番外編 ラベンダーの香り(コミックス1巻発売記念SS)

 穏やかな昼下がり。

 薄く開いた窓から吹き込む温い風がオリヴィアの部屋に掛けられた、レースのカーテンを大きく揺らす。これからの作業に邪魔になってしまうと思って、オリヴィアは窓を静かに閉めた。


 天井付近に設置されている魔導具に向かって指を振ると、オリヴィアの魔力に応じて魔導具が起動する。魔導具の起こした涼やかな風が、ゆっくりと回るシーリングファンによって室内を巡っていった。


「暑くない?」


 振り返って問いかけると、マントを外したリベルトが笑みを浮かべながら頷いた。


 今日はオリヴィアとロザリアが暮らす森の中の家をリベルトが訪ねてきてくれていた。

 王という立場にあって何かと忙しいだろうに、リベルトは時間を見つけてはオリヴィアの元にやってきてくれる。僅かな時間でも会いたいのだと言われれば、オリヴィアにそれを拒む事は出来なかった。


 それに……オリヴィアも同じ気持ちなのだ。

 少しでもいいから会いたいと思う。想いを重ねれば重ねる程に、その気持ちが強くなっていくのだから、恋とは本当に不思議なものだ。

 満たされているのに、満たされない。そんな矛盾さえ愛しく思う。


「今日は精油を作るんだったな」

「そうなの。でも見ているのは退屈じゃない?」

「全然。急に来たのは俺だからな。お前が作業をしているのを見せてほしい」

「ありがとう」


 オリヴィアは横長の作業机の前に立つ。リベルトはオリヴィアの後ろに立ち、腰に両腕を回して抱き着いた。

 肩越しに覗き込む姿勢は距離が近くて、オリヴィアの鼓動が騒がしくなる。でも離れてほしいとは思わなかった。


 用意しておいた布包みを引き寄せる。布を解くと現れたのは乾燥させたラベンダーで、もう独特の香りが強く漂う。


「香りが強いな」

「大丈夫?」


 リベルトは鼻がいいんだった。

 香りの強いこの作業は辛いかもしれない。そう思って問いかけると、リベルトが微笑んだのが分かった。


「すぐに慣れる。気にしなくていいぞ」

「辛くなったらいつでも言ってね」


 そう言いながらオリヴィアは、乾いた茎から紫色の花を指で落としていく。千切るようにしながら、花を潰す。それをする事で香りが強く出て、オイルに移りやすくなるのだ。

 乾燥した事で色が濃くなった花は、夜のはじまりの色にも似ていた。


「手伝ってもいいか? 俺もやってみたい」

「いいの? 助かる」


 リベルトはオリヴィアに抱き着いていた腕を解き、袖を肘まで捲ってからオリヴィアの隣に立った。

 こうやるのだとオリヴィアがやって見せると、真似をして花を落としてくれる。ぎゅっと潰していくその様子は、ぎこちないながらも丁寧だった。


「いい香りがするな。いつも眠る時に香ってくるのと同じだ」

「使ってくれて嬉しいわ。ちゃんと眠っているようで安心した」

「この精油を焚いて寝るとよく眠れるからな。オリヴィアと同じ香りに包まれて寝ると思えば、早くベッドに入りたくもなるさ」


 何だかそう言われるのも恥ずかしく、オリヴィアの顔が赤く染まる。その様子にリベルトは低く笑うばかりだ。

 気恥ずかしさを誤魔化すように空咳を繰り返したオリヴィアは、もう茎ばかりになったラベンダーを布で包んで端に寄せた。


 乾燥させていたラベンダーの花を落とし終えると、ガラス瓶には紫の花が半分ほど溜まっている。


「ありがとう。ここにね、オイルを注ぐの」


 用意していたオイルをリベルトに見せてから、ガラス瓶にそっと注ぐ。

 注ぎ終えてから蓋をして、それでおしまい。


「出来上がり?」

「これをしばらく置いておくの。今日はもう香りの移った精油を完成させていくわね」


 ガラス瓶を窓辺に置いたオリヴィアは、その隣に置いてあった同じ形のガラス瓶を手にした。

 同じように紫色の花が浸かっている。


 オリヴィアはまた新しいガラス瓶を撮りだして、その口に白いガーゼを掛けた。

 オイル入りの瓶の蓋を開けると、ラベンダーの香りが強く漂う。狙い通りの香りになっていて、オリヴィアはほっと息をついた。


 リベルトはまたオリヴィアに後ろから抱き着いて、肩に頭を乗せるように背を丸める。

 甘えているようにも見えるその姿勢に、オリヴィアの胸が甘く疼いた。


「いい香りがする」

「この香りになるように、何度かラベンダーの花を足しているの」

「手が掛かるんだな」

「そうでもないのよ。好きな香りになっていくのも楽しいし」


 ガーゼの上にオイルを注ぐ。ガーゼによって濾されたオイルがガラス瓶に溜まっていった。

 残った紫色の花をガーゼで包んでから、ぎゅっと絞って出来上がり。


「これで精油自体は出来たんだけど……お仕事を頑張る誰かさんの為に、治癒の効果を足していくわね」

「歌う?」

「ええ」


 嬉しそうに頬を緩めたリベルトが、抱き着く腕に力を込める。

 こんなに近い距離で歌うのも初めてで、少し緊張している事を自覚しながらオリヴィアは口を開いた。


 相変わらず、魔法を使うのは上手ではないけれど。

 今はもう、歌を紡ぐ声がある。


 リベルトがゆっくり休めますように。

 心も体も、辛い事が少しでもなくなりますように。


 そう願いながら治癒の歌を歌っていく。

 ガラス瓶に翳した両手から金色の粒子が溢れ出る。オイルに触れたその金色は、泡のように弾けた後に強く光った。


 治癒の効果を充分に浴びたオイルはきらきらと輝いている。


「はい、出来上がり」

「綺麗だった」

「何が?」

「お前の歌」

「……そう言われるのは何だか恥ずかしいんだけど」

「いつだって俺は、その歌に救われてきたからな。こうしてまた聞けるのが嬉しいんだ」


 言葉を紡ぐ声には、オリヴィアへの想いが溢れているかのようにひどく甘い。

 

 オリヴィアは自分の腹部に回る両腕に、両手をそっと添えてから後ろの温もりに体を預けた。

 肩越しに少し顔を動かすだけで、リベルトの黒髪が頬に触れる。甘えるように擦り寄ると、金色の眼差しと目が合った。


「……いつだって歌うわ。思い出の中の歌に縋らなくたって、こうしてすぐ近くで届けられるんだから」


 そう言葉を口にすると、リベルトが目を瞠る。すぐに嬉しそうに破顔したリベルトは、丸めていた背を伸ばして後ろからオリヴィアの顔を覗き込んだ。

 そのまま顔を寄せ、唇を重ねてくる。


 オリヴィアは唇を受け入れながら目を閉じた。

 胸の奥が苦しくて、切ない程に甘い。


「愛してる」


 睦言を口移される。

 自分も同じ気持ちを返そうと口を開いても、口付けは深まるばかりだった。


 ラベンダーの甘い香りが、部屋の中に広がっていく。

 それを感じる余裕なんて、オリヴィアにはもうなかった。

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