友達記念日

 月曜も火曜も毎朝千葉さんはわたしに挨拶した。いつもわたしの方が早く教室に着き、本を読んでいて挨拶されるまで存在に気づかないからなんだけど、話すようになってからずっと千葉さんからしか挨拶しておらず、自分から話しかけないのはなんとなく罰が悪いと思っていた五時間目のことだ。

「山瀬さん。一緒にやらない?」

 五時間目の美術は友達の似顔絵を描くということで、友達のいないわたしはどうしたものかと思っていたけど、千葉さんに声をかけてもらえてよかった。

「うん」

 断る理由がないので二つ返事で頷いて、美術室の前から二人で画用紙を取ってきて早速始めた。

 見れば見るほど綺麗な人だ。愛嬌のある蛇……というのもおかしいけど、どことなく爬虫類を思わせる顔立ちで、同級生どころか中学生とは思えない色気を醸し出している。薄い唇は艶やかで、たぶん薄いピンクのリップを塗っている。いつもしていたかは覚えていない。

 こうも整った顔を描いていると似顔絵というより美術品の模写をしている気分だ。

「どう?」

 千葉さんが聞いた。どうってなんだろう。もう描けたかってことだろうか。

「まだけっこうかかりそう。千葉さんは描けたの?」

「私もまだ」

 千葉さんは微笑んで、自分の画用紙に向き直った。急かしたわけではないのか。

 顔を上げて時計を見ると、授業が終わる五分前になっていた。思ったよりずっと集中していたようだ。

「終わった?」

 いつの間に描き終えていたのか、千葉さんを手持ち無沙汰にさせてしまっていた。申し訳ないことをした。

「うん。待たせてごめんね」

「見せて」

「え、はい」

「あ、見せてくれるんだ」

「うん。隠すようなものでもないでしょ」

「そう? 自分の絵を人に見られるのって恥ずかしいと思うけど」

 そういうものだろうか。どうせあとで校内に貼り出されるのに恥ずかしがったってしかたがないと思うけど。

 いや、それより。

「わたしに恥ずかしいことを頼んだの?」

「ふふ」

 千葉さんは上品に目を細めた。思わずその笑顔だけで誤魔化されそうになるほど、その笑顔は魔性だった。

「恥ずかしいことを頼んだの?」

「山瀬さん、絵上手だね。すごい」

「そうかな。ありがとう。千葉さんのも見せて」

「嫌だ。恥ずかしいもの」

 まるで友達みたいな他愛のないやり取りだ。いや、そういえば友達の似顔絵を描く授業だった。

 わたしと千葉さんは友達なんだろうか。なんとなく挨拶する仲にはなったけど、それは友達なんだろうか。友達の定義はともかく、少なくとも、千葉さんはわたしのことを友達だと思っているのだろうか。

 もしそうなら、悪い気はしなかった。



 作品として廊下に展示されていた似顔絵が返却された。授業から二週間が経った日のことだ。

 もらってもしかたがないと思うんだけど、他の人達はこういうのをどうしているのだろう。家に持ち帰って捨てるのだろうか。

「あ、待って」

 そのままだと鞄に入らないし、画用紙を折ろうとしたところを似顔絵と似ているような似ていないような顔に止められた。どっち付かずの評価なのは顔が変わったとかでなく、わたしの技量の問題だ。

 そういえばと思って近くに来た千葉さんの唇を見ると、色付きのリップは塗られていなかった。それでもしっとり潤っているのは日頃から気を遣っているのだろう。

 似顔絵をきっかけに気になって、ここ三週間千葉さんを見てきた。彼女は外見こそ綺麗で派手に見えるけど、けっこう真面目な人みたいだ。宿題を忘れたことはないし、授業では先生の質問に率先して答えている。スカートの長さも規則の範囲内だし、鞄には小物の一つも着けていない。

 似顔絵を描いたときは千葉さんのことを知らなかったのでなにも思わなかったけど、色付きリップも含め化粧は校則で禁止されているし、そんな真面目な彼女が少しでも着飾ろうとしてきたのは珍しい事だったんじゃないだろうか。

 とはいえなんとなく想像はつく。これだけ綺麗な人だし、彼氏がいないわけがないだろう。放課後にデートでもする予定があったに違いない。

「どうしたの?」

「似顔絵交換しない? せっかくだし」

 なにがせっかくなんだろう。わたしはわたしの似顔絵を持って帰っていよいよどうしたらいいんだ。

「いいよ。はい」

 わたしは画用紙を差し出して、千葉さんの手にある画用紙を受け取った。授業中は恥ずかしがって見せてくれなかったけど、結局廊下に貼り出されたのでもう何度も見た似顔絵だ。もし千葉さんが本当にわたしの顔がこう見えているのだとしたら、よく友達になろうと思ったなと変に感心するほどの出来映えだ。きっと千葉さんは顔で人を判断しない人なんだろう。

「ありがとう。山瀬さん、本当に絵上手だね。授業でも言ったけどびっくりした。絵は習ってるの?」

「少しだけアトリエに通ってたことがあるから。でもそれだけだよ」

 母がわたしにやらせていた習い事の一つだ。絵を描くのは脳に良い影響を与えるとテレビ番組の情報を鵜呑みにして始めさせられ、職業イラストレーターの収入をテレビ番組で知って辞めさせられた。

「アトリエかー。なんか本格的だね」

「まだ小二のときに三ヶ月行ってただけだから、そんな本格的なことはしてなかったけどね」

 静物画のデッサンを少しやって、あとはもう自由に描いてみようという感じだったと思う。父の影響で漫画が好きだったわたしは、自由時間はとにかく漫画を描いていた覚えがある。

「そうなんだ。でも小さい頃に三ヶ月やっただけでこれだけ描けるんだからやっぱりすごいな」

「そうかな。ありがとう」

「ううん。こちらこそ似顔絵ありがとう。部屋に飾るね」

 それは嫌だな。

 どんな部屋か知らないけど、やっぱり本人の外見同様綺麗な部屋というイメージがある。そんな部屋にわたしの絵はミスマッチだろうに。

 とはいえ、あの似顔絵はもう彼女のものだ。どうしようが勝手だし、わたしになにか言う権利はない。できるのはせいぜい、わたしの部屋に彼女の絵を飾ることくらいだ。

「わたしもそうするね」

「じゃあ、お揃いだね」

 それはお揃いなのか?

 六時間目の授業開始を知らせるチャイムが鳴って、千葉さんはわたしの絵を持って自分の席に戻っていった。


「山瀬さん、またね」

「うん。また明日」

 授業は滞りなく終わって放課後、千葉さんにまた明日と言うのも慣れてきた。挨拶を交わしてからもう一ヶ月になろうというのに慣れない方がおかしいだろう。

「一ヶ月か。……いやいや」

 なんだか記念日みたいだと一瞬頭をかすめたけれど、なんの記念日だ。いちいち友達記念日なんて作っていたら充実しているだろう彼女の毎日は記念日ばかりできりがない。

 でも、と手の中の丸めた紙を見て思う。この似顔絵は千葉さんからのプレゼントと言えなくもない。

 いや、言えないだろ。わたしは浮かれているのか?

 ……。

 わたしは帰る前に職員室に寄って紙袋をもらい、千葉さんが描いたわたしの似顔絵を入れて持ち帰った。

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陰に咲く花 錦幽霊 @dienearme

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