白塗り仮面(大団円)

与太は、吉太郎が住む回向院裏の長屋を張っていた。

昼すぎに長屋を出た吉太郎は、あちこち芝居小屋を回ったが、夕方には、肩を落として帰って来るので、役者の売り込みはうまくいっていないようだ、と与太は思った。

この日は、申ノ刻すぎに長屋を出た。

吉太郎は、寛永寺の境内の陰間の出会いの場で、相手を物色し、女の子のように色白でなよとした美少年を拾い、鶯谷の陰間茶屋へしけこんだ。

ここで、与太は、このまま茶屋を張るか、葺屋町の桐座にいる浮多郎に報告にいくか、迷った。

迷ったあげく、与太は葺屋町へ走った。

・・・与太とともに鶯谷にもどった浮多郎は、その茶屋を張ったが、半刻経っても吉太郎は出てこない。

茶屋に入り、帳場でたずねると、吉太郎と連れの美少年は、とっくに出たという。

「なんか、外ばかり気にして、すぐに勝手口から出ていったね」

帳場の婆さんは、鼻先で笑った。

「しまった。・・・まかれてしまった」

後の祭りの与太は、泣きべそをかきそうだった。

広大な谷中の墓地の西方に、日は落ちかかっていた。

浮多郎は、『今夜かも知れません』と岡埜に伝えるため、与太を八丁堀へ走らせ、

―桐座にもどると、ちょうど人気演目の「敵討乗合話」がはねたところだった。

小屋を出る観客の波を掻き分け、浮多郎はやっと楽屋へたどり着いた。

東洲斎は、松本幸四郎の楽屋の前の廊下にたたずんでいた。

「吉太郎に、まかれてしまいました」

と、浮多郎は東洲斎にいってから、そのまま裏木戸へ回った。

「怪しいやつなんか入り込んでいないですよね?」

浮多郎は、たむろっている裏方たちに、たずねた。

いちように首を振る裏方たちに、今夜は内側から裏木戸に心張り棒で戸締りをして、表の木戸口から帰るように頼んだ。

高麗屋はじめ大立者が先に帰り、大部屋の稲荷町と裏方が帰ったあと、浮多郎は座頭とともに木戸口に錠を下ろした。

桐座のまわりをひと通り見回ってから、浮多郎は桐座の正面の土産物屋の二階に上がり、通りを見張った。

東洲斎はどこへいったのか、姿が見えない。

ひと通りが途絶え、夜回りが通り過ぎた亥の刻すぎ、「どさり」と物の落ちる音がした。

飛ぶように階段を降りた浮多郎は、桐座の前に落ちた「物」を見た。

お約束のように、丸裸で志賀大七ふうの白塗り仮面の若い男が転がっていた。

・・・胸に小柄で止めた、写楽の描いた志賀大七の市川高麗蔵の大首絵が、月の光にきらめいていた。

右手から東洲斎が、左手から岡埜が駆けてきた。

「吉太郎!」

岡埜が向けた顔の先で、桐座の定紋を染め抜いた幕に覆われた櫓の木枠に足をかけ、吉太郎が大見得を切っていた。

屋根に飛び移って逃げようとする吉太郎めがけ、東洲斎が脇差を投げつけた。

脇差は、過たず吉太郎の背に突き刺さった。

吉太郎はのけ反り、じぶんが投げ落とした少女のような裸の男のすぐそばに、落下した。

駆け寄った浮多郎が調べると、吉太郎の首の骨は折れ、死んでいた。

―浮多郎が奉行所からもどると、いずれも写楽が描いた、大谷鬼次の江戸兵衛、坂田半五郎の藤川水右衛門、市川高麗蔵の志賀大七の三枚の大首絵を畳の上に並べて、政五郎とお新がながめていた。

「その陰間で稲荷町の吉太郎ってえのは、どうしてまた実悪の三人の役者を選んだのかねえ」

政五郎が首をひねると、

「悪党面のじぶんに、顔が似てるからじゃないかしら」

とお新がいった。

「実悪の役者になりきって、殺しの役を演じたんじゃねえのかい」

浮多郎がお新の横に座りながらいうと、

「じゃあ、どうして陰間ばかり殺したの?教えて、目明しさん」

お新は、浮多郎に寄りかかり、甘え声でたずねた。

「吉太郎は、じぶんが陰間でありながら、陰間を嫌っていた。じぶんでじぶんを、殺したのだろう」

甘いふたりに辟易したのか、咳払いした政五郎が、

「与太をまいた吉太郎は、相方をいつどこで殺して櫓に運び上げたのだろうか?」

と、たずねた。

「おそらく、公演中の桐座の裏木戸から、ふたりで入り込んだのでしょう。裏方が一息入れに裏路地へ出たり入ったりで、いちいち鍵なんか掛けません。舞台下の奈落に潜んでいて、小屋にだれもいなくなってから、楽屋にあるドーランで白塗りにしてから絞め殺して裸にし、二階席から櫓へ運び上げたと思われます。河原崎座と都座でも同じように奈落で殺したのでしょう」

浮多郎がそういうと、

「奈落の底とは、地獄のことよ。殺してから地獄に落ちるのがふつうだろうが、吉太郎は、はじめから奈落に落ちて、そこで殺した。これからどこへ落ちるんだ?」

政五郎は、独り言のようにいった。

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寛政捕物夜話(第十夜・白塗り仮面) 藤英二 @fujieiji_2020

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