番外編 特別な時間(コミックス2巻発売記念SS)

 涼やかな風が、一つに結んだオリヴィアの髪を揺らす。

 乱れた前髪を直そうと手を上げるよりも、リベルトが髪に触れる方が早かった。前髪を直した指先は、頬から輪郭をなぞるように滑っていく。


「ありがとう」

「どういたしまして」


 少しの恥ずかしさを隠しながらお礼を伝えると、リベルトは柔らかな笑みを浮かべた。その眼差しは蕩けるように甘やかで、金の瞳が優しく細められている。その視線を向けられるのが自分一人だと、オリヴィアは理解している。

 それが嬉しくて、幸せな事だというのも分かっているのだ。


 

 仕事を早く片付けたから、とリベルトがオリヴィアの私室を訪れたのは午後になってすぐの頃。もう先に連絡してあったのか、カミラ達がピクニックの準備をしていてくれて、あっという間にオリヴィアはリベルトの背に乗って空の上にいたのだった。


 ここは王都近くの森。

 薬草も木の実も豊富に実る、恵み豊かなこの森はオリヴィアのお気に入りの場所だった。

 見上げた空は深い青。

 葉擦れの音だけが爽やかに響くこの場所に、オリヴィアとリベルト以外は誰もいない。オリヴィアが深い呼吸を繰り返すと、瑞々しい草花の匂いが強く香った。


 二人で座ってもまだ余裕のある敷物には、ガラスポットに入ったアイスティーとスコーンが並べられている。

 スコーンに添えたブルーベリージャムはオリヴィアのお手製だ。

 王城の料理長特製のクロテッドクリームとオレンジマーマレードもある。このマーマレードはオリヴィア用に少し酸味を強くしてもらったものだ。


 オリヴィアが歌うとグラスの中に氷が生み出される。

 そこにアイスティーを注ぐと、くるくると回った氷がグラスとぶつかって高くて澄んだ音を奏でた。


「お仕事は大丈夫だったの?」

「片付けたって言ったろ? 問題ないよ」

「それならいいんだけど、無理をしたんじゃないかと思って。わたしを森に連れ出そうとしてくれたんでしょ」

「俺が、お前と過ごしたかったんだ。ディーなんて、『仕事が捗って助かるから、毎日でも出かけてくれ』なんて言ってるぞ」


 リベルトの親友でもあり、側近のディーターがそう言っているのが簡単に想像出来て、オリヴィアは声をあげて笑った。


 グラスの水滴をナプキンで拭き取ってから差し出すと、リベルトはアイスティーを一口飲んだ。オリヴィアもそれを追いかけるように、グラスに口をつける。

 冷たいアイスティーが喉を潤す。苦味が少なく、すっきりとした味わいのアイスティーだった。


「あなたが無理をしていないならいいの。連れてきてくれてありがとう」

「どういたしまして。でもこれは、俺にとってもご褒美みたいなもんだからな」

「ご褒美?」

「そう。オリヴィアを乗せて飛ぶのも、自然の中でゆっくりするのも。俺が好きなんだ」


 そう笑ったリベルトは、スコーンにたっぷりのクロテッドクリームを乗せる。その上にブルーベリーのジャムも同じように乗せて大きな口でかぶりついた。

 口端についたクリームを親指で拭い、「美味い」と嬉しそうに笑う。その姿にオリヴィアもほっとしたように笑った。


 オリヴィアもスコーンに手を伸ばす。二つに割ったスコーンの片方に、クリームとブルーベリージャムを乗せる。零さないよう気を付けながら齧ると、ミルクの強い風味が鼻から抜けていった。濃厚な甘さに、ブルーベリーの酸味がよく合っている。

 美味しく出来てよかったと、オリヴィアは胸を撫で下ろした。


 二人の間を、夏風が駆け抜けていく。

 穏やかで、優しい時間。

 王城が息苦しいわけじゃない。皆が優しく、良くしてくれる。リベルトと一緒に過ごす時間だって多い。

 姉とも通信用の魔導具を使ってお喋りしているし、遊びにも来てくれる。


 でも、こうして森で過ごす時間は特別なのだ。

 それをリベルトは分かっているからこそ、こうして連れ出してくれるのだろう。

 

 愛されている。大切にされている。

 それを実感する度に、オリヴィアの胸は切なく締め付けられるのだ。泣きたくなるくらいに愛おしくて、苦しいくらいに幸せで。


 そんな気持ちに急かされるように、オリヴィアはリベルトの手をそっと握った。


「どうした?」


 指を絡めるように手を握り直してくれるリベルトが、優しい声で問いかける。

 その声も、その眼差しも、何もかもがオリヴィアの事を想っていると伝えてくれる。


「好き。大好き」


 心の中をかき乱す想いが、言葉を紡いだ。


「リベルトと一緒に居られて嬉しい。リベルトを独り占め出来るのも嬉しいの」


 一度紡ぎ出した言葉は、水が溢れ出すように止まらない。

 そんな自分に戸惑いながらも、こうして気持ちを伝えられる事が嬉しいとオリヴィアは思っていた。


 心のままに想いを伝えても、リベルトは受け止めてくれる。

 それがどんなに幸せな事なのか、オリヴィアは知っている。


 オリヴィアは繋いだ手を口元に寄せ、リベルトの指先にそっと口付けた。お揃いの指輪が嵌められた左手の薬指にだ。

 口付けたばかりの指先に優しく歯を立てる。いつもリベルトがそうしているように。


 その瞬間──

 オリヴィアの背中は敷物についていた。


 リベルトの肩越しに青い空が見える。

 急な事にオリヴィアが目を瞬くと、唇に噛みつかれる。優しいそれに痛みはなく、ただ鼓動が跳ねるばかりだった。


「煽り上手め」

「気持ちを伝えただけよ」

「甘噛みも?」

「いつもリベルトだってしているわ」

「意味を知っているくせに」

「……だから、でしょ」


 甘噛みは竜族にとっての求愛行動だ。

 オリヴィアは竜族ではないけれど、同じように気持ちを伝えたいと思って、時々こうして噛みついている。


「可愛すぎる妃をどうしてくれようか」


 大袈裟な程に溜息をついたリベルトは、嬉しそうに笑っている。

 色濃く翳る金の瞳にはオリヴィアだけが映っていた。


 こつんと額が触れ合う。

 間近な距離で吐息が重なる。


「愛してるよ」


 蜂蜜みたいな蕩ける声に、オリヴィアの頬が朱に染まる。

 私も、と応えようとした唇はリベルトに塞がれてしまった。

 

 葉擦れの音ももうオリヴィアの耳には届かない。

 心地よい風もどこか遠い。


 ただ幸せだけがそこにあった。


*****

4月30日にコミックス2巻が発売されました。完結巻です。

各書店様での特典もありますので、どうぞよろしくお願いいたします!


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