それぞれの出発
気づくと、桃華は白い天井を見上げる形で横たわっていた。周りを見渡すと、ベッドを覆うようにあるカーテンが目に痛い。
無機質なベッドを眺めていると、徐々に自分の置かれている状況がなんとなく、理解できた。
「ああ、病院か……」
桃華は、そう呟いた。そして、もう一言半ば自分に言い聞かせるように言う。
「帰って……きたんだ……」
そこは、『桃太郎』の世界にいた間、桃華が帰ることを願い続けていた世界だった。現代の日本。そこへ、自分は戻ってきたのだ。
けれど、あれだけ自分で熱望していたはずなのに、やはり戻ってくるとどこか、寂しく、つい先ほどまでいた気がするあの世界のことが懐かしいような気もした。
向こうの世界でなら、自分は勇者として認められて自分の居場所を確保するのにそれほど苦労しなかったかもしれない。
けれど。桃華は体を起こしながら思う。自分が選んだのは、この世界で生きることだ。ここで目覚める前の現代の記憶、死んだと思ったあの時。あの時感じた後悔をこれから、一生かけて埋めていくんだ。
桃華はそう思い、深く頷いた。その時、彼のことが目に浮かんだ。いつも飄々としてつかみどころのなかった彼。現代の日本の住人ではなかった彼。しかしもしかしたら誰よりも、この現代の日本に来たいと願っていた人間。そして、彼女の成長を身近で見ていたいと言ってくれた人間。
彼は、無事にこの世界に来られたのだろうか。そんな心配が彼女の脳裏をよぎる。彼は、この世界では身内も頼れる人間も少ない。近くにいるだろうか。もし離ればなれになってしまったとして。彼を捜し出すことが、自分にできるだろうか。彼と自分が再び巡り合えることはあるのだろうか。彼女の胸の中が、不安でいっぱいになる。
「大地さん……」
そう、静かに呟いた時だった。隣のベッドから、聞きなれた声がした。
「桃華……」
ひどく懐かしいように思われる、しかし今一番聞きたかった声だった。桃華は、ベッドから飛び起きる。
「大地さん……?」
いるはずがないと思いながらも、そっとカーテンをどけてみる。するとそこに、今彼女が一番会いたいと願っていた人物が横たわっていた。
「大地さんっ」
桃華が呼びかけると、大地が桃華の方に視線を向けた。そして、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「……桃華……」
「大地さん、現代の日本だよ。来られたんだよ」
桃華が呼びかけると、大地は片手を顔まで上げて言う。
「ああ、嫌な夢を見せやがる。……桃華たちは元の世界に帰り、オレは居場所を見つけられないまま、この世界で生き続けなけりゃいけねぇ。そもそも、ここどこだよ」
「大地さん、ここが現代の日本だって。私は、あなたの傍にいるよ。なんなら、頬をつねってあげようか?」
桃華の言葉に、大地が顔を覆ったままで頷く。
「やれるもんなら、やってみやがれ。どうせ、痛くもかゆくもねぇんだ」
桃華は、大地の片手をどかすと思いっきり、頬をつねった。
「この、いくじなしっ!」
「いててててっ」
情けない声を上げて半身を起こす大地。桃華はそれを見て笑い転げる。大地は、訝し気に、ゆっくりと尋ねる。
「……本当に、現実なのか。オレ、現代の日本に来られたのか。お前と一緒に」
桃華はにっこり笑って言った。
「私があなたと同じ夢を見ているんじゃなければね」
「そっか……」
大地は、ゆっくりと辺りを見回すと不思議そうな顔をした。
「しかし、不思議な空間なもんだ。真っ白じゃねぇか。この世界って全部、こんな感じなのか? だとしたら、落ち着かねぇ」
「そりゃ、ここは病院だから」
桃華が言うと、大地は当然のように傍らのテーブルに置いてあった眼鏡を早速かける。どうやら、眼鏡だけはこの世界に持ってこられたようだ。元々この世界のものなのだから、当然なのかもしれない。
「ほうほう、病院は怪我をしたり病気になった人が来る場所、ねぇ。壁や天井は、白。看病をしてくれる人の服は、白だったりピンクだったり、水色だったり、様々と。……それってつまり、オレは怪我してここに連れてこられたって設定という認識で、いいのかねぇ」
「多分、そうだろうね。私は怪我で入院してるんだわきっと」
桃華が笑う。大地のベッドを見つめた。ベッドの上の壁には『雉飼大地』と記載されている。桃華はそれを見て、安堵のため息をついた。
「うん、うん。……ちゃんと名前が書いてある。宇宙人になってないね」
「宇宙人……?」
大地が首をかしげたその時だった。病室のドアがノックされる音がする。
「どうぞ」
桃華が言うと、二人分の足音が近づいてきた。
「おーい、生きてるか。仕方がないから、遊びに来てやったぞ」
カーテンから現れた顔を見て、桃華と大地の顔がほころんだ。そこには、紅太と直季が立っていた。
「俺たち隣の病室だったんだ。俺、あの世界に行く直前に、酒飲みすぎて急性アルコール中毒で病院に運び込まれたらしい。全然、覚えがないけどな」
紅太はドヤ顔で言う。そして、自慢げに言う。
「直季がうまいこと看護師から聞き出して、お前たちもこの病院にいるって突き止めてくれた」
「誘導尋問なら、お任せください」
直季が胸を張る。桃華は言った
「二人とも、また会えてうれしいです」
「こちらこそ」
直季は微笑む。紅太は、言った。
「お、俺はそんなにうれしくないぞ」
「そんなに照れなくてもよろしいではありませんか」
直季が言うと、紅太はふん、とそっぽを向く。
「そういえば、桃津さん。蒼真さんを知りませんか」
「天鬼か? あいつは……、最悪同じ職場だ、いつでも連絡は取れるよ」
たぶん、と少し自信なさげに紅太が言う。直季が言った。
「彼が本当にこの世界で生きていくと決めていれば、帰ってきていると思いますよ」
「そうだね」
桃華が心配そうな声で答えた時だった。
「……呼んだか」
無感情な声が、病室の入り口から聞こえてくる。ばっとカーテンをどけて一同は入り口に視線をやった。そこには、銀髪を後ろでくくった青年が立っていた。
「おお天鬼! お前もこっちで生きていくことにしたんだな!」
紅太は思わず蒼真に抱き付いた。蒼真は形のいい眉をひそめて冷たく言う。
「……離れろ、気味が悪い」
「俺の愛しきパートナーっ! あ、もちろん仕事上の、だけど」
紅太は、直季の冷たい視線にだらだらと冷や汗をかきながら言う。
「さ、早速、直季を俺の部下として入社させなければ! これから忙しくなるぞ!」
紅太は言って、病室から走り去る。直季は、三人に会釈すると、彼もまた病室を出た。
「蒼真さんも、帰って来たんだね」
「……向こうより、こっちの方が居心地がいいと思っただけだ。桃津に使われるのは、癪だがな」
蒼真の言葉に、桃華は朗らかに笑う。
「でもきっと、今回のことで彼も心を改めたんじゃないかな。きっとこれからは、蒼真くんに対する態度も変わるよ」
「……だといいがな」
蒼真はふっと笑う。そして、桃華に向かって言う。
「人生というものは、面白いな。本当に、何が起こるか分からない」
「私は、あの世界に行ったことで人生が変わった。それは生涯忘れない」
桃華が強い口調で言った。そして大地と蒼真を見比べて言った。
「それに、かけがえのない人たちと、出会えた。この出会いは、絶対になくならないし、無駄にしたりしない」
「だな」
大地も頷く。蒼真は言った。
「俺は当分はそのまま、桃津のところで世話になるつもりだ。犬飼が増えた分、桃津との関係も、それ以外の人間関係も、円滑になるだろう。……お前たちは、どうするんだ?」
桃華はにっこり笑う。
「私は、今度こそ小説家になる夢を真剣に追ってみようと思う」
大地は隣で頷いていた。以前の桃華なら、口にするのすら憚っていた内容を、すらすらと彼女は口にする。
「向こうの世界で決めたの。ここへ帰ってこられたら、絶対目指そうって。そんなの、才能もない私ができるはずないって思って逃げてた。本気で向き合おうとしてこなかった。でも、あの世界が、私にもう一度頑張るチャンスをくれた。今度は全力でぶつかってみる。結果がどうであれ、その頑張りを見てくれている人はいるから」
そう語る桃華の視線は、大地に向けられていた。彼は、優しい目で彼女を見つめ返している。
「大地さんは、この世界に来たいと願った。そしてその願いはかなえられた。大地さんは、私に身をもって証明してくれた。本気で願えば叶うこともあるって。だから」
ここで言葉を切って、桃華は笑う。
「今度は私が、この世界で証明する。自分のやりたいことをやりとげられるってことを」
蒼真はふっと笑った。
「最初に出会った時に思った。こいつは、今まであってきた人間と違うって。確かに度重なる経験で自信を失ってはいた。しかしお前がやることなすことには一本、筋が通っていた。だから俺はお前について行くことにしたんだ」
「うん、その点はオレも同感だな」
大地が頷く。
「オレは、まだこの世界で何をしたいか、イマイチ分からねぇ。だけど、当面の間は。前もおたくに言った通り、おたくがどんな偉業を成し遂げていくかを隣で見ていたいと思う」
「ま、時間はたっぷりあるからね。やりたいことなんて、そのうち見つかるよ」
桃華が言うと、大地はうーんと考え込む。そしてぽんと手を打った。
「あ、一つあった。やりたいこと」
「え、何」
「……興味あるな」
桃華と蒼真が同時に言う。大地は不敵に笑って言った。
「桃華をオレの嫁にすること」
「……はぁ!?」
「……ん?」
桃華は一瞬、何を言われているのか分からず固まった。そして、意味が分かった瞬間に顔を真っ赤にする。そして、つっかえながら言葉を発する。
「え、いや、え? ……いやいやいや! そもそもまだ付き合ってもいないし! 気が早すぎだし、まず友達からだし!」
桃華の言葉に、大地が楽しそうに笑う。
「もう! からかわないでよね!」
「からかったつもりはねぇよ? 割と本気」
「割とでしょ、割と!」
桃華は大地と言い争いながら思った。ああ、またなんでもない一日が始まる、と。変わったことがあるとすれば、自分自身の考え方が変わったことと、新たな居場所ができたということだけ。
しかし事故に遭う前と、そこまで変わらないはずなのに、なぜか今の彼女にはすがすがしい気持ちでいっぱいになっている。
新たな彼女の人生が、始まろうとしていた。彼女の人生の行く末は、彼女とその仲間たちだけが、知っている。
《完》
アナザー・フォークロア~鬼を退治しない桃太郎~ 工藤 流優空 @ruku_sousaku
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます