10 葬送

 リュカの部屋に王都からの来客があったのは、礼拝堂崩壊から三日後の放課後だった。


 大規模な浄化作業がようやく終わり、礼拝堂の残骸の撤去が始まったばかりで、窓の外では土木職人たちの声や木槌の音、運搬車を牽く牛のいななきなどが聞こえていた。


 来訪者は、黒ずくめの上下を着込んで黒いヴェールで顔を覆った細身の女性だった。顔立ちが見えないので年の頃すらわからない。まるで喪服なので、彼女が入ってきたときリュカはぎょっとして椅子から腰を浮かせてしまう。

 ソニアはだれなのかすぐに勘づいたようで、小さく息を呑んだ。


「……お、お母様……っ?」


 リュカも目を見張る。

 よくよく見てみれば、たしかにその黒衣は襟元や袖や裾に控えめながらも手の込んだ装飾が施してあり、相当な位の高い貴婦人であることをうかがわせる上物だった。


 その女性はヴェールを上げた。


 たとえソニアがなにも言っていなかったとしても、一目で彼女の母親だとわかっただろう。気品ある面差しにあかがねの髪、青玉の瞳。


「ああ……」


 王妃はリュカを見つめて涙ぐむ。


「ほんとうに、カミナにそっくりね……」


 感極まった様子でつぶやき、一歩、また一歩とリュカに寄ってくる。


「……カミナ?」


「あなたのお母様よ。私の――学友で……ああ、瞳の色も同じね」


 抱きすくめられるのではないかと思うくらいの感じ入り方だった。しかしすんでのところで王妃は礼節と慎みを思い出したようだった。


「ゼシリアと申します。はじめまして。あなたがリュカね。娘がいつも助けられているようで、感謝するわ」


 リュカは恐縮してしまう。


「いえ、ぼくは……そんな……」


 ソニアが横から口を挟む。


「お母様、いきなりどうされたんですか。おひとりで来られたのですか? こんなところに来て大丈夫なのですか」


「もちろんひとりよ」と王妃はうなずく。「もっと早くに、私が自分で来ればよかったわ。フェリオを遣ったりせずに。……ごめんなさい、私が隠し立てをしようとしたせいで、あなたたちには余計な苦労をかけてしまったわね……」


 王妃は嘆息する。


「あんなおぞましい研究に関わっていたことを、知られたくなくて」


 ソニアは寝台に腰掛け、部屋に二つしかない椅子は王妃とリュカが向かい合って座った。懐かしそうな目でリュカの顔をしばらくじっと見つめた王妃は、再び口を開く。


「……もう――二十年も前になるわね。私とカミナは、この第一校の同期だったの。あの人はとても優秀で、すぐに研究班に抜擢されて……私も同じ班に配属されたのだけれど、これは私の実家からの資金提供をあてにした名目上のものだった。だから、どんな研究だったのか最初は知らなかったの。カミナとも、普通の友達づきあいで――研究の話なんてしなかったし」


 母にも学生時代があり、友人がいたのだ。リュカには想像もつかなかった。ソニアやエメリンやレイチェルたちと同じように、若き日の母もこの王妃と、遊歩道を並んで歩きながら談笑したりしていたのだろうか。


「じきに私は学院を中途退学することになった。つまり、その……陛下に見初められて。あの頃はまだ王太子だったけれど。それで、身辺整理というか、在学中に私がどのような活動をしてきたかを王室調査官が洗いざらい調べたのよ。結婚後に醜聞が出てきては困るから、必ずそういう調査をすることになっているわけね。そうして、カミナの所属していた班の研究内容にも調べが及んでしまった」


 そこで王妃は言葉を切って眉をひそめ、ソニアとリュカの顔を順繰りにうかがった。


「……あなたたちも、もうほとんど知っているのよね?」


 ソニアは硬い表情で黙ってうなずく。

 リュカも、包帯に包まれた自分の右手の甲に視線を落とし、「はい」と小さくつぶやく。

 王妃は両手を組み合わせ、またほどき、言葉を探している様子だった。


「……なんの罪もない嬰児の生命を実験素材に使うなんて、許されることではないわ。即座に中止命令が出された。でも、とある王族の主導で行われていたし、軍の中枢にも関わっている高名な魔導師マグスが何人もあの研究に携わっていたから、公に処分を下せなかったのね。この件に関しては隠蔽されることになった」


「すでに出ていた成果は活用してしまいたい――という意図もあったのではないですか」


 ソニアがじっとりした口調で訊ねる。王妃は申し訳なさそうに目を伏せた。


「……そうでしょうね。すでに母胎操作に成功していた被験者は、討魔庁が収容する手筈だったと聞いているわ。……でも、カミナはそうなる前に姿を消していた。聡い人だったから、そのままなら自分がどうなるのか、早くに察していたのでしょう」


 王妃の目がリュカに移される。


「王都に住んでいたのですってね」


「……はい」


「隠れて暮らすには、人の多い場所の方がよかったのでしょうね。仕事もしなくてはならないわけだし」


 討魔庁に捕捉されないようにするため、名前を偽り、魔導学院で学んだ知識もひた隠しにしてつらい肉体労働を選ぶしかなかった。


「何事もなければ、カミナはそのままあなたを育てて……ずっと一緒に暮らしていたのでしょうけれど」


 リュカは首を振った。

 母は、わかっていたのだ。

 いつかリュカは開門し、悪魔を呼び寄せてしまう。貧しいながらも平穏な生活は、いつまでも続くわけではない、と。

 だから、リュカにあれほど高度な読み書きを教えた。魔導を学ぶための基礎の言葉を。


「あの日、梟が私の部屋に手紙を運んできたの。カミナからだった。ほんとうにびっくりした。息子が防疫局に拘束されることになるから、討魔庁に引き渡される前に、なんとか魔導学院にねじ込んでほしい、って。……あれだけの大災害が起きて、受肉もしてしまった以上、もうあなたの存在を隠し通すのは無理になったから、私に頼るしかなかったのね」


「ありがとうございます。おかげで……ほんとうに、助かりました」


 リュカは頭を下げる。王妃は首を振った。


「いえ。本来は、王家があなたたち親子を保護すべきだったのよ。当たり前のことを、半分しかできなかったわ」


「母が、どうなったのかは……」


「わからない。あれ以来まったく音沙汰ないわ。無事でいるといいのだけれど」


 リュカの正体がいずれ調べ上げられるとなれば、自分が逃亡した被験者であることも遠からず露見する。だから、リュカを防疫局に引き渡してすぐに行方をくらませるしかなかったのだろう。

 他に、どうしようもなかった。

 母はリュカを護るため、できることをすべてやったのだ。


「……私たちを赦して、リュカ」


 王妃はリュカの右手に手を重ねて言った。


「魔導の研究のために、あなたたち親子の命を弄り回したわ。この罪はどうやっても償えないけれど……」


 リュカはぎこちなく笑って首を振った。


「王妃さまは名前を貸しただけですよね」


「いえ。……もっと早くに止められたはずなのよ。でも私はずっと無知だった。カミナが身ごもっていたことさえも知らなかった」


「でも、ぼくはちゃんと生きてますし、……ソニアも、……あっ、あの、王女殿下も、なんとか死なせずに済みました。ぼくが受肉してなかったらなにもできなかったわけで、悪いことばかりではないですし、だから、その……」


 自分がなにを言いたいのか、リュカは言葉の途中でわからなくなり、口ごもる。

 王妃はさみしげに微笑んだ。


「あなたは優しい子ね。そう言ってくれると――救われるわ」


       * * *


 帰りしなに、王妃はふとソニアに向かって訊ねた。


「そういえばフェリオに聞いたのだけれど、あなたたち婚約してるのだそうね?」


 ソニアは真っ赤になってうろたえる。


「えっ? い、いえっ、それは、お兄様が早合点で」


「だって男女なのに同室で暮らしているのでしょう? もう決めたということよね」


「これは学院長の命令なんです、リュカの監視役ということで、決して男女がどうこうという意味はなくてっ」


「ひょっとして家柄を気にしているの? カミナは伯爵家の生まれだったから大丈夫よ」


 さらりと明かされた事実にリュカの方が驚く。


「なにも大丈夫じゃありません! そういうのではないんですっ!」


「それではリュカ、ソニアのことをよろしくね」


「あっ、はい。わかりました」


「リュカも素直に答えないで! なにをどうよろしくするつもりなのっ?」


 大騒ぎする娘を尻目に、王妃は部屋を出ていってしまった。


       * * *


 ソニアの姉――第一王女ユリアの葬儀は、その二日後に執り行われた。


 参列者は、たった四名。

 ソニア、エメリン、レイチェル、そしてリュカ。生徒会執行部の役員だけの、ひっそりした式だった。

 墓は、生徒会塔の裏手にある林の中の草地に用意された。

 遺骸の大部分が失われていたため、小さな棺を春の花でいっぱいに埋め、無残な欠損部が見えないようにと隠した。


「……お姉様は、公的には、三年前のあの密儀アルカナで事故死したことになってるの」


 棺を見下ろしてソニアはさびしけにつぶやく。


「嘘の葬儀も盛大にやったわ。空っぽの棺をみんなで運んで、王家の墓所に納めて。だから、今日がほんとうの葬儀。……ごめんなさい、お姉様。こんなに少ない人数で。お父様もお母様もお兄様も呼べなくて」


 後ろに控えたエメリンもレイチェルも、棺の蓋を抱えたリュカも、なにも言えない。

 悪魔の体表に埋もれたまま、死ぬことすらできずに、怨嗟と渇望の呻きを聞かされ続けた三年間は、どれほどの地獄だったのだろう。

 妹の刃は、救いになれたのだろうか。


(ぼくも、ああなっていたかもしれないんだ)


 リュカは右手の包帯に目を落とす。隙間から、鉛色の文字がのぞいている。


(母が打ってくれたこの保護術式がなければ――全部喰われていたかもしれない)


 エメリンが棺に歩み寄り、一抱えほどもある白い花でユリアの顔を囲む。

 レイチェルが花々の上に香油を注ぐ。

 最後にソニアが、自分の《会長代行》の腕章をはずし、姉の胸の上にそっと置いた。


「おやすみなさい、お姉様。……安らかに」


 リュカはかがみ込んで棺の蓋を閉めた。

 墓穴に納めるとき、あまりの軽さに胸が痛くなる。

 棺を見下ろしたソニアは、手にしたもう一枚の腕章を、左腕に通した。

 三年間、姉とともに地獄の海でたゆたい続けた、《会長》の腕章だ。


「……もう二度と、だれも、連れていかせはしない」


 腕章の上から自分の腕をきつく握り、ソニアは想いを込めてつぶやいた。


「生徒会アルカナ執行部は、すべての生徒を護ると――ここに誓う」


 生徒会長としての最初の言葉を、エメリンは、レイチェルは、そしてリュカはそれぞれに受け取り、噛みしめた。

 リュカが棺に土をかぶせている間、三人の少女たちが祈りの詠句を厳かにうたう。


 太陽とともに永らえ、月とともに沈むように

 牧場に降る雨となり、豊かに地を潤すように

 麦が山頂まで波打ち、青く繁って育つように――

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王立魔導学院アルカナ生徒会 @hikarus225

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