月光に目覚める

 潤が堤防から降りてきて、場の空気が張り詰めるのが伝わってきた。

 月の光を纏った彼は、神聖に見える。

 彼は河原へ降り立つと足を止めた。


「ビデオカメラ……何故こんなところに?」


 潤は美輝が落としたビデオカメラをしゃがみ込んで見、それからこちらへ向かってきた。


 来ないで! 来ちゃだめ!


 叫ぶが、塞がれた口からは声が出ない。

 潤が橋下に入った途端、二人の若手警官が彼の腕を押さえつけ、その首に大きなナイフをあてがった。

 彼は冷静に止まって動かなかった。


「これは一体……」

「よく来てくれた。宮瀬」

「お前……彼女はどこだ!?」


 彼はいきなり暗闇に引きずり込まれたために、まだ状況が見えていないようだった。


「雨川さんならそこにいるよ、時期に目が慣れるだろう」


 彼と目が合う。


「大丈夫か! 怪我はないか?」


 大男が美輝の口からタオルをどけた。


「潤、私は手紙を出してない! これは罠だったの!」

「そんな……」


 界が手に電動ドリルを持って現れる。


「宮瀬、諦めるんだ。お前が能力を使ったら、その瞬間に雨川から血しぶきが上がる」電動ドリルが回り始め、死の音が大きくなっていく。「いやあ……今まで殺人鬼になってもらって助かってたよ。まあ、それも今日で最後。本当の殺人鬼を怒らせた君は、新しい被害者になるんだけどね」


 潤が歯を食いしばる。


「お前だったのか……道理で警察は犯人を見つけられない訳だ」

「その通り。では、たっぷりと苦しんで貰おう」


 界がじわりじわりと、潤に歩み寄っていく。


「潤!」


 美輝の声に視線が集まった。


「私のことは良いから、能力を使って!」

「そ、そんな……!」

「いいから! 早く!」


 潤は美輝のことを泣きそうな顔で見た。

 そばで界がニヤつきながら彼を見ている。

 潤がゆっくりと腕を上げ、美輝を抑える大男に向けて、指をさした。力を込めているせいで、潤の腕は震えていた。

 美輝の腕を掴む、大男の力が強くなった。

 美輝は心から祈った。彼の力が発動しますように、と全身全霊で祈った。


 それでも、何も起きることはなかった。

 潤は目を閉じると、力なく腕を下ろし俯いた。


「……だめだ、できない」


 界が腹を抱えて笑った。


「『だめだ、できない……』これはいい。能力者も愛の力には勝てないってか」


 潤は目をつり上げて界を睨み付けた。

 暴れようとするが二人の警官に押さえつけられ、身動きが取れない。それでも何とか動いた足で警察官のすねを蹴るが、鍛えられた屈強な警官は怯まなかった。


「おいおい公務執行妨害だぞ。よって、死刑」


 界の持つ電動ドリルが潤の顔に近付いていく。


「待ってください!」


 一人の警察官が声を上げた。

 一番若そうな警官だ。


「ったく、良いところなのに。何!?」


 界が苛だちを露にする。

 若手警官は大きく息を吸い込むと言った。


「こんな事、間違っていると思います!」

「ほう」


 鋭介が顎を撫でて彼を下目に見た。


「あまりにも人道から離れた行為です! 今すぐこんなことやめてください! 私はもう、耐えられません!」


 鋭介が腰に着けた警棒に手をかけて、彼に近付いていく。

 周りにいた警察官も彼を囲うようにして追い詰めていく。


「警官なりたてのお前は、この道三十年の私に逆らうんだな?」


 ねっとりと不快感たっぷりの声で鋭介が言った。

 若手警官はぶるぶると震えている。


「使えないやつだ」


 警棒が高く上げられた。



「やめて!」


 美輝は咄嗟に叫んでいた。




 そしてその時、それは起きた。


 鋭介が宙に舞った。

 恐怖に引き攣った顔。

 頭から地面に落下する鋭介。

 何か折れるような鈍い音。

 不自然な方向に首を曲げたまま、動かなくなる鋭介。


 次に呆気にとられていた警官たちが、頭や胸を押さえながらもだえ苦しみ始めた。数秒後、彼らは一斉に、操り人形の糸が切れたかのごとく、その場へ崩れ落ちた。

 続いて美輝を抑えていた大男が足元に転がり、体を硬直させて動かなくなった。

 全てが一瞬の出来事だった。若手警察官が一人、倒れた警官たちに囲まれて、呆然と立ち尽くしていた。


「パパ!」


 界が倒れた鋭介の元へ駆け寄って、その体にしがみつく。


 美輝は潤を押さえつける警官二人を睨み付けた。

 二人は足をなぎなたではらわれたかのように転倒すると、自らの首を掻きむしりながら転げ回り、最後にぴたりと動かなくなった。

 潤と目が合う。


「君だったのか……」驚いていた彼の顔がぱっと険しくなり、大声で叫ぶ。「後ろ、危ない!」


 界は鋭介の亡骸から離れ、立ち上がっていた。


「殺す……!」


 界は電動ドリルを手に美輝に飛び掛かってきた。

 焦った美輝は振り返りざまに石につまずき、足がもつれる。


 やられる! 



 バキッ。


 何かが飛んできて、界の顔にぶち当たった。

 界は勢いよく倒れ込み、その拍子にドリルへ顔から突っ込んでゆく。

 美輝は目を逸らした。

 断末魔の叫びが橋の下に響き渡る。


 目の前には壊れたビデオカメラが、そしてその向こうには那波の姿があった。

 那波が、落ちていた美輝のビデオカメラを投げつけたのだ。


「美輝、大丈夫!?」

「那波! どうしてここに?」

「どうなったのか気になってずっと電話かけてたんだよ。全然出てくれないから心配して来ちゃった。でも来て良かった……」


 美輝と那波は泣きながら抱き合った。

 呆然としていた若手警察官が我に返り、口を開いた。


「こんな事があるなんて……全く信じられない」

「世の中、人間の理解を超えるものもあるんですよ」


 潤は未だに驚愕の色を浮かべていた。


「そうですね……事件の真相は本部に連絡しておきます。君たち、本当にありがとう。命の恩人だよ」

「あなたも、止めてくださってありがとうございました」


 美輝は返した。それから一言付け足した。


「あの……この力のことは秘密にしていただけませんか?」


 この力のことが広がってしまえば、また、新しい騒ぎとなってしまうだろう。

 それだとすれば、力を使わずに生活して、人々の中で噂として薄れていくのを待つのが最善策なのではないだろうか。


 若手警官はうーんとしばらく考え込んでから「わかった。なんとかしてみる」と応えた。

 何とかできるものなのかはわからないが、大人達が超能力を信じるとは思えなかったし、界たちの身体に殺された証拠は残っていない。

 いずれこのことは、解明できない謎として忘れられていくだろう。


 美輝はビデオカメラを拾った。

 電源ボタンを押すが起動しない。

 これで撮った犬の映像や、映画のシーンは永遠に封印されたということだ。

 せっかくすごいものが撮れたと思ったのに。潤の笑顔も隠し撮りしていたのだが……。

 しかし、壊れてしまったものはしょうが無い。

 これは残しておいてはいけない映像だった、という天からのお告げかもしれない。


「また新しいビデオカメラ買わなきゃ」



 ***



 堤防を上り、那波と別れた。

 潤は今日も家まで送ってくれるという。 


 二人、満月の下を歩いて行く。


 ずっと、潤が能力者であるという前提でその原因について考えていた。

 けれども、その根底こそが間違いだったのだ。

 能力を持っていたのは美輝であり、自分自身の力を自覚していないのも美輝だった。

 振り返ってみると、彼が能力を使ったように見えたのは、美輝が危険に対して強い気持ちを抱いていた時と重なる。

 それになぜ、気が付けなかったのだろう。


「まさか、君の力だったとは」


 風に河原の草がざわめいた。


「でも、ひとつ不思議に思うことがあるんだ」

「何?」

「君と出会う前にも一度だけ、能力は発動しているんだ」

「それっていつ?」

「犬に襲われたとき、初めてこの現象が起こった」


 彼は美輝がその場にいたことを知らない。


「うーん……世の中って理屈じゃ説明できないこともあるんだよ」

「……そうだな」


 会話が途切れ、耳に入るのは川の流れる音だけになった。


「ねえ潤」

「ん? どうした美輝?」

「あっ!」


 美輝は目をまん丸にして潤の顔を覗き込んだ。


「初めて名前呼んでくれた! ちゃんと覚えてくれたんだね」

「も、もちろん」


 美輝は彼の手を取って走り出した。

 潤も驚きながら彼女に手を引かれ、走り出す。

 

 月光に照らされた堤防を、二つの影が走って行く。



 ***



 能力というものは、ふとした瞬間に覚醒する。


 それは怒りが燃え上がる瞬間に。

 それは底知れない悲しみの瞬間に。

 それは苦痛や衝撃の瞬間に。




 また、それは、恋が芽生えた瞬間に――。

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月光に目覚める 滝川創 @rooman

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