第12話 魔の地①


 東門は、今日もぴたりと閉じられていた。


 門兵二人が訝るように馬車に近づき、そのうちの一人がツェーザルに尋ねた。


 「何の用だ? ここは西門でも南門でもないぞ」


 ツェーザルは口を開くことなく、袂から一枚の紙片を取り出して見せた。


 「……っ! 承知した」


 門兵はそれを確認すると反射的に姿勢を正し、緊張した面持ちで門へ駆け戻った。


 同じく傍でそれを見ていた若い門兵も、身を強張らせながら一泊遅れて門へ向かう。


 それから、迅速に開門が進み、ちょうど馬車一台が通れるだけの隙間ができたところで、ツェーザルは馬を進めた。


 キュトニアの外は、視界が大きく開けていた。


 街中のように石畳にはなっておらず、砂の道が伸びている。

 他に走る馬車は見当たらない。


 外壁のすぐ近くには田畑となっている区画があるが、それもすぐに途絶え、道の両側は人の手の入っていない広漠とした平原になった。


 前方に映るのは、背の高い木々が乱立する森。

 分岐路をそのまま直進し、比較的ゆったりとした足取りで森へ進路をとっていた。


 地平線から昇る太陽は、もうすっかり地上を照らしている。

 

 その中にあって暗い口をぽっかりと覗かせている森は、来る者を尻込みさせるような威圧感があった。


 「あれが『魔の地』ですか?」


 玄道は、寝そべって空を仰ぐラシードに訊いた。

 

 列をなして飛ぶ、大型の鳥を眺めているらしい。

 

 「ああ。この辺りは初めてか?」


 「はい」


 「そうか。…………あの森を抜けるのが、王都までの最短距離なんだ。まったく、ほんと無茶な話さ」


 どこか不貞腐れたように言って、玄道をちらと横目に窺った。


 「人使いが荒いんだよ、あの人は」


 「あの人、ですか?」


 「ああいや、こっちの話だ。バトラーはバトラーで、生真面目にそれをこなそうとするしなあ」


 話している内容は愚痴に違いなかったが、そこにけなす色はなく、半ば呆れたようなもの言いだった。


 「ラシードは何故バトラーと呼んでいるんですか?」


 「ん? ……ああ、そりゃあ、見たまんまだよ。それに、ツェーザルって、なんか言いづらいだろ? ゲンドウもそう思わないか?」


 「確かに、バトラーの方が言いやすいですね」


 「だろ! 故郷にこんな名前の奴いなかったから発音しづらいんだよな。バトラーってのが呼びやすい。ま、そんだけだよ。特別な理由なんてないさ。あんまいい顔はされないけどな。けど、バトラーの顔はいつ見たって大して変わらない。いっつも皺をつくって難しそうにしてるからな。こうして話し相手ができてよかったよ」

 

 森の入り口が近づいてきたところで、ラシードが起き上がった。


 「ちなみに、ゲンドウは魔術を使えるのか?」


 問いかけながらも、その顔は森に向いていた。


 「いえ」


 反射的に昨晩からの異変が頭によぎったが、玄道は否定の言葉を返した。


 「ははっ! そうか、そりゃいい。なら、一緒に祈ろう」


 玄道の困惑をよそに、なにか信仰する神がいるのか、はたまた単なるまじないか、ラシードは手のひらを擦り合わせて厳粛とした面持ちで瞑目した。


 「ゲンドウはいいのか?」


 ラシードが短く祈りを済ませて振り向いた。


 「はい。特に祈る理由がありませんので」 


 「……ははっ! 肝の据わった奴だ! 頼もしいぜ。じゃ、玄道は左方の様子を見といてくれ。何か異変があったらすぐに教えてくれよ?」


 言って、ラシードは荷台の右後ろに移動した。


 「さあ、行きますよ」


 ツェーザルが大きく鞭をしならせ、馬車は勢いよく森へ侵入した。

 


 森の中は、高木の影が重なりながらも、ところどころ陽が差している。


 一本の馬車道が続いていた。


 馬車がすれ違える程度の道幅は確保されているようであるが、ろくに整備されていないらしく、道はうねり、石が転がっている。

 

 馬が全力に走るに続いて車体は大きく跳ね上がり、そのたびに軋みを上げた。


 玄道とラシードはそれぞれ荷台の左と右に位置取り、へりを掴んで揺れをしのいでいた。

 

 「ここを突っ切りゃ、かなりのショートカットになるってわけだ。少しリスクが大き過ぎるけどな」


 ラシードは、右方と後方を余念なく監視しながら、心持ち大きな声で言った。 


 ウキウキとした高揚感に包まれているような声音だ。


 するすると風景が過ぎ去っていく中、左方を警戒する玄道の目に、血の痕跡が残るひしゃげた馬車の残骸が映った。


 道と深淵との境目に、ぽつねんとある。


 「ま、大丈夫さ。魔物なんて、滅多に出てきやしない」


 相変わらず顔を綻ばせて言うが、それは自身に言い聞かせているような響きを持っていた。

 

 玄道にはそれが、逃避的なもののように聞こえた。


 実際、ラシードは誰かの返答を求めているふうではなく、独り言を言っているようであった。


 それからしばらく、辺りには緊張の糸がぴんと張られ、ガタガタと車輪の悲鳴だけが一帯を支配していた。


 集中が途切れる前に、玄道は迅速に水分を補給した。


 「ゲンドウ」


 栓を閉めると同時、ラシードが小さく言った。


 その声が先ほどより近くに感じらて顔を向けると、彼は荷台の中央で腰を下ろしていた。


 「右前方に魔族だ。悟られないよう軽く確認しろ」


 ラシードが頭を後ろに傾げて示す先には、確かに複数体の生物がいた。が、かなり距離があり、森の暗さと相まって、詳しいことは分からない。


 しかし玄道にも、人に似た生物であるということは分かった。

 静かに、けれど着実に自分たちの方へ向かってきているということも。


 「数は八だ。多分な。やれそうか?」

  

 制圧できそうか? と玄道は解釈して、「はい」と返した。


 「よし。てか、そっちからも来てるな」


 玄道越しに左方を窺い、ラシードが言った。


 「誰だぁ? 奴隷をこんな野放しにした奴は。運がいいのか悪いのか。ま、さっさと片付けちまおう」


 腹立たしげにしながらも、そこには確かな安堵の色があった。


 「バトラー」


 ツェーザルは前を向いたまま小さく頷きを返した。

 

 その右手には羽根ペン。

 小さく、迅速に、規則的な動きで走るペンは、空中に文字を連ねていた。


 「バトラーの合図で、ゴーだ。俺は左を、ゲンドウは右を。いいか?」


 この時には、木の影に隠れる者たちの委細を、玄道も認識できていた。


 それら生物は、言うなれば、蜥蜴人間であった。

 薄汚れた緑色の皮膚には鱗。突出した口からは、鋭利な歯がちらちらと見えている。


 玄道の把握する範囲においては、誰も武器となるようなものを所持していない。

 手首や足首には、拘束されていたような跡がある。体の大きさの割に痩せ細っている者も多い。

 子供だろうか、玄道には判別がつかないが、他に比べて明らかに背の小さな者もいた。


 かなり弱っているのだろう。けれど、玄道の把握するそれらすべての顔には、明確な敵意が宿っていた。


 玄道はラシードへ、淀みない頷きを返した。


 「よし」

 

 馬車が両側に潜む蜥蜴人を通過する直前、気配を消して身を隠していた蜥蜴人たちが攻勢を仕掛けた。


 玄道とラシードはそれに気づかぬふりをして、興奮に熱くなる鼓動をなだめすかした。


 二人が、御者台を確認する。


 ツェーザルが、右手を小さく動かす。


 「行くぞ」


 ラシードは言って、にやりと笑った。

 そのまま立ち上がり、大きく一歩。荷台がぎしりと沈む。

 二歩目でへりを蹴って、大きく跳躍。空中で流れるように湾刀を抜き放つ。


 並の人間を凌駕する走力を誇る蜥蜴人、その先頭の一人は既にラシードを射程圏に入れて、殺意を叩きつけるように雄叫びを上げながら飛び掛かっていた。


 大きく振りぬかれた右腕がラシードの首を握りつぶそうと迫る。


 されど臆することなく、ラシードは湾刀を掴む右手を自身の首をかき抱くように左上へ引き上げ、溜をつくった。


 蜥蜴人の右腕が届く寸前、ラシードをすり抜けるようにして、その額に氷の刃が突き立った。


 蜥蜴人は呆けた表情を浮かべ、動きが鈍る。惰性で、その頭がラシードの高さを超えた。


 ラシードは、獰猛に目を輝かせ――


 ――湾刀を水平に一振り。

 

 抵抗なく頭が斬り落とされ、鉛色の刀身と、波打つ同色の長髪に赤い血が舞う。

 真っ白なサルワール・カミーズも血を被った。


 

 戦端は、切って落とされた。


 ラシードと同様、玄道もまた、動き出していた。

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