家庭の事情

夢美瑠瑠

文化的な家庭


掌編小説・『文化的な家庭』



一筆家は、いわゆる、「文化的な家庭」だった。


主人は一筆啓上といって、作家だった。


啓上、というのは筆名である。せっかく一筆などと言う珍しい苗字を冠しているのに、


利用しない手はない、というまあ単純な発想だった。


が、目立つ、印象的、という点では人語に落ちないペンネームで、


文筆活動において様々に余沢があった。まず、読者に興味を持ってもらわないと、


本などは手に取ってももらえない時代で、


そういうパッシビリティの面でアドバンテージがあって、さらに一筆氏の場合は


本の中身もまあ面白いのだ。「中毒性がある」とかいう人もいる。


それゆえ一筆家は現在まあまあ裕福でもある・・・


啓上氏の妻は、一筆描紀という女性で、女性なのは当然だが、


これも筆名で、シナリオライターを生業にしていた。


「ひとふでがき」という遊びを漢字に当てはめたわけで、駄洒落ですが、


一度覚えられると忘れられない、そういう利点があった。


「ああ、あの「ヒトフデガキ」さんか。あの人に仕事を依頼しようか。この前の


ドラマは良かったよなー」というような会話が交わされているようで、


奥さんもだいたいいつも一つか二つ締め切りを抱えている。


人気ライターというわけで、認知された今は、本業の傍ら、古今東西の名作の戯曲を


渉猟して、読者に紹介する、という趣旨のコラムを週刊誌に連載して、


ちゃっかり自分の勉強を兼ねている。賢い女性で、決して自分の立ち位置とか、


能力の範囲内を逸脱したりはしない。良妻賢母がどっしりと屋台骨を支えていて、


結果として一筆家は家内安全、無病息災を絵にかいたような安寧な家庭になっているのだ。


子供は一男一女で、どちらも優等生だった。


長男は一筆箋といって、これは本名だった。


文化的な文人の夫婦なので、それに因んだ名前を選んだのだ。


栴檀は双葉より芳し、というか、小学一年の時の作文では、もう


マークトウェインの少年小説の感想文を書いて、コンクールで入賞した。


「大変に才気煥発な坊やです。後世畏るべし・・・云々」という


選評を貰い、気を良くした彼は次々に読書感想文をあちこちに応募して、


軒並みに入選して、総なめ、という感じになった。


「天才文学坊や」として新聞にも取り上げられて、アイキューが180あるというので、


評判になって、テレビにも出演したりした。


しかし母親似の彼は決して奢らず、衒わず、静かに自然体でひたすら読書を続けて、


今は最年少芥川賞作家を目指して、力作を執筆中らしい・・・


そのタイトルはというと、「私ージョイスとプルーストの唯一の正当な後継者」というのだから、


本当にもしかしたら大変な天才かもしれない。w


長女で末っ子は一筆淋漓と名付けられ、これは「墨痕淋漓」という熟語から


取っているのは自明ですが、偶然にもこの子には、成長するにつれて、


書道の方面に才能があることが分かってきた。


書道のコンクールでは、やはり金賞入選を当たり前のように総なめして、


最年少で著名な書道コンクールに入賞したというので、


和服姿で微笑んでいる写真と書の作品が、「書」という専門雑誌の表紙を飾ったりした。


文化的なエリート揃いの家庭、という評判が広まって、


週刊誌で特集が組まれて、その家系の血筋やら、教育法、家庭内の


雰囲気他のあれこれが大々的に報道される、という格好になった。


「一筆家は、その稀少な苗字に象徴されているように、


稀なる文学的な才能が、偶然的な奇跡のように集合して、


家族それぞれの令名は、日本中に轟いている、そう言っても過言ではない。


といって記者が取材した一筆家は、ごく普通の、標準サイズの家屋で、


四人ともごく親しみやすい常識的な人物だ。


・・・ ・・・(中略)


つまりこの史上稀な一種の遺伝子の奇跡、のよって来るところは、


極めて平凡だが、幸福で良識的で、いささかも常軌を逸したところがない、


平凡を絵にかいたような家族たちの朗らかな自然体、それが秘訣なのかもしれない。


トルストイではないが、幸福な家庭は似通っている。


幸福という平凡だが永遠の理想が、


潜在的な非凡な能力の、最も滋養深い温床になるのだろう。」


記事はこう結ばれていた。


しかし運命は皮肉なものだ。


「幸福という平凡な理想」を体現していたはずの一家は、


半年後に離散した。


啓上氏が、若い編集者に熱を上げて、すれ違い気味だった、


仕事で忙しい描紀氏と、離婚する、そういう憂き目になった。


家には妻と息子が残り、


夫は娘を連れて、マンションに引っ越した。


「理想の文化的家庭の崩壊」として話題になったが、


それぞれに再婚して、四人ともその後も才能を遺憾なく発揮して、


それぞれに文名や声価を上げていった。


「文化的な家庭」は、幼少時から「分化」していく「過程」では、


非常に教育的効果があったのかもしれないが?


「分か」つ、(分割)されることになっても、


その後が危惧された「仮定」ほどには、


破滅的な?影響などは及ぼさなかった・・・


そういうことかもしれない・・・



<終>




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