メロンパン島の物語

瀞石桃子

第1話


◉A

奄美さんはメロンパン島に唯一ある喫茶店のオーナーで、島民で彼女を知らない人はまずいない。たとえばぼくがお遣いに出されて、他のお店で奄美さんに頼まれました、と言えばごく当然のように“つけて”くれる。


◉B

ぼくは、奄美さんによろしく伝えておきますと頭を下げてお店を後にする。ご厚意でいただいた真っ赤なトマトを頬張りながら、再び奄美さんの喫茶店に帰る。


◉C

Cafe・Crescentはメロンパン島の南西、アッタマキタ岬入口付近の奥まったところにひっそりとある。わざわざそこを目指してくる人はいないので、基本的には静かな雰囲気だ。耳をすませば岩壁に砕ける波の音や、ウミネコの鳴き声が聞こえる。


◉D

でこぼこ道を乗り越えて、ぼくは喫茶店に帰着した。喫茶店は緑に囲まれていて、ほんとうに雰囲気は良いのだけど、その良さを知る人は数少ない。お客さんはもっぱら島民の人たちだけだ。

ぼくはお遣いの品を入れたバスケットをこさえて、お店に入る。

カランコロン。


◉E

「いーらっしゃいませえ。ってなあんだ、ポンパドール君か」

奄美さんはカウンターの内側からぬっと身を乗り出していたけれど、ぼくの顔を見るや奥に引っ込んでしまった。

「奄美さん。頼まれたもの買ってきましたよ」

「ありがとう」

「コケティッシュさんがお庭で取れたお野菜をいっぱいくださいました」

ぼくはそう言って、いびつに広がるアメーバのような形をした木製のテーブルにバスケットをどすんと置いた。

「どれどれ。えーと、ジャガイモと玉ねぎ、トマト、バジル、ラディッシュ、あとこれは?」

「ルッコラだそうです」

「ほお。美味しいピザが作れそうじゃない?」

確かに。想像すると、野菜をふんだんに使った色とりどりのピザが思い描かれた。

「作ろう。ポンパ君、手伝って」


◉F

ふっくら焼き上げるためには生地の中の空気が重要らしい。腕まくりをした奄美さんは真剣な顔をして、細腕で生地を捏ね上げる。その隣でぼくは上に乗せる野菜を適当な大きさにカットしていく。

行動はいつも意欲的な奄美さんだけれど、そんな彼女はもう45歳を過ぎていて、肌の質感とか腕のたるみとか、そういうところに年齢が現れてしまっていた。

ぼくがここで働き始めたのはつい半年前で、いろいろ世間話をするけれど、身の上話を聞くことはあまりしなかった。

奄美さんが若い頃はどんな人だったのか、ぼくはてんで知らない。


◉G

豪快な人だった、というのは周囲の人の言葉だ。

「奄美さんがこの島を変えたと言っても過言じゃない」

古くから奄美さんを知る村の長らしき人も、彼女に絶大な信頼を置いている。

「経済のこと、流通のこと、島の地形、気候、基本的なことは全て奄美さんが教えてくれた。そのおかげで今の島がある」

また別の人。

「元々は外部からやってきた人なんだ、あの人は。戦争孤児、戦争疎開と言うのかな、ともかく彼女は幼少期から青春期を激動のうねりの中で過ごし、終戦直後、この島の前長老と交流のあった彼女の大叔父さんが彼女を連れてきたんだ」

激動のうねりは奄美さんの過去に直結する。その時代に刻み込まれた思いが、この島のいたる所に残滓としてこびりついているのだ。

「それからすぐ、奄美さんの大叔父さんは亡くなってしまって、彼女の身よりはいなくなった。まさしく天涯孤独、しかも多感な時期にだよ。さぞ辛かったと思うよ」


◉H

ひとりぼっちになってしまった奄美さんは、その後島の役所に勤めることになったけれど、役所のずさんな管理体制やいい加減さに耐えかねて、一度退職してしまった。

正確には、退職させられたという言い方が合っている。島に変革が必要だと主張する奄美さんと、保守的な島の人とのつばぜり合いの末、外部の人間が出過ぎた真似をするな、という理由でやめさせられた。

「島というのは、ふつう外との関わりが少ないから、島民の性質上、保守的になりがちなんだ。しかも内輪同士でなんとかしたがる。だから奄美さんの意見は正しかったのかもしれないけど、役所の人間からしてみると、気に食わなかったんだ」

当時の時代背景も十分に関係するんだけどね、とその人は付け加えた。


◉I

以来、彼女は島民と関わることを避け、島南西部の人の少ないところに小さな住居を立てた。そこが今の喫茶店の前身に当たる。

現在ではもともとの家だったところの内装を総とっかえして、喫茶店に変えたのだ。


◉J

邪魔者、除け者にされてしまった奄美さんは、とても悔しかったと言う。

「人間ってね、30を過ぎると自分の考えが固まってしまって、他人の言うことを聞いてくれなくなるんだよねえ」

喫茶店の裏側には奄美さんの自作の窯元があって、ぼくらはそこに来ていた。たっぷりのチーズとたっぷりの野菜を乗せた生地をゆっくりと入れて、重たい蓋を閉める。奄美さんが火をつけて、しばらく待つことになった。

「ポンパ君もそのうちわかるよ。自分の立場というか、限界点みたいなもの。誰だってはじめは夢を見るけれど、途中で障害の多さにうんざりして、やめたくなってしまうんだ」

奄美さんは青い空を見上げながら、懐かしむように言う。

「結局、わたしはそれを乗り越えられなかったんだよね。限界に行き着かず、くじけたの。妥協とかいう、自分の慰める言葉は使っちゃダメなの。わたしは負けたの。いろんなことに」


◉K

竃の煙突からぱちりぱちりと火の粉が飛び散る。火の粉は一瞬にして空に消え、また新たな火の粉が噴出する。

香ばしいにおいがする。

もうすぐだ。

「まあでも、お役所の人たちは年寄りばかりだったからね。幸いなのか、災いなのか、わたしが役所をやめた次の年には半分の人が死んじゃった。次の年にさらに半分になって、役所の重役が足りなくなったの。これを機に、わたしはもう一度役所に復帰した。そのときにはキャリアもあったから、すぐに島を変えられると思った。

もうそれからは遮二無二頑張ったつもり。毎日島中歩き回ったんだから」

メロンパン島は一周約20キロあって、ぐるりと回るだけでも8時間程度かかる。おまけに島の地形上、勾配が多く、歩きにくい場所も多い。島民は北と東側に固まっているけれど、南や西にもいないわけではない。

「役所がずさんって言ったでしょ。要するに、誰がどこに住んでいるとか、誰が何をしているとか、誰が生きているかとか、そういう当たり前の情報が圧倒的に不足していたのね。

ポンパ君もいいこと。なくてはならないものは、早急に用意しなくちゃならないの。放っておくと、年をとって動きが鈍くなって、何をするにもやる気が起きなくなって、最後には頭でっかちの人になるばかり。

わたしはもうこんなだけど、ポンパ君はまだ若いでしょ。えと、いくつだっけ?」

21です。

「わたしの半分しかないのよ! ね、せいぜい動けるときに動きなさい。つまらないスマホのアプリなんて、おじいさんになったらいくらでもできるんだから」

はい。そうです。おっしゃる通りです。すみません。

なんでぼく怒られてるんだっけ。今は奄美さんの過去の話ではなかったか?


◉L

LoL


◉M

「右も左もわからなかったけど、島の人たちと顔を合わせて話をしていくうちに、足りないもの、必要なものがわかるようになったし、何より良かったことはみんなと直接交流ができたことかなあ」

竃から取り出したピザは、色合い、香ばしさ、とろけたチーズ、どれにしても素晴らしい出来栄えだった。美味しいということが、一目でわかることもある。熱でしなびた野菜から溢れ出る素材のエキスや濃厚なチーズが、においを通じてぼくの嗅覚を刺激する。

「人と人が友好的であれば、物事は必ず好転していくのよ。わかる?」

そう言って奄美さんはピザを取り出し、ぼくと協力して、大皿に慎重に乗せた。

「はい。完成♪」

「わあい、いただきます」

「待って待ってよ。ポンパ君はお客さんじゃないでしょ」

奄美さんが手でぼくを制す。ああっ、こんなに美味しそうなピザが目の前にあるのに、食べられないの⁉︎

「どうせ誰も来ないじゃないですか」

こんな辺境の岬に来るものと言ったら、ウミネコか、島に住み着いたサルくらいだ。

「じゃあこれから街の方まで配りに行こうよ」

「またぼくあっちまで行くんですか」

一日に2回も往復すると、そこそこの距離になるし、足の疲労も蓄積する。しかもこれだけ大きなピザを出来たての状態で配りたかったら、なるべく時間はかからないほうがいい。

のではないでしょうか。

「うーん、それは言えてるね。ポンパ君の屁理屈は妙に説得力がある」

余計なお世話です。

「では、アレに乗って行こう」

そう言って奄美さんが指差した先には、真っ黄色の自転車が置いてあった。

しかも、その自転車は二人乗り用だった。

おやおや。


◉N

のろのろと坂を上る自転車があった。前席には奄美さんが座り、後席にはぼくが座り、前のカゴに16等分に切ったピザを入れたバスケットを乗せている。

「ふう、ふう」

奄美さんは息を切らしながら、懸命にペダルを回す。後ろからは表情は見えないが、そうとう体力を消耗している気がする。だって四十を過ぎたお姉さんだもんなあ。奄美さんは水玉模様の白いワンピースに薄手のカーディガンを羽織っていたけど、カーディガンは暑くて脱いでしまった。すると、じんわりと汗をかいたワンピースがぼくの目の前にあるわけだけど、あれだね、すごく興奮するんだ。

45歳の女性の汗って、すごく甘美な響きを持っている。

ていうかぼくって変態だな。

「はあ──、きつい─、足おもーい」

「あとちょっとで頂上ですから、ファイトー」

「うーんしょ、よーいしょ、そぉーれっ、はあはあ、あとちょっとー」

奄美さんはヒイコラ言いつつも、どうにかペダルを回した。1人が回すのを放棄してしまうと、二人乗り自転車は前に進まない。ぼくらはまさしく阿吽の呼吸で、坂の頂上まで登り切った。

「ポ、ポンパ君、きゅーけーを......」

「よく頑張ったと思います。ちょっと休憩しましょう」

お水を渡すと、奄美さんは勢いよく水を飲んだ。ぼくはその様子を見つめた。汗で皮膚にぺたりとひっつく艶めいた髪、ワンピースからのぞく鎖骨の部分、二の腕。とりわけ、嚥下する際に動く喉をめちゃくちゃ凝視した。

「今日はほんとにいい天気だ」

頂上から見る海の眺めは非常に良かった。目線の高さをウミネコが飛んでいる。遠くには、小さく船が見えた。こういうなかなか見られない景色があることを、多くの人に知ってほしいと思う。

「きっと向こうに行ったら、たくさん人がいますよ」

「ピザが冷えてしまう前に届けなきゃな」

そうしてぼくらは自転車に跨り、程よい速度でなだらかな坂を下っていった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る