星祭りの怪盗

このはりと

星祭りの怪盗

【 犯行計画 】

・決行日 七月七日

・障害 愛する者とその友人

・成否 犯行によりが降れば計画失敗。ただちに自首

・盗み出すもの ??? (情報が漏れないよう伏せる)

・費用 五百円


 以上 アルタイルよりベガへ



 子どもがあらわす感情は、実に豊かである。喜びも悲しみも、その心には一片の偽りもない。だからこそ、嬉しさは倍に、寂しさは半分に、親としてできるだけのことをしてやりたくなるのだ。そこに、わずかな悪戯心がまじっても、どうか大目に見て欲しい。そんな思いから、この夏、わたしたちはある犯行を企て、実行した。



『士郎くんの具合は、まだ秘密にしているわ。でも、やりすぎじゃないかしら』

『いのりさんが育てた子なんですから、きっと大丈夫ですよ』


 わたしは、メールで夫に不安を打ち明けた。

 対して、療養のため離れている彼──鳩羽士郎はとばしろうからの返事は、ずるい。愛娘のいろは、わたしに似て気の強いところがある。一時期、学校で男子にいじめられたようだったが、しょげた様子もなく、今ではその子と仲良くしているくらいだ。人を嫌わないでいるのは、大人でも難しい。娘は、小学一年生にして、他人を許し受け入れられる心を持っていた。我ながらいい子に育てたものだ、と、自慢話のひとつもしたくなる。夫は、そこをくすぐってきた。

 しかし、今回は相手が子どもではない。大人のすることに、はたして子どもの心が耐えられるのか不安であった。


『もしが降ったら、計画は失敗。すぐ次の行動にうつりましょう。僕の筋書きは、捨てたものではありませんよ』


 そんなのは、物書きの悪い癖ではないのか。

 計画には、万一に備えて保険がかけてある。保険とは、が降ったら犯人が自首する、というものだ。そうなれば、きっと雨はやみ一件落着である。『わかったわ』と、わたしは渋々うなずいた。

 小さな穴は、大きなミスにつながりかねない。迷いを振り切るように頬を叩き、わたしは計画を成功させるべく動き始めた。


 迎えた七夕の夜。見上げた先には、手を伸ばせば届きそうなほどに星々がきらめいていた。快晴である。愛らしくはしゃぎまわる子どもたちを見ていると、町内の催しである七夕会の成功は疑いようがない。わたしは、周囲から職歴を買われ、会のまとめ役を任されていた。


「おかあさん。いろ、みどりちゃんといっしょにいるね」


 娘が、そう言ってわたしの洋服の裾を引いた。竹飾りの設置に、子どもの誘導、飲食物の管理まで、わたしの指示は多方に飛ぶ。町内行事と侮っていたが、なかなかどうして忙しい。いろは、それを察してくれたのだ。


「ごめんね、かまってあげられなくて。緑のところでいい子にしていてね」


 しゃがみ込んで娘に目線を合わせると、彼女の柔らかい髪を撫でてやった。いろは、髪を撫でられるのが好きなのだ。「うん」と元気よく返事をすると、いろは友人のもとへと駆けていった。

 さて、母親役はいったんおしまい。それからしばらく、わたしは職場さながらに、保護者やボランティアの面々に指示を出し続ける。イベントの準備が整うころ、最後に娘と話してから四十分が過ぎていた。


(ここからがもうひと仕事ね)


 と、そのとき、ジーンズに入れたスマートフォンが短く振動する。見ると、夫からメールが届いていた。


『きっと、うまくいきますよ』


 わたしの背を押すような、最高のタイミングだ。


(士郎くん、昔からそういうところがあるのよね)


 勇気づけられたわたしは、よし、と意気込む。この夜、わたしは誰にも知られずに、あるものを盗み出さなければならない。


 娘は、竹飾りの前にいた。隣りの友人が近づいて来るわたしに気づく。


「いのりさん、もういいんですか」

「ええ。会の手伝いだけでなく、いろの相手までしてくれて、ありがとう」


 彼女──千歳緑ちとせみどりは、いろの友人である。二十代の半ばくらいで、将来は画家を目指しているそうだ。上手な絵を描く彼女に、いろはすっかり夢中になり、あっという間に仲良くなる。「おともだちのみどりちゃん」と家へ連れてきたときは驚いたが、話してみると、気性の穏やかないい子で安心した。しかし、この日のわたしにとって彼女は、障害のひとつである。


「本当に上手ね。この青い短冊は──」

「はい。いろちゃんの短冊です。緑色だけでは寂しかったので、助かりました」


 緑が描く、短冊のぶら下がった竹飾りの絵。これは士郎くんの想定内だ。


「このあとはどうするの?」


 不審に思われないよう気をつけて、緑に訊ねた。


「もう少しここにいます。今のご時世、悪さをする人が現れないとも限りません。こうして絵を描いていれば、今夜の主役を、怪しまれずに見張っていられますから」


 やはり障害になったか、と、心の中でため息をつく。緑の善意には申し訳ないが、夫が考えた案を実行する。


「もうすぐ会が始まるんだから大丈夫よ。それより、手伝ってくれたお礼がしたいの。ちょっとそこまで行きましょう」


 強引だったかしら。いろと緑は、互いに目を合わせて、頭上に疑問符を浮かべた。「それなら、会で用意したものでいいですよ。すぐそこですし」と、緑は手強い。


「経費の都合で、どうしても安いものになるのよ。高くて美味しいのがいいかな、と思って」


 緑の喉が、ごくりと鳴った。「いろもそっちがいい」と娘がねだってくるのは、完全に夫の想定外。犯行費用が五百円を超えるのは免れないだろう。


(士郎くんにも、読めないことがあるのね)


 ともあれ、わたしは緑を連れ出すことに成功した。娘には「知らない人についていっちゃダメよ」と念押しを忘れずにおく。緑は何か言いたげにしていたが、高くて美味しいものに目を輝かせるいろに見送られ、「ばいばい」と手を振って歩き出した。


「大丈夫ですか。いろちゃんをひとりにして」

「言いつけをちゃんと守る子だもの。心配ないわ」

「それは確かに。いのりさんが来る前も、『知らない人にはついていかない』と言っていました。ある理由から、お小遣いをためているそうですよ」

「知っているわ。いい子に育てたわたし、すごいでしょう」


 緑は世辞を言わない子だ。そんな子に「尊敬します」と言われ、財布の紐がゆるんだのはこの際よしとする。近くのコンビニエンスストアで、一番高いアイスクリームと、同じくらいするジュースを買って、出費は六百円。そこで緑とは別れ、わたしは会場へ戻った。「いろのぶんは?」と抱きついてくる娘を、「いろだけ違うものを食べていたら不公平でしょう。帰りに買ってあげるわね」と諭し、手をつないでみんなが集まっているところまで連れてゆく。ここまでは順調である。出費を除いて。


「竹飾りの枝が子どもには少し高いので、下げてきます」


 手伝いを申し出てくれる人をやんわりと断り、わたしはひとり、イベントの仕上げに取りかかる。幸い、重りになりそうなものと結ぶものは、すぐ手に入った。娘は友達ときゃあきゃあと盛り上がっている。あの笑顔をもっと見たい。わたしはそう思いながら竹飾りを直し、この行事でのを、滞りなく果たす。

 その後、事件は起こった。


「短冊がなくなって、悲しい?」


 娘の書いた短冊がなくなり、瞬間、会場がざわついた。仕切り役として、こういったトラブルは想定済みである。みんなを落ち着かせると、わたしは母親役に戻り、娘の手を引いて人の波からはずれた。


「かなしいけど、おかあさんがいっしょにいてくれるから、うれしい」


 泣かせることを言う。涙は不安をあおるので、口角を上げて笑顔を作った。主婦になるまで、スマイルづくりだって仕事のひとつだったのだ。なんてことはない。しかし、失われる前に娘が見せてくれた短冊には、正直まいった。


『おとうさんが、はやく帰ってきますように』


 その願いに、絶句した。学校では友達をたくさん作り、緑という得難い友人までできた。それで、すっかり油断していたのだ。友人達が、いろを支えてくれているのだから大丈夫だ、と。けれど、父親とふれあう時間の少なさに、この子の心は限界に達そうとしていた。それは願いにあらわれる。おととしは『かわいいおよめさんになりたい』、去年は『おかあさんがげんきになりますように』だった。七夕は、欲しいものをねだれる、年に数回のイベントである。もっと自分の欲を満たすような願いでよいはずなのに。それが、たった一年で、この子は自分のことを願わなくなってしまった。そして、ついに寂しい思いが溢れた。父親に、そばにいて欲しい、と。


「お願い、叶うといいわね」


 わたしは夜空を見上げ、すべてがうまくいくことを星に願った。

 数日後、わたしは娘を連れて夫のいる病院へ向かう。普段は自転車だが、今日は車を出した。夏はちょっとした油断が命取りである。道中、いろには水分を多くとらせた。

 病院に着くや早々、娘は「トイレに行きたい」と言う。


「ひとりで大丈夫?」

「もう、おかあさんたら。赤ちゃんじゃないんだから、だいじょうぶよ」

「そうね。いろはもう、立派なお姉さんだものね」


 年に数回しか来ないが、彼女はこの病院のつくりを覚えている。小さな背中を見送り、わたしは夫の病室を目指した。さあ、計画は大詰めだ。

 病室のドアを開けると、夫が「待っていました」と迎えてくれた。身支度を済ませ、手には一本の枝が握られている。この日、わたしたち家族のもとへ遅れてやってきた七夕。わたしはその枝に、願いごとを捧げた。

 廊下から軽い足音が聞こえてくる。病室に入ったいろは、父親の姿を見て、目を丸くした。


「おとうさん、どこかへおでかけするの?」

「これからお家へおでかけします。一緒に来てくれますか?」


 いろが彼の言葉を理解するまでには、ほんの少しだけ時間がかかった。夫が、背に隠した一本の枝をそっと見せると、娘の目には夜空の星々にも負けない輝きが宿る。わっと駆け寄ってきた小さな体を、士郎くんとわたしは、正面から抱きとめた。

 こうして、わたしたちの犯行計画は、完遂されたのである。



 おしまい

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星祭りの怪盗 このはりと @konoharito

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