第3話 初めての魔法
久里浜第一高校、駅から歩いて数十分。
肌寒いし制服は濡れてるし、いや濡れているのは自分のせいだけれども、悪態というのは自然と溢れてしまう。だって悪態だし。
商店街を歩けば未だに空いていない店や、少々疲れ気味の柿山が働いている24時間営業のコンビニエンスストア。
何時もボケてるのかを疑う神山の婆さんの本屋、五万円請求してくる。
夏祭りでぼったくりして笑う古物屋の爺さん、福袋(千円)当たりなし。
大体彼らが何時もこの時間から営業している、営業しているがやっぱり客はいない朝だもの。
喧騒という過剰表現をするのに若干罪悪感を覚えるほどの閑散さ。
帰りに玉ねぎとじゃがいもでも買って夕飯はカレーにしよう、そう思案しながら通り過ぎること八分ちょっと。
住宅街の近くに建てられた歴史あり涙あり、多分若者らの青春が刻まれたであろう校舎が視界に入った。
学校にたどり着いて靴を脱ぎ下履を履いて流れるように階段を上り教室のドアを開いて足を踏み入れ机に向かって突っ伏して。
大鯛は隣の一のBで誠がいる一のAではない、クラスの名前が違かろうと成績順と言うわけではないし、学力だって平均をとれるぐらいで生徒たちが振り分けられている。
ちなみに残念ながら隣のクラスにはピアノを弾ける奴がいない、大体一クラスに一人いるのだが。
大鯛は教師がDVDで流し始めたのを見て察したらしい。
誠は鞄から引っこ抜いた『猿でもわかるギルガメッシュ叙事詩』という本を引っ張り出して三十八ページを開く。
最近の猿は随分と賢いようだ。
大鯛が誠に勧めた本で、確か世界でも古い物語の一つだとか。
イシュタルの冥界下りが書かれた八章目、傲慢で強欲な女神の失敗の物語を読もうとすると、しおりが挟まれ本が何者かにより閉じられる。
眠たげに半分閉じられた碧眼に処女雪のようなシミ一つない美しい肌。
麦穂のような美しい金色の髪、けれど所々の髪が台風でも経験した麦穂かと思うほどの跳ね具合、前髪が両眼を隠しその隙間からひっそりと碧眼が覗く。
ニヤッと笑えば小さな口の口角がほんの少し上がって、笑窪が沈む。
彼女の名前は
「吾妻君、言いたいことはわかる。突如本を閉じられて何をしているんだこのクソやろうと思っているんだろう?よくわかる。私も同じことをやられた日には迷わず拳を振るうだろう」
「わかっててやってるってことは殴られる覚悟をしているということだよな」
「ああ覚悟しているとも、だがしおりを挟んだし何より君は小物の中の小物それはもう物語の序盤で三下台詞を吐いて死にゆく小物さ。だから私を殴るなんて事をして面倒ごとになるのは最悪だと思うだろう」
何度小物といえば気が済むと抗議の視線を向けるが彼女はふふふと不適に笑って顔を逸らす。
「わかっててやってるあたりたちが悪いな。それでなんのようだ?くだらない用事だったらわりと冗談抜きに仕返しを考えるぞ?」
「とても重要な事だともーー」
彼女は口元に人差し指を当て揶揄うように妖艶に笑い、そしてその指を誠の前で振って。
「ーー君は魔法を信じるかい?」
数十秒の間が開き、静寂が二人の間を包む。
誠のジト目、少女のある確信に近い何か含みのある視線。
それぞれが交差し誠は重く、とても辛そうに口を開いた。
彼の一挙一動をじっくりと観察しまっすぐとその碧眼をむけて。
遂に誠の口が開かれて。
「病院へ行く事を勧める、精神科な」
「おっと手厳しい、残念ながら正常な人間に施す薬は存在しないんだよ」
「中二病に効く薬は残念ながらないからな、不治の病だし。哀れだから飴ぐらいはやろう」
鞄に潜めた誠セレクションの手軽に食べれて味が最高、そんな心の安定に深く貢献する菓子袋から棒付きキャンディーを引っ張り出して渡した。
特に文句も言わず飴を受け取り、感慨深げに見つめる彼女はニヤリと笑う。
「ふむちょっと遅れたホワイトデイかな?私がバレンタインにやった小さなチョコのお礼としては少々合わないが。まあプレゼントは見返りを求める物ではない、もらっておこうじゃないか」
「あの小さなチョコってチロラチョコの類じゃないのか?あのゴデバって書かれた馬のマークが描いてるやつ?」
「......ああ、そうだ。君はそういう庶民的感覚があるところに好感が持てる」
「?バカにされてるのか?」
「褒めているのさ」
意味ありげに笑う彼女に一つ千円するチョコを受け取った筈の誠は値段を知らずに首を傾げた。
「(魔法......ね?まあこいつがバカな事をいうのは今回が初じゃないけど、あんな夢を見た後だとなんだか意味ありげに思えてくるよなー)」
夢で誰かがーー老人が、黒髪黒目の老人が美しい杖を振るい世界を滅ぼしていく俗に言う悪逆非道の物語であったが、それでも放つ魔法はまるで闇夜に散る花火のようで美しくてしょうがなかった。
そして何より思い返されるのは銀髪の少女、彗星のように美しく可憐で脳裏に焼き付くその姿。
彼女の振るう剣はまるで空に瞬く星々のような決して届かぬ、手にできない触れられない華麗さがあった。
老人は心底憧れていた。
決して追いつけぬその剣技に惚れ、手札全てを使って迎え撃った。
孤独を埋める死合、心の底から満たされていた時間。
「『ーー僕の剣技は綺麗だった?』」
夢で見た、聞いた言葉が脳裏にふと流れて。
おでこをつんと、京の指が突き誠は両眼を見開いた。
「おーい?大丈夫かい?まるで最高にドヤ顔するーーなんだっけあれ、イタリアのほら、あれ」
「まさかお前あーなんだっけ?」
あの有名人、悪い意味での有名人を忘れたのかと言おうとしたが名前が出てこない。
確かに知っているのだがなかなか開かない箪笥のように名前が出てこない。
独特の不快感に襲われ熟考を始める。
「ほらあの、枢軸国3トップの一人の......おい世界史をしていないのか?まったくこれだから君は......」
「まったく同じ言葉を返してやろう」
「知らんよ、なんだこの喉の奥にアジの小骨が突っかかったような感覚」
京は首を傾げ本格的に出てこないその名前を考えること三十秒。
遂に名前が脳裏にふと沸いてぽんっと手を叩いた。
「あー!そうだ、ムッツリー二だ!」
「......何かおかしくないか?いやでもなんだか聞こえは正しい気がする」
ムッツリ?ムッツリだったか?
いや確かに歴史上の人物に聞き間違いを疑うほどのおかしな名前をしている人物は多々いる事に違いはない。
ただムッツリだっただろうかと真面目に考え始めた誠は一度本を置いた。
それを見て京は小さく私の話はきちんと聞かないのにそれはきちんと考えるのかい?と心の中で愚痴を一つ。
「......それで魔法についてどう思う?真面目に」
微笑が消え、真直ぐと澄み渡る空のような碧眼を向けられ誠は息を呑んだ。
時に美しさは人を硬直させる、今がまさしくその状況に違いなかった。
「魔法っていうのは説明できない現象の埋め合わせだと思ってる。例えば昔に万病を癒す魔術師とか呪術師って言われてたのも偶々薬草に精通してた一般人だったかもしれない、だが側から見たら、その当時の常識ある市民から見たらそれは全てを癒す魔法だったかもしれない。だから埋め合わせじゃねーかなと」
「んー?魔女狩りはどう思う?」
「金稼ぎ」
「ふむ学者が聞いたら鼻で笑いそうな回答だな。だがまあわかった。ただもし魔法が使えたら君は何をする?定義としてはなんでもできる力として」
「なんだそりゃ?一億円あったら何したいみたいな質問か?」
ちなみにその場合答えは貯金一択である。
茶化すように聞き返すと京は机に両膝をついて手に頬を乗せ、まっすぐと見つめてくる。
「そういう物だと思って欲しい。純粋にどう思う?不死の命?世界を壊す力?さあ中二病を爆発させていうがいい」
「それ言われて答える奴いないと思うんだが」
「かも知れないが君は答えるよ、絶対に」
「はあ......?」
良くわけのわからない事を聞く人間だと誠は思っていたが予想以上だったらしい。
突如魔法だとか、なんだとか、訳の分からない事を聞いてくるのはさほど珍しくない。
珍しくはないが突然聞かれて平然と答えられる質問ではない。
悩んでいるのを見てか、京は笑って。
「深く悩まなくていい、純粋に何がしたい?」
したい事、みたい事、やりたい事、よく考えても答えは出ない。
少々考えてみても答えは出ない。
あえて考えるのをやめてみるが、思い浮かぶのは銀髪の少女の姿。
存在しない、架空の夢の中の存在に過ぎないそれをいうのは少々バカらしいと思う。
けれど幻想、存在しない事を話す今、存在するか否かは問題ないだろう。
ただ言うだけ、ただ言うだけなのに一瞬背筋に嫌な感覚が走り誠は一瞬止まる。
だがいつもの京の飄々とした笑顔を見て、安心感を覚えて口を開く。
「もし魔法なんてものがあったら、俺はーー」
「『ーーまた遊ぼ』」
最後の言葉が思考の海に落ちて。
「夢で見た銀髪の少女に会ってみたいな」
口からこぼれた言葉は決して戻らない。
背筋が凍るような感覚に支配され誠は目を瞬いた。
致命的に何かを変えてしまった、子供がふざけて致命的な間違いを犯すように、何か重大なミスをしてしまった、そんな不快感。
すぐに視界が暗転し、机にゆっくりと突っ伏して。
だがすぐにその感覚は消え、違和感もなくなり安心感が溢れた。
起き上がればなんの違和感もない、特に何も起こらない、ただの戯言、京は笑う、笑う、笑う。
「そうかそうか、君は私が期待した通りの人間だ」
「どういう意味だよ?」
「いや、その銀髪の少女というのも夢で見たかアニメで見たかのどちらかだろう?だがまあ魔法があったら何よりも先にその銀髪の少女を思い浮かべるなんてね」
「悪かったな、中二病で」
「いやいや、良いよ、すごく良い。やっぱり君はーー」
チャイムが彼女の声を相殺し、朝のホームルームが始まる時間を知らせるそれが教室に木し、京は自身の席へと戻っていった。
なんとなく後味の悪さを感じ誠は深くため息を吐いて、ギルガメッシュ叙事詩を鞄に入れた。
彼女が訳の分からない事をいうのは今回が初じゃない、いつものことだ。
意味のないことに違いないだろう、そうだ違いない、そう思い、何故か願って誠は前を向いた。
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