第6話
「えーと、何かしら。私”たち”はもう眠いのだけれど」
少年が魔法の鏡を持ち出したその日の深夜。あの夜と同じように、月光の下で兄妹は向かい合っていた。
意地悪く笑む月に照らされたエレナーー「何か」はこれ見よがしに欠伸をする。
「……お前は、ボクに創造主の素質がないと言ったよな」
「えぇ、あなたは創造主にはなれない。だって創造主になるために必要なものが何一つないもの」
「いいや、お前は間違っている。ボクがそれを証明してやるよ。こいつを使って!」
少年は懐から導きの栞を取り出す。二人がいるのは、「グリムノーツ」のテントがある場所から湖をはさんだ反対側なので、多少の物音では気付かれる心配もないだろう。
「それは……確か使うのを禁止されているんじゃなかったかしら?」
エレナの記憶を共有しているのか、許可なく導きの栞を使用する事が禁止されているのも知っているようだ。
「そんな事はどうでもいいのさ。さぁ、今お前の間違いを正してやる!」
少年は自身の空白の書に栞を挟み込む。
「コネクト!!」
瞬間、空白の書から光が溢れ出す。光の奔流は少年を包み込み、少年を書き換えていく。光が消えた時、そこにいたのは運命をもたない子供ではなく、黒のローブを身にまとった男だった。
「これは……」
エレナが少し驚いたように声をもらす。
「これがボクの本当の力だ! ボクに創造主の才能があったからこいつを召喚する事が出来たんだ!」
「よく分からないのだけど……。あなたは創造主の魂とコネクトしているという事なの?」
「あぁ、その通りだ! これで分かっただろ! ボクの方が、エレナよりよっぽど創造主の力を使いこなせる!」
「……? あなたが何を言いたいのかが分からないわ」
理解ができないと言った様子で、思い通りの反応をしないエレナに少年は苛立ちをつのらせる。
「……っ、この……! 分からないなら、ボクの力を見せてやるよ! 出でよッ、我がイマジン! 歌姫ガブリエル! 桜角の雄鹿!」
いつの間にか、ヒーローの力を自分の力のように言っている少年だったが、そんなことには構わず手を突き出してイマジンを呼ぶ。
しかし。
「……何かした?」
「なっ……!? い、出でよッ、我がイマジン!!」
再び手をかざして叫ぶが、何も起こらない。
「な、なんでだよ!? 出ろ、出ろボクのイマジン!!」
その様子を不思議そうに眺めていたエレナだったが、
「歌姫ガブリエルに桜角の雄鹿……。あなた、まさかミュンヒハウゼンとコネクトしているの?」
「そうだよ! 悪いか!? くそっ、出ろ! 出ろってば!」
「……ふふ」
小さな笑い声が少年の耳朶をうった。
「ふふふふふ……! あははははははははは!!」
「何がおかしい!!」
「あははははは……! ミュンヒハウゼン、彼も『グリムノーツ』に呼ばれた一人だったわね。だからあなたは彼の事を知っていた……! ふふ、なんておかしな話なのかしら……!」
「……何の話だよ!」
「あなたがなんでイマジンを出せないのか、彼に聞いてみたら? そこにいるんでしょ? ミュンヒハウゼンーーほら吹き男爵が」
少年の心の奥、心世界とでもいうべき場所にミュンヒハウゼンはいた。空白の書の持ち主とコネクトしたヒーローの魂はこの心世界で実体を得、空白の書の持ち主と会話をしたり戦い方を教授したりする。
(おい! どういう事だ! なんでイマジンがーー創造主の力が使えない!)
(……この愚物が。お前も僕に創造主である事を求めるか。もはや話すことなど何もない!)
ミュンヒハウゼンは吐き捨てるように言って少年に背を向ける。もし彼にコネクトを切る力があれば今すぐに、いや少年がイマジンを出そうとした瞬間にコネクトを解除しただろう。しかし悲しいかな、コネクトは空白の書の持ち主が望む、または空白の書の持ち主がコネクトを維持できない状態にならなければ解除できない。ゆえにミュンヒハウゼンはこの心世界で少年に怒りをぶつける事しか出来ないのだ。
「それで、もう終わりなの?」
「ぐっ……! まだ、まだだぁ! これは何かの間違いだ! こんな事が……!」
エレナはすでに、興味を無くしたように背を向けていた。
「見苦しいわね。言ったでしょ、あなたは創造主には決してなれない。ミュンヒハウゼンの魂とコネクトして創造主ごっこをするのが精いっぱい。私”たち”と違ってね」
もう寝るわね。とエレナは歩き出す。
「おやすみ、兄さん」
その瞬間、少年の中で何かが弾けた。
「エレナァァァァ!!!」
走り出した少年は勢いそのままに、ただ感情にまかせて杖を振り上げる。後の事など一切考えず、怒りを収めるためだけに少年はそのまま杖を振り下ろす。
だが、杖がエレナを打ち据える寸前、黒い腕が少年を殴り飛ばした。
「がぁっ……!?」
宙を舞った後、地面に叩きつけられる少年。そしてその一瞬後、殴られた頬が燃えるように熱くなる。
「ぐ、あ、あぁぁぁぁ!!」
のたうち回る少年には目もくれずに、エレナは目の前の生き物をしげしげと眺める。
少年を殴り飛ばしたそれは、子供程の大きさの黒い怪物だった。長い耳を垂らしたその怪物は目を輝かせ、頭の上にある炎を揺らしながら少年に狙いを定めている。
その怪物の最も特筆すべき特徴は、その体躯に見合わない大きな手だろう。肉厚で筋肉質な手の先には鋭く巨大な爪がついており、子供の体など薄紙のように容易く貫いてしまうに違いない。
「まぁ上出来ね。今の所生み出せるのはブギーヴィランだけみたいだけど……。急ぐことはないわ。私”たち”には時間はいくらでもあるもの」
「う……。うぅ……」
エレナは、地面にうずくまったまま泣いている少年に目を落とす。その涙は痛みのせいか、はたまた恥辱からくるものか。いずれだろうと「何か」はその事にまるで興味が無かった。
「ふふ……。今までに経験した事のない痛みでしょうに。それでもコネクトは解除しなかったのね。それだけ創造主に固執しているという事かしら」
「なんで……! なんでボクじゃないんだ……! なんでボクじゃなくてエレナなんだよぉ……!?」
それを聞いたエレナは笑う。今までになく感情のこもった声で。
「ふふ、ははは……。おかしい、おかしいな。他の何を捨ててもいいと思える程、創造主の力に執着する者が、最後にすがったのが創造主である事を拒んだ創造主とは……。全く、馬鹿げた喜劇、いやいっそ悲劇と言ってしまおうか」
「……!?」
「あー、しまったな……。他人の体に入るというのは初めてでね。まだ上手く体の制御ができていないようだ。油断しているとついこうなってしまう」
それはエレナの声ではない。それよりもっと低い、憂いを帯びた男の声だ。
そして少年は、その声に聞き覚えがあった。
かつて「グリムノーツ」の一員として少年と共に旅をしていた男。彼の語る物語は悲劇的でありながらも、まるで降りしきる雪の中擦ったマッチの灯のように仄かな温もりを聞き手の胸にもたらした。その男はーー。
「まさか、お前は、ーー……!?」
「名前に意味などないさ。君が呼びたければそう呼べばいい。なんと呼ばれようと本質は何も変わらないのだから」
聞きたい事はいくらでもあった。だがエレナの中にいるーーが放つ空気が、その質問の一切を許さなかった。まるで神と相対しているかのように、質問する事、いや話しかける事自体が不遜であると思ってしまう。
「あぁそうそう。実は、次の想区で『グリムノーツ』を抜けようと思っているんだ。それで、もし君さえよければ、一緒に連れていってあげようと考えているんだけど……どうだい?」
ーーはとんでもない事を平然と、明日の予定を尋ねるかのようにあっさりと言う。
「な⁉ 誰がそんな事……!!」
「どうしてだい? 決して悪い話ではないと思うが」
「それは……」
言い淀む少年にーーは追い打ちをかける。
「君は随分と『グリムノーツ』が大切なようだが……。残ったところで何がある。僕の誘いを断って『グリムノーツ』に残って数多の想区を旅して……。やがて同じ空白の書の持ち主と恋に落ちる事もあるだろう。もしかしたらその相手との間に子をもうけて、名前を付けて大切に育てる未来もあるかもしれないな。創造主達を見続ける事によって時折劣等感には苛まれるかもしれないが、まぁ創造主に守ってもらえるという安心感に比べればひどく些細なものだ。安心したまえ、空白のホムンクルスは丈夫だ。君が生きている内に崩れてしまう事はまずないだろう」
まるで舞台の上の役者のように、--は朗々と語る。
「多くの物語をその身で体験し、愛する妻と子供もいて、身の安全も保障され、なんて幸せな人生だろうか!
……だがそれだけだ。何も残らない。子供も、記憶も、一時的に君を思い出すための道具でしかない。子供はやがて死に、記憶は風化する。君を想起するものがなければ、君はいなかったも同然だ。何かを残したかったんだろう? 自分が骨になった後もこの世に残り、語り継がれる何かを。だから君は創造主の力を求めた、違うか? 僕ならその願いを叶えることが出来る。創造主になる事は叶わなくとも、自分が生きた証を残す方法は他にもある。その為に必要なものは僕が与えよう」
だから。そう言ってーーは手を伸ばす。
「僕と一緒に来い」
……遥か遠い未来、影法師が語った事だが、この時点でのーー、いや「否定する者」は本能で動いており、今この瞬間も目的達成に必要な手駒を得るために甘言を弄しているだけにすぎない。従って「否定する者」の目的への道筋に少年の願いが重なるという奇跡が起きない限り、「否定する者」は指の一本すら動かさないだろう。
しかし、少年がそんな事を知るはずがない。
少年はただ、目の前にある見せかけの希望へとその手を伸ばす……。
<終>
少年とほら吹き男爵 白木錘角 @subtlemea2
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