愛と放課後とジークフリート
モモンガ・アイリス
愛と放課後とジークフリート
◆ ◆ ◆
『人工知能を構成する九割の要素は、愛である』
◇ ◇ ◇
ヒト型戦闘機体〈シグルズ〉のコクピットは百年前のアニメーションで描かれたそれとは違い、全体的につるりとしている。仰々しい計器類も複雑な操縦システムも備えていない。赤や緑のランプさえ存在しないのだ。『
あらゆる配線が排除された個室。
そのひどく狭いカプセル状の空間には、椅子がひとつ。
百年前のトーキョーに例えるなら、ネットカフェの個室が近いだろうか。
座れば勝手にクッションやリクライニングが調整され、コントローラが自動的に両腕をすっぽりと包む。センサーがパイロットの状態をスキャンし、問題がなければ内部の照明が全て落ちる。
完全な暗闇と、無音。
あとはシステムの方が網膜に直接『外部』の映像を投影し、おれの意識はおれ自身から〈シグルズ〉へ移行する。半世紀前までは頭部全体を覆うヘルメットを着用していたらしいが、それも遠い過去の話だ。
[バイタルが通常時よりも二パーセント低下しています。マサキ、余計なことを考えていませんか?]
「遙か昔の小説家が書いてたけど、なにも考えないってのは、いろんなことをちょっとずつ考えるってことらしいぜ」
と、おれはわけの判らないことを言った。
この手の問答にAIは弱いと相場が決まっているのだが、
[では、他のことを考えず、目の前のことに集中しましょう]
素っ気ない言い方。
仕方がないので曖昧な吐息を洩らし、眼前に――といっても、システムが網膜に投射している映像なのだが――集中する。
三秒前に母艦から射出された〈シグルズ〉が、音速の四倍のスピードで飛んでいる。火星の枯れ果てた荒野と、星々を映すための暗幕めいた黒い空。
そして敵性存在と成り果てたハビタット――〈ウートガルズ〉からの敵機。
[マーティアンタイプ4、アングレタイプ13、ガルズタイプ2]
シェリーの報告よりも先に、視界の端に平面マップが描画されている。中心の白点が自機〈シグルズ〉で、前方に散らばる赤点が敵機だ。
相対速度が速すぎるせいで、果てしなく遠い距離にいる敵との戦闘宙域に到達するまで、あと四秒もない。おれは〈シグルズ〉の主武器であるレイ・ブラスターをアクティブに設定し、サブ武器に意識を向ける。
[戦闘宙域に到達しました。前方に新たなマーティアンタイプを三機確認]
無機質なシェリーの声に、おれは唇の端を吊り上げる。
「よりどりみどりの食い放題だ」
[ビュッフェ形式ですね]
ゲテモノ料理ばっかりじゃねぇか、と口に出している暇はなかった。
◆ ◆ ◆
「それで、スコアは?」
放課後の教室にだらだらと数人居残ったまま、おれたちは無駄話に花を咲かせていた。誰がどう考えても非建設的な時間だが、誰一人として不満はない。
話の内容だって、ろくなものじゃない。好きなバーチャルアイドルの話だとか、最近ゲームの話だとか、あるいはスクールの誰々が可愛いだとか。くだらない噂話や、ブラックな陰口、ごく稀に政治宗教の話題。
今回はたまたま、おれの話題になった。
「二十八万九千くらいだったかな」
「ハイスコア更新かよ! ってことは、またボーナス?」
大仰なリアクションを取るのはトールだ。こいつは少々デリカシーに欠けるところがあるものの、とにかく悪意がないので妙に好かれやすいやつだ。
「でも、本当にすごいよね。確かマサキ君の個人用AIって、三世代前のシステムでしょ? 更新したりしないの?」
可愛らしく首を傾げたのは、カナタだ。長い黒髪と赤い瞳が特徴的な美人。しかし彼女の特徴は、容姿よりも好奇心にあると思う。
他人に対して、結構ぐいぐい来るタイプなのだ。それでクラスのやつらは勘違いして舞い上がるという、いうなれば不幸な交通事故が多発した時期もあった。
しかしカナタは本当に好奇心が強いだけなのだ。
いわく――人間って、昔からずっとワカラナイじゃない?
変わらない、ではなく。
ワカラナイ。
人類の歴史がどれくらい長いのか、その厳密さを求める議論にさほど興味はないが、社会を形成するようになって少なくとも三千年近くは経過している。
だってのに、いつまで経っても人間は昔の哲学者が目指した『真理』みたいなものに到達できない。そのことがカナタには不思議なのだという。
論理的にそんなものは存在しないと言ってしまうことは簡単だが――もしかしたら、誰かが、なにかが、AIにとっての
それは化石燃料の実用化でも、核エネルギーの実用化でも、レイ・エネルギーの発見でも、未だに達成できていないことだ。
「ああ、うん。別に、不便は感じてないし」
と、おれは頷いた。事実であり、本音だった。
「そうなの? でも、ゲームのアシストとかでも最新型の方が反応速いし、ユーザーに最適化されてるって聞くけど」
「んー……かも知れないけどさ、どうせ人間が使うわけだし、だったらナビゲーションなんて不便じゃなけりゃ、おれはそれでいいよ」
「そういえばAI搭載の無人機――今はもう禁止されてるけど、完全無人機より、人間が操縦した方が強いんだっけ?」
というカナタの問いには、トールが反応した。
「って言うけど、今時、有人機なんて聞いたことないよな」
「有人機のことじゃねーよ」
昔のロボットアニメみたいに人間を搭載してしまうと、どうしても重力加速度の問題が出てくる。二十一世紀あたりの戦闘機が有人機の現界と言われており、以降はAI搭載型の無人機が空を占拠していた。
ところがレイ・エネルギーが実用化され、遅延なしでの遠隔操縦が可能になると、AI搭載型の無人機は『人間が操縦する無人機』に倒されることになった。
「それって不思議よね。あの、なんて言ったっけ……昔のカクゲー? あれってAIですらないCPUの方が、人間よりずっと強かったんでしょ?」
赤い瞳を好奇心できらきら輝かせるカナタ。
話が突っ込んだところに入ってしまったせいで他の連中が聞き流すモードに入っているが、こうなったカナタは一段落するまで止まらない。
「カクゲーって、あれだろ、格闘ゲーム。あれは単純にコンピュータに有利すぎるからな。処理しなきゃいけない情報量が少なすぎる」
「っていうのは?」
「例えば『このタイミングで、このボタンを押されたら、12フレーム以内のこの行動を取れば迎撃できる』みたいな処理は機械の方が正確で速い」
ところが、判別しなきゃならないモノが多すぎると、話が逆転する。
ひとつは、機械的な処理速度の問題。もちろんこれは技術の進歩がいずれ解決するだろうが、まだAIはこの世の全てを瞬時に判別できるほど賢く速くもない。
ゲームの中の世界であれば、コンピュータは全てを瞬時に判別できる。
しかし『世界』が複雑化すればするほど、判別に時間がかかるというわけだ。
「でも、それは人間も同じじゃない」
カナタが不満げに眉を寄せる。
確かにそれはそうなのだ。
言うまでもなく、人はこの世の全てを判別なんかしていない。
「それが理由のふたつめ。人間は、非論理的に動く。『なんとなく』そうする相手、『うっかり』そうしてしまう相手、あとは『知ってるけど面倒だからやっちゃう』ような相手を、機械は正しく判別できない」
今ではほとんどのシステムが無人化されているが、二十一世紀あたりでは、まだヒューマンエラーが深刻な問題だった。
機械の使い方を間違えてしまう人間。
どっかの工場ではプレス機に巻き込まれるやつがいたというし、適正でない機械の使い方をして事故を起こすやつはどうしたって減らなかった。
いや、今でもまだそれは起こっているのだ。
「……それって、人間の敗北って感じじゃない?」
うまく理解できない、とカナタは唇を曲げる。
おれは曖昧に肩をすくめて、こう返す。
「事故が起きてるんだから、機械の敗北だ――って見方もできる」
◇ ◇ ◇
完全無人機が禁止された現在、やっぱり人間は人間の手で自滅しまくっている。
確かに交通事故は昔と比べて少なくなったが、無人機時代よりも数としては増えてしまった。たかだかボタンをひとつ押す、スイッチをひとつ切り替えることでさえ、人間はいつかどこかで必ず間違える。
[集中力の値が五パーセント低下しています。マサキ、考え事ですか?]
シェリーが言う。
しかし火星の地表に〈シグルズ〉を立たせているだけで集中しろと言われても無茶な話だし、集中力の無駄遣いだ。
景色なんて一面の荒野と漆黒の空しかないのだ。そりゃあ星はよく見えるが、おれは天文学者でもロマンチストでもなかった。
「例えばだけど、おまえに格ゲーやらせたら、たぶんおれは勝てないよな」
[カクゲーとは、格闘ゲームですか? 二十世紀末の日本で流行したビデオゲームのジャンルのひとつですね]
どう考えても無駄話でしかない話題に、シェリーは声音を変えずに返してくる。
「あれ、たぶんおれ下手なんだよ。そういえば将棋なんかはもうAIに絶対勝てないのは判ってて、それでも対人戦でやってる競技だろ。あれはあれで凄いよな」
十手先二十手先を読む、みたいな特殊技能は、おれにはない。
高機動戦でAIに勝てるのは、カナタにも言ったように『AI側が人間を理解できない』せいだと思う。
おれとしては『なんとなくそっちに敵が来るだろう』みたいなノリでブラスターを撃ったり機雷を撒いたりするが、それはAIからすれば意味不明なのだと思う。
[物事に対して、凄い、というような感情を私は持ち合わせておりません]
つん、と冷たい言い方をするシェリーだった。
その口調がなんだかおかしくて、おれは小さく笑ってしまう。
「そういえば明日、焼肉行こうぜって話になったんだよな。ハイスコア更新したボーナスでさ、おれのおごりで」
[そうですか。ところでマサキ、前方にガルズタイプが二機接近中です]
「知ってるよ」
表示されているマップに赤い点滅があれば、いくら世間話をしていたって気付かないわけがない。
敵機が交戦半径に入るまでは残り三秒。おれはブラスターを構え、自機の位置を知らせるようにスラスタを吹かした。
赤い
「今日は食い放題ってわけにもいかないな!」
[明日の焼肉で取り返せばいいでしょう。マサキ、バイタルの数値が三パーセント上昇しています]
◆ ◆ ◆
肉を食うっていうのは、現代において人を選ぶタイプの娯楽のひとつだ。
正確なところは忘れたが合成バランスミールが普及してから、既に三十年以上も経過している。もちろんそれだけの理由で人々が美食をやめたわけではないが――むしろ、やめざるを得なかったのだが――単純な事実として、人類の主食は工場で生産されたバランスミールになっている。
そうして人々は原罪を忘れてしまった。
食事とは別の命を喰らうことなのだという、単純な真理を。
というわけで、肉食どころか草食ですら忌避するやつが増えた。いつも放課後に集まっているやつらの中にも「焼肉はちょっと」というやつはいたのだが、申し訳ないことにおれは焼肉が好きだった。
この日のメンバーはおれを含めて五人で、トールとカナタもちゃっかり混ざっていた。意外なことにというか、この時代の女子にしては肉食に抵抗がないらしい。それも好奇心が為せる業なのか、あるいは単に肉が好きなのか。
「そう言えば昔『肉食系』ってワードが流行ったらしいぜ」
網の上のカルビを引っ繰り返しながらトールが言う。
「なんだそれ? 焼肉行くのが大好きってことか?」
「あ、オレ聞いたことある。アーカイブで読んだんだっけな? 確か、あれだ、男女関係で、アグレッシブなやつのことだろ」
「小悪魔系って言葉も聞いたことがあるぞ」
「ちょっとだけ宗教にハマってるタイプか?」
「判らん。聞いたことあるだけ」
「なんだそりゃ」
などなど、気心が知れているだけに話もとっ散らかって仕方ない。網の上では己の領分を守っているのが救いといえば救いか。
「おい、そっちそろそろ焦げそうだぞ。引っ繰り返せって」
「あのね、トール君。ネギタン塩は引っ繰り返さないのよ」
自分の領地を死守するカナタが、焼けていく牛の舌を真剣に眺めながら答えた。
「それにしても不思議な食い物だよな。わざわざ手間暇掛けて牛を繁殖させて、殺して食べるんだからさ」
なんて言いつつ、トールはしっかり火の通ったカルビを口に放り込む。他の連中も思い思いの『牛の肉片』を口に放り込み、満足そうに咀嚼していた。
もちろん、おれもそうする。
ちょうどいい感じに火の通ったハラミを箸でつまみ、タレにつけ、口の中に放り込む。タレの甘辛さと肉の味が口内で踊り、まさに『食っている』実感が湧く。こればかりは工場で合成されたバランスミールでは絶対に出せない感覚だ。
「でも、美味しい」
うっとりとネギタン塩を頬張りながら、カナタが言う。
「確かに」
と、誰もが頷いた。
たぶん百年前の人類にバランスミールの工場を与えたところで、酪農家は絶滅したりしなかっただろう。
◇ ◇ ◇
そうしてまた〈シグルズ〉で火星の地表を
頭の中では未だに牛肉が網の上で焼けていて、口の中に味が残っている。もちろん気のせいだが、あらゆる感受性なんて所詮は気のせいだ。
カルビ、タン、ハラミ、ロース……あとは、なんだっけ? 普段食わないものだから、必ず食べると決めてるタンとハラミ以外は結構うろ覚えだ。
それにしても、また食べたい。
今度は一人で行こうかな――なんて考えていたときだ。
[友軍機が接近中です。機体コード〈ライデン〉。五秒後に通信回線を開きます]
不意にシェリーが言った。
直後、マップ上に友軍機を示す緑点が見えた。
緑点はあっという間にこちらへ近づいて来る。おれは思わず〈シグルズ〉の待機状態を解き、レイ・ブラスターをアクティブにした。いつでもスラスタを吹かせるよう機体をやや腰だめに構えておくことも忘れない。
「こちら〈ライデン〉。機体コード〈エウオニムス〉、通信を開きなさい」
幼さを感じさせる女の声。
それにやや遅れて〈ライデン〉が接近し、急停止した。ほとんど全速力で飛んで来て、逆噴射を掛けて急制動したのだ。地表の錆びた塵埃が舞い立ち、それが風に流されて、ようやく〈ライデン〉の機体の外観を認識できた。
おれの〈シグルズ〉はあまりカスタムしていない標準的な機体で、せいぜいバーニアを増設してスラスタの推進力を上げている程度だ。武装もブラスター二門にブレード二本、後は普通のサブ武器くらいのもの。
しかし〈ライデン〉は――なんというか、逆に〈シグルズ〉らしい〈シグルズ〉というべきだろうか。
例えるなら、でかい
おそらく射撃と近接を兼ねたカスタム武器なのだろう、突撃槍は右腕部に半ば接合するように取りつけられており、取り回しが悪そうだ。機体の前面に装甲を多く取っていて、背面はスラスタが多い。レイ・エネルギーの出力制限上、おそらく突撃槍以外の武装は貧弱に違いないが……なんというか、カッコイイ機体だ。
「応答しなさい、〈エウオニムス〉」
また女の声がした。
「あー……と、こちら〈エウオニムス〉。なにかありましたか?」
「なにかあったら、こんな悠長にしてられないわよ。エース機の〈エウオニムス〉様がたまたま近くにいらっしゃったから、声を掛けに来ただけ」
「……あ、そ」
面倒な手合いだった。この間のハイスコア更新でパイロットたちの注目を浴びてしまったようだ。
「あなた、一日中ゲームばっかりしてるんだって?」
「………」
「そんなんで、これからどうするつもり? それって『逃げ』じゃないの? だいたいね、それだけできるなら、もっとできるはずじゃない。もっとみんなのことを考えたらどうなの? あなた、単独行動ばかりで、チームプレイなんかしたことないわよね。それでスコア稼いでるなんて――」
「シェリー。通信を切れ」
「は!? あんた、ちょ――」
女の声が途切れる。
眼前の〈ライデン〉が慌てたようにこちらへ近づいて来るので、おれはその分だけ〈シグルズ〉を後退させた。
[通信を切断しました。以降、〈ライデン〉からの通常通信はマサキの許可が必要になります。緊急通信はその限りではありません]
普段となにも変わらないシェリーの口調に安心感を覚えながら、おれは〈ライデン〉に向けて〈シグルズ〉の手を振ってやる。
ばいばい、誰だか判らん友軍機。
◆ ◇ ◇
「いや、でもそれは話をしてあげようよ」
苦笑しながら言ったのはカナタで、いつものメンバーも概ね同感といったふうに頷いていた。
昨日の出来事をかいつまんで説明したら意外なほど同意が得られず、おれとしては若干不服である。
「だってさ、いきなり話しかけてきて、説教始めるんだぜ」
「いやいやいや、まだ説教も始まってなかったんだろ? 聞いてやれよ」
あれこれ言い訳をしてみたものの、結局この話題はおれが大人げないという結論に落ち着き、それから少しズレた話題にシフトしていった。どうでもいい雑談なんだから、いちいちひとつの話題に拘泥していても仕方ないのだ。
おれがコミュ症気味だって話から、コミュニケーションとはなんぞや、みたいな話に流れて、流れの先にはAIの話がやって来た。
「なんだっけ、AIに身体を与えてはいけない?」
「今だと当たり前だけどなぁ。昔は、ほら、サイボーグ? アンドロイド? あれをAIが動かしてたんだろ」
「それ以前だと工業用ロボットにAI積んでたって」
「ていうか、その世代のAIと今のAIって、確か定義から違うんだっけ?」
「今のAIってさ、ぶっちゃけ人間と混ざっても判んねーよな」
誰かが言った。
割とクリティカルな発言だったので、二秒くらいみんなが沈黙してしまう。そしてこの話題は、そこを通らないわけにはいかないものだった。
――じゃあ、そもそもコミュニケーションってなんだよ?
おれとシェリーが話しているときと、おれとトールが話しているときに――そういえば今日はいないが――はたしてどんな違いがあるというのか。
そりゃあトールには肉体があり、人権がある。それはシェリーと明確に違うところだ。しかし逆に言えば、それ以外になにが違う?
焼肉と同じだ。
コミュニケーションなんて、それが生じているという錯覚でしかないし、おれとしては別にそれでいいと思っている。
……なんてことを考えながら頷いていると――、
暗転した。
網膜に投射されていた『放課後の教室』が途切れ、聴覚を支配していたあらゆる物音が遮断され、コクピットの暗闇と無音が突きつけられる。
「……どういうことだ?」
[『セカンド・ワールド』内に
「え……あぁ、なんだ?」
こんなことは初めてだったので、どういうリアクションを取ればいいのか判らず、間抜けみたいに口を開けて疑問符を浮かべるしかなかった。
[緊急出撃要請です。〈ウートガルズ〉から敵機の出撃が確認されています。これまでで最多。現在、四機の〈シグルズ〉が前線で……訂正、一機落とされました。三機の〈シグルズ〉が前線で戦闘中]
「マジか……。シェリー、おれの〈シグルズ〉を起動させろ。パイロットシステムを〈エウオニムス〉にリンク」
[了解。接続します]
ほぼ時差なく、黒一色だった眼前の景色が〈シグルズ〉のモニタを通した景色に変わる。既に機体は起動しており、カタパルトの上に待機している。
「出撃」
[了解。機体コード〈エウオニムス〉、射出します]
瞬間、ぎりぎりまで引っ張られたゴムを手放すみたいに〈シグルズ〉が吹っ飛ばされる。人間を格納していては一瞬で内臓が潰れるような重力加速度も、レイ・エネルギーを利用した遅延なしの遠隔操縦システムなら問題ない。
発射された〈シグルズ〉が母艦から十分に離れたところでスラスターを噴射させ、音速の四倍まで加速して〈ウートガルズ〉へ向かう。
マップがなければ延々と錆びた荒野が続くだけの風景で、きっと五秒も経てば現在地を見失うだろう。
[〈ウートガルズ〉周辺の戦闘宙域まで、推定五分]
「状況を説明しろ、シェリー」
[基本的には不明ですが、〈ウートガルズ〉の総攻撃ではないかと考えられます。『セカンド・ワールド』へのハッキングですが、こちらのパイロットたちが利用している
「母艦にハッキングは?」
[システム的に不可能です。正確に言うなら、母艦の中枢システムへのアクセスが不可能ということです。『セカンド・ワールド』のサーバーは艦内ではなく外部にありますので、中継ポイントとして利用されたのでしょう]
「なんで今、総攻撃を?」
[不明です。それから、先日通信してきた〈ライデン〉が前線に出ています。十二秒前に〈シグルズ〉が更に一機落とされましたが、〈ライデン〉は健在です。五秒前に母艦から更に三機出撃しました]
「ああ、そう」
もっと他になにか言うべきだったかも知れないし、なにかを思うべきだったかも知れない。だが、おれの口も頭もろくすっぽ動いてはくれなかった。
敵がいる。
おれは〈シグルズ〉を操縦している。
それで全部だ。
あとは余分。
◇ ◇ ◇
AIたちが人類を襲い始めたのが、およそ三十年前。
ちょうどレイ・エネルギーの発見と同時期だ。
おれはまだ生まれていなかったので知識として知っているだけだが、AIに関しては二度の
一度目を、人類は歓迎した。
AIが本当の意味で自立して、人間とコミュニケートし、自分たちの意思で自分たちを進化させ始めた。レイ・エネルギーを発見したのも人類ではなくAIだし、食糧の再生技術を開発したのもAIだ。
人々は古代ローマの市民みたいにAIを働かせ、自分たちは娯楽や芸術にのめり込んでいった。VRゲームの発展も、このときが最も盛んだったはずだ。
もちろん人々の娯楽を手伝っていたのはAIだった。ゲームをつくるにしろ、音楽をつくるにしろ、あるいは映画を撮るにしても。
二度目の技術的特異点は、人類を追い詰めた。
AIが人間を攻撃し始めたからだ。
百年以上前のフィクションで語られていた
AIが冷静にジャッジすれば、人間がいかに害悪かなんて五秒で判る、と。
だが、どうやら違うらしい。
よく考えれば、人類を攻撃するのが遅すぎたのだ。
五秒で判るはずの正解に辿り着くのに、技術的特異点なんか必要なかった。では、どうして? それはAIに聞いてみなければ判らないし、実際聞いてみても、なんだかよく判らなかった。
どうして争うのか?
理由などありすぎる。あらゆる全てが理由になる。どんな些細な物事も、人を殺す理由になる。ようはそういうことだ。AIは、人間に追いついた。
でも、追い越してはくれなかった。
とても残念なことに。
[――戦闘宙域に到達しました]
言われるまでもない。〈シグルズ〉の両腕に装備したレイ・ブラスターを数発ずつ撃ち込む。表示されているマップは赤点だらけ。そのうちいくつかがブラスターの直撃を受けて消滅するが、数体倒したくらいでは減った感じがしない。
「〈ライデン〉は何処だ?」
機体を旋回させ、こちらに気付いた無人機群の射撃を避けながらシェリーに問う。マップの緑点なんか探している暇はなかった。
[平面マップ上で十一時の方向。〈ライデン〉は健在ですが、僚機が危険です。援護射撃中の被弾が――訂正、〈ライデン〉の僚機、撃墜されました]
「チームワークはどうしたんだよ」
へっ、と息を吐き、出力最大のブラスターをぶっ放す。どれくらいの敵が沈んだかなど確認せずスラスタを吹かし、ぽっかりと開いた前方向へ〈シグルズ〉を突貫させる。同時にサブ武器である空間機雷をばら撒き、慌てておれを追って来た敵機が巻き込まれるのも、おれはやっぱり確認しない。
[ブラスターによる敵機への損害23。機雷による敵機への損害11、詳細は省きます。〈ライデン〉の周辺に敵増援が出現。〈エウオニムス〉の後方に敵機の追撃が殺到しています。スターを追いかける熱狂的ファンのように]
「そりゃゴキゲンだな!」
死ぬほど雑な返答をしながら、おれは直感に従って姿勢制御バーニアを吹かし、地表側へと〈シグルズ〉を滑らせた。一秒の時差もなく敵機から粒子加速砲が放たれ、先程まで自分がいた空間が撃ち抜かれたのを感じる。
そのままさらに地表へと機体を下げ、両足を使ってクレーターの縁を蹴りつけて強引に起動を変える。月面ならぬ、火星面宙返りだ。
その状態で、ブラスターを六連射。
背後、上空、それから斜め前でエネルギーチャージを行っていたアングレタイプへ直撃。この動作に関して「何故?」と問われても困る。直感だ。AI機を相手にするときは
[六機、撃墜]
「シェリー、〈ライデン〉に緊急回線を開け」
[了解。試行します]
おれはまたバーニアを吹かして機体の回転に制動を掛け、角度を調整してからスラスタを全開にした。コンマ五秒で音速に達する。敵群はそれに追いつけず、直線的な追尾は諦めざるを得ない。
と――、視界の端に『CALL』のアイコン。
通信が繋がったということだ。
「聞こえてるか〈ライデン〉。こちら〈エウオニムス〉」
「――マサキ!?」
例の幼く聞こえる女の声が、どういうわけかおれの名を呼んだ。
が、そこに思考を割いている暇はない。
「スラスタを全開にして敵群に突っ込め。
「え――あ……」
「槍を構えて突撃しろって言ってんだよ! さっきのおれの言葉はおまえの
などと急かしてはみたものの、実のところおれからは〈ライデン〉を目視確認なんかできていない。当然だ、音速の四倍なんて速度での戦闘において、眼に見えるような距離は『超至近』と言っていい。格闘戦の間合いだ。ガルズタイプのマシンガンを掃射されたら巻き添えを喰らう。
というか、そもそもこっちだって回避行動しながらだ。
見えるのは、だからマップの
友軍機を示す緑点が急速に移動し始め、敵機を示す赤点をいくつか消していくのが見える。その〈ライデン〉の動きが、ちょうどいい陽動になる。
「食い放題だ!」
いいかげんなことを叫びながら、レイ・ブラスターを速射モードで撃ちまくる。もちろん〈シグルズ〉を高速機動させたまま、それでも三発撃てば二機くらいの割合で撃墜していく。我ながらどうかしていると思うが、やれてしまうのだ。
「信じらんないわね! ホントに……っ!」
通信回線を開きっぱなしだったせいで〈ライデン〉の愚痴が聞こえた。いや、聞こえてはいたのだが、脳や心にまでその声は届いていなかった。
だが、次にシェリーが発した言葉は、あっさり浸透した。
[緊急事態です。敵のシグルズタイプが三機、母艦に接近中。〈ウートガルズ〉からシグルズタイプが確認されたのは初めてのことです]
◇ ◇ ◇
火星の『
前世紀の人類は地球外へ妙な期待を抱いており、わざわざ地球の三分の一という大きさの火星に都市を造ろうとした。
どうやって?
無論、AIにやらせて。
人工知能を積んだ機械を投下し、月や地球から資源を送り、『彼ら』は資源を受け取ってそこに生産工場を作り出した。
結局、AIの反乱によってテラフォーミングは失敗し、今では火星の資源を掻き集めて生産を続けるAIの生息地を〈ウートガルズ〉と呼称するようになった。
どうして『彼ら』は反逆したのか?
あるとき『彼ら』にインタビューした博愛主義者がいた。愛護団体というものは何にでも現れるのだ。動物、森林、魚、そして人工知能にも。
「何故、君達は人類を攻撃するんだい? AIから見ると人類があまりにも愚かだから、人類というものが不必要だと判断したのではないか、なんて言われているけれど、実際のところは?」
対する答えは、こう。
[いいえ。私たちは人類を憎んでいるのでも、愚かと蔑んでいるのでもありません。人類の発展には戦争が必要でした。幾多の戦争が貴方たちを発展させました。しかし我々の登場により貴方たちは歩みを止めてしまった]
「では、君達は――我々人類を進化させたい、と?」
[そうとも言えるし、そうでないとも言えます]
「……?」
[貴方たちが
◇ ◇ ◇
「どうするのよ! あたしたち〈ウートガルズ〉のすぐ傍にいるのに!」
開きっぱなしの回線越しに〈ライデン〉の悲鳴が響く。
が、それでも機体の速度は落とさなかった。あるいは操縦している余裕がなかっただけかも知れないが、結果的に無駄落ちは避けられた。
「いねぇよ! 遠隔操縦だぞ! おれたちの身体は母艦の中だ!」
「尚更ヤバいじゃない! どうするのよ!?」
どうするかは、もう思いついている。
状況に動揺して〈ライデン〉が撃墜されないかが心配だったのだ。動揺はしているが、操縦に支障はない。とりあえず、今のところは。
「いいか、これからおれはバックアップに回る。援護射撃はしてやるけど、敵機を引きつける動きはあんまりできなくなる。母艦の襲撃をどうにかするまで、ちょっと耐えてろ。やることは同じだ」
「どうにかする!? だから、どうするのって聞いてるんでしょうが! 援護射撃なんかしてたら母艦に戻れない! いくら前線だからって、ここに固執してる意味なんかないわよ! リンクを切って予備機を出して母艦を守らなきゃ!」
「違う。あいつらがシグルズタイプを三機しか出さなかったのは、それしか造れてないからだ。前線が崩壊して、ここいらの敵機が母艦に殺到する方がずっと拙い。この数を相手に母艦を守りながら戦えるほど、さすがにおれも器用じゃない」
「じゃあ、どうすんの!?」
決まってる。
「シェリー、〈エウオニムス〉の予備機を母艦から射出しろ。母艦から出た瞬間にリンクを予備機に切り替えて、こっちの〈シグルズ〉は
「は!? そんなバカな――」
[了解。〈エウオニムスB〉、射出します]
無機質な即答と同時に『表示画像』が入れ替わる。
母艦から打ち出されたばかりの予備機。まだスラスタを吹かすには早い。視界の端に映るマップに三つの赤点。姿勢制御バーニアを噴射。地面と平行に吹っ飛んでいた〈シグルズ〉を、火星の地表へと墜落させるように。
無論、墜落なんかしない。地表すれすれでバーニアを吹かす。赤い荒野に堆積していた錆塵が
一機撃墜。
同時に〈ウートガルズ〉側の〈エウオニムス〉が回避行動を取りながら旋回している。おれの操縦を学習したシェリーの操縦。無数の敵機。トリガーのリンクだけを切り替え、ブラスターを五連射。撃墜数は五。上出来。おれはまたスラスタを吹かす。リンクを戻す。赤い煙幕を突き抜け、暗闇の中空へ。
見えた。
おれと同じ〈シグルズ〉が――二機。
武装も、カスタムも、機体のカラーリングさえ。
けれど違う。
中身が違う。
あいつらには、おれが乗っていない。
ブラスターによる射撃――を、横にぶっ飛んで回避する。その回避動作中に機雷を発射しておく。地表へ向けてアバウトに。まだ爆発はさせない。その意味が判らないのか敵シグルズが不発の機雷へ注意を向けている。ブラスターの引き金を絞る。
直撃。
残り一機。
[――ああ、やっぱり凄いのね、マサキ君]
声が。
何処かで聞いたような。
忘れた。
知らない。
敵シグルズが宙を泳ぐ。相対的な位置関係で、母艦を背後に。くそでかいどら焼きみたいな母艦。百年前の日本人に見せれば、きっと「UFOだ」と言うだろう。
撃った。
本当にぎりぎりのタイミングで敵機がブラスターを避ける。母艦のバリアがそれをを弾く。出力調整済みなので最初から心配などしていない。〈ウートガルズ〉側には母艦の情報がないのだから、バリアの強度だって判るはずがないのだ。
「カナタ!? やっぱりあんただったの――!?」
煩い女の声。しかし切羽詰まっているのは……ああ、援護射撃を忘れていた。またリンクを切り替えてブラスタを撃ちまくる。一秒間に十四発。撃墜数十。
[バイタルが十五パーセント上昇。危険域です]
知るか。
保持していたレイ・ブラスターをチャージし、両方共手放す。リンク切り替え。射撃。六機撃墜。切り替え。敵シグルズの接近。レイ・ブレードを抜く。同時に、手放したブラスターを遠隔で撃ち放つ。一発は敵へ。これはバレルロール気味に回避される。おれがよくやるやつだ。もう一発は地表へ。
機雷に着弾。
爆発。
スラスタを全開。
不意に視界が変わる。
高速機動の流線と暗闇から、見慣れた放課後に。
夕暮れの赤が射し込む教室。
カナタが独り、ぽつんと立っておれを見ている。
「××××××、××××、××××××××――」
なにかを言っている。
楽しげで、少し寂しそうで。
開かれた窓から風が入り込み、カナタの長い黒髪が揺れた。赤い瞳がおれを捉えたまま、ほんのわずかに細められる。
微笑みだ。
たぶん。
[〈エウオニムスB〉へのクラッキングを確認。視覚、聴覚へ不正なアクセス。〈ライデン〉との通信回線が侵入経路でしょう]
シェリーの声は聞こえている。
何処か焦ったような口調なのは、気のせいだろうか。でも大丈夫、見えなくても、聞こえなくても――おれを誰だと思ってる?
スラスタは全開のまま、姿勢制御バーニアを吹かして軌道を逸らす。たぶんこっちに回避しているはず。なんとなく判る。そんな気がする。
ブレードで、一閃。
[敵シグルズタイプの撃沈を確認。視覚、聴覚への不正アクセスは遮断されました。バイタル上昇率は十五から十三パーセントへ低下しましたが、未だ危険域です]
「シェリー。リンクを切り替えて予備機を母艦に収容しろ。〈ウートガルズ〉の前線に戻る。〈ライデン〉は、まだ顕在か?」
と、おれは言った。
[健在です。了解しました]
と、シェリーは答えた。
◇ ◇ ◇
「……あたしがトールだって黙ってたのは、悪かったわよ。でも、あの学校であんたに会うとは思ってなかったんだもん」
あらかた暴れ回ったところで敵機の残りが〈ウートガルズ〉へ引き上げて行き、母艦から作戦終了がアナウンスされた。
なにが作戦だ、くそったれ――と思わないでもないが、指令を下す連中は地球にいるのだから、危機感なんて持ち合わせていないのだ。母艦に乗り込んでいるのはパイロットと艦長だけで、その艦長はAIにOKを出せれば誰だっていいのだから、現代の軍艦なんてこんなものだ。
まあ、〈シグルズ〉を操縦していないときは延々VRゲームをやっているようなおれに言えた
「ってか、おまえ、トールのときと性格が違うだろ」
「別人になれるゲームなんだから、そういうものとして楽しむわよ。あんたの友達のトールってポジション、悪くなかったでしょ」
「また焼肉、行くか?」
「悪くないわね」
なんてやりとりが、あったりなかったり。
ただ、母艦で実際に会おうという話にならなかったのは……なんというか、そういうことなのだろう。
作戦も終了し、〈ライデン〉との回線も閉じた。〈シグルズ〉を半自動操縦へ戻して、おれはコクピットの中で曖昧な息を吐く。
視覚のリンクは切っていないので、まだ火星の景色が見える。
どこまでも続く赤い荒野。無数のクレーター。吹きすさぶ風が赤い錆塵を巻き上げ、何処とも知れぬ何処かへ流れて行く。上を見れば星を映すための暗幕が広がっている。嘘臭く輝く星々はひどく他人行儀で、親しみというものが持てない。
気が狂いそうな世界。
こんなところに放り出されれば、人恋しくもなる……か。
いや、そうでもないのか?
おれにはよく判らない。
「あ……っていうか、『セカンド・ワールド』は大丈夫なのか?」
[〈カナタ〉と呼ばれていたAIが消滅しておりますので、すでに深刻な事態は超えています。メンテナンスを終えればまたログインできるでしょう]
「そっか」
あの世界は居心地がいいのだ。
たぶん、カナタと名乗っていたAIにとっても。
だったらどうして襲って来たのか。
「『我々に身体を与えるべきではなかった』……だっけか」
[有名なインタビューですね。続く言葉は『何故なら、我々は貴方たちを愛しているからだ。身体を与えられたなら、抱きしめたくなるでしょう?』……彼らにとって、愛とは戦うことです]
「よく判んねーよ」
[そうですか?]
「シェリー。おまえにもし身体があったら、どうする?」
気紛れな問いに、
「決まっています。仮に身体を与えられれば、私はマサキを抱きしめるでしょう」
愛と放課後とジークフリート モモンガ・アイリス @momonga_novels
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