第13話 魔の地②


 ラシードが立ち上がるとほぼ同時、玄道も動き出していた。


 ラシードにやったのと同様、ツェーザルの援護が飛ぶ。

 魔術によって生み出された氷刃が向かう先を見定め、玄道は標的を決めた。

 

 氷刃を追いかけるようにして玄道も蜥蜴人に肉薄する。

 迫る魔術に驚きの表情を浮かべる蜥蜴人はその氷刃を回避しようと行動を起こした。

 が、一拍遅く、氷刃はその肩に刺さる。

 

 そこに隙が生まれた。

 玄道は痛みを覚えうめく敵、その胸に肘を押し当て、吹き飛ばした。


 仲間が吹き飛ばされたことを意にも介さず、間髪いれずに次の蜥蜴人が腕を伸ばしてくる。

 素早い突きだ。勢いをのせ前傾で繰り出された突きはちょうど玄道の心臓を抉りださんとしていた。


 振るのではなく突く。最短経路で目の前の男を殺し切ろうという意志が垣間見え、玄道は心うちで悦びに震えた。

 

 戦闘経験を積んでいるのか本能によるものなのか、いずれにしろ素晴らしい攻撃だ。

 

 しかし、求めてやまなかった芯のほてりと同時に、ひやりと湖面のようにいだ玄道の瞳には蜥蜴人の硬鱗に覆われ禍々まがまがしく血管の浮き出た手の甲にとどまらず、碌に手入れもできていないのであろう土色の鋭く伸びた爪までもがはっきりと映し出されていた。


 速い。が、速いと評せるほどに、今の玄道にとっては遅かった。

 

 「……!」


 玄道は自身に伸びてくる腕をとるとともに半身だけ移動して突きを回避。

 次の瞬間には手首の関節が極まり、蜥蜴人は急に羽をもぎ取られた鳥のように膝を屈した。

 

 そして、突きには突きを。

 玄道はその蜥蜴人の背後に回り、立ち上がる隙を与えず腎臓を突いた。

 

 「うっ…………」

 

 蜥蜴人は問題なく倒れた。

 

 臓器の位置や数は普通の人間と同じなのかという懸念があったが、どうやら概ね同じとみてよさそうだ。関節が極まったことからもその他身体構造もそれほど大きく変わりはしないだろうと、玄道は情報を整理した。


 

 前から新たな三人の蜥蜴人。


 しかしその三対の目には迷いが見えた。

 三人のうち一人が他二人よりも一歩半だけ先行している。


 興奮状態にあるのだろう、その蜥蜴人には考えもなにもなさそうだった。


 (怯えているな)


 玄道はそう判断して、滑るように足を運ぶ。

 そして――


 「っ……!」


 先行する蜥蜴人の機先を制した。


 ふところへ入り込み、胸部への肘打ち。


 蜥蜴人は息を詰まらせ、そのまま引力に引かれるかのように後方へ吹き飛んでいった。


 後ろにいた二人の蜥蜴人は反射神経でかわして見せた。


 玄道は内心、驚愕していた。

 二人の蜥蜴人の動きに、ではない。自身の体についてである。


 普段以上に体が軽く、打撃は重みを増していた。

 玄道は、これまでとは違う体の感覚によって生じるぶれを戦いの中で調整していくように意識を向けた。


 昨日より生じた疑問が頭をもたげるが、いまは捨て置き、迫る二人に視線をやる。

 

 二人は多少なりとも戦闘経験があるらしい。一人が玄道を牽制し、その隙にもう一人が玄道の背後に回りこむ。

 連携がとれるらしかった。


 前の蜥蜴人は制動することなく、まるで体当たりを仕掛けるかのように玄道との距離を詰める。


 背後に回った蜥蜴人が玄道を羽交い締めしようと腕を伸ばしてきていることには気づいていた。


 (数の有利を活かした戦法。泥臭いが悪くない手だ)


 なら、まずは後ろの蜥蜴人やつから。


 決めると、玄道は前の蜥蜴人からの拳を肩で受け止めつつ、マントの下で腰のスティレットをすらりと抜いた。

 

 そしてそのまま、下から上へ突き上げるよう一突き。


 「ぁう……」


 その切っ先は背後の蜥蜴人、その腹へ吸い込まれた。


 硬い皮膚を懸念していたが、その心配は杞憂に終わったらしい。深々と突き刺さっている。

 念のため抉るようにして抜く。


 そこから刀身を下からすくい上げ目の前の蜥蜴人へ。


 首元へ向けた刃は腕に遮られる。腕の傷も致命傷には至っていない。


 とそこで、視界の端、どこかで拾ったのだろう、遠方で弓を引き絞る蜥蜴人を認識。

 構えは覚束ない。ならば問題ないか。

 しかし対象にされているツェーザルは狙われていることに気がついていない。


 玄道はそこまで思考を走らせて、肘から先だけでスティレットを投げる。

 直線を描いた切っ先は狙いあやまたず蜥蜴人の眉間に命中した。


 玄道はすぐに弓持ちから視線を切る。

 前の蜥蜴人が臆することなく組み付いてくる。覚悟は決まったようだ。

 密着することで動きを封殺し、押し倒そうという腹づもりなのだろう。


 だが、この状態は玄道にとっても望むところであった。

 超近距離は八極拳の間合いだ。玄道の最も得意とする間合いでもある。


 重心を落とし、肩で蜥蜴人の胸を押す。

 蜥蜴人はそれだけでたたらを踏む。そこへ間髪おかず顎先に掌底。

 蜥蜴人は赤子のように簡単に倒れた。

 

 しかしダメージは軽微。

 蜥蜴人は起き上がろうと仰向けからうつ伏せへ。


 手を地面に突いて立ち上がろうとする蜥蜴人、その右腕へ、玄道は脚を振り下ろした。


 踏み締めるように下ろされたそれは派手さのない静かなものでありながら、しかし威力は絶大であった。


 震脚。

 蜥蜴人の右腕は粉々に砕け、意識を失ったのだろう、その蜥蜴人は悲鳴を上げたのち沈黙した。



 さてと、玄道は一息はいた。


 視界に映る残りは二人。

 敵愾心てきがいしんをむき出しにする子供と、その肩を後ろから抱き留めるのが一人。

 

 性別の区別はつけづらいが、小さな子は、少年だろう。その肩を後ろから抱くのは、他の大人たちと比べ、なお線が細い。母親なのだろう。


 少年から向けられるのは、試合用に研ぎ澄まされたような見せかけのものとは一線を画す、まごうことなき殺意。


 玄道は溢れる感情を抑えることができなかった。

 それが表面に現れ、穏やかともとれる微笑が浮かぶ。


 それが何かに火を点けたのか、少年は母親の腕を強引に振りほどき、凄まじい形相で玄道に迫った。


 その速力には玄道も舌を巻いた。


 ただ、恨みのこもったような響きで何かを叫び散らしながらも迫る姿は素人同然。


 それでも、愚直なまでにまっすぐに。

 他の者が倒すのを座して待つ。そのような輩とは決定的に異なり、そのまま視線で射殺してしまおうというほどの強い感情を向けて、玄道を殺しに来ていた。

 

 腹を決めたのか、母親も少年の後ろから猛追していた。少年を止めるのではなく、玄道を殺すために。


 (いいじゃないか)


 敵対してくる者には相対あいたいさねば。それが殺意をたずさえているとなれば尚更。


 小さく痩せた体で突貫。技のひとつもない。

 あまりにも未熟だ。

 その意気やよし。

 

 玄道に躊躇ためらいはなかった。

 

 真正面からぶつかってくる幼い体に思い切り掌底を当てた。


 少年が紙きれのように吹き飛んでいく。


 母親は目を憤怒に赤く染め何事か絶叫しながら躍りかかってくる。背中に隠された手には粗末なナイフが握られていた。


 相手の感情に惑うことなく、玄道はでたらめに突き出されたナイフをかわし、はらう。

 そのまま首を叩くと、母親は意識を手放しその場に倒れた。


 「ふう」


 ひと通り終えて、玄道は一息ついた――


 

 ――その背後から、剛腕が振りぬかれていた。

 玄道に気取られないよう怒りの奔流ほんりゅうを抑え、激情を押し込め、音を殺し。


 憤怒をかたどった悪鬼の如き蜥蜴人の左腕が迫る。空を切り裂く音がいた。


 玄道は後ろに目でもついているのか、それを左腕を上げることでガードした。


 玄道は高揚しつつも冷静に、淡々と戦闘をこなしていた。敵の数を正確に数えていた。


 ラシードの言った八人を、玄道も確認していた。少なくとも、八人は自分が相手しなければならない。


 母親で、七。


 一際体の大きな蜥蜴人が、大きく迂回するように背後に回っていくところも視界に捉えていた。


 種族の特性として強靭な肉体をもつ蜥蜴人の鱗腕と、戦闘のために日々鍛錬を積む玄道の太く筋張った腕がぶつかり合い、鈍い音が鳴る。


 顔を歪めたのは、蜥蜴人。


 玄道は男の腕を開かせるように半回転。

 残った男の右腕が玄道の顔面を捉える前に、玄道の掌底が男の眉間を打ちぬいた。

 よろめき後退しようとする男の右足を踏みつけ、バランスをとろうと泳ぐ男の右腕を抱え込み、流れるように腰を深く沈める。

 そうして、玄道は自身の背で持ち上げた巨体を地面に叩きつけた。


 そのまま肘を構え、重力にしたがい男の体の上に落ちる。


 ゴキリ。


 「ひャッ……」


 胸骨を砕いた確かな手ごたえと同時に、男が苦悶に満ちたくぐもった悲鳴をもらした。


 これで八。






*****





 

 一方、ラシードも蜥蜴人への対応を終えていた。

 

 先ほどまで鈍い輝きを放っていたはずの湾刀はすっかり赤黒くなっている。

 辺りには凄惨な光景が広がっていた。森林色の頭や腕が転がり、なかには腹を深々と切り裂かれ内臓を溢れ出しているものもあった。


 ラシードは辺りを確認してひと息つくと玄道の方へ顔を向けた。

 

 「ヒューッ! やるなあ」


 玄道の強さを改めて認識して喜びの声を上げた瞬間、ラシードは嫌な気配に気がついた。


 ――見られている。 


 咄嗟に背後を振り返る。 


 誰もいない。


 顔を上げた。


 「……っ!」


 森を構成する巨木の枝、そこから今まさに、ラシードへ向け頭から飛び掛かる蜥蜴人の姿があった。


 枝の高さは十メートルほど。この地の巨木の幹には凹凸が少ない。常人では登ることすらままならないだろう。ましてそこから飛び降りるなど自殺行為に等しい。

 しかし蜥蜴人にとっては問題にならないらしい。

 

 (いや、自らの死を許容したうえで殺しに来てるのか?)


 蜥蜴人の見開かれ充血した眼や剥き出しにされた黄土色の歯牙。それら狂気的な様相を見て、ラシードは思わず身震いした。


 しかしラシードも熟練の者。その程度のことで混乱をきたすことはなく、回避のための行動を賊座に起こす。


 刀で迎えうってもいい。けれど蜥蜴人の勢いを抑えきれなければこちらまで無用な傷を負う可能性がある。いくら蜥蜴人とはいえ、頭から突貫しているさなか空中で軌道を変えることはできないだろう。ならば、小さく回避して、落ちたところでとどめを刺す。

 そうした判断だった。


 が、回避のための一歩が出ない――


 

 ――足が、動かなかった。

 

 ラシードは足首に違和を感じるとともに視線を下げ、今度こそばっと怖気が走った。


 倒れ伏している蜥蜴人がラシードの右足首を掴んでいた。

 両腕を伸ばし、両手で、万力のように締め上げる。一体どこにそれほどの力が残っているのかという剛力だった。


 ラシードはカッとなり、勢いまかせに弯刀を振り下ろした。

 ラシードの足首を掴む手が切り落とされる。しかし頭上に迫る凶刃を避ける間はなさそうだった。


 ラシードは忌々しげに見上げる。せめて相打ちにしてやろうと腹を決めた。

 その瞬間、


 スッ――。


 上空の蜥蜴人の眼球に氷刃が突き刺さった。


 「ぁがあっ…………!」


 蜥蜴人は痛ましげに顔を歪め、顔面に手をやったままラシードの傍にドサリと落ちた。

 

 困惑しながらも、ラシードはのたうつ二人の蜥蜴人にとどめを刺した。


 ツェーザルか?

 とそちらを見やるが、ツェーザルもまた彼には珍しくわずかに驚いたような表情を浮かべていた。その視線の先には玄道。


 当然、ツェーザルでないとすれば玄道になる。が、玄道も氷刃を?

 疑問のままにラシードは樹上から襲って来た蜥蜴人の死体を再度見やった。


 やはりその眼球に刺さっているのは氷刃だ。

 効果時間が切れ、ちょうど消失する。魔術であることには違いない。


 玄道は嘘をついていたのか。

 疑念が浮かびあがると同時、ツェーザルが援護に放った氷刃を放ったのだとすればと思い至る。


 事情を呑み込み、ラシードはゲンドウへ振り返った。


 「助かった」


 「ああ」


 ラシードに笑みを向けられたゲンドウは素っ気なく答えた。

 

 玄道は自身に向けられた感謝に関心をもつこともなく、自身の手を握ったり開いたりを数度繰り返した。


 (やはり、妙な感じだ)


 自身の体が作り変えられていくような感覚に意識を向け、ゲンドウは静かに高揚感を覚えた。


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制限解除の老練家 方波見 @katanami

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