カーキ色の軍服

阿部善

カーキ色の軍服

『赤い皇軍こうぐん

 私が長年所属しょぞくしていた、日本人民軍に対する異称いしょうだ。みょうである。カーキ色の軍服ぐんぷくに、制帽せいぼう、行進の様式、階級章かいきゅうしょう、とてもめられたものでは無いが、政治に深く干渉する体質まで。何もかもが『皇軍』と呼ばれた大日本帝国軍にそっくりだった。こんなにそっくりなのは、一説いっせつによると、ソ連、及び北日本政府が日本人民軍をソ連の傀儡かいらいでは無く、日本人自らの手による組織そしきであると印象付ける為、と言われているが真相は定かでは無い。仏壇ぶつだんにある、父の遺影いえいと、壁に掛けてある私の軍服を比較してみれば、一目瞭然いちもくりょうぜんと言えるそっくりさ。この軍服をそでに通して、長年、軍人としての誇りと、北日本に対する愛国心を胸に抱きながら、『赤い皇軍』の一員として、長年を過ごした。


 だが、その私ももう除隊じょたい済みだ。ワルシャワ条約機構じょうやくきこう軍の一員として、あの『プラハの春』を弾圧だんあつ……もとい、鎮圧ちんあつしに行った時が最盛期さいせいきだったかな。今は、新潟にいがた柏崎かしわざきにあるこの実家じっかで、畑をたがやし、隠居いんきょ生活を送っている。南北日本統一の段階だんかいで、軍内部ではかなりの高年こうねんだったが、吸収した南の日本防衛ぼうえい軍に登用されるという道も、あるにはあった。だが、私はそれをこばんだ。南の政府には、つかえる気が起きなかったのだ。


 ここ新潟県は、元々、ソ連では無くアメリカに占領せんりょうされる予定だったらしい。何があったか、占領統治開始の直前になって、ソ連が「新潟県は歴史的、文化的にも東北地方の一部である」と、突如とつじょとして言い出した。それによって、新潟県は東北地方の一部としてソ連の占領下に入り、独立後は北日本の一部として、東側随一ずいいち工業こうぎょう地帯ちたいとして知られるようになった。何故、新潟県を加えたかは、良質な不凍港ふとうこうである新潟港を使いたかったという説や、佐渡島さどがしまを抑えておきたかったという説など、所説しょせつあるが、いずれにせよ、ソ連側のエゴイズムが原因のようで、新潟県の歴史や文化を汲んだ訳では無かった。もし、ここ新潟県がアメリカ占領下だったら、私の若かりし日々は、もっと豊かに送れた筈だ。しかし、だとすれば軍人にはならなかっただろう。私が忠誠ちゅうせいを誓ってきたのは、あくまで日本人民共和国だったから……。

 我が一族は代々、小作人こさくにんの家系だった。貧しく、苦しい生活を送ってきた事は、母や祖父母から散々さんざん聞いてきた。第二次世界大戦で戦死せんしした父は、貧しさ故に軍人になるしか無かったとも聞いた。その様な話を幼少期ようしょうきから聞かされた私は、平等をかかげる社会主義の精神に深く感動し、小作人を解放してくれた日本社会主義統一党に対し、感謝かんしゃささげ、党が率いる国に貢献こうけんしたいと、軍に志願しがんしたのだった。

 しかし、実際に入隊して、北日本政府や軍の内情ないじょう垣間かいま見る立場になると、実態じったいは想像とは遥かにかけ離れており、酷く幻滅げんめつした覚えがある。高級こうきゅう将校しょうこうや、日本社会主義統一党の幹部かんぶ連中は私腹しふくやし、メルセデス・ベンツやランボルギーニの様な西側の高級車を乗り回し、シャネルやルイ・ヴィトンの様な西側のブランド品を身にまとい、豪奢ごうしゃな生活を送っていた。その時私は思った。平等の理想とは何だったのか、と。

 けれども、それでも平等の理想に対する憧憬しょうけいは変わらず、南側の不平等ふびょうどうを認める体制よりは、建前だけでも平等の方が良い、そう思いながら、北日本国家の為、尽力じんりょくしてきた。その中で、自分のやっている事が本当に正しいのか、疑問に思う事は幾らかあったけれども……。それでも、軍人として生きた道は、間違っていなかったと思っている。だが――


 もう北日本国家は存在しない。平等の理想はついえ、不平等を是とする資本主義の前に敗北した。これが現実、もう受け入れるしか無いのだ。

 ベトナムで、平等の理想を追い求めてきた人々の理想を、その軍靴ぐんかで踏みにじってきた南の日本防衛軍など、入隊したく無かった私は、入隊を拒み、こうして畑を耕しながら暮らしている。先祖代々農家なのだ、こうして農業をやるのが、血に刻まれているのかも知れないな……。


 外に出て、畑に目をやると、芽の生育せいいくが悪い事が分かった。これには肥料が追加で必要だな。肥灰こえはいでもやろう、よし、ドラム缶に……。

 家にある古くなったほうきだの、わらだの、燃やせそうな物をドラム缶に詰め込んで、火を着けた。これはよく燃える……。それから、あのカーキ色の軍服。金属製きんぞくせいの部品を取り外せば、燃やせる筈だ。よし……

 私は家の壁に掛けてあったカーキ色の軍服から、ボタン等の金属製の部品を取り外して、火にくべた。みるみる内に、カーキ色の軍服は燃えていった。さよなら、我が思い出の軍服よ。燃え上がる煙は、天にまで届きそうな勢いだった。

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