第2話


◉O

オッタマゲタ町と言えば、メロンパン島の北東に位置し、あらゆる要衝を占めている地域だ。島民の多くがここに生活している。主な産業は漁業と観光業で、ひと昔前は山のほうに炭鉱があったらしいけど、時代の流れとともに凋落したそうだ。

まあ、そんな沿革はさておき、ぼくらはオッタマゲタ町にやってきた。人、人、人だ。家、家、家だ。道、街、土地だ。賑やかで、鮮やかで、きらびやかだ。

ところで、ひとつの島の中でこうも格差ができていることを目の当たりにすると、なんとも言えない気持ちになるのだけど、奄美さんがいるとそういう雰囲気は嘘のように思える。なぜなら、奄美さんはこの島にとって重要な人だから。みんな、自転車で颯爽と駆けていく彼女を知っている。

だから。

奄美さんへのラブコールが街に響く。まるでファンファーレのように、ぼくらは歓迎される。たかだかピザを配りに来ただけなのに。

「これ、あっという間にピザなくなっちゃうんじゃないですか?」

「大通りじゃなくて裏道から入るべきだったね」

奄美さんはしまった、という顔をして口を窄めた。

案の定、ピザは即座になくなった。行列は最後尾の見えないところまで並んでいたし、ピザがなくなった後も、奄美さん目当てにみんなが集まった。

けれども悲しいかな、ぼくは島民とはあまり関わりがないから、その中心に入ることはできず、ひしめき合う人混みの外に追い出された。

ぼくは奄美さんを残して先に喫茶店に帰ろうかと思ったけれど、よく考えたら二人乗りの自転車がある以上、その勝手は許されなかった。

仕方がないので、ぼくは遠巻きから奄美さんを眺め、ちょっぴり羨ましく思うのだった。


◉P

「ポンパドール君ったら、突然いなくならないでよ」

人混みからほど近く離れたレトロな雰囲気の雑貨店にて、窓側に置かれたラグドールのインテリアを見ていると、ぼくのとなりに奄美さんがやってきた。

奄美さんはぼくが見ていたラグドールに気づく。

「わ、この置物大きいね。しかもすごくリアル」

「実物よりデカいと思いますよ」

「359,800円?」

「本物より高いと思いますね」

「こんなの誰が買うんだろうねえ」

それより、もう用事は済んだのですか。あの様子じゃ、あと1時間は放っておいても大丈夫と思っていたのですが。今ここにいるということは、あの人混みを抜けてきたんですか。

「わたし、うるさいの苦手だから、適当に手を振って逃げてきた」

「有名人は大変ですな」

「こんなのが有名になったって、なんらいいことがあるわけじゃなしに」

「でもみなさん、笑顔だったじゃないですか」

「うーん、まあ、そうなんだけど」

人から持て囃されたり、中心にいるのはわたしには向かないよ、と奄美さんは置物のラグドールの頭を撫でながら言った。

だから、あんなさびしげな岬のところに喫茶店を作ったんですか、と聞くとあそこは人が来なくていいからね、と言った。

「変な人ですね」

「そうよ、変な人よ」

奄美さんはおほほと笑って、雑貨店を見て回った。さすがにあんな大きい置物は買えないけれどさ、小さめのオブジェくらいなら店の玄関に置きたいよね、と言うので、ぼくらは二人で猫の置物を購入した。

しなやかな体躯の黒猫の置物。カフェにぴったりだと思った。

「さて、帰るよポンパ君」

いえっさー。

ぼくらは再び二人乗り自転車にまたがって、南東を目指した。


◉Q

「休憩ー、もうだめ」

「えー、もう少し頑張りましょうよ」

奄美さんはスタート直後、早々に根を上げた。

とは言うものの、帰りの出発点は海抜が低かった分、帰り道はゆるやかな上り坂が延々と続いた。

二人乗り自転車で立ち漕ぎをすることは、困難だった。けれど普通に漕いでもスピードは出ないし、むしろ足にかかる負担は大きくなるばかりだった。

「わたしこれ持って歩くから、ポンパ君は自転車押して行ってくれない?」

そう言って、奄美さんは黒猫の置物を抱きかかえて、坂をずんずんと上がり始めた。

ぼくに選択権はないのか。

「まさかおばちゃんに押させる気ー?」

数十メートル先のほうから、奄美さんはぼくを鼓舞する。

たまにぼくのそばまで降りてくると、手に持った黒猫にアテレコをして、ぼくを励ます。

「がんばって、ポンパ君(裏声)」

「猫だったら、手を借してください」

「それはできないわ。だってアタシひ弱だもの(裏声)」

そんなくだらないやりとりをしつつ、どうにかきつい上り坂を越した。さすがに汗だくなので、ぼくは休憩を請うた。一方の奄美さんは涼しい顔をして、早く家に帰りたいとぼくを急かした。

それからまもなく、平坦な道になったので、また二人で自転車を漕いだ。

喫茶店に到着したのは、とっくに日が暮れた午後7時。ぼくの住む場所は本来、南西にあるのだけど、辺りが暗くなってしまったので、その日は奄美さん宅に泊めてもらうことにした。

喫茶店の奥には奄美さんの生活する空間があって、そこの屋根裏に一人分寝れるスペースがある。ぼくはそこで寝ることになった。

「鼠とか出ませんよね」

屋根裏の戸を閉じる前に、奄美さんに確認した。

「大丈夫。キュートな黒猫ちゃんが退治してくれるわよ」

はあ、そうですか。

今日は疲れましたね。

「うん、おやすみ」

パタン


◉R

恋愛感情という一点にのみ焦点を当ててもよろしければ、ぼくは奄美さんとお付き合いしたいという気持ちがある。人間に惹かれたとか、優しくされたとか、そういうのを引っくるめて、ぼくは奄美さんに好意を抱いている。

所詮、気の多い人間だ、ぼくは。

こうやってひとつ屋根の下に(ぼくは屋根の上だけど)、二人しかいないのは、なんだか不思議な感覚がした。何よりここは奄美さんの家でもあるし、余計に緊張感があって、余所余所しくて、落ち着かない。

ぼくは寝つけない。幾度となく身体の向きを変えていると、その物音で奄美さんが起きてしまったらしい。彼女が部屋の明かりを点けたことで、ぼくがいる屋根裏の敷板と敷板の隙間から、ほのかに光が漏れ出す。

「ポンパ君、もしかして眠れないの?」

奄美さんの声。起きたすぐの、蕩けるような声色。

「もし寝にくかったら、場所変わってもいいからね」

「大丈夫です。頑張って寝ます」

「そう」

奄美さんは明かりを消した。一気に屋根裏は暗黒に包まれた。何も見えないし、手の届く範囲もわからない。真っ暗な穴が広がって、ぼくを飲み込んでしまったようだ。

何処かしらから聞こえる、時計の秒針が動く音。布団と衣類が擦り合う音。

目には見えない心臓の音。

奄美さん、奄美さん、奄美さん。

好きです。

恋をしたら、ぼくの頼りない心臓がさらに弱っていく、音もなく。


◉S

すっかり夜が過ぎ、明け方。ひたいに雨粒が落ちるのを感じで、ぼくは目を覚ました。カチカチ、と白熱電球の明かりをつけると、ちょっとばかし雨漏りをしていることがわかった。

屋根裏の小窓を開けると、外はしとしとと雨が降っていた。空は灰色の雲がのっぺりと覆っていて、気分を憂鬱にした。

階段を降りて、奄美さんのところへ行く。

「おはよう」

「おはようございます。今日、雨ですね」

「やだね。お客さん来るかなあ」

雨の日にお客さんが来たことなんて、かつてない。来るのは島の中で暇を持て余し、話し相手がほしい人だけ。

昨日のうちにピザを配っておいて良かった。

「ポンパ君、今日どうする。家帰る?」

「帰ってもすることありませんので、もうしばらくここにいます」

「そっか。じゃあ悪いんだけどさあ、新作の実験台になってくれる?」

「何か作るんですか」

「そう、サンドイッチをねー」

それは楽しみだ。

ぼくは檜のテーブルにて待つ。その間、奄美さんの淹れてくれたコーヒーを啜りつつ、他愛のない会話をした。わたしもスマホにしたほうがいいのかな、とか、今の若い人たちはどんな音楽を聴くの、とか、プリンタが故障しちゃって、とか。

「普段は使わないんだけど、ときどき思い出したように使いたい瞬間があるでしょう。そのときに動かそうとすると、うんともすんとも言わなくなってね」

「長く使っていない間にホコリが溜まって、それが原因になっているのかもしれませんよ」

「かなあ。やっぱりそうだよね。ポンパ君、直せない?」

「善処します」

しかし、直らなかった。

近々新しいのを購入するということで決着がついた。

「ごめんね、こんなおばちゃんの雑用に付き合わせてしまって」

「いいですよ。奄美さんの頼みなら何でもします」

割と本心に近い。

「ありがとう──と、はい。できた。ちょっと味見してくれない」

サンドイッチ登場。って、デカい。ふつうのサンドイッチの比ではなかった。お皿からはみ出てるじゃないですか。

「ジャンボサンドイッチ」

「一人じゃ食べきれない量なので、分けましょうか」

「うん。してして」


◉T

特大サンドイッチを食べ終わると、二人でトランプに講じた。神経衰弱、ババ抜き、大富豪、ブラックジャック、スピード。だいたいぼくが勝ってしまう。というか、その、奄美さんの理解不能な一手によって、どつぼにハマる感じ。この人にとって、読み合いや駆け引きは向かないことが十分わかる契機となった。

「引き運ないんだなー、わたし」

それ以前の問題が多々あるんですが、彼女自身それに気づいていないと思う。しかし直截伝えてしまうのも面白みがないので、当分このまま放っておくことにした。

「ねー、トランプとスランプって似てると思わない?」

「似てますね」

「スランプとスタンプも似てるよね」

「そうですね」

「まあ、別にそれだけなんだけど」

えぇ。

じゃあ、えっと、

「スランプとフランスって似てますよね」

「それは違うと思うな」

えぇ。

この人はよくわからないや。

そんなふうにして、荏苒たる日々が過ぎていった。

それからのこと、ある晴れた日の、二人でアッタマキタ岬の灯台まで行ったときのお話をしてお終いにしようと考えている。


◉UV

紫外線情報によると、その日はこの時期最大になるとのことで、奄美さんはフル装備で半袖短パン姿のぼくの前に現れた。

黒い長袖のワンピースで、胸もとにゆるい立てヒダが見られた。それからサングラス。つばの広いハット。花柄の日傘。ぱっと見、非常に怪しかった。しかし、ファッションとしてはそこそこ良かった。

「グッチとかプラダとか、そういう系のモデルさんにいそうですね」

「ポンパ君はそんな軽装でも構わないんでしょ、男の子はいいなあ」

さながらこれから岬の灯台にて撮影を行うディレクターと女優のようだった。

そんな戯言はとりおき、ぼくらは岬を目指して歩き始めた。


◉W

「わたしが初めてアッタマキタ岬に来たのは、二十歳くらいのとき。そのときもひとりで歩いてきたのをよく覚えてる。当時は今みたいに、しっかりした舗装路はなかったし、右を見ればすぐ崖だった。身体を横にして蟹歩きしなくちゃ先へ進めないってこともあった」

「いい時代になりましたね」

「なったなった」

奄美さんはぼくの横で意気揚々と歩いていく。ジグザグの道の果てが見えるのには、それから二三時間を要し、やっとこさ灯台に着いたときは、足の裏がひどく痛かった。ベンチに腰掛け、足をマッサージする。

そうしているうちに、お昼。奄美さんが作ってくれた例のサンドイッチ、それを小分けにしたものをいただく。3つほど食べると、十分にお腹が膨れた。奄美さんは、自分は低燃費なのだと言って、ひとつしか食べなかった。

「いっぱい余ってるから、ポンパ君が全部食べていいんだよ。どうせ他に食べてくれる人いないしさ」

「ぼくもそこまで大食らいではないので、あとひとつで満足です」と言い、4つめを食べた。

「食べてくれて、ありがとね」

その後、二人で灯台に登ることにした。


◉(X)X

奄美さんは灯台内部の螺旋階段を一段ずつ踏みしめるように、登っていく。頭上を見上げるとキリがなかった。それでもひたすら先細りしていく頂上に向かって進んでいった。一度たりともぼくを見やることなく。

奄美さんがどんどん遠ざかっていく。ぼくはそれを追いかけるのだけど、何故だか距離が縮まらない。

ある所からは、絶対的に埋められない差ができてしまった。

トンネルの向こうにかすかに見える人みたく、みるみる小さくなっていく奄美さん。

ねえ、待って。

置いていかないで。

ぼくを見捨てないで。

奄美さん。

奄美さん?

奄美さん?

どこ?

奄美さんが消えた。


◉(X)Y

ぼく。

ぼくという生き物は、恐ろしく弱い。ちょっと物事が変化するだけで、狼狽えてしまう。なんとか合わせてみようとするけれど、ちっともうまくいかない。ほんとに、ちっとも。

しかも決して男らしくない。なんなら、女々しい。女々しいという言葉は、きっと男のためにある。そう思う。

それから。

感情と精神が、ひどく幼い。泣き喚く子どものように、手がつけられない。内に湧き上がる反乱的感情は、己の悩みの種だ。そして不安やら失望やらが助長して、その種を発芽させてしまうんだ。

こうなったら、だいたいのことがパーになってしまう。

奄美さんはいなくなってしまった。

これは完全なるパーだ。

「いったい、今までのことはなんだったんだろう」

ぼくは灯台の外にいた。

岬の灯台にはぼくしかいなかった。

悲しい気分。空っぽな気分。

誰かに満たしてほしい気分。

けれども誰もいなくて変にしょげたから、ぼくは灯台に寄りかかった。別に恰好をつけて澄ましているわけじゃないんだけど、こうでもしていないと、いろんなものと向き合うことができない気がしたんだ。

で、最初に思いついたことは、自分が砂になってしまえばいいのにな、ということだったんだ。

そう、ぼくはただの砂だ。


◉Z

最終統一エピローグ。

世界のインクが落ちかけている。鮮やかな緑は真っ黒に焼け焦げ、足の踏み場はずっぽりと灰に覆われた。

島全体が、不条理な爆撃に見舞われた結果だった。

島民は外部への避難を余儀なく命じられ、島は完全に封鎖された。

アッタマキタ岬の灯台は、幸か不幸か爆撃は逃れたけれど、管理する人がいなくなってしまったので、単なるモニュメントに成り代わってしまった。いずれは残酷な歴史を物語る慰霊碑になるのかもしれないけど、どうなるかは知らない。

で、メロンパン島は一度海に沈んだ。一番高い山の山頂さえ、海の中だった。海の中はぼくらの想像を超える海流があって、無慈悲なくらい島をことごとく侵食する。緑は残さず枯れ、不用意な土砂ばかりが堆積した。

次に浮かび上がってきたとき、メロンパン島はもはや島の形を留めてはおらず、殺風景な丘になっていた。目ぼしいものは、ひとつもなかった。文字通り、まっさらになってしまった。

また名前はメロンパン島からキュビレの丘に変更した。話では、どこぞの団体が管理地にしたいとかのたまっているらしいが、認可される見込みはかなり薄い。

なのでキュビレの丘は、ただただひっそりと、海の真ん中にぽっかりと浮かぶだけなのだ。



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メロンパン島の物語 瀞石桃子 @t_momoko

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