第16話 狂気の末路


 右腕が、飛んだ。


 視界が明滅するほどの激痛が、脳を襲う。


 遠ざかる全能感。束の間、痛みに叫ぶのも忘れて。

 私は宙を舞う宝剣と、我が身を離れた右腕が、地面を転がるまでの始終を眺めていた。


「くっ、うぅ……ッ!」


 意識の外にあった痛覚が徐々に戻ってきて、失った右腕を抱えながら、私は耐え難い苦痛に膝をついた。


 ──負けた。


 最後は、完全に後手に回っていた。


 いや、それでも何が来ようと薙ぎ払える自信があった。


 あの無限に溢れ出す全能感に溺れ、どんな策を弄しようと無意味だと侮っていた。


「最後の最期で、私は見誤ってしまったようですね……」

「ダンデ、先生……?」


 私の呟きに、少女はハッとして我に返る。


 極限の集中状態から、無意識のうちに身体を動かしたのだろう。天晴れである。


「まだ私を先生と呼ぶのですね……どこまでも救いようのない御方ですね」

「せ、先生……! す、すぐに止血を……っ!」

「触るなッ!」


 私の怒号に、ビクッと歩み寄りかけた少女の足が止まる。


「私は貴女の敵です。貴女は敵の私を討った。ただそれだけではありませんか」

「で、でも……血が、こんなに……!」

「貴女がしたことでしょうに……挙句、敵に情けを掛けようなど。どこまでも愚かで腹立たしい娘ですね、貴女は」


 刺々しい言葉に、少女の瞳が歪む。


 そのどこか悲しげな色に揺れる瑠璃色を目にする度に、私の心はひどく荒波を立てるのだ。


「……そんなに私が心配なら、どうぞ放っておいてください。こう見えても、私は神官です。治癒魔法などはお手のもの。止血程度なら造作もありません」


 村唯一の神父として、病人や怪我人の手当てをしてきた私のことは、よく知っている彼女だ。


 その一言を聞けば、多少なりとも落ち着いてくれることは分かっていた。


「それとも、やはり私にトドメを刺しますか? それが一番利口ではあると思うのですが?」

「そ、それは……」


 ──出来ない。

 分かっていますよ。貴女はそういう人だ。


 割り切りができない、情を捨てきれない、感情を制御できない。

 そういう、どこまでもニンゲンらしい人だ。


 だから私は、ここで貴女とお別れするのです。


「……村の者は、教会の地下聖堂をシェルター代わりに避難させています。貴女もよく隠れて遊んでいたので、よくご存知でしょう?」

「……えっ?」


 唐突で驚いたのか。

 私の自白に、彼女は疑問符を口にする。


「私にはもう、貴女と戦う余力も気力もありません……行きなさい」

「その前に、聞かせてください……どうして、こんなことを?」


 この期に及んで、何を聞くかと思えば。

 私は呆れながらも、改めて答える。


「頭の悪い人ですね。何度も言わせないでくださいよ……貴女が不必要になった。剣聖の称号を持ち続ける貴女が教会にとって不都合になった。だから、強硬手段で始末しようとした……それだけです」

「そうじゃなくて……! だったらどうして、あの人にわたしのことを話したのですかっ!」


 目の端に涙を溜めて、彼女は叫んだ。


「あの人から聞きました……先生が、わたしのことを気に掛けていたこと。先生から、わたしを救けてやってくれと頼まれたこと……ぜんぶ、聞きました!」


 それは、いつかの酒の席。

 誰もが寝静まった頃、向き合う誰とも知れぬ白髪の青年に、私は彼女のことを託した。


 結局、その戯言が敗因となったわけで、なんともお笑いぐさな話だ。


「……覚えていませんね。ひどく酔っていましたから」

「先生……っ!」

「もういいでしょう? それとも、ここで私と無用な時間を過ごして、また村人を危険に晒しますか?」


 暗に伝えられたメッセージに、追及に逸っていた少女は口を閉じる。


 村人も含め、この村のすべてを壊滅に追いやること。

 それが本来の神託しれいであった。


 だが、私にも良心の呵責はある。

 標的である彼女はともかく、村人にまで手を掛けることは、どうにも気が憚られた。


「それに……まだ彼は脅威と戦っている真っ最中なのでしょう? こんなところで油を売っている暇などないでしょうに」


 「まぁおかげで私は寂しくない時間を過ごせているので、よいのですが」と言うと、彼女は一瞬、表情を曇らせるも、何かを振り切るように私へ背を向ける。

 

 それでいい。

 こちらも貴女と話すのは、どうにも疲れるようですから。


 ぼたぼたっ、ぼたぼたっ。

 依然として両断された右腕からは、大量の血がこぼれる。


 さっきはあのように豪語したが。

 その実、私にはもう治癒魔法で止血を施すほどの余力すら残されていなかった。


 原因は、あの宝剣『星剣』の副作用だ。


 無限にも思える魔力の放出。あれは単純な魔力量の上昇のみが理由ではない。


 使用者の魔力出量の限界値を排し、本来のポテンシャルでは決して発揮できない出力を実現する。

 つまり、使っているのはあくまで自身の魔力で。剣はより多くのエネルギーを引き出す増幅器に過ぎなかったのだ。


 その力に頼り、私は自身の保有する魔力を使い果たしてしまった。


 頭がボーっとする。意識が徐々に薄れ、手足の指先が冷たくなっていくのが分かる。血を流しすぎた。


 自ずと、身体に力が入らなくなり、重たくなった私の視線が地面を向く。


 ……そんな時だ。


「──わたしは、覚えています」


 ぼろぼろの石畳を呆然と見詰める私の頭上から、少女の最後の語りかけが届いた。


「お師匠様に連れられて、毎夜お酒を飲んだくれていたこと。二日酔いで礼拝集会ミサに遅れてはシスターさんに責められていたこと。お師匠様の通夜で一番に涙を流して、祈りを捧げてくれたこと……それからずっと、あの人の代わりにわたしを見守ってくれていたこと」

「……それはあなたを監視し、教会へ報告する必要があったからですよ」

「だとしても、私はその眼差しに救われていました……あの優しさが嘘であっても、この救われた心は嘘じゃない。わたしはこの御恩を、一生忘れることはありません」

「……どこまでも愚かな人ですね」


 不意に堪えきれず、私は口元を綻ばせてしまう。


 いけない。まだだ。

 彼女はまだそこにいる。見せてはいけない。感じさせてはならない。


 薄闇に落ちそうな意識を必死に起こして、私は言う。


「さっさと行きなさい……あなたがいると目障りで、おちおち治癒に専念もできません……」


 そこで、満足したのか。


 彼女はそれ以上、語ることはせず。ただわずかに、鼻の啜る音を響かせて。


「──ダンデ先生、ありがとうございました」

 

 言い残した彼女が、踵を返す。


 足音が遠ざかる。


 ずっと聴いてきた足音のはずが、いまはどうにも気になって。

 私はいやに重く感じる首を無理やり持ち上げては、虚ろな目で彼女の背中を追う。


 小さな背中だ。

 かつて王国全ての希望を背負っていた背中は、そこにはない。


 だが、目の前にある大切なモノを守れるくらいには、大きく成長したのだと感じられた。


『年齢的に言ったら、儂よりお前の方が親世代じゃろうて』


 ふと、他愛のない老兵との会話を思い出す。


 それは彼女がこの村に来て間もない、幼少期の頃のこと。


 幼い彼女に四苦八苦する老兵に、『すっかり父親ですね』なんてエールを片手に茶化したら、そんなことを言われた。


 それから老兵の育児相談に乗ったり、時には教会で直接世話を見ることになったりしているうち、私は不意に、彼女のことを探すようになっていた。


「私も、大概ですね……」


 神父として、敬意も愛も全ての民へ平等に与えなくてはならないのに。

 この身も心も、すべては女神ノルン様への供物であるべきなのに。


 私は、愛してしまった。


 いつも懸命で、ひたむきな彼女の姿を。


 悲しいときも嬉しいときもよく泣き、たまに満面の笑みを咲かせる、彼女の表情を。


 他人のために頑張っているときが、一番、輝いて見える、彼女の在り方を。


 そんな彼女の全てを、守りたいと思ってしまった。


「申し訳ありません、ノルン様……どうか、お願い致します」


 貴女様を裏切った私に、赦しを与える必要はありません。

 

 ですが、どうか。


 あの子の行く末に、幸があらんことを。

 あの子の照らす未来に、希望があらんことを。


 そして──


「優しいあの子が、もう、独りで泣かなくていい世界でありますように……」


 それは実に醜く、滑稽な祈りだった。


 自分から彼女を裏切っておいて、これまで彼女を散々独りにしてきて。


 私はまだ、綺麗であろうとしている。


 そんな、どこまでも浅ましく罪深い、彼女とは対照的な自分の在り方に、心の底から反吐が出る。


 だが、それでいい。

 優柔不断な生臭坊主には似合いの末路だ。


 それに、本当に彼女のそばにいるべき人間には、バトンは託してある。


「どうか、あとは頼みましたよ……さん」


 白髪の青年と、記憶の老兵を重ねたところで。


 私の意識は、闇に途絶えた。

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黄泉返った伝説の老兵は、再び、剣聖の師匠となる〜今度こそ、愛弟子をひとりにしないと誓い、最強の師弟として並び立つ〜 @haitaka07

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