第11話 対面
翌日。
玄道は体内時計に従って、朝五時に目を覚ました。
陽が昇り始めたばかりで辺りはまだ薄暗いが、外を見やると、既にちらほらと出歩く人々がいる。
玄道が瞑想と軽い筋トレを行って階下へ降りると、食堂は昨晩の熱狂が嘘のように静まっていたが、料理人は活動をしているらしく、調理器具が小気味よく小さな音を立てていた。
その中には、エリオの姿もあった。
「おはようございます」
「ああ」
エリオのぶっきらぼうな返事をもらいながら席に座ると、玄道は昨日と同じように小銀貨を取り出してスープを頼んだ。
できたてのスープとパンを頬張っていると、アリアが顔を出した。
「ゲンドウさん、おはようございます」
早朝だからか、少し眠たげな響きがしていた。
「おはようございます。随分と早いですね」
「あっ、いえ、いつもこのくらいの時間ですよ」
カランと、扉の呼び鈴が鳴った。
「ん……? やけに早くねえか?」
頭をかきながら入ってきた店長の男がアリアを見て首を傾げ、傍らにいる玄道を視界に入れた。
「ゲンドウ、もう朝食は食べたのか?」
「はい、いただきました」
もう器はきれいになっていた。
「時間のこともあるので、そろそろ失礼します。いろいろとありがとうございました。依頼がどうなるかはまだ分かりませんが…………」
「おう。ま、決まんなかったら早めに戻ってこい。そしたら部屋も用意できるだろうからよ」
「はい、ありがとうございます」
「あの、またこの街に来ることがあったら、次もここに寄ってくださいね」
「それはもちろん」
アリアが満面の笑みを見せた。
「それじゃあ、気をつけてくださいね」
「ありがとうございます」と返し、玄道は外に出た。
そして、井戸で水を補給した後、依頼主の指定場所である領主会館前に向かった。
***
会館前には、二頭立ての荷馬車が一台。
帆もかかっていない空の荷台のへりに膝を立てて座る青年がいた。
青みがかった灰色の長髪を無造作に結わえた青年は、膝の上で頬杖をつきながら、広場のほうを退屈そうに眺めていた。
その顔にあどけなさはなく、若いながらもどこか風格を感じさせた。
「すみません。依頼主の方でしょうか?」
玄道は他にそれらしき人物がいないことを確認し、青年に声をかけた。
この街で見かけるのは多くが白人であったが、青年は褐色肌であった。
着ているものもこの街の多くの者とは少し趣が異なり、白いサルワール・カミーズを纏っている。
「おっ、依頼を見てきたのか?」
ぼんやりと目を細めていた青年は一転、表情を明るくさせて玄道の方へ振り向いた。
腰に吊られた、三日月のように大きくそった湾刀が、ことさら異彩を放っていた。
「はい」
玄道が答えるや否や、青年は荷台から軽やかに地面に降り立った。顔には人当たりのよい笑顔を浮かべている。
「よかったよかった! てっきり、誰も来ないと思ってたんだ」
朗らかに言いながら、男が背後に視線を向けたので、玄道はそちらを振り返った。
そこには、玄道たちへ向かって歩いてくる初老の男性がいた。
燕尾服を隙なく着こなし、その背筋は歪みなくすっと立ち、一歩一歩は淀みない。
鍛えているのか、体格は玄道と比べても遜色なく、上背は玄道よりもわずかながら高かった。
「へい、バトラー! ほら、ちゃんと来たじゃないかぁ! な、だから言っただろ? 一日待った方がいいって」
白髪をオールバックで固めた老紳士は厳格に引き締まった表情をぴくりともさせずに、青年の声には答えず玄道の前で歩みを止めた。
「割符を」
落ち着きのあるバリトンの声は小さいながらもしっかりと響いた。
「確かに。内容は、王都ルクスニアまでの護衛。間違いはありませんか?」
「はい」
玄道の簡潔ではっきりとした反応に頷きを返し、老紳士は続けた。
「最低限の能力があるか、試させてもらいます」
「なら、俺の出番だな」
意気揚々と青年が言って、玄道と向かい合った。
老紳士は青年の言葉に肯定も否定もせず、一歩身を引いた。
「というか、獲物は持ってないのか?」
湾刀の柄に手を添えた青年は、改めて玄道の身なりを見て首を傾げた。
「はい。今の全財産はこれだけでして…………」
玄道は布袋と革製の水筒をマントの下から覗かせた。
青年は肯定されるとは思わなかったのかきょとんとして、短い沈黙が下りた。
そして青年はくつくつと腹を抱え、抑えきれなくなったのか、大笑いした。
よほどツボにはまったのか、ようやく止まった時には呼吸も荒く、目に涙をためていた。
「おいおい! ほんとにそれで行こうと思ってたのかよ! バトラー、こいつ最高だよ!」
快活な声を投げかけられた老紳士は特に愉快に思っていないらしく、眉をしかめていた。
「まあ、獲物がないってんならしょうがないな。こっちも無手でいこう」
青年は軽い笑みを残したまま獰猛に顔を引き締めた。
「さ、いつでもいいよ。殺す気で来な」
互いの距離は三メートル。
「では――」
言うと同時、玄道の足は滑るように距離を詰め、瞬きの内に攻撃範囲へ潜り込んでいた。
青年は目を見開き、頬を吊り上げた。傍で見ていた老紳士の眉も跳ね上がっていた。
玄道は右拳を青年の腹へ容赦なく打ち込んだ。
背を丸めるようにして両腕を交差させ、青年がそれを受け止める。
互いの骨が軋む。
青年右フックを腕でガードした玄道はそのまま至近距離に迫り、右手を下からなぞるようにして青年の顔を覆った。
視界が突如塞がれたことで青年が仰け反る。
玄道の右手が除かれたとき、玄道の左手、その人差し指と中指が青年のまつ毛にぴたりと触れていた。
青年は、背中に感じる寒いものを感じた。
「これは、驚いた。思った以上にやるな。そんで、けっこう、怖い奴だ」
そして、嬉しそうに笑った。
「俺のことはラシードって呼んでくれ。あんたのことは何て呼べばいい?」
「では、ゲンドウと」
玄道もまた、微笑みながら応じた。
「ほぉう、ここらの奴じゃないみたいだ。バトラー、こいつぁちょっと期待できそうじゃないか?」
先ほど以上に喜々するラシードに、老紳士は相変わらずの調子で答えた。
「人間相手に強くたってしょうがないでしょう」
「ん……。まあ、それもそうだな」
「ゲンドウさん、何か武器は扱えますか?」
「はい。大抵のものであれば」
中国武術に精通する玄道は、当然のように武器術も収めていた。
槍を最も得意としているが、その他、剣・刀・棍と、全般的な武器の修行も積んでいる。
「おお、やるねえ」
「ラシード、少し黙ってなさい」
「へいへい」
「これは使えますか?」
老紳士が玄道に手渡したのは、十字架のような形をした短剣。
鞘から抜くと、両側の刃はないが、その代わり先端が鋭く尖っている。
いわゆる、スティレットと呼ばれるものであった。
「ええ、ある程度は」
玄道は手遊びをするように弄んで握りを確かめると、型に落とし込み、具合を確かめた。
刃がないために斬るという選択肢は取れないが、玄道にとって、突くという動作は馴染み深いものであった。
「へえ」
ラシードが興味深そうに玄道の動きを追った。
「で、どうすんだ?」
「いないよりかはましでしょう」
「じゃ、決まりだな」
玄道が確認を終え、ゆったりと息を吐き出していると、
「それは差し上げます。大したものではないので好きに使ってください」
「すみません、ありがとうございます」
「それと、私はツェーザルです。ラシードは勝手に呼んでいますが。では、このまま出発するので、彼と一緒に後ろに乗ってください」
「他の人はいいのですか?」
玄道は早くに到着したため、朝六時を告げる最初の鐘はいまだに鳴っていなかった。実際、時計盤の長針は左に傾いている。
少しの沈黙の後、ツェーザルは玄道の質問が意図するところに思いいたり、口を開いた。
「ええ。もう待っていたって来ることはないでしょう。それに、あまり載せて足が鈍っては、元も子もありませんから」
淡々と答えて、ツェーザルは馬車の前へ向かい、調子を確かめるように馬を撫でた。
ラシードに続いて、玄道も荷台に乗り込む。ツェーザルは御者台に上がった。
「出発します」
小さく鞭が波打って、静かに馬車が進みだした。
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