カガワ・ライフサイクル

緒賀けゐす

生まれるまで、そして生まれ死にゆくまでについて

 西暦2020年――つまり今よりおよそ500年前、当時は日本国に属していた旧香川県にて一つの条例が可決された。それこそが現在の『カガワ』を生み出す原動力となった「ネット・ゲーム依存症対策条例」である。


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 保護者は、前項の場合においては、子どもが睡眠時間を確保し、規則正しい生活習慣を身に付けられるよう、子どものネット・ゲーム依存症につながるようなコンピュータゲームの利用に当たっては、1日当たりの利用時間が 60 分まで(学校等の休業日にあっては、90 分まで)の時間を上限とすること及びスマートフォン等の使用に当たっては、義務教育修了前の子どもについては午後9時までに、それ以外の子どもについては午後 10 時までに使用をやめることを基準とするとともに、前項のルールを遵守させるよう努めなければならない。

(素案より一部抜粋)

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 上記の条文は発表された当時の世論を活発にさせたが、結局はそのまま可決に至り、この条例は施行される運びとなった。


 そしてこれ以降、香川県における規制はさらに幅を利かせることになるわけである。まず行われたのが、規制対象の拡大だ。当初18歳以下と言っていたものが全県民対象となり、テレビやPC、スマートフォン等の電子機器の多くもまた一時間に規制された。この中で新聞は対象外となっていたという事実が文献より確認されており、それは議会と香川県における主要な新聞社との間に癒着があったことのエビデンスとなる、というのが、今日における考古カガワ学界での主流となっている。

 かくして進む香川県でのメディア追放は、10年のうちに新聞以外の全ての報道メディアの利用を禁止する運びとなった。県議会と日本政府との間の確執もこの時期に進んだと考えられており、それが2068年の香川県独立行政区化ムーブメントの種火だともいわれている。独立行政区へと道を進めた事については、さらなる過激派の政治的介入があったのではないかと推察される。しかしこの頃にはパブリックコメントだけでなく県議会のほとんどの動向が水面下で行われるようになっていたため、文献は少なく、それを裏付けるエビデンスは現存しない。


 かくして情報的・制度的にも陸の孤島と化したカガワの現状を、読者の皆様はよく知っているだろう。あのうどんと見分けのつかないような白く細長い生物こそが現在の香川県民であり、種としても独立した「Homo kagawa」として分類される存在であることは周知の事実なのだから。


 これには西暦2300年頃に香川県で勃興した宗教、後に香川県を牛耳る「現世会」が強く関わっている。多くの条文の裏に菌糸のごとく張り巡らされた「ネット・ゲーム依存症対策条例」の影響が、情報を断絶された当時の香川県民の中にさらなる過激派を生み出したのだ。

 現世会は当初、多くの物を一時間以内に収めることを信者に奨励した。彼らは一時間という数字を盲目的に信じた。


 そしてその思想はついに、一つの言葉に辿り着く。


「人生もまた、1時間であるべきである」


 これを実現するために使われたのが、当時実用化段階にまで知見を溜め込んでいた遺伝子改変技術だ。残されていた倫理という問題を、独立国家カガワとなっていた彼らは易々と通り抜けた。この方針についてとその過程については、当時カガワで協力者として実験に携わり亡命後米国にて余生を過ごした愛沢高徳あいざわこうとく教授の「カガワ県民実験録」に詳しい。詳しく知りたい方はそちらを読んでもらうことにして、ここでは概容を記す。


 まず1時間という制限上、現在のような体格にまで成長するのはあまりに非効率だとなり、小型化が一つの目標となった。さらには次世代へと早く移行するための、性的成熟の早期化も重要である。また1時間という時間と、元日本一小さな県であるその面積の狭さから、大きな移動を行うための器官も不要であるとされた。

 必要なのは、栄養を摂取する器官と、生殖器官。それこそが彼らの辿り着いた、の姿であった。


 彼らの思い描いた香川県民が実現したのは、研究を始めてから50年後のことである。

 1時間の! 生命を創るために! 50年!

 その努力の姿勢には何であれ拍手である。


 そして来たる西暦2368年、カガワ国民は法令により、デザイニング器官国民単位UDON(Unit of Designing Organ Nation)へと移行することとなった。


 UDON移行カガワ国民(以下カガワと表記)は、栄養摂取の効率を求め水生生物となった。移行前に設計されたAIによって管理される、黄金色の巨大な養液プール。その中を泳ぐ体長3センチの白い紐状生命体こそがカガワである。

 その細長い体の芯を貫く空洞は、その内部表面に微細なを有する。ここから栄養を摂取するのだ。

 カガワは生まれると同時に、性成熟を開始する。カガワの男性は尾部に精嚢を形成し、カガワの女性は頭部に卵巣を形成する。より効率的な転写・翻訳技術を基盤に構成された代謝系が、10分のうちに100個ほどの精子と5つの卵子を作り出す。

 性成熟を迎えたカガワは、分泌されるそれぞれの性特有の水溶性物資からすぐに雌雄のパートナーを見つける。そして女性カガワが、男性の精嚢に僅かながらにある歯を突き立てるのだ。それを吸い取り、女性カガワの卵巣内に精子が搬入される。

 時間効率を求めたカガワでは、多くの精子・卵子を作るのではなく、より確実な受精を求めた。それがこの交尾方法だった。これによりカガワ全体で平均して、1組あたり2つの受精卵が作られる。

 精子の造成に栄養リソースを割いたカガワの男性は、そのまま生命活動を停止し、生まれてから50分で死に至る。受精卵を持った女性も、57分に誤差±2分でその活動を終える。その際に女性体カガワは、自身の卵巣を飲み込み、頭部尾部の穴を閉ざしてからその一生を終える。こうしてできた女性体カガワ内の針のような空間で、受精卵は23時間をかけて成熟するのだ。

 成熟した幼体のカガワは、母の胴体を貫き、黄金色のスープの世界に生まれ出る。


 そして次世代を残すべく、今日もまた1日1時間の人生ゲームを始めるのだ。


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