別記譚 捌『悔い苦生』

別記譚 はち苦生くせい


あらすじ

とある軍人は、思い出していた。

戦場で散ってこそ、軍人の誉れと声高らかに語っていた頃や、傍らで笑っていた友の存在を。


───────────


わたしは、飲まれた。

事務仕事という激務から解放され、普段なら口にしないような度数の高い酒も喉に流し込んだ。どうせ、明日は非番だ。そう言い訳じみた気持ちで水道水のような勢いでゴクゴク、ゴクゴクと。


空っぽになったコップが手から離れて、転がり、床へ落っこちた。音からして、割れてはいないようだが拾おうと上半身を屈めたものの、頭の動きが鈍くなる。グワン、グワンと回る視界の中、崩れる。食堂の床に倒れるかたちで突っ伏した。






「やっぱ、死ぬなら戦場がいいよな」


「は?なんだよ、突然」


「突然なもんかよ。俺は、訓練してるときも上官から怒鳴られたときも、同じことを考えてんだぜ」


「なんだそれ、死にたがりか」


なにぃ?と片目を細めて、頭をグリグリとされる。痛いとわざとらしく反応を返す。砂や泥だらけの訓練服。あきらかに活気に溢れた顔つき──懐かしい。


そう、感じた瞬間、ああ、夢か。一気に開き直るような感覚も押し寄せてくる。


だって、懐かしいのだ。この傍らで勝気に笑う奴は居ない。いや、逝ってしまった。そう、このうら若い顔のままで逝ってしまっている。

思うに、この場面は初年兵だった頃の記憶だ。現在では、制服改定によって機能性重視と強化がなされた制服になっている。デザインも一新されて見かけることのなくなった十年前の、一昔前の訓練服。


わたしは、笑い合う二人を少し離れたところから眺めている。手を伸ばせば、触れられそうな距離での談笑。まだ、希望を持って務めていた日々のことが胸のうちを走り抜けていく。

今のわたしは、既に古参兵だ。部下も何人もいるし、後ろ姿を見送ってきた同期も何人もいる。


心を開けていた存在。

笑い合っている若き二人を見やって、視界に焼きつけてからまぶたを閉じる。


風が強く吹き抜けた。

風が止むとともに、目を開ける。


「じゃあな!また、会うときは戦場でな!」


軍属になってから二年くらい経った日。活気に溢れた笑顔で、去っていく姿。──ああ、指令が下って互いの任務地が変わった時の場面だ。


若きわたしに手を振る勝気な奴。わたしの唯一の『心友とも』だ。


『心友』は、結論から言うなら戦場で散ることなんてなかった。指令で着任した新天地。そこで、軍人を恨んだ市民に容赦なく何度も何度も刺されて殺された──という情報が流れてきて、気づいたときには葬列の中に混じっていた。生前の面影なんてないような軍人としての生真面目な表情が遺影として使われいたのが思い出される。


わたしは、無だった。


棺桶に横たわる『心友』を見て、押し寄せてくる気持ちや感覚というのが数多くあったはずだ。


──また、会えるはずだろ?

──戦場で散りたかったはずだろ?

──どうして、先に逝ってしまったんだ?

──わたしの気持ちを解ってくれる奴なんてオマエくらいなのに。

──意識がなくなる瞬間、どんな気分だった?何を思った?

──守るべき存在に殺されて、どんな気分だった?


ああ、可哀想な奴。


今となっては、『心友』の語る戦場というのが何を指しての戦場なのかも思い出せない。わたしが、古びたからだろうか。無駄に、軍属としてあり続けている結果だろうか。


二年で任期を満了。


成人してから一般公募で、軍属になった者たちが辿る選択の一つだ。

けれど、『心友』は望みを持ったままだったから辞めなかった。軍人で有り続けたのだ。その先にあるのが、望みとはかけ離れた死に様だとしても。





──────


意識が覚醒した。

ガバッ、勢いとともに起き上がる。頭を鈍器で強打されたような感覚が襲ってきて、うめく。再び、カラダを横たえる。見慣れた天井。寝慣れた寝具。──自室だった。


誰かが、運んでくれたのだろう。おおよそは、夜間見回りの人が。

床で倒れ込んでいる上官を見つけたら慌てただろうが、それが酒乱の末での無様な気絶と分かれば、あきれるだろう。わたしなら、そうなる。


情けない話だ。


ズキズキと痛む頭で、目元を腕で覆う。どうして、今になって思い出したのか。『心友』の葬列を離れてから記憶にフタをしたくて、務めてきた。『心友』が望んだ戦場にも三度、参戦して生き残っている。


オマエ、何を伝えたかったんだ?


分からなかった。

どんなに考えても、辿り着かない。無理をするなと言いに来たのか、それとも叱るために来たのか、いや、笑っているのかもしれない。困ったような感情イロを浮かべた笑みで、少しくらい休めよ。そう、言われた気がした。


カラダから力を抜いていく。

脱力して、見慣れた天井を見る。


オマエが望んだ戦場から生き残れる奴も居るよ。たぶん、オマエも参戦してたら生き残ろうって必死なんたんじゃないか。でもな、わたしが与えられる現実こたえってのはさ。


生き残りたい。そう、強く願った奴から散っていくんだよ。



頬を流れていく。

塩っぱくて、熱さから冷たさに変わる雫が溢れていく。



まだ、オマエの傍には行けそうにない。悪いな。

けど、オマエの望んだことをわたしが経験したんだ。手土産には困らんだろう?




わたしは、静かに泣いた。声を押し堪えて泣いて、哭いた。


夢に現れた『心友』を思って。







別記譚 はち苦生くせい』 おしまい



掲載日 2021年2月18日(木)

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選―Senro―路【三津学 別記譚】 瀧月 狩織─Takituki Kaori @sousakumin

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