夜の河原

 夜の河原は真っ暗だった。

 もう少しで十時だ。

 マフラーと手袋を身につけてきたが、それでも水辺の冷風に耳が痛い。

 大きな満月が川に映り込んでいる。


 那波に、潤から呼び出された事を伝えると、告白だと言って彼女は応援してくれた。

 那波の言葉は心強い。まだそうだと決まったわけではないが。


 美輝は橋の下に向かって歩いた。

 夜の河原が綺麗だったので映画のワンシーンにしようと、ビデオカメラでそれを撮りながら歩いた。

 橋の下は本当に真っ暗で、それを見た美輝の胸に不安な気持ちが湧いてきた。

 潤はどんな用事でこんな遅く、こんな場所に呼び出したのだろう。

 彼の能力についてだろうか、それとも、もしかするとやはり……。

 美輝は高なる胸を沈めつつ歩を進める。


 出し抜けに腕を掴まれた。

 潤かと思ったのも束の間、視界に入ったのは二メートルもありそうな厳つい大男だった。

 美輝は橋の下に広がる闇に引きずり込まれ、手にしていたビデオカメラが地面に滑り落ちた。


 叫びあがいたが大男を倒すことは不可能に思え、すぐに抵抗を諦めた。

 堤防の下かつ川の近くなので、助けの声が届くことは決してないだろう。

 暗闇に目が慣れると、橋下には十人ほどの人間がいることがわかった。

 若い五人の警察官、美輝を抑える黒いトレンチコートの大男、それらを引き連れる五十代の警察官。見覚えがあると思えば、界の父、根尾鋭介だ。

 更によく知る顔ぶれ。カメラ片手の長谷川梨里子、そして根尾界。


「なんでここに呼び出されたのかわかる?」


 界が楽しそうなステップを踏みながら近付いてくる。


「君の大好きな潤君に、暴れないで貰うためだよ」


 馬鹿にしたような喋り方だった。

 美輝は彼を睨み付けた。


「おいおい、そんな顔するなって」


 彼はくくっと笑いをかみ殺す。


「ねえ、ちょっと。いつになったら報酬をくれるの?」


 界に話しかけたのは梨里子だ。

 どうやら金目当てで、汚い事に手を染めていたらしい。


「そうだったね。君には働いてもらったからね」

「そうよ。能力の現場写真を撮って、二人の家を見つけて手紙を入れてと、それはそれは大変だったんだから」

「よおし、君にはいいものをあげるよ」


 界はポケットから何かを取り出し、後ろ手に隠しながら梨里子に近付く。


「ちゃんと言った額くれるんでしょうね」

「いや、君は実に頑張ってくれたからね……もっと良いものをあげよう」


 界の目が怪しく光った。


 これはまさか……危ない!!


「え」


 間の抜けた声を出した梨里子の首にナイフが突き立てられた。

 美輝は驚きのあまり、出そうと思った声が出なかった。

 梨里子は目玉が飛び出るほど大きく瞼を見ひらいていた。ゴボゴボと声を出し、その場に崩れ落ちる。

 界は梨里子の首からナイフを抜き、ハンカチで拭くとナイフを折りたたんでポケットに戻した。


「じゃ、パパお願い」


 鋭介が頷き、若手警官に一言二言指示を出すと、梨里子の遺体はどこかへ引きずられていった。

 界の父、鋭介は殺人事件を追っていると名高い警察だったはずではないか。


「ひどすぎる。なんでこんなことするの……?」


 美輝の問いかけに界は冷笑を浮かべる。


「宮瀬潤を殺すために、君には人質になってもらうう」

「そんな」

「いやあ、君には一度邪魔されてるからねえ」

「なんの話?」

「あれれ、覚えてないの? 公園で奴を待ち伏せしてた僕に話しかけてきたじゃないか。あとちょっとで片付いたのに」


 記憶が甦り、美輝は身震いした。

 殺人現場を目にし、誰かに助けを求めたとき、公園のすぐ近くに界がいたが、あれは待ち伏せの最中だったのか。

 これでナイフを持っていたことの辻褄が合う。彼は護身用だなどと嘘をついていたが、実際は潤の散歩ルートで彼を殺そうと待ち伏せしていたのだ。

 もしあの場に私一人だったら、あそこであっさりと殺されていたのかもしれない。

 とすると、教師の君田も界の仕業なのだろう。

 警察が来た際にも、もし野次馬が集まっていなかったら連れ去られて、殺されていた可能性だってある。


 あの時は大丈夫だった。しかし、今回は野次馬が来ることはない。

 自分たちで何とかするしかないのだ。


「あいつには十時半に来るよう手紙を出したから、もうじき来るだろう」


 界は美輝の前に座り込んだ。


「お前が邪魔さえしなければ、もっと早くに片付いてたんだ」

「界」鋭介が真顔で界を見た。「大切なのは、早くやることより、確実にやることだ」

「はいはい、そうですね」


 界がやれやれという顔で返事をした。

 それから声を潜めて話し出す。


「僕のパパはすごいんだ。どんなことでもなかったことにできるんだよ」

「界、あまり喋りすぎるな」

「ええー良いじゃん。この絶望を味わってる顔が好きなんだよ。警官に殺されるんだから、警察に助けを求められない……おお、怖い怖い」


 界は満面の笑みだった。明らかにこの状況を楽しんでいる。


「狂ってる……」


 美輝のポケットの中で何度も携帯電話が震えていた。誰かが電話をかけてきているのだ。

 しかし大男は美輝の腕をがっちり掴み、携帯電話に手を伸ばさせてくれなかった。

 一人の警官が橋下に走り込んで来る。


「もうすぐです」

「よし、全員配置につけ」


 彼らはそれぞれが、ナイフやスタンガンなどの武器を手に、暗闇に身を潜めた。界も美輝の前から立ち上がり、身構えた。

 美輝は叫ぼうとしたが大男に口元をタオルで抑えられ、声が出せなくなった。



 堤防の上、月を背にして立つ影が現れた。

 月光が、河原にその影を映し出す。

 彼は少し立ち止まって、それから顔をこちらへ向けた。


 潤の顔が月明かりに照らされた。

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