテーブルの上に腹這いになり、指で両目をこれでもかとツリあげてシロちゃんの正面にセッティングしてくれた。


 店内は賑やかだったが、テーブルは急に静かになる。


 誰も何も言わなくなったのに気づいたのか、シロちゃんは恐る恐る顔をあげた。その眼鏡はズレていて、大きな瞳をぱちくりさせている。どうやら目の前に何かがあるのはわかるようで、不安そうな顔で目を細めたりしていた。


 少しして、細い指で眼鏡のズレを直したかと思うと、眼前に並んだ四つの変顔に不意を突かれたのかブフォッ!と吹き出した。


 真っ赤な顔を両手で覆い隠すシロちゃんは耳まで真っ赤で、細い肩が小刻みに上下するのにあわせて、クックックックッとシャックリを堪えるような笑い声が聞こえてくる。


 私たちも我慢できなくなり、堰を切ったように爆笑。まわりのクラスメイトたちが何事かと覗きに来るくらい、大声で笑った。クロちゃんは相変わらず無表情だったけど、この時はなんだか楽しそうに見えた。


 ひとしきり笑って喉が渇いたので、私たちは飲み物をおかわりした。


「あ、そうだ」

 新しく来たカフェオレに砂糖をドバドバと追い足ししていたイヴちゃんが、思い出したように言う。


「リリー、ずっと気になってたんだけど」

 頬杖をついたままスプーンでカフェオレをかき回している。ずっと気になっていた、というわりに興味薄そうな態度だ。


「アンタ勇者のくせに呪文のひとつやふたつ使えないの?」

 笑いすぎてちょっと枯れ気味になった声で応じる。

「一応使えるよ……ひとつだけど」

 本当はふたつなのだが。

「ならなんでそれを使わないのよ」

 答えずにいると、イヴちゃんがしびれを切らした。

「どんな呪文なのよ?」

「……静電気」

「は?」

「静電気を起こす呪文」

「はあっ、何それ?」

 細長いゴボウチップを小動物みたいにカリカリ噛んでいたクロちゃんが、不意に口を挟む。

「勇者の攻撃呪文は雷、その基礎となる呪文」


 そう、伝説の勇者はみな雷撃の呪文を得意としたらしい。なのでツヴィ女の勇者科でもそれにならって雷系統の呪文を教わる。その基礎中の基礎が静電気の呪文なのだ。


「いくら基礎だからって、わざわざ呪文で静電気を起こしたがるヤツがどこにいるのよ」

 私は問いに答えるかわりに、その呪文をつぶやいた。


 パチンという破裂音のあと、

「あいたっ」

 カフェオレをかき回していたスプーンからあわてて指を離すイヴちゃん。


「……やったわね」

 私はあさっての方角を向いてとぼけた。


「…………」

 無言で立ち上がったイヴちゃんは私のほうに近づいてきて、いきなり片腕を首に絡めてきた。


「んぐっ!」

 思わず喉から絞りだしたような声が出てしまう。


「…………」

 なおも無言のイヴちゃんは、あいている片手で私の三つ編みを器用にほどきはじめた。


「なっ、なに? なんなの?」

 結束から解かれた私の髪がハラリと広がった。まきつく腕のせいで可動範囲の狭くなった首をなんとか動かすと、腰のポーチからブラシを取り出す手が見えた。その直後、


「そんなに静電気を起こしたけりゃ、起こしてあげるわよ!」

 ブラシで私の髪を逆立てるようにガシガシと梳きはじめるイヴちゃん。


「ひゃあぁあぁあぁ!」

 私の頭からはじけるような音が次々と鳴り、思わず変な悲鳴をあげてしまう。


「ウソ! ウソ! ごめん! イヴちゃん!」

 もがきながら懇願していると、

「ひゃあっ!」

 今度はイヴちゃんのほうが背中に氷でも放りこまれたみたいな声をあげた。腕の力が緩んだスキに振りほどいて立ち上がると、イヴちゃんのツインテールをせっせと梳かすミントちゃんの姿があった。


 さらにその背後には、ブラシを構えてミントちゃんににじり寄るクロちゃんの姿が。


 私も負けじと腰のポーチからブラシを取り出し、構えた。自分も誰かの髪を梳かしたいという妙な欲求が沸き上がってくる。さてこの状況で、誰を梳かす?


 発端となったイヴちゃん? 櫛通りよさそうなポニーテールのミントちゃん? いやそれとも誰にも狙われていないクロちゃん?


 悩む私の眼前に、ブラシが突きつけられた。

「アンタの相手は、このアタシよ!」


 見ると、いつのまにかツインテールが昆虫の触角みたいに正面に移動しちゃってるイヴちゃんの姿があった。私は思わず、

「だ……誰?」

 なんて言ってしまった。


「あ、あの……」


 不意に、声が割り込む。その声はか細かったが、その一言でみんなは彼女が残っていたことを思い出した。一斉に振りかえり、声の主を見る。


「えっ? あ、あの……」

 いきなり八つの瞳を向けられ、戸惑うシロちゃん。四つ巴の戦いにどうしていいかわからず声をかけたものの、まさか自分が注目の的になるとは思ってもいなかったようだ。


 私たちの視線は、彼女の長く艶やかな髪に注がれていた。

 ……今までとは比べものにならない、イジリ甲斐のありそうなその黒髪。私たち四人は取り憑かれたように、シロちゃんに近づいていく。


「えっ? えええっ?」

 戸惑っているところを、ゾンビのように取り囲む。そして、

「きゃあっ!」

 彼女は一気にもみくちゃにされた。

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