第4話
お化けなんていないさ、幽霊なんていないさ。
そんな事は誰も彼もが心の中で思っている。
なんせ見たことのないものを信じられるほど人は強くないし、盲目的でもない。
知らないものは知らないし見てないものは存在しない。
幽霊なんて誰もが存在しないというし、異種族も魔物も空想上の存在でこの世界に存在しない。
同調圧力と集合意識、常識が生む別世界など存在しないという事実。
常識が生むそんな一つの事実、誰も彼もがそう思う事で存在する別世界と現実世界の狭間。
安定し延々と続くはずの常識であり、人が存在する限り強固に積み上げられた幻想の帳に忽然とーー静かに、静謐に包まれた帳は深く傷つき、亀裂が広がっていく。
突然発生したその亀裂はゆっくりと、されど確かに広がり世界を変えていく。
まだ時間はある、時間はあるが、誰も直せない。
本来なら確実に傷つかぬはずの幻想の帳を直せるものなどこの世界に存在しなかった。
一度生まれた亀裂はただただ広がっていく。
ーーふと、亀裂から、幻想の帳に開いたほんの小さな穴から、銀色が溢れた。
輝く宝石のように、美しい流星のように、ゆっくりと、されどか速度的に少女は地へ地へと落ちていく。
常に揺れ動き何処にあるかすら分からぬ幻想の帳、突如として生まれたその隙間は数十メートル上空に出現。
その身体は、重力に沿って、落ちていった。
ーー
「ガチャって乳首で回すと星五出るらしいんだけどさ、どう思う?」
真面目な顔で突然そう零す大鯛にカレーパンを頬張る誠はジト目を返す。
学校の購買部が売るカレーパン一個百八十円、味は上々何より安い。
熱々のカレーをパンと一緒に飲み込むと旨みが口の中に広がっていく。
喉を通る温かな液体に少々不快感を感じるが問題無い。
スマホを見て熟考する大鯛。
カレーパンを頬張る誠。
場所は屋上、網が高い上特に問題を起こすほどの奴が過去にいなかった事。
そして校長が学生たちに対し理解ある人間で例外的に開放されている屋上。
誰も彼もが開いていないと思っているが、実際は開いている。
集団の思い込みが生んだ人っ子一人いない快適な空間であった。
「なあ大鯛、精神科を勧めるぞ」
「いやー乱数調整的な、ほら、大成功の後に回すとかさ、そういうのあるじゃん」
「あるな、結構信者もいるな」
「そこで俺は思ったんだがスマホに指紋認証ってあるだろ?」
それがどう関係しているんだ?そう言いたいのをぐっと我慢し馬鹿な事を言っているんだなと理解し誠は適当に頷く。
それを見た大鯛は得意げに笑い力説する。
「俺は思った、スマホのガチャはおそらく指紋を認識して、誰が回してるかとかを確認してると思うんだよ。だから乳首とか舌で回すといいキャラが出る、あとは兄に引いてもらったら良いのが出るとか、そういうの」
「暴論オブ暴論すぎるだろ」
「ああだがこの推測には欠点がある」
「欠点以外に何かあるのか?」
そも指紋認証はスマホの起動や課金、そういうのに使われるものだろう。
そう言った機能をゲームから要求できるものなのかと誠は首を傾げる。
確証がない、だからなんとも言えないがまあ無駄な労力に違いない。
立ち上がり、スマホを握った右手を高らかに持ち上げ声高らかに叫ぶ。
「昨日乳首で回したんだが出なかった。多分おそらく俺の乳首はすでにスマホにスキャンされているに違いない」
「おっと暴論を通り越して狂人味を感じてきたぞ」
「そこでだ」
「断る」
拒否、きっぱりと断って誠はカレーパンの最後の一切れを咀嚼した。
最後まで美味いのがカレーパンだ、最高だ。
論文の一つぐらいまじめに書けるのではと誠は思った。
徹して冷たい態度を取る誠に大鯛は訝しげに視線を投げかける。
「まだ何も言ってないんだが」
「いやだってどうせくっだらねー事をドヤ顔を浮かべながら言うんだろう?」
「ちょっとお前の右乳首で回してくれるだけでいいんだ」
「いやに決まってるだろクソやろう」
「おっと糞はイグノーベル賞取れる素晴らしい物質なんだぞ?糞に謝れ糞に。もしかして褒めてるのかツンデレめ」
「うるさい、糞は糞それ以上でもそれ以下でもない。それに今ので褒めていると錯覚するぐらい致命的に脳が壊れているのならマジで病院行けや!」
じりじりと近寄ってくる大鯛はガチャの画面を開いて十連召喚のボタンをポチッと。
本当に回しますかの画面までわざわざ開いて誠に近づける。
「いーや!だからこのガチャの十連ボタンをポチッと押してくれるだけでいいんだって!」
「ふむ、このボタンを押せばいいんだね?」
ポチッと大鯛の背後からそっと皺の入った貫禄のある手が伸びる。
突然現れたその手に勢いよく大鯛は振り返り、誠は何かを察した顔で白い目をした。
「ーー校長先生何やってるんですか?」
「いや、随分と楽しそうだと思ってね」
大鯛の背後ーー音もなく現れた校長は大鯛の背後から十連ボタンを押していた。
ぐるぐると回る光の螺旋、一人四面楚歌をする大鯛。
校長は独特の雰囲気を持っていた。
刈りそろえられた黒髪に皺があれど六十だとは思えぬ容姿。
二十代と言われれば二十代だとも思えるし、三十歳と言えば三十歳とも思える。
そんな少々特殊な容姿をした男性は悪戯を成功させた子供のように笑った。
「ファッ!?おい誠これ見てみろ!」
シュッと滑らかな地面を滑り大鯛のスマホは誠の足元へ。
誠は心底面倒くさそうに拾い上げ、その画面に視線を落とすとーー
「は?どうしたんだそんな慌てーー?」
そこには、十連中十体全てが星五という天文学的確立の彼方に存在しうる奇跡のような画面が存在していた。
思わず見た瞬間に誠はスクリーンショットを一つ、ありえない事態に一瞬脳が活動を停止。
だがすぐにその光景に違和感を覚え、スクショをもう一枚撮ってからガチャ画面に戻った。
今出たキャラは全てピックアップキャラではない、そうピックアップキャラではないのだ。
ピックアップキャラの出現率は0.8%、ほかのキャラは小数点三位以下の確率。
それが計十一体ーー奇跡である。
そんな奇跡に思わず頬を抓りぐりぐりと引っ張る大鯛、何が起きているか分からない様子の校長、驚愕に両目を見開く誠。
最初に動いたのは大鯛だった。
「校長先生一生ついていきます!」
「ふむ?よく分からないが良かったようで何よりだ。そうだ大鯛君、もし暇なら資料運びを手伝ってくれないか?中々老いぼれには重労働でね」
「わかりました!喜んで!」
校長が伺うように誠の方へ視線を向けるが、誠は静かに首を振る。
誠は鞄からクリームパンを取り出し膝の上に乗せた。
今日の昼飯はカレーパンの辛味にクリームパンの甘味のコンボなのだ。
二人が屋上から消えドアが閉じられたのを見て、誠はクリームパンの袋を颯爽と開き、勢いよく引き抜かれたクリームパンは誠の口へーー
行くことはなく、普通に膝上に落ちた。
人生はうまくいかない、そういうものなのだ。
誠はめげない、何故ならこんなことでめげていたらもうすでに人生のシャットダウンボタンならぬ、シャットダウンウエイに侵入している。
「はぁ......それにしてもあいつは何を言いたかったんだろうな......」
京の意味深な発言が引っかかり誠は首を傾げる。
確かに彼女の発言に意味はない、意味はないが何か意味があるように意味深に聞こえるのが厄介なのだ。
魔法。
この単語を思い浮かべて過去に描いた空想と幻想に精神的に殺されそうになるのは自分だけでないと誠は確信した。
感じで書いたそれっぽい文字に何故か英語読みの振り仮名。
そして極め付けは隻眼とか、呪いとか、あとは魔眼とか。
なんとなく聞こえが格好いいものに憧れていた自覚はあった、けれど今となっては決して拭えぬ思い出となって脳を刺してくる。
考えたくない、そう思いクリームパンをかじろうとすると耳障りな音が響いた。
正確には一斉にカラスが飛び立った音だ。
屋上はカラスのたまり場でもある、糞がうざい。
大体我が物顔で止まってダラダラとしているのだが、何故か突然、何もしていないはずなのに飛び立った。
その突然の奇行に首を傾げ、訝しげにその姿を追う。
上へ上へ、遥か上空へと飛んでいくのを見てーー
ーー銀の閃光が、視界に飛び込んだ。
誠は両眼を擦って開いて、見間違いを疑って、すぐにそれが現実だと理解して。
そしてその現実というのが一人の少女が某映画が如く空から落ちてきているのだ。
それも減速なしで、重力加速度ババアならぬgに沿って、加速しながら落ちてくる。
事実を認識したはいい、現実だと理解したのもいい、けれど動けるかどうかは別で、誠が同行するよりも早く銀色の少女は誠の真上へ。
衝撃が、勢いよく誠の体に走った。
ーー
校長室の椅子に座り、石化していく大鯛を眺めながら校長は静かにコーヒーを傾ける。
まるで校長室だけが別の世界になってしまったかのような暗く悍ましい雰囲気に包まれ、死の瘴気に触れた大鯛はゆっくりと蝕まれ、石へと変わっていく。
黒髪黒目、年の老いを感じさせない容姿、他者から見れば違和感のないそれ。
老人は間違いなくーー人間ではなかった。
愉悦を啜る外道の悪魔のように陰湿に笑い、口角を上げる。
右手に握る魔杖から映し出された屋上の光景が彼の前に広がっていた。
突如落下した少女により、誠という人間の体は潰れ、肉のクッションとなり肉塊へと変わった。
少女は受け身を取ったのかなんなのか、まるで理解できない方法で無傷。
だがミンチとなった誠の体から血が溢れ、まず間違いなく致命傷の傷が刻まれていた。
確実に命を落としたはずの少年、押しつぶされ肉塊へと変わったそれは突然三次元状に展開した複雑な魔法陣に包まれ、時を戻すかのように肉体が修復されていく。
数秒も経てば彼の体は無傷ーー元どおりになり、辺りに飛び散った肉塊血肉は全て肉体へと帰っていた。
「やはり彼は特別な存在だったか。君の親友は素晴らしいじゃないか、大鯛」
「あっ.......が.......」
「大丈夫だ、直ぐに楽になるだろう。能力を見定めるためには感情という乱数を混ぜたほうが最大値が出やすいんだ。怒り狂って能力が上がるタイプの魔導師もいるしね」
独り言をするように、まるで人形に語りかけるように校長は言葉を漏らす。
既に顔も半分以上石化した大鯛は必死に口を動かし、舌を無理やりのばし、声を捻り出した。
「ま.......こと......逃......ろ........」
「素晴らしい友情だ。この後に及んで友人の心配をするなんて。大変素晴らしい」
拍手喝采、校長の手が鳴らす音が部屋に響く。
だがそれを聞く人間も、称賛されたであろう大鯛という青年は既にそこに無かった。
あるのは不動の石像と、頭部から二本の禍々しいツノを生やした悪魔だけ。
「さあ計画を始めようじゃないか。なぁーーケイ?」
影、老人の影から泥が流れるようにゆっくりとした動作で金髪の少女が現れた。
高校の制服に目までかかった金髪の前髪、空色の碧眼に白色の肌。
そして胸部に刻まれた赤い魔法陣、右手に握られた杖。
世間一般でいえば、それはコスプレ少女か何かで。
魔導を知るものが見れば、それは契約術式と呼ばれるものだった。
彼女は無機質に会釈し、そして男の後ろに続いた。
もしも世界が終わるなら @Kitune13
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